孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ネパール  毛派兵士の国軍統合問題が解決、今後は新憲法制定論議へ

2012-04-25 17:48:49 | 南アジア(インド)

(06年5月 毛派女性兵士(19歳) 同年11月には政府と毛派は無期限停戦を誓う包括和平協定に調印しました。 “flickr”より By rangichangichha http://www.flickr.com/photos/joshklustig/144405892/

【「こんな結末になるとは思っていなかった」】
ネパールでは、ネパール共産党毛沢東主義派(毛派)が長く武装闘争を続けていましたが、王制打倒で足並みをそろえた各党と2006年に和平協定を結び、内戦終結を宣言。08年4月の制憲議会選挙では、大方の予想に反して第1党となり、翌月の議会で王制廃止を決めています。

しかし、毛派と他の政党の間では確執があり、特に、国軍を相手に武装闘争を行ってきた毛派兵士を国軍に統合する問題に関して、国軍・他政党の反対が強く、国家再建のスタートとなるべき新憲法制定論議や組閣が著しく遅滞する事態が続いていました。

その間、毛派兵士は国連監視(武器は国連が管理する形で、宿営地内倉庫に保管)のもとで、宿営地で処遇の決定を何年も待っていました。
他の政党にとっては、残存ずる毛派兵士の存在は、いつまた武装闘争に転じるかもしれない脅威でもありました。

解決が長引くなかで、監視活動を行っていた国連ネパール支援団(UNMIN)が11年1月に撤収、その後は毛派を含む主要3党の代表者による特別委員会の管理下におかれてきました。
(11年1月28日ブログ「ネパール 首相人事・毛派兵士の国軍編入など決まらないなかで国連ネパール支援団撤退」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20110128)参照)

その後、あまり情報を目にする機会がなく、毛派兵士の国軍統合問題が一応の解決をみたという報道に驚きました。

****反旗降ろす毛派ゲリラ 新憲法制定へ妥協と不満****
ネパールで1996年から約10年間、武装闘争を繰り広げた共産党毛沢東主義派(毛派)の旧ゲリラ兵士が今月、和平から6年を経て国軍の指揮下に入った。最大の政治的懸案が解決したことで、2008年の王制廃止後の国のあり方を決める新憲法制定へ、機運が高まっている。

首都カトマンズから車で5時間、中南部チトワン郡シャクティコールにある毛派人民解放軍第3師団の宿営地。今月中旬、ゲートや武器庫はすでに国軍兵が管理しており、毛派の元兵士らの多くは私服で、「解放軍」の雰囲気はすっかり様変わりしていた。

元兵士らは国軍編入組と除隊組に分かれ、除隊を希望する人たちは宿営地内のテントで階級に応じた「退職金」50万~80万ルピー(1ルピー=約1円)の半額分の小切手を一時金として政府から受け取っていた。荷物を抱え故郷に向けて家路につく姿も見られた。

00年に毛派軍に加わった中隊長ジョニ・スナルさん(30)は除隊を選んだ。年齢や学歴から国軍に編入すると階級が下がるうえ、戦闘で右耳に銃弾を受け、聞こえなくなった自分を軍が必要とするか不安だったからだ。「2歳の娘のために村に帰って仕事を探したい。まずは母親の畑仕事を手伝おうと思う」

元兵士には6年間続いた宿営地での「待機」生活への疲労感が漂う。連隊長の男性(36)は「こんな結末になるとは思っていなかった。金持ちのための政府は変わっていない。革命は完遂していない」と話す。

約1万5千人が犠牲になった内戦が06年の和平協定成立で終結後、約2万人の毛派軍は国連の監視下に置かれた。毛派側は全員の国軍との併合を要求したが、共産主義思想の影響を受けた元ゲリラの編入に消極的だった他の政党や国軍側と交渉が難航した。

毛派側は新憲法制定で議論を有利に進めるため、武装組織の温存を図る狙いもあったとされる。ネパール会議派や統一共産党といった主要政党は「憲法議論より統合問題解決が先だ」と主張。「政党対立で憲法制定作業が遅れる事態が続いた」(ネムバン制憲議会議長)

だが、昨年8月、毛派幹部のバタライ氏が3年間で4人目の首相に選出されると、同11月には編入人員を最大6500人とすることなどで主要政党間で合意。今月10日に国軍が毛派軍の15宿営地を指揮下に置いき、除隊作業は19日にすべての部隊で完了した。最終的に国軍編入を希望し、宿営地に残ったのは約3100人にとどまった。

これまで4度延長された制憲議会の任期について昨年11月、最高裁がこれ以上延長を認めないとの判断を下していた。任期の満了が5月27日に迫る中、毛派が折れた格好になった。
これを受け、主要政党は党首間の非公式協議を開始。連邦州の数や大統領制とするか議院内閣制とするかなどで意見の隔たりがあるが、各党とも妥協の姿勢を見せている。毛派のクリシュナ・マハラ国際局長は「協議によって合意できる」と自信を見せた。

ただ、現金を渡すだけで大半の元ゲリラを社会に帰したやり方には批判がくすぶる。野党・統一共産党のシャンカル・ポカレル議員は「政治思想を捨てずに社会に戻った彼らが不安定要素になる可能性がある」と指摘した。【4月23日 朝日】
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現場の混乱、毛派内部の対立も
全員の国軍との併合を要求していた毛派側が譲歩を示した結果のようです。
しかし、作業を急ぐ政府方針に対し、現場での混乱も一部あったようです。

****毛派が突然の武装解除****
マオイスト(ネパール共産党毛沢東派)が武装解除をして国軍の管理下に入ることになった。

バブラム・バッタライ首相が主催する軍統合に関する特別委員会は、4月10日、主要政党の党首らと合同会議を開き、急きょ、マオイストの武装組織「人民解放軍」の戦闘員と武器を、10日中に国軍であるネパール軍の管理下に置くことを決定した。
この決定により、マオイストは、正式に武装解除をして武器を国軍に引き渡すことになり、6年にわたって続いてきたネパールの和平プロセスの主な作業がようやく終了することになった。

1996年から10年にわたって反政府武装闘争を続けたマオイストは、2006年11月21日にネパール政府とのあいだで包括和平協定に調印し、ネパール内戦は正式に終了。「人民解放軍」は、全国の28か所に設置された宿営地に滞在してきた。

その後、「人民解放軍」をネパール軍に統合する作業が、ネパールの和平プロセスの主な柱となっていたが、相次ぐ政権交代やマオイストの党内抗争などが原因で、なかなか作業が進まずにいた。
しかし、2011年8月にマオイストのバブラム・バッタライ副議長が首相に就任したあと、和平プロセスはようやく進みだし、今年2月には引退を希望した約7500人の戦闘員の除隊が完了した。
その後、13の宿営地が閉鎖され、残り15の宿営地にネパール軍への統合を希望する約9700人の戦闘員が滞在していた。

野党のネパール会議派と統一共産党は、最大与党であるマオイストとの信頼醸成のために、早期に「人民解放軍」の武装解除をして、すべての宿営地を閉鎖することを要求してきた。しかし、ネパール軍に統合したあとの戦闘員の階級や、統合されたあとの訓練の問題で政党間の意見の調整がつかず、軍統合の作業の開始が遅れていた。
新憲法制定の期限が迫っていることや、政権交代の圧力がかかったことから、3月30日、バッタライ首相が率いる特別委員会は、4月12日までに軍統合を終了させて宿営地を閉鎖することを決定した。

4月8日には特別委員会の作業要員が7つの師団に派遣されて作業を開始することになっていた。
しかし、ネパール軍に統合される戦闘員の数が最大で6500人までと決まっており、「人民解放軍」の師団コマンダーらが、統合される6500人の選抜を一方的に始めたことから、複数の宿営地でコマンダーや党指導部に不満をもつ戦闘員が、作業への不参加を表明して抗議の声を上げ始めた。10日には、コマンダーの車を焼き討ちする戦闘員まで現れた。
事態を重く見た特別委員会は、宿営地におけるコマンダーや特別委員会のスタッフの安全確保を理由に、作業が終わるのを待たずに10日からマオイストの戦闘員と武器をネパール軍の管理下に置くことに決めたものである。

この決定のあと、最大野党のネパール会議派のラム・チャンドラ・パウデル副党首は、
「これでようやくマオイストに対する信頼醸成ができた」(カンティプル・テレビへのインタビュー)と話した。
野党のネパール会議派と統一共産党は、軍統合が終わるまで憲法制定の作業を進めないという方針をとってきた。
新憲法制定の期限が5月27日に迫っているが、軍統合の作業の遅れのために、憲法制定のプロセスも遅れている。
マオイストが武装解除をしたことで、和平プロセスの主な作業が終わり、議会政党が新憲法制定に集中するものと期待されている。

一方で、マオイストの「強硬派」であるモハン・バイデャ副議長が率いる一派は、「この動きは降伏行為だ」として、4月11日から抗議の運動を始めることを決めた。【4月11日 ASIAPRESS NETWORK】
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上記記事最後にあるように、毛派内部でも今回措置に反対する勢力があるようです。

****マオイスト党内分裂決定的*****
ネパール共産党統一毛沢東主義派(マオイスト)議長P.K.ダハール(プラチャンダ)は、ハッティバン・リゾートで行われている政治会議を中座して、ドゥリケルで行われている党員研修に駆けつけ、党員たちに向かって、同党副議長のモハン・バイディア派の研修会に参加しないよう呼びかけた。
バイディア派は、この研修会をボイコットし、来週同様の研修会を同郡内で行う予定である。【4月18日 日本ネパール協会】
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「こんな結末になるとは思っていなかった。金持ちのための政府は変わっていない。革命は完遂していない」という、兵士としてしか生きる道を知らない毛派兵士の言葉には同情もしますが、いつ果てるともしれない対立状態から、ようやく新憲法制定に向けた動きが可能となったことには安堵もします。
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1 コメント

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Unknown (消印所沢)
2012-04-27 21:42:26
 除隊組ですが,本当に社会復帰できるんでしょうかね?
 マオ派兵士の一般市民からの嫌われ方は,国軍兵士の嫌われ方と大差ないか,それ以上と聞き及んでおりますゆえ.
(三井昌志『素顔のアジア』ソフトバンククリエイティブ,2005/10/15)
 それによっては,もう一波乱あるかもしれませんね.

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