映画的・絵画的・音楽的

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ありがとう、トニ・エルドマン

2017年07月18日 | 洋画(17年)
 『ありがとう、トニ・エルドマン』を新宿武蔵野館で見ました。

(1)予告編を見て面白そうと思って映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭では、一軒の住宅が映し出され、車から降りた郵便配達員が、その家のドアのベルを鳴らします。
 しばらくしてドアが開けられて、ヴィンフリート(注2:ペーター・ジモニシェック)が姿を見せます。
 郵便配達員が「お届け物です」と言って荷物を渡そうとすると、ヴィンフリートは「誰が注文したのやら」と訝しがって、中に引っ込んで誰かと連絡を取ります。
 中から「トニ、何か注文したのか?」との声がし、ヴィンフリートは郵便配達員に「弟は、ムショ帰りの勝手なやつなんだ」「昨日は、犬の餌の缶詰を全部食べやがった」と言います。
 そして、また家の中で「トニ、ちょっとこい。いい加減にしないと追い出すぞ」、「また、通販で注文したな」「玄関で郵便配達員が待ってるぞ」という声がして、今度は、かつらや入れ歯を付けてトニに変装したヴィンフリートが現れて、「アダルトグッズなんて頼んでいない」と言います。
 郵便配達員は、「中は見てませんよ」と言いながら、荷物をトニにわたします。
 トニは郵便配達員に、「さっきの兄貴も実は俺なんだよ」と明かします。

 ヴィンフリートが家の中に入っていくと、少年が現れたので、「レッスンは明日だろ?」と言います。すると、その少年は、「実は、ピアノのレッスは止めると伝えに来た」「練習する時間がなくて」と答えます。
 それに対し、ヴィンフリートは「やっぱり無理か」「だけど、ピアノはどうなる?」「お前のために買ったのだから」と言うも、「冗談だよ」と付け加えます。

 次いで、ヴィンフリートは、トニの変装をしたままで、老犬のヴィリーを連れて母親の家に行きます。
 彼は、外からガラス窓を叩いてから家の中に入ります。
 家の中では、年老いた母親が椅子に座っています。
 母親は、ヴィリーがぐったりしているのを見て、「早く安楽死させたら?」と忠告するのですが、ヴィンフリートは、「親にも出来ないのに」と答えます。
 母親は、また、「お隣が、日を遮るので生け垣を切るって」と言いますが、それに対してヴィンフリートは、「ああ、切ればいいさ」と応じます。

 以上は、本作の本の初めの部分ですが、さあこれからどんな物語が描かれることになるのでしょう、………?

 本作はドイツ映画で、企業コンサルタントとしてルーマニアのブカレストで働く娘のことが心配になった父親が、突然彼女の様子を見に連絡なしで現地に行ってしまって、云々というお話。父親が悪ふざけ大好き人間ということで、面白いエピソードがいくつも設けられているだけでなく、最初はあまり上手くいってなかった父親と娘の関係が次第に改善していく様子も上手く描かれていて、まずまずの出来栄えの作品ではないかと思いました。ただ、大の大人の娘を心配するいつまでも子離れしない父親ってなんだろうという気もしましたが。

(2)父親と娘の関係が描かれている映画は昔から多いようで(注3)、最近では、例えば、『美女と野獣(2017)』とか『アサシン クリード』、『五日物語―3つの王国と3人の女―』、『お父さんと伊藤さん』などがあるでしょう(注4)。
 それぞれの作品は、どれも特色ある父娘関係を描いていますが、本作でもまた一風変わった親子関係が描かれます。

 なにしろ、父親ヴィンフリートは、娘のイネスサンドラ・ヒュラー)を驚かせる出現の仕方をするのです。
 例えば、最初は、事前に何も連絡しないで、イネスの職場(注5)の入り口で、彼女がドアから入ってくるのを待っています(注6)。



 次は、ドイツに帰ったはずにもかかわらず(注7)、イネスが、仲間のステフルーシー・ラッセル)やタチアナハーデウィック・ミニス)とレストランで食事会をしている最中に、変装した姿でヌッと顔を出すのです(注8)。
 最後は、イネスの誕生日パーティー(注9)に、毛むくじゃらの精霊クケリ(注10)の被り物をして現れます。

 このように父親のヴィンフリートが娘の周辺に何度も現れるのは、娘の状況を酷く心配してのことでしょう。ヴィンフリートは、勤務地ブカレストから久しぶりに戻ってきた娘・イネスの様子が昔の彼女とだいぶ違っていると感じ、これは職場に何か問題があるのではないかと推測し、矢も盾も堪らずにブカレストに赴くことになります。
 もしかしたらヴィンフリートは、イネスが、専ら経済合理性を追求するコンサルタント業に忠実であろうとする余り、精神的な不安定性を抱え込んでいるのでは、と見抜いたのかもしれません。
 ただ、ヴィンフリートは娘の仕事内容がわかるわけでもなく、娘の後を追いかけているだけのことですが、結果的には、イネスが見ようとしない現地の実情といったものに娘の目を向けさせることになります(注11)。

 そうしたヴィンフリートに付き合っていくうちに、次第にイネスの心もほぐれていく様子が、上手く描き出されているように思います(注12)。



 とはいえ、本作では、こうした父娘関係が専ら描かれているというわけではなく、イネスがブカレストの会社で行っているコンサルタントとしての仕事の様子も、きちんと描かれています(注13)。
 それで、上映時間が、この種の作品としては長尺の162分ながらも、十分のリアリティをもって見る者に訴えかけてきます。
 ただ、いくら娘の身の上が心配になるからと言って、すでに一人前の大人になっているイネスに対して、ここまで親が介入するのかなという思いも抱いてしまいましたが(注14)。

(3)渡まち子氏は、「複雑で曖昧、だからこそリアルな、奇妙奇天烈なこの怪作は、オフビートな人生讃歌の物語と言えよう」として65点を付けています。
 中条省平氏は、「笑いにまぶしてはいるが、これは父と娘の感情の食い違いとそこからの解放を描く、しごく真っ当な家族の映画なのだ。ふざけているように見えて、次第に私たち日本人にも通じる感情のドラマが迫ってくる」として★4つ(「見逃せない」)を付けています。
 藤原帰一氏は、「長い映画です。短いことの多いコメディーと違って2時間42分、それも長さを忘れさせるというより長さを意識させる映画なんですが、その時間に身を任せると、父と娘の姿が立体感をもって浮かんでくる。笑って泣いてそのまま終わるのではなく、後を引くコメディーです」と述べています。
 林瑞絵氏は、「演劇界の名優ふたりが、まるで観客もその場を共有するような生々しい空気感を体現。おかしみと悲しみを同居させ、人生の機微を見事に映し出す。映画ファンなら必ずや覚えておきたい新星の名は、ドイツ人女性監督マーレン・アデ」と述べています。



(注1)監督・脚本はマーレン・アデ
 原題は「Toni Erdmann」。
 なお、この記事によれば、ジャック・ニコルソンが、本作のハリウッド・リメイク版に主演するようです。

(注2)おそらく60歳位(演じているペーター・ジモニシェックは71歳ですが)。また、妻とは離婚している模様。
 なお、娘のイネスは40歳間際といった感じでしょう(演じているサンドラ・ヒュラーは40歳です)。結婚はしていませんが、同僚のティムトリスタン・ピュッター)と愛人関係にあるようです(でも、本作で描かれる2人の性行為は、常識的なものではありません)。

(注3)劇場用パンフレット掲載の芝山幹郎氏のエッセイ「「スーパーシリアス」の面白さ」では、『晩春』(1949)、『花嫁の父』(1950)、『女相続人』(1949年)、『復讐の荒野』(1950)、『チャイナタウン』(1974)、『恋人たちの食卓』(1994)、『人生の特等席』(2012)といった作品が挙げられています。

(注4)『美女と野獣(2017)』ではモーリス(ケヴィン・クライン)とベル(エマ・ワトソン)の父娘、『アサシン・クリード』ではアラン(ジェレミー・アイアンズ)とソフィア(マリオン・コティヤール)の父娘、『五日物語―3つの王国と3人の女―』ではハイヒルズ国の国王(トビー・ジョーンズ)と王女・ヴァイオレット(ベベ・ケイブ)の父娘、『お父さんと伊藤さん』では、父親(藤竜也)と彩(上野樹里)の父娘。

(注5)イネスは、ドイツのコンサルタンと会社に所属していて、今はそこからルーマニアの石油会社に派遣されて、上司のゲラルトトーマス・ロイブル)らとチームを組んで、同社の経営計画を策定しています。その交渉相手は、同社の取締役のヘンネベルクミヒャエル・ヴィッテンボルン)。

(注6)イネスは、サングラスをしたヴィンフリートに気付くも、他の人と一緒だったこともあり、気付かないふりをして、エレベーターに乗っていってしまいます。
 後からイネスは、助手のアンカイングリッド・ビス)を寄越して、ヴィンフリートをホテル(5つ星のラディソン・ホテル)にチェックインさせ、またアンカを通じて、アメリカ大使館のレセプションに一緒に行かないかと伝えます。

(注7)ヴィンフリートは、「放っとけない」と言いながらも、「帰る」と言ってエレベーターで階下に降りていき、部屋のベランダから手を振るイネスに下から手を挙げて答えて、そしてタクシーに乗ったはずなのですが(その際には、イネスは涙を流したのでした)。

(注8)その際にヴィンフリートは、トニの変装をして、「シャンパンを一杯いかがですか?」「ティリアックを待っているところです」「私はトニ・エルドマンです」と言いながら、3人の会話の中に入り込むのです。
 トニは、「ここに来たお目当ては有名な歯医者。歯を作り直してもらいました」と言い、タチアナが「有名なイオン・ティリアックのお友達なの?」と尋ねるものですから、トニは「ドイツで一緒にテニスをしたことがあります」と答え、ステフが「ご職業は?」と訊くと、トニは「私は、ビジネスマンで、コンサルタントとコーチングをしています」と答えます。

(注9)この誕生日パーティーは、驚いたことに、ヌードパーティーになってしまいます。
 それでも、気を許して付き合っていたはずの女友達のステフは、「私は嫌よ」と言って帰ってしまいますが、上司のゲラルトは「一杯飲んできた」と言いながら、秘書のアンカはプレゼントの電卓を持って、裸になって参加します(同僚でボーイフレンドのティムは、「皆が裸になっているのなら電話して」と言って帰ります)。

(注10)例えば、この記事が参考になります。

(注11)「現地の実情」に目を向けさせるということは、イネスの思考回路から余計なものとして落ちてしまっている“人間性”、あるいは“ユーモア”といった要素を回復させることではないかと思われます。
 例えば、ヴィンフリートは、アメリカ大使館のレセプションで会って名刺をもらっただけの現地の女性・フラヴィアヴィクトリア・コチアシュ)の家にイネスを連れて行って、イースターエッグの色塗りをイネスにさせてみたり、はては、自分の伴奏で、イネスにホイットニー・ヒューストンの「Greatest Love of All」を皆の前で歌わせたりします。

(注12)でも、イネスは、今のコンサルタント会社を退職し、次にシンガポールのマッキンゼー社に就職するとされていますが、それではまた同じことになるかもしれません。

(注13)イネスが、上司のゲラルドらとチームを組んで対応しているのは、ブカレストにある石油会社の合理化計画。それは、既存の業務部門の切り離しが含まれ、リストラを伴うことになります。そうした厳しい計画を、その会社の幹部のヘンネベルクに受け入れてもらうにはどんな内容にすべきなのか、イネスはあれこれ考えることになります(まず、上司のゲラルドの了解を取り付ける必要があります)。

(注14)合鍵を使って部屋に入り込んだヴィンフリートが隠れているのを見つけたイネスが、たまらず、「パパは異常よ!」と怒りますが、当然でしょう。



 そして、これでは、例えば、大学の入学式どころか、入社式にまで列席する親が増えているという日本の社会現象に、ある意味で類似しているように思えてしまいます(これは、個人主義が充分に確立していないために、親離れ・子離れが進まない日本独特の現象ではないかと思っていましたが)。



★★★☆☆☆



象のロケット:ありがとう、トニ・エルドマン