あられの日記

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池上本門寺の春まつり

2017年06月30日 05時37分37秒 | 神社・仏閣
2017.4.2訪問。4月初めの日曜日。例年ならば桜の見頃の最盛期ですが、今年の桜の開花は遅かった!目黒川の桜洗足池の勝海舟夫妻のお墓池上本門寺(←今ここ)です。東急池上駅から徒歩で池上本門寺へ向かうと、一帯で春祭りが開催されてました。トップ画像は塔頭。鬼子母神を祀ってっる模様。
お釈迦様の誕生を祝う灌仏会は4月8日です。桜の季節にあちこちのお寺で甘茶が振舞われたり、お釈迦様の誕生仏像や花を飾ってるので見た事あるかも?
 
せっかくなので参拝。

池上本門寺の総門に到着。
総門:総門は、寺社へ参詣する人が最初に通る門。昭和二十年4月15日の空襲で焼け残った数少ない古建築の一つ。
主柱間5、3メートルもある。正面に掲げられた扁額「本門寺」は、寛永四年(1627)本阿弥光悦の筆。

総門の柱。観察すると、なんと!柱が切り貼りですっ。木造建築ってダメになったらそこだけ取り除いて、切り貼りして、継ぎ足して、結局長持ちするよなぁ〜。柱を眺めてひとしきり感動したら、参道の石段を登る。

此経難持坂加藤清正公の築造寄進。母の7回忌に当たる慶長十一年(1606)、追善供養のため、祖師堂を建立寄進し、合わせて寺域も整備したので、その時の築造。元禄年間 (1688-1704)に大改修。階段の名前は、『妙法蓮華経』の此経難持の96字にちなむ。
この石段も切り貼りの跡が。石段も切り貼り可能なのか〜。

仁王門(三門):昭和二十年4月15日の空襲で焼失。昭和五十二年再建。
門の正式な名前は三解脱門。三種の解脱を求める者だけが通れる。
元々の旧三門は、慶長十三年(1608)に2代将軍徳川秀忠が、五重塔と共に建立した。

大堂(祖師堂):昭和二十年4月15日の空襲で焼失。昭和三十九年に鉄筋コンクリーと造で再建。天井に川端龍子の龍図がある。制作途中で画家が死去。奥村土牛が開眼させ未完のまま開眼法要をした。
焼失前の旧祖師堂は、加藤清正が母の追善供養で寄進した。

祖師堂から山門を振り返ってみた。手前に人が集っているのは、甘茶が振舞われています。多分お釈迦様の誕生仏に甘茶もかけたようなかけなかったような??もう忘れてしまったわ〜。

訪問した4月2日は、池上本門寺の春祭りでして、いろんな催しをやってました。
祖師堂と山門を結ぶ参道の脇では、花瓶に花が刺して並べてありました。この角度で桜が咲いてる時に撮影できたらよかったんだけどね。

画像左奥に鐘楼が。
鐘楼堂:加藤清正の娘で御三家紀州藩祖徳川頼宣公の正室となった瑶林院が、正保四年(1647)に寄進した。
昭和二十年4月15日の空襲で、鐘に亀裂と歪みが生じる。

多分この鐘。

霊宝殿
:平成十三年完成。本門寺の霊宝を保全。毎週日曜日に展示分の閲覧ができる。日蓮の真筆も展示してある。拝観料300円。

経堂
:現存の経堂は天明四年(1784)に再建されたもの。昭和二十年4月15日の空襲の焼失を免れた。

今日のブログの説明文は、池上本門寺のWEBより抜粋しました。

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