孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

フランス  なお残る植民地問題と移民問題

2007-12-08 18:34:59 | 世相

(アルジェリアの首都アルジェの一画、カスバ。 “flickr”より By markeveleigh)

「世の中には離れられないものがある。
男と女。山と平野。人間と神々。そしてインドシナとフランス。」
(1992年フランス映画「インドシナ」より)

フランス支配から独立、統一に至るまでのベトナムを舞台にしたカトリーヌ・ドヌーブ主演の映画の冒頭部分のモノローグです。
そのかつての植民地への思い入れの強さにひどく驚いた記憶があります。
日本も植民地支配の大きな傷を韓国など各地に残していますが、日本に比べて長期・広範囲に植民地支配を続けてきたヨーロッパ列強の場合、自国・相手国双方に残る爪あと・影響は日本以上に深刻なものがあります。

ヨーロッパ列強のアフリカ支配については、7月30日の当ブログ(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070730 )でも取り上げました。
そのときにも掲載しましたが、ヨーロッパ側の言い分は、「いつまでも(西欧に)植民地支配の責任を押し付けるばかりではなく、独裁や貧困のない自立したアフリカを築くべきだ」「植民地主義は過ちだったが、それが虐殺や内戦、貧困などのすべての理由とは言えない。」「汚職や暴力、貧困を排除したければ自分たちで決意すべきだ。」というサルコジ仏大統領の北アフリカ訪問時の発言に集約されます。

おりしも今日8日から2日間、リスボンで第2回欧州連合(EU)アフリカ首脳会議が開催されます。
イギリスのブラウン首相は人権弾圧を理由にジンバブエのムガベ大統領の出席に抗議して欠席。
リビアの指導者カダフィ大佐は「議題は植民地支配への賠償だ」と述べるなど、緊張が高まっているそうです。

ジンバブエのムカベ政権はイギリスからの独立後、白人農園主から政府が土地を市場価格で買い取り、それを黒人の貧しい人々に再分配する計画でした。
しかし、いろんな経緯もあって、結局白人農園の“没収”を強行しています。
その言い分は「イギリスの植民地となり、黒人が先祖代々耕してきた農地を白人に奪われたとき、黒人は何の補償も受けられなかった。だから今、白人が独占する農地を没収して黒人に返しても、ジンバブエ政府は何も補償する義務はない。白人が補償を求めるとしたら、その相手はイギリス政府になるはずだ」というものです。
(7月11日の当ブログhttp://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070711
いささか極端な言い分ではありますが、問題はそのような言動の背景にある不信感・怨嗟の思いです。

今日この話題を取り上げたきっかけは、リスボンでの会議の件ではなく、先日サルコジ大統領がアルジェリアを訪問した際の発言の件、あるいは発言しなかった件です。
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サルコジ大統領は5日、3日間にわたる旧植民地のアルジェリア公式訪問を終えた。両国は核エネルギーの平和利用協力を含む総額73億ドル(約8000億円)以上の投資・協力協定を締結した。
サルコジ大統領は滞在中、一般的な植民地制度を「不正だ」と非難したが、アルジェリアが要請していた仏植民地時代(1830~1962年)に関する直接の謝罪はしなかった。【12月6日 産経】
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今回、大統領は植民地時代やアルジェリア戦争(54~62年)に言及し、「双方にある「苦痛」は忘れてはならないが、未来を一緒に見つめよう」と述べたそうです。
また、「植民制度は不正」と言明しましたが、戦争による「双方のすべての犠牲者を誇りにしたい」と述べるにとどめています。

TVで大統領のスピーチの様子を観ましたが、「(植民地当時)入植したフランス人はアルジェリアを支配しようとしたのではない。アルジェリアのためになることをしよう思っていた・・・」(うろ覚えですので、多少違っている部分があると思います。)そんな趣旨の発言をしていました。

訪問前から、アルジェリアのアッバス退役軍人相が「サルコジ氏はユダヤ人のロビーで当選した」と発言して、両国には緊張した空気がありました。
背景にはフランスの植民地支配をめぐるしこりがあるます。
フランス側には植民地支配について、サルコジ大統領の発言にもあるような「肯定的な面があった」との意見があり、大統領はまた「未来志向」を理由に謝罪を避けています。
これに対し、アッバス氏は「(サルコジ大統領の)謝罪なしで両国関係は改善しない」と強調。
発言にはアルジェリア有力者から支持する声が相次いでいるそうです。

もっとも、核エネルギーに関する取引ちゃんと成立したようですので、アルジェリア側も政権中枢はまた別の思惑があるようです。
それにしてもサルコジ大統領はあちこちで原発を売りまくり、リビアの児童エイズ問題、チャドの“ダルーフル孤児”誘拐問題、さらにはコロンビアの左翼ゲリラ人質問題などの仲介に乗り出すなど、“死に体”のブッシュ大統領に変わって、プーチン大統領と並んで実に精力的な活動ぶりです。

話をアルジェリアに戻すと、05年アルジェリアを訪れたパリ市長のベルトラン・デゥラノエは次のような明確な謝罪を述べています。
「植民地支配は、歴史上の極めて遺憾な行為です。人々が平等でない限り文明社会は存在しません。」
「真実に対峙しなければなりません。私は、植民地支配がポジティブな行為であるとは思いません。」
「文明社会が、その名に偽りなしと言えるのは、人々が平等である場合に限るのです。」
「植民地支配という行為は不当なものであります。正当なものとは、人々が自由であるということです。」
「ドイツの名においてヴィリー・ブラントがひざまずき、許しを請うたとき、ブラントはドイツの威光をさらに高めたのです。過ちを認めることが自らを貶めることにはなりません。」

この発言が意識しているのは、当時(今もでしょうが・・・)フランスで広がっていた“植民地支配をポジティブにとらえよう”という考え方です。
パリ市長がアルジェを訪問する前の2月、フランス議会は、学校のカリキュラムに「海外においてフランスの存在が果たしたポジティブな役割の確認」を盛り込むように求める条文を含んだ法律を成立させました。
これは「アルジェリアなどからの帰還者や、旧植民地独立に反対して仏亡命を余儀なくされた地元住民の名誉回復を定めた法律」で、強制力はないものの「学校教育課程で、フランスが果たした有意義な役割を認めること」という条項があるそうです。

当然、国内でも「国家による歴史や教育への介入」との批判など論議が起きましたし、アルジェリア大統領も「植民地主義の犯罪性を否定するものだ。対仏関係を再考する可能性もありうる」激怒したそうです。
“自虐的な歴史観を是正しようという”話で、なんやらどこかの国の話とダブリます。
世の中の潮流というのは洋の東西を問わず共通するものがあるようです。

この“植民地支配のポジティブな面”を法案に押し込んだのが、当時の国民運動連合(UMP)党首のサルコジ氏でした。
当時懸案となっていた友好条約について、反感を強めたアルジェリア大統領が「フランスが132年間のアルジェリア統治における行動への公的な謝罪を発しない限り条約締結の可能性はない」としたのに対し、サルコジ氏は「友情は条約や演説によってではなくプロジェクトと行動によってのみ育まれる」言い放ったそうです。
確かに、サルコジ大統領は“謝罪”など“過去にとらわれることなく”、原発売り込みなどの“未来志向”の関係に成功しているようにも見えます。
饒舌なパリ市長に比べ、まさに“プロジェクトと行動”あるのみです。

植民地支配の苦しみ・傷跡は支配された側にあるだけでなく、支配した側にも大きな影響を残します。
フランスでは植民地時代からのアルジェリアからの移民、独立戦争でフランス側についたアルジェリア人の移住、戦後の経済成長における労働力不足をおぎなった経済移民など、大勢のアルジェリア移民を抱えて、アラブ・イスラム人口は全体の1割を占めるとも言われています。

植民地の痕跡が移民問題に姿を変えてフランス社会に大きな負担を課しています。
もともとフランスは、人種、民族、血統というもので国家・国民が自動的に形成されるのではなく、「自由・平等・博愛」の理念を共有する国民の共同体として国家があるという考え方で、これまで難民や亡命者を含め、多くの外国人をフランスは受け入れてきました。

しかし、アルジェリアなど北アフリカ諸国からの大量のアラブ・イスラム移民については、これを社会的に十分に消化できなかったようです。
特に9.11以降のテロリズムに対する不信感、経済不況・失業問題がイスラム移民に対する厳しい視線を招いています。

移民の問題は二世の段階で本格化します。
フランスで生まれ、フランス的価値観を受け入れた、フランスでしか生活したことのない二世にとって、自分たちに向けられる不信感・差別の目は耐えがたく、就職・住宅環境などの面での格差は理不尽なものに移ります。
結果、アウトローの世界に走る者も多くなります。
治安悪化の問題は、移民を排除したい側にとっては好都合な理由になりえます。
05年の暴動時、当時のサルコジ内相はこのような移民若者を“クズ”と罵り、それは一部世間の喝采を浴びたようです。

サルコジ大統領は自分自身がハンガリー移民2世であり、そのような環境でも現在の地位を得たことに対する強烈な自負があるのでしょう。
逆に、“境遇を理由にして努力が足りない”思われる者は“クズ”ということになるのでしょう。

サルコジ大統領は“自分が移民や少数派に偏見を持っていないことを示す”がごとく、新内閣にも何人かの"minorite visible"(黒人、アラブ人あるいは東洋人といった、欧州人種とは明らかに外見が異なる人たち)を投入しています。
その1人がラマ・ヤデ人権担当相(30歳)。
最初にチャドの孤児誘拐関連のニュースでこの人を見たとき、その若さと美しさにモデルさんか何かかと思いました。

(右端の黒人女性がラマ・ヤデ “flickr”より By aeu1961)
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セネガル生まれ、父は大統領の特別秘書、母は歴史教師。11歳の時に、父が外交官としてフランスに派遣され、家族揃ってフランス移住。その後父は単身帰国。母はイスラム信者だが、ラマと彼女の妹二人を、進学校として評判のいいカトリック系の高校に入れる。負けず嫌いのラマは、勉学に励みエリート校の政経学院(Sciences Po)に入学。ディプロム取得後は、2005年まで上院に属するテレビ局の幹部として活躍。2005年に国民運動連合UMPに入党し、翌年にはUMP内のフランス語圏問題委員に選ばれる。(「www.ilyfunet.com」より)
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彼女は“移民2世などを対象に「ポジティブな差別」を主張するサルコジ氏に魅せられた”そうです。
サルコジ大統領の「ポジティブな差別」政策の内容がわかりません。
「機会は与える。機会を生かし努力した者は認める。しかし、努力しない者は・・・」というようなものでしょうか。

アフリカ諸国の現状に対する発言も、“クズ”発言の背後にある考え方にも、ある程度の理があることは感じます。
しかし、レイプ犯本人から「現在の苦境は俺のレイプのせいだけではない。お前の素行にもいろいろ問題があるんじゃないか?お前のためになることだっていろいろしてあげたじゃないか。もう昔のことは忘れて明日のことを考えよう。」と言われても被害者感情としては“了解”とはいかないでしょう。

また、みんながラマ・ヤデのように恵まれた環境にいるわけでも、みんなが彼女のように能力に恵まれているわけでも、そしてみんなが彼女のように努力家でもありません。
そこで脱落する人間を“クズ”呼ばわりされては、あまりに強者の論理に過ぎるように思えます。

植民地問題にしても、移民問題にしても、私には明確な正解などはわかりません。
好き勝手なことは言えても、恐らく誰も正解などわからないからこそ、多くの社会が苦しんでいるのでしょう。
ただ、好きか嫌いか・・・というレベルで言えば、サルコジのような考え方にはシンパシーを感じません。

コメント (3)
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