孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ハンガリー  ホロコーストの責任に関する歴史認識

2014-03-25 23:08:25 | 欧州情勢

(極右政党ヨッビクの集会に参加するスキンヘッドの若者たち “flickr”より By Michael Colello Images http://www.flickr.com/photos/87634520@N08/13253112495/in/photolist-mc8EBz-mc8w9x-mc8Jf6)

【「悪のドイツ」が「無垢なハンガリー」を襲う・・・
自身の生命や外交官としてのキャリアを犠牲にしながらもナチス軍のホロコーストからユダヤ人を救済したユダヤ民族の“救済者”(The Rescures)と呼ばれる外交官たちが、スウェ-デン、米国、スペイン、スイス、イタリア、バチカン小国、ドイツ、日本、英国、トルコ、中国、ポルトガルと多数の国々に存在し、その外交官たちが救済したユダヤ人の総数は20万人にもなったそうです。

その中の一人が、「日本のシンドラー」と呼ばれた駐リトアニア領事代理の杉原千畝氏です。
杉原氏はポーランドなど欧州各地から逃げてきたユダヤ人たちに日本外務省の指令を無視して通過ビザを発行し、約6000人のユダヤ人を救ったと言われています。

“救済者”(The Rescures)の中でも最も良く知られている人物が、スウェーデン人外交官ラウル・ワレンバークです。
駐在先のハンガリーで約10万人のユダヤ人たちにスウェ-デンの保護証書を発行して救ったが、ナチス軍の敗北後、ハンガリーに侵入してきたソ連軍によって拉致され、行方不明となっています。ソ連の刑務所で射殺されたといわれています。【2013年1月28日 ウィーン発 『コンフィデンシャル』より】http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52019081.html

ワレンバークの活動に見られるように、ナチス・ドイツに協力し、その後ナチスの占領を受けることになったハンガリーでは、他の欧州諸国同様に多数のユダヤ人がホロコーストの犠牲になっています。

****ハンガリーとユダヤ人弾圧****
ハンガリーはオーストリア・ハンガリー二重帝国下で第1次世界大戦に敗れ、国土の3分の2を失った。
1920年に指導者となったホルティ・ミクローシュ海軍提督は30年代、ナチス・ドイツと協力し、領土回復を進めた。

ホルティ氏は国内のファシスト政党とは距離を保ったが、ユダヤ系住民を弾圧。米ホロコースト博物館によると41年に約82万人いたユダヤ系住民のうち生き残ったのは約25万人だった。【3月25日 朝日】
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ハンガリー自身がそうした自己の歴史をどのように認識するのか・・・日本を含めて、長期にわたり自己の歴史に向き合うことは非常に難しいことです。

ややもすれば、時間とともに“加害者”としての意識は薄れ、“被害者”としての立場を主張するようにもなります。
また、いつまでも“加害者”としての責任を追及されることに嫌気し、反動的に自らの正当性を主張する人々が、過去との時間的つながりが薄い若者層を中心に増えてきます。

****ハンガリーは被害者」に反発 「ナチスに占領された」記念碑計画****
第2次世界大戦のホロコースト(ユダヤ人大虐殺)から5月で70年を迎える東欧ハンガリーで、ユダヤ系団体が国の記念事業をボイコットする構えだ。

発端は、大戦末期のナチス・ドイツによる占領をめぐる記念碑の建立計画。旧枢軸国だったハンガリーを被害者として描く案に、強い反発が広がった。

 ■ユダヤ系「弾圧に関与」
首都ブダペストの国会議事堂に近い自由広場は、歴史が交錯する場所だ。正面に社会主義時代に建てられた、ソ連軍兵士をたたえる巨大な石碑。その向こうに冷戦終結時のレーガン米大統領の笑顔の銅像が立つ。

庭師のセープ・ジョルジョさん(56)は「記念碑が建つたび誰かが喜び、誰かが怒る。そんなものなら、ない方がいい」と言った。

騒ぎは、政府が1月に突然、広場にナチス・ドイツによる占領から70年を記念する碑を建てると発表したときから始まった。

ドイツが同じ枢軸国のハンガリーを占領したのは、戦況が悪化した1944年3月19日。同年5~7月、43万7千人のユダヤ系ハンガリー人がアウシュビッツ強制収容所に移送され、ほとんどが犠牲になった。

記念碑はハンガリーを象徴する天使にドイツのタカが飛びかかるデザインで高さ7メートル。「悪のドイツ」が「無垢(むく)なハンガリー」を襲う図案に、ユダヤ系団体は猛然と反発した。

ハンガリーでは、ドイツによる占領前から激しいユダヤ人弾圧が続いていた。1920年に最初の反ユダヤ人法が成立。ヒトラー政権と協力した30年代はユダヤ人の結婚や就職が制限され、強制労働で多くが命を失った。41年には2万人がドイツ占領下のウクライナに送られ殺害された。

ドイツがハンガリーを占領したのは、同国がひそかに連合国との休戦を模索したからだ。
ただ、歴史家のウングバーリ・クリスティアン氏(44)は「占領後もほとんどの閣僚がそのまま残り、ドイツの要請を上回る規模でユダヤ人を死のキャンプに送った」とする。

クーミン官房副長官は「政府がホロコーストの責任を否定したことは一度もない。記念碑はユダヤ系住民を含め占領のすべての犠牲者を悼むためだ」と説明する。

しかし、若手のユダヤ教指導者ケベシュ・シュロモー氏は「記念碑から伝わるのは『ハンガリーも悪かったが、もっと悪い国があった』というメッセージだ」と憤る。

ユダヤ系の最大団体は2月の総会で、記念碑が建立されれば、政府がホロコースト70年に向けて進めるすべての事業への関与をやめることを決めた。

 ■極右躍進、与党も愛国政策
突然持ち上がった占領記念碑の計画の背景に、4月に迫った総選挙の影を見る声が強い。

オルバン首相の中道右派「フィデス・ハンガリー市民連盟」は経済危機を背景に、2010年の総選挙で3分の2の議席を握った。11年4月には野党の反対を押し切って新憲法(基本法)を可決。「強いハンガリー」を前面に出し、欧州連合(EU)との関係をぎくしゃくさせたが、今も支持率は高い。

その「フィデス」の不安の一つが、前回17%得票して第3勢力に躍進した極右政党ヨッビクの存在だ。同党議員らは「政界、経済界のユダヤ人をリストアップすべきだ」と発言し物議を醸すが、若者への浸透が著しい。「フィデス」は対抗上、さらに愛国的な政策を出す必要に迫られていた。

一方、オルバン氏は昨年5月にブダペストでの世界ユダヤ人会議で、反ユダヤ主義を強く批判した。ホロコースト70年で新たな記念センターの計画も表明。ユダヤ人差別への取り組みは左派より熱心、とみるユダヤ系団体幹部もいる。

ハンガリー・ユダヤ系住民連盟のヘイズレル・アンドラーシュ議長は「正直、悩ましい」と漏らす。オルバン氏が、国際的に約束した「反ユダヤ主義との戦い」と「強いハンガリー」の間で背反する立場をとっている、とみるからだ。

12年施行の新憲法は前文で、ドイツによる占領の日から社会主義崩壊後に初の総選挙が行われた1990年5月まで「ハンガリーは主権を失っていた」と規定する。一部の歴史家らは、今もこの前文を「『世界大戦で負けたのも、社会主義で自由が制限されたのも、みな外国のせいだ』と言うに等しい」と批判する。

ドイツの占領とソ連の影響下にあった戦後の社会主義時代を「二つの占領」とする史観は、オルバン氏の持論だ。最初に政権についた2000年代初め、オルバン氏は二つの時代を展示する「恐怖の館」博物館を建設した。シュミット・マリア館長は「ハンガリーにホロコーストの責任はあるが、それを負うべきは占領に協力した者たちだけ」と話す。

セゲド大学のカルシャイ教授(歴史学)は「若者たちは、ハンガリーを悪者に描く歴史はもう聞きたくないと思っている。経済危機でEUや国際通貨基金(IMF)から干渉を受けているという思いが、こうした史観を広げている」と話す。【同上】
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「政府がホロコーストの責任を否定したことは一度もない」との建前を維持しつつも、自らの関与・責任についてはなるべく薄めていこうとする・・・。

「若者たちは、ハンガリーを悪者に描く歴史はもう聞きたくないと思っている。経済危機でEUや国際通貨基金(IMF)から干渉を受けているという思いが、こうした史観を広げている」

“自虐的”な歴史観にうんざりした人々の増加に、政府も愛国的な政策を出してすり寄っていく・・・・

なんだか、よその国の出来事とは思えない感があります。

総選挙で注目される極右政党と国外ハンガリー人
4月6日投票の総選挙に関しては、その民族主義的傾向が欧州において問題視されている与党フィデスは、前回ほどの勢いはないものの、高い支持率を維持しているようです。

****ハンガリーで総選挙:4月6日投票****
ハンガリーで総選挙:静かな街頭、賑やかな報道
2010年の総選挙後、4年の任期をまっとうしたフィデスが国民の審判を受ける。

1990年の民主化後、二期連続で政権を維持したのは2002−2010年の社会党政権しかない。(北海道大学スラブ研究センターのホームページに東欧各国の選挙結果データベースがあるので、詳細はそちらで参照可能 http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/election_europe/hu/result.html

今回の選挙における最大の見どころは現オルバーン内閣が政権を維持できるかどうかであろう。
事前の世論調査ではフィデスが最も高い支持を受けているが、30−40%の支持率に留まっている。2010年総選挙のような3分の2の議席をとる勢いはない。(中略)

残り20%あまりの有権者のうち、過激な民族派と言われるヨッビクが15%ほどの支持を集めている。党員も4年前の1万人から1万6千人に増えたと言われ、前回の17%を上回るほど支持をのばすのか、それとも前回のようなヨッビク旋風はもう吹かないのか、これが今回の選挙のもう一つの争点である。

ヨッビクはハンガリー語でJobbikと表記し、「右派」とも訳せるし、「より良い」という意味にもとれる。反ユダヤ主義を平然と口にし、EU脱退を公約に掲げている。(中略)

二大政党による誹謗中傷合戦が激しさを増すと、当然の結果として、有権者の大政党に対する不信感が募っていく。それが第三勢力への支持拡大に結びつく可能性は高い。とりわけヨッビクに票が流れるのではないかと考えられている。

まさにこの点が、社会党系とフィデス系の二派に分かれた白熱のテレビ討論で、司会者に指摘された瞬間、両派が急に和んだ態度に豹変したことがあった。

4月6日が投票日である。この投票に参加できるのは、18歳以上のハンガリー国民だが、今回からは事情が少し変わる。ここに今回の総選挙のもう一つの見どころがある。

つまり、外国籍でも二重市民権でハンガリー市民権を持つ者は、総選挙に参加できるようになったのである。
ハンガリーの近隣諸国に合計で200万人を越えるハンガリー系住民が少数民族として存在する。この人々をハンガリーの国政選挙に参加させようという考えである。
ハンガリーの人口が1000万人なので、その20%に相当する規模である。

オルバーン首相は前政権時代(1998年−2002年)からこの「国外ハンガリー人」を「ハンガリー国民」として統合する政策を打ち出し、様々な権利を「国外ハンガリー人」に与えてきた。その代表例が「地位法」と呼ばれる特別立法措置であり、隣国でのハンガリー語教育支援などを実践してきた。

2010年からの第二次オルバーン政権では、二重市民権を国外ハンガリー人に積極的に供与する施策を行ない、今回の総選挙から二重市民権を取得した国外ハンガリー人が、比例区に限られるが、国政選挙に参加できるようになった。

もっとも実際に投票するのは数十万人程度ではないかと予想されている。フィデスはその大半が自党に流れると期待しているが、果たして国外ハンガリー人はどう判断するのか、これも今回の選挙の争点である。【2014年3月15日 北海道大学スラブ研究センター家田研究室 「一緒に考えましょう講座」】http://lets-think.com/election2014/
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後半の「国外ハンガリー人」への市民権付与などの政策は、ハンガリー系住民が多く居住するスロバキアなど周辺国からは、政治的介入を招く恐れがあるとの強い反発を受けています。
クリミアに侵攻したロシアや、かつてのナチス・ドイツなど、「自国民の保護」は対外侵略の常套手段です。

そのあたりの話は、2010年5月28日ブログ「ハンガリー 在外ハンガリー系住民への国籍付与」http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20100528で取り上げたことがあります。

前回ブログ当時は「選挙権は与えられないなど実質的な権利は限られている」とのことでしたが、今回選挙からは投票権を有するようです。

3月23日にフランスで行われた統一地方選挙の第1回投票では、欧州統合反対を掲げる極右勢力の「国民戦線(FN)」(マリーヌ・ルペン党首)が躍進しています。
極右勢力の台頭が言われている欧州にあって、ハンガリー極右政党ヨッビクの動向、民族主義的施策を強める与党フィデスの動向など、注目されるところです。

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