あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

1月の展示は干支展

2024年02月04日 17時21分24秒 | 香川県三豊市観音寺市
早く投稿せねばと思いつつ、展示が終わってしまった。
山本町の生涯学習センターで1月にあった各同好会やクラブの作品展を見学してきました。気に入った作品をいくつか撮影したので紹介します。






以上、ちぎり絵クラブの作品です。ちぎり絵は私の心の琴線に触れました。どこでやってるのだろうか?参加出来そうなら私もやってみたいなあ。
壁に掛けられてた
布で作った龍。
布人形が布の辰に乗ってる。これはどこの同好会の出品だろうか?
こちらは陶芸クラブの作品。
こちらも。
実は陶芸作品の左に木彫クラブの作品が並んでたのですが、どうにも入り口の光が反射して綺麗に写せませんでした。残念だ。
実は一番やってみたいのは水彩なんだけど。水彩の同好会がなさそうなんだよね。同好会に入らずとも好きに描けばいいようなものだけど、目標がなければ面倒くさいで終わると思う。
一応、大学→実家→神奈川県大和市→神奈川県相模原市→現在の山本町と、引っ越しの度に画材は捨てずに持って来たので画材はある。やろうと思えばやれるけどさ〜。
う〜ん?色鉛筆から始めてみるかな〜?何から描こうかな?ま。描くつもりで終わると思うけどさ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

拡散すんな!

2024年01月17日 17時28分09秒 | 香川県三豊市観音寺市
昨日のことです。
春じゃがの種芋が欲しくて、今年に入り3回もコメリに行ったのに、売ってるのは男爵・メークイン・キタアカリ・トウヤのみ。
私が欲しいじゃがいもはそれと違うんだ〜。
そういえば、去年はスーパーでアンデス赤の種芋を買ったな?あれ??スーパーで今年種芋を見た記憶がない!と気づき行きつけのスーパーに自転車を飛ばしたけどやはりない!なんでじゃ〜。去年は1月14日には5〜6品種のじゃがいもの種芋を購入してたよ??
ってなことがあったので、観音寺市の黒川種苗店に春じゃがいもの種芋の買い出しにダンナと出かけた。店は大きくて、種・球根・花では近隣で1番の店だ。無事に5品種のじゃがいもの種芋を購入できた。
では帰宅。
来た道を反対に戻るだけ。ところがダンナが道を間違えた。
家に帰るには東に向かわねばならん。
適当なとこで左折して道なりに進む。こっから具体的な地名を出さずにぼかす。理由は後で分かる。
さて、道なりに進んでると?ちょっとした里山を登って降って。ため池があった。香川県においてため池はあちこちにあるので目新しいものは〜。
おいっ!!
私は自分の目が信じられないよ!
「停めて〜!!止めろすぐに停めろっ!!」
と助手席で大騒ぎしてダンナに車を停めてもらった。
「どうかした?」と訳がわからず困惑するだんな。
「今、私は自分の目が信じられん。が。そこにコウノトリがいる!」
と私。けど野鳥に興味のないダンナは聞いても事態が飲み込めないでいる。
「その鳥を撮影して、四国新聞に送ったら、明日の新聞に掲載される程の鳥だ!」
と主張する私。白と黒と赤の大きな鳥なので見間違えようがない。ちなみに私、野生のコウノトリを見たのは人生初の出来事です。
ああ。なんでデジカメも携帯電話も持ってないのだ!とこの時は後悔した。心に焼き付けてのちそっと離れた。
「コウノトリってどれくらい珍しいの?佐渡にいるやつくらい?」
「それってトキのこと?いや、そこまでではないけどさ。香川県においてコウノトリといえば、去年まんのう町で繁殖に成功したとかしないとかで新聞に載ったのを見たくらいにはレア」
と。滅多に見れないものを見て気分上々な私でした。

翌朝(今朝)、朝ごはんを食べながらパソコンで「コウノトリ 画像」で検索をかけてコウノトリの画像をダンナに見せる。
「やっぱ、昨日見たのコウノトリで会ってた!おんなじ!」
と主張すれば、ダンナは自分でも「コウノトリ」を検索したらしく、半日程度しか経ってないのに私以上に詳しくなっていた。
「そうなんだよ!コウノトリです。激レアなんだ。日本で野生のコウノトリは絶滅したことがあって。現在も日本に200羽程度しかいないんだ」
「あ??んん??」
「で、調べたらね。『見つけてたらそっとしとけ』『追いかけるな』『拡散するな』『ほっておけ』といっぱい書いてある」
それ程レアな鳥なので、鳥マニアに見つかって追いかけられたり撮影に張り付かれたらコウノトリのストレスになると言いたいらしい。
ってなことで、よっぽどブログ投稿はやめとこうかと思ったのですが、見つけたんだもの〜。しかも私が。おそらく知っている人はほとんどいない。ので、せめて「コウノトリを見つけました」だけは主張させて。幸いというか撮影画像はない。私とダンナの記憶の中にだけいるコウノトリ。けどさ、実はコウノトリがいたため池のそばの道に車が一台停まってたんだよね。あれ、コウノトリを観察か撮影してたと思う。すぐにその場を離れたから確かではないけども。駐車するには不自然な場所だもの。おそらくそう。
いや〜、いいもん見れた!多分2度目はないと思う。千載一遇の機会でした。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いりこ祭りなのにいりこを売ってない?

2023年12月10日 09時44分44秒 | 香川県三豊市観音寺市
いや、ちょっとは売ってたよ。けど私が想像してたいりこを山盛りにして量り売り。とかいりこ1キロ・3キロ・5キロ・10キロを直売所価格で大安売り〜を期待していったのですが。
朝の有線放送でお魚市を数日に渡りアピールしてた。祭り前日には新聞折り込みチラシも入ってた。
 
もう行く気満々でダンナに宣言してあった。だって、四国香川の出汁といえば煮干しなのです。なのに、この所出汁の素のいりこがバカ高いのですよ。一昨年比で1、5倍適度は高くなった。出汁は料理の基本なので買わざるを得ないのですが、あまりの高さに節約して鍋一つにいりこを3尾だけ投入するというケチ臭さなこの頃。いりこを少しでも安く手に入れたいと思いまして、張り切ってたのですが。
いや、実は祭り前日の朝、建設会社から電話がありまして「頼まれてた排水路の工事、今からいけるんですけど?」と来たものだ。最近は人出不足もあって作業を事前に組むのが難しいらしい。よって大きな工事の隙間仕事に、期日を決めずにお願いしてた。それが一昨日の朝だったのです。急いで乾燥中のあれこれを片付けて。工事の人の休憩用の場所を作ったり、お茶とお茶菓子を用意しました。
土の排水路をコンクリートに打ち替える作業は簡単だけど距離があって1日では終わらなかった。はみ出た分を翌朝からやるという。この時点で朝一にいりこ祭りに行くのを諦めたのですが。幸いというか、9時過ぎには作業が終了したので予定通り祭りに向かったのです。
祭りの開始は9時半より。いりこの売り出しは10時より。場所は観音寺港沿いの伊吹漁協煮干集出荷場です。我が家からだと20分くらいで着く予定だったのですが、臨時駐車場に近づいて。旧競輪場あたりから渋滞でほぼ進めなくなりました。駐車場に車を停めれたのは約1時間後でした。
とはいえ、いりこの販売開始からまだ1時間くらいしか経ってない。駐車場の大きさで人出が制限されてるならば、まだ売り切れてはいないだろう?と期待したのですが。
あれ〜??
行列は2つあった。
一つは鮮魚の競り。一つは現場でいりこやアジの天ぷらを揚げ物のパック売り。
いりこはっ!!
探した〜。ようやく見つけたのは壁に並ぶ机に並ぶいりこだった。
祭りの購入品です。訳あり煮干しいりこ200グラム1パック350円を3袋。それとバラエティパック。どこがバラエティなのか?
裏側です。原材料名にままかり・まいわし・さわら・えそ・カマス・あじ・ねぶと・かたくちいわしとありますね。つまり選別してないのだ。こちらは300グラムで350円。
そういえば、祭りのイベントで「いりこモンスターを探せ」というあがった雑魚からいりこを選別する体験イベントをやってましたね。
ちなみに壁に並んだお店から、道の駅とよはまの店、巨大なエビフライと揚げたてじゃこ天が並んでました。
目的のいりこがほとんど売ってないという事態にテンションだだ下がりですわ。多分不漁なんだろうな。出なければいりこの値上がり率がエグい説明が出来ないわ。
けどせっかくなので。
いりこ出汁のうどんを購入。こちらも1杯300円。

ついでに上の画像左からいりこ飯300円・いわしの天ぷら300円・アジの三杯酢漬け300円・げんこつ飴200円です。げんこつ飴は郷土のお菓子。好きなのだ。
ついでに500円購入ごとに1枚いただける抽選券を5枚集めると1回弾けるガラガラ抽選を回したら、テッシュでした〜。くっ!他にも気になるものはあるけれど。帰ろ。
いりこ集出荷場の前は港です。臨時駐車場は港と道路の間の土地を当てている。なのでまだ停めれない車の列がある。これはこれで建物の中が人でぎゅうぎゅうになるのを防げていいかも?子供向けのふわふわドームやお魚掴み取りイベントもやってたしな。
車を停めてたのは港の端っこ。赤灯台の奥に伊吹島が見える。昨日は黄砂で霞んでたので、画像を暗めにして修正かけたけど、島はうっすらと霞んで映ってます。なぜに12月に黄砂〜??あれは3月に来るものだと思ってました。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やまもと爽郷(さっさ)祭り

2023年11月15日 06時30分00秒 | 香川県三豊市観音寺市
これまた既に終了してる。爽郷祭りは山本ふれあい公園で10月14日(土曜)は花火を2000発。15日(日曜)は獅子舞やよさこい踊りや手品にヒーロショウと楽しいものを詰め合わせたお祭りでした。
実は我が家は会場から近い。花火の打ち上げ会場は数百メートル先だと去年知ったので、今年は是非とも実家に連絡してうちから花火を見てもらおう!と思っていたのですが、またしても天候が悪く、もしかして雨?やるの??と案内を躊躇して結局誘うのをやめた。まあ結果、小雨決行!だとわかったので、来年はぜひ実家に「花火見に来ない?」と案内しようと思う。
さて、翌日15日はふれあい公園でのパフォーマンスです。事前に発表されてるスケジュールによると獅子舞は10時20分からなので、それに間に合うようにしよう。
と、携帯持参で元耕作放棄地で作業してたところ、まさかの太鼓の音が聞こえてきた。
なんで〜!!まだ時間があるハズなのに〜!!
慌てて公園に向かって早歩き。
公園は元耕作放棄地の畑から近く出発の数分後には到着した。けど音は聞こえど会場はまだ先。しかも現場は野球場。入り口はどこだ!可能な限り急いだけども。
到着したら獅子舞はほぼ終盤だった。
あ〜!!やらかした〜。スケジュール表を信じたばっかりに。
間もなく獅子舞は終了してがっかりしたけども。実は今終わったのは第一部。続いて新たなお獅子と太鼓打の子が並び出した。まさかの2部構成だったのだ。
あ。うちの地区のお獅子は右端だね。太鼓打ちの子らの衣装が先日我が家に回ってきた子と同じだもの。
けど私の携帯はガラパゴス。しかも望遠機能が壊れていて舞台が遠い。もう少し右手に行かねば。
やがて上の画像左端のお兄さんの鐘の音がスタートの合図で一斉に太鼓が鳴らされる。
合わせてステージ上のお獅子が舞い始める。

多いなあ?1.2。全部で6頭いるね。第一部が4頭だったから合計10頭もいるの??そんなにいたの?
舞う獅子が大人しくなると、太鼓打が舞台へ。手前から奥へ進み、奥の階段を降りて元の場所に戻る。
再開。先日我が家に回ってきたお獅子は、太鼓打が獅子の周りを一回りしてた。ステージの広さで変更したのかも?
当日は風が強く、獅子を操る人は被ってる体が風で飛ばされてやりずらそうだった。
終了。満足〜。
さて帰ろうか?いや、出店ってどんなかな?
まだ始まったばかりとあって、準備中のお店もある。見たいが、作業を進めねばならん。素人とはいえアグリカルチャー民は野菜とお花のお世話が忙しいのだ。
あ?お獅子が休憩中。どうやら午後の出番までここで待機な模様です。
ん?お獅子ってオス・メスがあるの??会話が聞こえてきてすごく気になったのだけれど。話は別の話題に移ってしまった。並んでるお獅子を見比べると、着物の柄が違う。おそらく花柄がメスで武者絵がオスではなかろうか?知らんけど。
そして徒歩で畑に戻る。一日賑やかな祭りの音を楽しみつつ作業をした。去年は素敵なバンドが出演したんだけど、今年はバンドはなかった。音だけ聞いてる私はちと残念だったよ。

おまけ:
獅子舞しか紹介してないけれど、香川の西讃地方の祭りは地元民がちょうさと呼ぶ太鼓台もある。これは10月9日にスーパーに買い出しの途中で見かけたちょうさです。
このちょうさは小さいので子供ちょうさかもしれない。曳き手も少ないしな。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分とこの秋祭り

2023年11月14日 06時12分29秒 | 香川県三豊市観音寺市
昨日投稿したのは天神さんの秋祭り。我が家からは自転車で10分程度走ったところに自転車を停めたのですが、翌10月8日は私の住む地区の秋祭りです。
ところが朝から空模様が怪しい。天気予報は午後から雨の模様と伝えている。
今年は夏の祇園さん当日も狙ったように雨降りとなり、夏は獅子舞が中止で玄関口で太鼓を叩く子供と獅子舞の頭だけ並んで獅子の口を1回カチッとしてくれた。せっかく毎晩獅子舞の太鼓の音が聞こえてたのに秋も中止は嫌だなあ?
けど遠くから獅子舞の音が聞こえてます。他の地区では獅子舞が廻ってる模様。ならば、今すぐ獅子舞をスタートさせればいいのに、何をぐずぐずしてるのか!!
と?近所のおじさんも思ったようで「お前ら何やっとんじゃ」「早よ回らんか!」と一喝してくれた。
お獅子の世話人曰く「地区は60軒からある。途中で雨で中止になるのは公平でない」とのこと。
何をほざいてるのか!はなから雨待ちで中止にするのと、スタートして途中で雨が降ってきて中止になるのとは違う!雨が降りそうならば、その分早くスタートすればいいじゃない!話を聞いて私はおじさんに1票!そうこうしていると、集合場所あたりから出発の掛け声上がった。
早よやれ!例年よりすでにだいぶんスタートが遅れている。
やがて太鼓の音が聞こえてきた。スタートは集合場所南隣の家からな模様。
待ってる間に菜園で作業する。空と睨めっこだ。気になるものだから、獅子舞の順番を観察してしまった。そっか。あの道を南に降って。途中で西に入って。細道をぐるりと回るか。そかそか。〜〜え〜?うちは午前中に来るかな?ご飯の準備もしなきゃんだけどな。
ヤキモキしてたら獅子舞の音が近づいてきて。ようやく隣家に到着した。
ヤバっ!ダンナを呼んでこないと!シャキシャキ動いて時短に貢献せねば!

到着。すぐさま獅子舞開始。
あ〜、雨対策で太鼓を叩く子供の花笠はナシにしたのね。ちょいかわいそうだなあ。
それでも去年と違って太鼓は2人に増えた。
終了〜。右から世話人が走ってきて、急いで太鼓を撤収。次の家に向かった。
ダンナがお花を獅子連の人に渡す。
太鼓の子供が「あとどれくらいあるの?」とぼやいている。雨が降るまでは勝負なので時間がないのだけど。休憩なしは子供には辛かろう。しかももうすぐお昼です。
先を急ぐので、みんな急いで次に向かった。
「あ!」と獅子連の人が、お花をもらった人にお礼に渡してる獅子のハガキをくれた。忘れるとこだったらしい。
そんなに慌ただしい状態だったけど、午後、無常の雨が降り出した。
獅子舞の太鼓の音も途絶える。
やっぱりうちの地区は最後まで獅子舞が回れなかった模様です。だから早くやれ!と。言っても仕方ないんだよなあ。
せっかく練習を重ねたのに本番を奪われたお獅子ですが、多分翌日の神社の奉納舞は予定通りではなかったかな?
でも消化不良だ。確か、山本町のさっさ祭りでは獅子舞の披露があったはず。そっちを見物に行こう!
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天神さまの秋祭り

2023年11月12日 06時32分06秒 | 香川県三豊市観音寺市
時は10月7日に遡る。(先月は忙しすぎて、ブログを書く時間が取れないという言い訳の元、投稿したいあれこれを溜め込みました)
私は令和3年夏に相模原市から香川県の西讃地方の田舎に引っ越しました。当時はコロナ禍の最中だったのであれもこれも中止され、今年になりようやく「コロナは終結した」と見做され、人々の暮らしも以前に戻った訳で。そうなると、お花見に夏祭りに秋祭りと一気に騒がしさがましてきまして。田舎のここも夏の暑さが和らぎ出した頃、どこともなく太鼓の音が聞こえるようになりました。
太鼓の音源は二つ。
私が暮らす西讃地方では、祭りには獅子舞を各戸を回って披露したり、地域で「ちょうさ」と称す太鼓台を引いて地区内を曳き回すので、夜ともなるとあちこちの公民館で練習してるのです。コロナで中止があったので、それ以前に戻すべく、どこの地区も熱心に練習してます。
さて、10月7日のこと。昼間にも関わらず自宅に太鼓の音が聞こえてきた。
どうもどこかで太鼓を叩いてる模様。練習にしてはおかしいのでダンナに聞けば「多分天神さんの祭りと違うかな?」と。
明治の神仏混合や分離令で、村々にいくつもあった神社は統合されたけど、田舎はまだまだ神社が多い。そして祭りは神社ごとに開催日が違うのである。
音に惹かれて自転車を走らせて、どこかのお宅で獅子舞を披露してるのを見つけた。この辺りが天神さんの氏子が住まう区画らしい。
ともあれ、獅子舞は短い時間で次々に移動していくので、まずは天神さんへ向かうことに。
天神さんに近い駐車場に着いたハズ。けど駐車場は空っぽです。本当にここで今日、お祭りをやってるのだろうか?
疑いつつも駐車場にあったマップを眺めた。ともかく隣の道を道なりに進めばよさそうだと歩き出して気づいた。
ゼーハーゼーハー。撮影する携帯画像も手ブレする。急坂過ぎて〜。そりゃあ誰も登りたくない訳だ。
坂が急なので、坂道の高低差も激しい。上の画像は道の隣の駐車場です。私が自転車を止めた先にも駐車場はあって、天神さんに来た人は車をこちら停めてる模様。高低差があるので、駐車場の始まりと終わりで坂道はだいぶん高さが違う。上の画像は駐車場の終わりへんで私は立ったまま地面にどんぐりを置いて撮影してます。
で、どんぐりは急坂を登ってたら頭の上から降ってきたので拾ってみた。
ようやく天神さんが見えてきた。
今日がお祭りのハズだけど。屋台もないし。世話人さんが忙しくそうに動いてるだけ。
なぜだ?田舎の祭りってこれが普通なのか??
しかし来てしまったならば、参拝はせねばならぬ。
とりあえず、手を合わせようと奥に見える建物に向かったのですが、世話人さん達が提灯を掲げようと奮闘してたので、結局離れたところから神様にご挨拶してそそくさと離れた。
あ。こちらは奥の建物の右手にあった土俵です。後日ダンナに聞いたら、ダンナが子供の頃、ここで相撲したことがあると言っていた。
説明板発見。
天満神社:北山麓「岩神社」より、中世になってこの山頂に分遷社されたのが天満神社である。
祭神は菅原道真公であるが、八また比古命・八また比売命の二柱を合祀してある。
菅公は、平安初期(845−903)の大政治家・大文芸家としてあまりにも
有名であり学神として広く国民の崇敬の的となっている。
この地は、菅公が巡行された所であると言われ、慶長11年(1606)山下盛久氏が天満宮を再営し、元和年間(1610ごろ)に生駒壱岐守が社殿を再建した。
恒例の祭典には近郷の馬が集まって競馬で賑わった。今も長い馬場がある」
振り向いてみれば、奥へ不自然に続く真っ直ぐな道を見つける。
もしや?と思い、忙しそうな世話人さんに尋ねればやはりこれが競馬をしてた馬場ということらしい。
少し歩いてみたい。(続く)
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三豊と皇室、献穀の歴史

2023年10月04日 13時30分01秒 | 香川県三豊市観音寺市
香川の西に住んでます。田舎です。ここでは朝6時15分と夕方7時に毎日有線放送が流れます。
放送で「今年は文書館の近くに献穀田が設置されてます〜(中略)〜文書館では『三豊と皇室、献穀の歴史』を10月1日まで展示中です」と毎日朝夕に聞こえてきました。
会期が8月5日(土曜)からだったので、実に150回以上同じことを放送されるとさすがに気になるじゃん!
で、献穀田ってどこにあるの?とダンナに尋ねたのは9月上旬でした。
その時はダンナも所在地がわからず。わからないならしょうがないな〜?と諦めていたのですが、ダンナは諦めずに調べてました。
で、案外近くだ。自転車で行ける!と知り出かけたのですが。
献穀田はあった!
けど既に稲刈りは終わっていた。
ダンナは「ハセがけがある」と言ったけども、訪問した9月28日には既に撤去されていた。
柵の外から眺めると、田んぼに刈り取り跡がまばらになってる部分がある。おそらくあそこにハゼがけがあったのだろう。
気落ちして帰宅。数日後、明日には展覧会が終わってしまうので!と午後に文書館へ出かけた。
資料発見。曰く「令和5年(2023)度は新嘗祭献穀田は三豊市文書館近隣の山本町辻宇田井に設置されました。11年前の平成24年、三豊市に新嘗祭献穀田が設置された際にも、文書館では企画展『三豊と皇室〜主基斎田と新嘗祭献穀田」を開催しています。(中略)
三豊市地域には、新嘗祭献穀田が頻繁に設置されており、昭和以降でも今回で19回目の設置となり、各旧町から米や粟が献納されています。(後略)」
展示物には大正天皇即位大嘗祭に筵を献納しており、その見本だか本物だかを展示してありました。
他はこれ。
わかります?献穀田の歴史です。今は市町村合併で全部三豊市になります。
令和3年8月に神奈川県相模原市から三豊市山本町に引っ越し、日々家庭菜園を楽しんでる私です。気になるのは「品種」です。献穀田で作られたお米の品種は何かしら?と。
資料発見:令和5年新嘗祭献穀田概要
献納穀物:米 品種:秋さかり 献納量:1、8リットル(1升)
献穀田式典日程: 播種式:5月10日 田植式:6月10日 抜穂式:9月18日
献穀田の面積:1,243平方メートル(うち穀物圃場約300平方メートル)

大事に大事に育てるのですね。実際見た目に小さな田んぼだな。と思った私の感想は正しかった。献納量が1升ポッチならばあの小さな田んぼでも大きい程です。献納するまでお米ひとつひとつ調べて合格した米粒のみ使うのだろうなあ。
令和3年に田舎に引っ越してまず感じだのは荒れた田畑が多い。でした。不便な場所だけでなく、道路側だったり、便利な田んぼも草ボーボーでたまげました。テレビのニュースでは「今年も減反」だとか「米を食べなくなった日本人」だの流れて知ってはいたものの、実際お米を作らなくなった田んぼがどうなるか?を目撃すると衝撃です。農家さんのやり甲斐を返して!気軽に減反しておいて、食物自給率が〜とかニュースにするってどないやねん!空いた田んぼを使わない選択を農家さんに強いるな!と。
ま。実際、米を作ってた人はそれなりの「補償」を受け取ってるのでしょうが。知らんけど。
今時、献穀田の式典に参加するのはお偉いさんばかりらしい。昔の献穀田で撮影された資料は大勢が関わっている。スーツ姿の人の方が多いのはどない〜?
ま。稲作文化の伝承は大事。伝統は続けてなんぼですものね。関係ないけど私は文書館へ行った当日は、山本町辻地区のお祭りでした。
コロナで中止になったこともある。一昨年、我が家の枯れ井戸を埋める儀式をやったのですが、その時に地区の神主さんを招いたのですよ。で「獅子舞を今年も中止したら大変なことになる」とおっしゃっていました。あれもな。太鼓や舞は小さな地区とはいえ伝承出来ないと途絶えかねんからな。日本の歴史、もしかしたらあちこちで「途絶え」かけてるのやもしれん。なんだかな〜?悲しいな〜?
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天空の花畑 後編

2023年04月15日 06時30分26秒 | 香川県三豊市観音寺市
2023.4.10訪問。香川県志々島の天空の花畑が素晴らしく、記事を2つに分けちゃいました。画像増量で紹介します。
急坂にある花畑。ところ処にベンチが置いてあります。上のブランコに座って花畑と海のコラボを楽しむのも素敵です。資材は花畑を作ってる方が人力であげたのだとか。凄いです。
こちらは花募金。上にあった募金の返礼のワッペンとはまた違う模様。
毎年花畑見物してる方は「今年の芝桜はあんまり咲いてない」と残念顔。どうも既に何度もぼやいてるイノシシの犯行なんだって!掘り返されたところは新しい芝桜を移植した手の模様です。だから!はよ捕まえないと!どうも犯人のイノシシは最近になって海を渡ってきちゃったんだって。
花畑の急坂を降りつつ振り返る。鯉のぼりが気持ちよさそうに泳いでた。こちらからだと順光なのね。ってか!あそこ!藤が咲きつつあるではないか!き、気づかなかった〜。藤越しの芝桜と瀬戸内の海という構図で撮影したかった〜。見逃し撮り逃しが多くて泣く!

実は急坂なので、脳梗塞罹患者の私は何かと足元が不安。撮影の時はちゃんとしゃがんでカメラを構えるのが普通なのですが。立ったままで。どうせガラパゴス携帯よ。ならば、携帯を上下逆にして適当に数枚撮影した後、ブログ投稿前にソフトで画像をチョチョイと水平に修正します。
キンセンカの中に変わりネモフィラを見つけた。
ずっと前を進んでた方より「ここからの景色も素晴らしいですよ?」と展望台から声をかけられた。
それが今日のトップ画像です。
おや?観光的には「天空の花畑」ですが、「孝子さんの花畑」と書いてある。元々、ここは息子さんがお母さんの孝子さんのために芝桜を200株植えたことから始まってるのだ。
あれ?前方からなんか雰囲気ある方がやってきた。義姉が挨拶してる。
「いや〜、年に一度は来ないとね。ようやく来れました」と朗らかな男性。
あれ?もしや!
そう、先日選挙が終わって一安心の三豊市長さんでした。ならば、案内してる方がここを作ってる男性と奥さんか。
市長の後ろに市の広報の女性が2人ついてきてた。
でもさ。私が気になったのは、満員で到着した船です。市長達はどうやって志々島に来たのだろう?
海上タクシーを利用したのだろうか?あの超満員で積み残しが発生した船を見て欲しかったな。観光シーズンは臨時便が必要だ!と判断が欲しいねえ。ま、乗れた私達は70名で満員になる船を利用したので、志々島観光は観光客がそこそこしかいないのは嬉しいのだけれどね。


撮影してて気づいたのですが、天空の花畑は急斜面です。画像を見ると足元から頭の上までお花が咲いてるのだ。なかなか頭の上までお花というのはないよな。
さて、またも土の細い急坂を降ります。人里まで細い土道ではありますが、足元は雑草や落ち葉を取り除いてあります。ボランティアさんもいるのかな?義姉は志々島の草刈りなどのボランティア作業をやったことがあると言ってたし。
降りてきました。上は波止場からすぐのモニュメント、名前もあるらしいが、聞いたけど忘れてしまった。
所々に置いてある漁具を使ったアート。
波止場に到着したのは10時40分。船の出港が11時半なので時間がたっぷり余ってしまった。あ!トンビが2羽追いかけっこをしてる。
電信柱かな?てっぺんに1羽が停まった。のんびり〜。
ピ〜ヒョロ聞きながら島を眺めてると?あれ?天空の花畑で見た鯉のぼりが見えるような?上の画像の島の端の中央あたりにあります。
あそこにあったのね。

波止場のベンチ裏。ワカメがひらひらと。よくよく目を凝らすと、小さなクラゲが群れて波に合わせて揺れていた。
おおっ!でっかい魚が!あれはボラ?いや、この大きさはトドですね。
ダンナが「とど?」と不審顔で聞くので、「ボラは出世魚だから、サイズで名前は変わるのよ。ボラは60?いや、70センチくらいのやつよ」などと。雑談してると観光客が徐々に集まってきた。みんな同じ船なのだ。
船が来た。まずは団体客から。続いて島民。その後一般の客の順に乗り込みます。
宮下港に到着。帰りに義姉宅に寄って、季節の味覚のたけのこをいただいてしまった。とっても嬉しいです。
そして腹が減ったので「うどんを食べてこ」という話になった。
うちの近所のふる里さんの天ぷらうどんです。
エビの天ぷらは注文してから揚げてくれるので、提供された時は油のジュウジュウという音がまだ聞こえてます。
麺は細麺で固め。ツルツルシコシコ。確か600円だったかな?美味しゅうございました。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天空の花畑

2023年04月14日 06時48分11秒 | 香川県三豊市観音寺市
樹齢1200年の大楠から徒歩15分天空の花畑に到着しました。ヘタレの私は、大楠の坂を上がった5叉路で休憩したので、普通ならもっと早く移動できます。
5叉路から細い土道をしばらく。竹林に出ます。土の細い急坂につき、両側の竹を持って伝いながら進みました。途中、イノシシが掘り返した犯行跡があって早いこと駆除しないと大変だと思いました。
視界が一気に開けたらもう別世界。
マーガレットは咲き出したばかり。
その奥に見えるのはナデシコか?
あれ?これ見覚えあるゾ?
多分ここ。今月香川県の世帯に配られた「みんなの県政THEかがわ」です。実は特集記事のページを散策に持参してきました。
おそらくTHEかがわの表紙は上の画像のベンチから撮影したと予想する。
あそこに座ってみたいのだけれど?
土の急坂はお花畑の中もそうでして。楽なルートを探して迂回する。
あちこちに花畑があるものだから。目移りしちゃいまして。うっかり、THEかがわを撮影したと思われるベンチに寄るのを忘れてしまいました〜。やらかした〜。
眼下に港が見えてたところからしばらく下ったら、もっと広い花畑が見えた!
あそこが雲辺山か。海越しに見るとこうなるのか〜。みなさん楽しそうに見物してます。
おや?建物がある。何やら展示しているなあ。
残念な落書きが。誰がこういうことをするのか!と近寄ってみれば。
市長さんでした。「参上」ってヤンキーか!呆れたものの、隣にある落書きは、テレビのアナウンサーのもの。もしかしたら請われて書いたのやもしれんけども。落書きってさ、誰かが書けば増えるものなのよね。市長さんや取材ならば、前もって連絡があったハズ。これは色紙を用意しておけば良かったのでは?
ま。僻地の田舎ですから。一級観光地の対策は必要ないやもしれんけども。樹齢1200年の大楠&天空の花畑&青く輝く瀬戸内の海の展望と、観光の目玉が3つも揃ってるのだから。事前対策は必要だと思う。
ちなみに、一級観光地に負けない3つの目玉ですが、見物にお金はかかりません。全部無料となってます。太っ腹!
天空の花畑は島で最後の花き農家だった方が亡くなり、気を落とした奥さんのために息子さん夫婦が母を元気付けるために芝桜を植えたことが始まりです。そこから少しづつ増やして現在の花畑まで育てた!凄いわ〜。ここさ、島なの。細い急坂だから車や重機は持ち込めないの。人力で全部持ち上げんとダメなのよ。
ってなことで、私にしては珍しく奮発してお花募金を入れといた。気持ちばかりですが。おや?
お花募金をするとワッペンがいただけるらしい。けどこういうのって帰宅したら思い出箱にしまうのがせいぜいなので、ここは画像撮影で満足しておこう。
撮影スポット発見。おそらく竹箒のある台か手前に人を配すれば額縁付きでいい感じになる模様。
では降りつつ花畑を見ていこう。
あ。ちなみにこっちはうっかり寄らなかった部分です。帰りの船の時間が気になってたのもあるのですが。船着場に着いたらたっぷり時間があったので、もうちょっとのんびりすれば良かったよ。
撮影画像が増えたので、天空の花畑の記事は2つに分けます。後編をお楽しみに。
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

志々島を歩く

2023年04月12日 11時05分44秒 | 香川県三豊市観音寺市
巨木大好きな私。香川に戻ったらぜひ見物したい巨木があった。その木は島に立っている。義姉より「ウバゆりの季節が最高」と聞き、去年ウバゆりの開花情報が三豊市観光交流局のWebサイトに載るのをチェックしてたらば、「ウバゆりは見頃を過ぎました」と投稿された。なぜに見頃に投稿しなかったんだ〜!と愚痴っていたのを義姉は覚えていたようで、義父の法事の時に誘われた。それが4月10日でした。
目的地が島なので、まずは船の出発時刻を確認。8時30分発宮下港とあった。ちなみに、目的地の志々島へは須田港発粟島経由志々島行きという別の航路もある。出発の港が別なので注意なのだ。
ところで、近頃香川県は瀬戸の島々推しのようで、今月4月号の「みんなの県政THEかがわ」には志々島が表紙&冒頭特集だった。みんな綺麗なものが見たいと思う。船が混むのではないか?と事前に義姉に訴えておいたのが功を奏した。というのも、待ち合わせが宮下港だったのだけど、向かってる途中で先に到着した義姉より「お客さんが一杯で残り二人しか乗れないって」と電話が来た。幸い義姉は既に現場にいるので、私たちの乗船を取ってくれたので無事に乗れたけども。気候のいい時期に志々島に行こう!と思う人は、早めに到着するのをお勧めします。ちなみに、臨時駐車場が周辺にいくつもあるので、車が停められないという事態は幸いない。
8時過ぎに宮下港に到着。なるほど乗船希望の客が多い。どうも団体がいるらしい。ちなみに、粟島汽船の最大乗員は70名ほど。まあ、志々島は本来の住民はわずか10名ほどなので、70名でも過剰なんだろうけどね。船は積み残し客が出た模様。義姉のおかげで無事に乗船出来てよかったよ。
乗船時間15分適度で志々島に到着。では早速〜と行きたいところだけども。トイレに行きたい。なぜって、観光客が使えるトイレは港の近くの1箇所にしかないのだ。
島の古い街並み。ここは営業してるのだろうか?
なんかあった。休憩処くすくすという施設前に並ぶカカシと漁具で作られた何か?アンパンマンが描いてある。
トイレは1箇所だけども。1個しかない。わかり易く言えば、女性用は和式便器が1個だけ。並ぶ。本当は乗船前にトイレに行けるハズだったんだ。港に隣接するマリンウェーブで借りるつもりだったんだ。無理だったんだ〜。
お待たせ!ではスタートです。
おおう!すぐに急な石段が。頭の上にはまだ桜が咲いていた。今年の桜は近所の公園でちらっと見ただけなので、とても嬉しい。義姉が浮かれてる私を撮影してくれた。
うん、急坂。こんなことだろうと、3月26日にギックリ腰を発症したばかりなので、念のために杖を持参して大正解だった。ちなみに、杖を持ってない人は、登り坂に差し掛かる前にレンタルの杖があるので借りるのをお勧めします。上の画像からしばらくはまだ石段でしたが。その後は土の上り坂になりますよ。
石段は右に90度曲がる。
そこで見つけた可憐な野花。これはタツナミソウではなかろうか?相模原時代、相模原中央緑地(別名:木漏れ日の森)で初めて見た。その時はもう盛りが過ぎており、綺麗なタツナミソウを見たいなと思い叶わなかったんだよねえ。まさか志々島で見えるとは!感動するな。
ところで、タツナミソウは坂道の左に生えてます。しゃがんでないの。斜面が急なので、左は目線。右は崖という状態です。
ゼーハーと息が上がる私に義姉が休憩を取ってくれた。ちなみに急坂にベンチが置いてあり、ありがたく使わせていただいだ。眺めは最高。
ところで、上の画像左下あたりに墓石がありますよね?実は島民方のお墓なのですが。
船着場近くに珍しいものが並んでた。
埋め墓です。志々島の人は、昔から人々を埋葬する墓とお参りする墓の2つを持つらしい。まあ、分かる。お墓があるのは急坂の上の危険な場所なので、そうそうお参りに行けないものね。ならば、前立て的なものが必要でしょう?
急な坂道をしばらく。5叉路に出た。右へ行くと天空のお花畑。まっすぐ降ると樹齢1200年の大楠。左へ行くと楠の倉展望台。ちょっと左後ろに細い上り坂があって、これを登ると横尾の辻という見晴らしスポットだそうで。
どれから行く?と聞かれても〜。「展望台から大楠は見えますか?」と義姉に尋ねれば。「見えない。けど瀬戸大橋は見える」とのこと。ならば!展望台から。
展望台に向かう途中で視界が開けていて。十分綺麗。
ちなみにこの辺りはもうすぐすると紫陽花が綺麗なとこらしい。訪問した4月10日は既に見頃過ぎの水仙が並んでた。
あ。白花たんぽぽ。坂が急だと足元にあるはずの野草が見やすいなあ。
展望台に到着。うまくやれば、窓が額縁で写せそう。
上の画像は明度を調節してあります。だって、裸眼では見えた瀬戸大橋が画像では写ってても見えづらかったのだもの。水平線あたりにうっすら瀬戸大橋がかかってるのだけれど分かります〜?あ。ちなみに、手前にちらほら咲いてるのはマーガレットです。見頃までもう少し。
さて出発。実は5叉路まで戻らずとも、展望台の裏には大楠に降りれる細い道があるのです。けどここは急坂です。困る人向けにロープが貼ってあるで、伝い歩きで降りましょう。私は右手に持つ杖を使いノロノロ歩きで降りました。こんなこともあろうか?と。足指は液バンで固めてギックリ腰からまもない腰から太ももにかけて温湿布を貼り付けてきたのですよ。備えあれば憂いなし!というの。違う気もするけども。やり過ぎか?と足指にカットバンを巻いてこなかったのを後悔する程の土の坂道です。
そして!元から手作りの坂道と思われる道の両側はイノシシが掘り返した跡と思われる荒地になってた。どうも最近海を泳いできた個体が志々島を荒らしてるらしい。はよ捕まえなきゃ!被害が拡大するわ。
坂道をぼやきつつ慎重に降りる。足元にキランソウらしき群落が広がってるのだけれど。危なくてしゃがめん!泣く泣く撮影を見送る。
あ!ようやく!念願の〜!!!!

明日は大楠を紹介します。これが見たかったのだ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キジが土手でバトルしてた!

2023年02月17日 10時10分52秒 | 香川県三豊市観音寺市
昨日はじゃがいもを植え付けてました。じゃがいもを畝に置いて上から黒マルチを張ろうとしたら、途中で切れてしまいまして、急いでコメリに買いに財田川の土手を自転車で走らせてたらば。前方に黒い影がみえたのです。
何かしら〜?鳩?いやカラスかな?
遠目で鳥が2羽戦ってるのは分かったのですが。ちょうど建物の影の中でして、はっきりしません。取りあえす面白そうなので携帯を取り出し撮影する。
あ。トップ画像は上の画像から鳥をトリミングして切り出しました。トップ画像から鳥の正体は鳩でもカラスでもないのはわかりますね。けども、切り出してようやく分かったのです。現場では何か尻尾が長いような??
でした。
ともかく、手持ちは古いガラパゴス携帯しかない。望遠撮影できるスマフォは家に置いて来ちゃった。では片手に携帯をスタンバイ。自転車を漕いで対象に近づきながら撮影開始。
ふあっ!
もしやキジではなかろうか?しかもオス!しかもしかも2羽も!?
幸運ですね。
けども不用意に自転車で近づいちゃったので、キジに気づかれた。1羽はすぐに飛んで川の藪に消えた。
残った1羽もすぐに川の藪へ飛んでちゃったよ〜。
一生に一度出会えるかどうかの野生のキジのオスの争いを目撃できて儲けた!いや〜、たまたまじゃがいもを植え付ける前に撮影してたから、たまたま携帯をウエストポーチに突っ込んであったのでした。何が幸いするかわからんね。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大坊市へ行ってきた

2022年11月30日 07時15分06秒 | 香川県三豊市観音寺市
四国のJR予讃線にはかつて「さぬきだいぼう」という駅があった。独身時代、毎日JRで高松まで通っていた私です。結婚して神奈川在住になってから帰省すると「さぬきだいぼう」駅は「みの」駅に名前が変わっていた。すんごく不思議だったのですが、みの駅から徒歩1分の場所にある寺で4日間に渡り「大坊市」が3年ぶりに開催されると三豊観光交流局のWEBページのインスタグラムで紹介されてまして。ならば23日の祝日に行く気満々だったのですが、あいにく23日は1日雨降り。結局翌日の24日に大坊市へ出かけたので紹介しますね。
駐車場は数カ所あったのですが、混むと嫌だからと一番遠くの駐車場へ。
と?側の川が秋模様で素敵。トップ画像です。
駐車場から一旦坂、堤を上り川を眺めてから参道を見下ろす。
あれ?あそこに出店があるから多分あそこで合ってると思うのだけど、人がまばらだねえ?
と、取りあえず行ってみようか?
参道の両側に塔頭が数か寺。しかも何気に立派そうな木だなあ?
見物してみた。
道路側に山門があった。
あ、縁起発見:本門寺縁起
当山は日蓮正宗高永山(本山)本門寺と称し、宗祖は日蓮大聖人で、駿河国の大日蓮華山富士大石寺が総本山である。
正中2年(1325)法嫡第二祖白蓮阿闍梨日興上人の本弟子の内上蓮坊(百貫坊)日仙上人によって開削された。開基大壇那は当讃岐高瀬郷の地頭秋山孫次郎源の泰忠(本源院殿日高)である。
秋山氏は甲斐源氏の一族であり、弘安年申に高瀬郷の領主として大聖人の仏法を弘道した。泰忠は祖父秋山光季(阿願入道)より当領地を相続し、元亨元年甲斐の国に於いて日興上人より大御本尊を拝受し、甲斐の同族小笠原氏出身の日仙承認を招請して来讃の準備を整えた。
元亨三年泰忠は高瀬郷に入り強盛なる法華経信仰の総領として地域を治め、安国土実現の為法華折伏破権門理を実践したのである。
日仙上人は泰忠の絶大な外護を得て弟子の養成を計り、翌正中元年西国三十三カ国最初の法華経弘通の頭領寺院為る可く本門寺の工を起こした翌正中二年に完成して以来、末寺三箇寺、塔頭八箇坊を擁する屈指の大法城を誇る名刹本山本門寺万代の礎がここに築かれたのである。
説明板発見:町指定文化財 本門寺開山堂
創建:元禄10年(1697)
本尊:十界互具一念三千の御本尊 日仙上人像
開山堂は高永山本門寺を開基した日仙承認をまつった御堂である。日仙上人は宗祖日蓮聖人直弟子日興上人門下の高弟で、師の命により来讃し、正中2年(1325)本門寺を建立し日蓮聖人弘通の基を築いた。
開山堂建立時の棟札が現存し「奉造立元祖上人御影堂元禄丁丑暦上棟六月十五日也」と記されている。本門寺山門から真正面に大楠に覆われた御堂は荘厳優美でよく均整が取れ、自然と宗教心がそそがれる。正に十七世紀の仏堂を代表する優れた建物である。
案内図によりますと。
こちらが客殿な模様。で、あれが大楠か。
(続く)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一日はお墓と仏壇にお花を供えなくては

2022年02月06日 06時36分34秒 | 香川県三豊市観音寺市
信心深い母は毎月1日に家の仏壇とお墓へ花を供えていました。けど現在入院中につき私がピンチヒッターです。私に生花の心得はありませんが、そこは目をつむって取り敢えずはやってみよう。
思い立ったのは1月30日。朝一に三豊市の市議の選挙投票に出かけ。帰りに出来上がった近所への「建物取り壊しと騒音のお知らせ」の挨拶。その後朝食を作りまして。
ふと?「神田のふれあい市場って営業日は土日だったよね?」と思い当たりまして。ダンナを誘って出かけました。
が。なんと、ふれあい市場神田では目的の小菊が全て売り切れてました。時刻はまだ10時前。みんな出足が早過ぎる。と思うのは、去年の8月下旬まで神奈川在住だった私たちの常識であって香川の常識ではないのです。困った〜。スーパーの花は高いのですよ。花瓶にして11個も必要なのです。いや、最大は13個だけども。2個はたまにしか義母が花をあげないので今回は11個用意するつもりです。最初は多いと思いましたが。ダンナの家は歴史だけはあるので何かにつけて数が多いのね。
それはさておき。花です。思案してたからだの里へ行くことにした。あそこならあるかもしれん。
ありました!トップ画像の花。画像に写ってる花の中で、ピンクの寒菊と緑の葉っぱは家の家庭菜園に咲いてるやつ。これでマシマシ作戦です。
ところで!たまげたのですが、トップ画像に写ってる大きな白菊2本と白の中菊とユリの4本セットの花束がまさかの税込220円でした。これを3束購入。
激安です。このセットを3つとユリが2本に増したものを1束の計4つ。他に黄色のオンシジュームと白いスプレーマム2本とデコチャだっけ?南国風の花の洋花セット200円を2束とスプレーマム抜きのものを1束追加。スプレーマム2本抜きだと120円でした。(つまりスプレーマム1本40円換算)という。合計で7束1430円(税込)。
激安っ!!こんなに安くていいのか。
ダメだろう。おそらくコロナで人が集まる機会が制限されてて、花の出番もなくなってしまい、図らずも売り先がなくて盛りの花を破棄するよりマシと捨て値で売ってるのではなかろうか。お花農家さんも大変です。
皆さん、お花を買ってあげてください。買い手としてはいいお花が激安で買えるしね。
たからだの里はいわゆる道の駅でして。花は物産館で売られてました。ついでに新鮮野菜も購入。到着したのは10時ごろ。お客さんでいっぱい。たくさんの種類の花束も次々と売れてましたが。
さて帰宅。まずはお墓の掃除に行かなくては!
行って驚き。大量の笹がお墓周りにたくさん落ちてました。ついでに一族の石碑周りもお掃除して花瓶の水を新しくする。落ち葉を集めたらば、スーパーの袋に一杯になったよ。お墓周りに竹林があるので、そこから飛んできてるのね。ふう。
帰宅してお昼ご飯を作る。午後より花束作りです。まずは畑から寒菊を大量に刈ってくる。そして賑やかしの緑の葉蘭だったっけな。花瓶の数だけ集めて花束作りです。
花束の数をケチって全部で7束。これを11個分に分けねばならん。ちなみに、自分ちの墓と仏壇と軍人墓地の2つ分は左右セットに組まねばならん。とても初心者が初めてやる作業ではない。
時間がかかっちゃったよ。日曜日が終わる。
開けて朝一番でお墓へ花を上げにいく。義母がお花は朝あげなくてはならんと毎回行ってるので、そもそも昨日のうちにお墓へお供えには行けなかったんだけども。
手には線香と蝋燭とお花を持っていく。
まずは自分ちのお墓へ。強風で蝋燭の火がすぐに消えてしまう。

 
そして昔の一族の花瓶。これが3つ。こちらにも線香を。
一旦帰宅。次は軍人墓地です。
第二次世界大戦の折、地域の部隊は南方に送られて、ほぼ全滅したらしい。で、小さな部落だというのに、軍人墓地はとても大きく。しかも皆さん毎月熱心にお花を供えてらっしゃるのですよ。
帰宅。そして仏壇。
終わった〜。
ちなみに、今回お墓の撮影をしたのは、入院中の義母に画像を見せるためです。病院では毎週月・木の午前中に入浴するので、午後に洗濯物の入れ替えに病院へ行ってまして。その時にお手紙を渡してます。パソコン打ちなので画像添付するのでついでにね。
ってことで。気付いたのですが、お花は小さい方が花瓶に入れやすい。大きな花は頭が重いので花瓶が倒れそうで。倒れないようにだいぶん切り詰めてしまいました。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もしかして脳梗塞なんじゃ!?

2022年01月06日 12時05分14秒 | 香川県三豊市観音寺市
前の記事の続きです。
1月3日、晩御飯を作って「まだねてるかな?」と思いつつ恐る恐る義母の部屋へ持っていく。
と?義母が激怒していた。
「これをはよ敷いてくれ!息子を呼べ。早よこんと!!おしっこを我慢しとるんじゃ!!」まとめてみた・義母はまたしても大ピンチだった。すぐさまダンナを呼ぶ。
そしてまたしても繰り返される大騒ぎ。幸い前日急いで買ってきた大人おむつを履いててくれたので、敷布団は今回はセーフでした。それだけでも安心だ。なんたってこの日の昼頃に一式洗って干して。コインランドリーで乾燥しての大騒ぎだったのだ。
けど下着はもう着替えるしかない。義母の足を左右持ち上げて下着を一枚づつ抜く。
うん。萎えてるなあ〜。こんなに急激に萎えるものなのか。老人介護は初めてなので比べられん。
大騒ぎが一段落すると「お腹が減った」というので晩御飯を部屋に持ってきた。
自力で体を起こせられないというので、ダンナが後ろで座布団を二つ折りにして重ねて。さらに大人おむつの袋を背もたれにして。義母の体が倒れないように補助。で。私が前で「お茶が飲みたい」という義母に湯呑みを手渡す。介助で。手に力が入らんというので水物のお茶をこぼしかねないというので。
続いて義母はおじやが食べたいと。普段はお箸を使って食べるのですが、使いづらいとこぼしてたのでスプーンを用意した。
スプーンでおじやをすくう義母。それを口に運ぶのに苦労している。
ハッとした!
この仕草。老人になったから使いづらいのではない。麻痺してるのではなかろうか??
何度もぼやいてますが、私は既往歴脳梗塞の経験者なのです。
背筋がゾッと。けどそれまでも手は使いづらそうだった。気のせいかもしれんと思い直す。
続いて毎食消化剤代わりだとみかんを食べてる母が。「布団で汁の出るみかんを食べとうない」と言ったので、ポンジュースで寒天を作ってみた。それをスプーンですくい口に運ぼうとしてこぼす義母。
やめて!それもみたことあるんじゃ!脳梗塞で一月入院した私は。大部屋に入ったのであれこれ見てます。
食事を終え「寝る」という義母。「また様子を見に来てな」という義母。
生返事の私。ヤバい。これはもうやばさが!!すぐさま義姉に電話です。
「お母さんを明日病院へ連れてって欲しいです」
実は私が連日不審なメールを送るものだから義姉は心配して私達が実家へ年始の挨拶に出かけてる間に義母の様子を見に来たらしい。そのメモが残されていた。けども義母っては実の娘にさえええ格好したのだ。
「調子がようなったら起きて自分でご飯を食べるから今は寝ておるんじゃ」と。
馬鹿野郎!!義母はそういうとこがあるんだよ!病院へ行っても先生の前で「悪いとこない」だの。介護監査師さんが先月訪問した時も「毎日散歩してます。仏間へも毎日きて。ご飯も3度3度自分で動けてます」と。その上歩いてみせた。もう呆れ返る。私は後ろで手を横に振り続けたさ。
そんな呑気なメモだったので「現状との開きが大きいです。明日9時に開院すると今日確認してきたので連れてって欲しい。実はお母さんの里に挨拶に行くように言われて明日の10時に約束してるから。私らが連れていくと午後になるんです」と頼み込む。
ダンナ曰く。「今のお母さんを軽トラに乗せたら死んでしまう」と。
で。朝9時から9時半にはきてくれてかかりつけ医に見せに行くと義姉に了承してもらった。
疲れ果て就寝。
翌朝。1月4日が始まる。
いつものように朝ごはんを作る私。義母の朝のルーティーンの仏壇へ熱いお茶を上げるだのあれこれあれこれを代わりにこなし。まだ早いかな?と思いつつも義姉が来る前に義母に朝食を食べてもらわないといかんので、8時半ごろかな?朝ごはんを持ってそ〜っと義母の部屋を覗くと。義母がまたしても大ピンチでした。いやもう事後。
「なんで見に来てくれんのや!いっぱい出てしまった」と。
ええ〜〜〜!??長時間使える大人のおしめを購入してきたんだ。4回までOKのやつ。
けどもうやっちったものはしょうがない。ダンナをよぶ。で、義母をお願いして私は衣服の洗濯です。もちろん予洗いしないと洗濯機に突っ込めない。何回分のおしっこをしたのか匂いが前日よりきつかった。そこへ早めに義姉が到着。彼女は初めて母の現状を目の当たりにした。
昨日見にきてくれた時にええかっこしなければよかったのに!
で。なんと!義母が「疲れたからご飯を食べたら寝たい」「自分で運動して直す」とか言っている。アホか〜〜〜!!!
説得です。全く信用のない嫁の言葉は義母に届かない。ここは絶対娘である義姉に母を説得してもらい病院に行ってもらわんとならんのじゃ!
がんばれ義姉さん。がんばれ!
けど時間がどんどんなくなっていく。先日義母の希望で義母の里に10時に二人で年始の挨拶に伺う約束を取り付けてしまってるのだ。後を義姉に任せまずは身繕いする私とダンナ。排泄物の匂いをさせて人様の家にいけんのじゃ!
で。義姉に義母を頼んで家を飛び出す。もう約束の時間にギリギリギリギリ。
(中略)
義母の里を辞しての帰り道、スマフォが鳴った。
「お医者さんがいうには『右手に軽い麻痺が見える』と。脳神経外科の●●病院の紹介状をもらったから今から連れてく」と。
ヤバさがどんどん増していく。けどすぐにそっちに合流できない事情が私にはこの日の朝に出来てしまった。
お風呂で着替えてたら突然眼鏡のレンズがポトリと落ちた。
なんで今〜〜〜〜〜!!
替えのメガネがない。私のブログを長らく閲覧してる方はご存知のように、神奈川から引っ越す際に溜まったメガネは全て寄付してしまったのだ。今頃は途上国の誰かが私のメガネを使ってると思う。
もうね。裸眼が0、1もない私。義母の里へ訪問の際は、パソコン用メガネで行きました。ってな訳で。どないもならんのでまずは眼鏡屋に駆け込んでから病院へ。
到着。
義母はMRI撮影中でした。
これはもう脳梗塞確定コースの検査ではなかろうか?
私の経験がこんな時にも「頭の撮影だけ。最初だから単純撮影なので20分程度です」と。予想通りの時間で出てきた義母。続いてCT検査室に向かう義母。私たちは待合室へ移動。
で。先生に呼ばれて義母のMRI画像を見せられた。
そこにはポツンと1個だけ白い小さな●が写っていた。
やはり脳梗塞を起こしてたか〜。
けどさ。待って!小さいのが1個だけ??星空みたいに散らばってた私の状態より随分マシなんじゃないの?
聞けば、運動を司る場所に1個だけ。サイズは?と聞いたけど、脳梗塞の場合サイズはあまり重要ではないらしい。けどもこれなら治療は手術でなく点滴です。それを10日から2週間24時間ぶっ続けでやるアレではなかろうか?
その通りだった。つまり私と同じ治療が始まるのだ。
お母さん!ラッキーじゃ!一発死亡する場所でないよ。それこそ毎朝毎晩神様仏様義父さんにお祈りしてるのが通じたのかもよ?と。
更に運が良ければこの梗塞部分がなんとかなれば。なんとかならんでも義母さんががんばれば結構元通りの体に戻る可能性が出てきたわ。
入院確定したのであとは手続きです。
けども私の時との大きな違いが家族であってもコロナ予防で面会謝絶です。
入院病室に向かう義母に声をかけれた。
「今から2週間点滴を24時間します。その後リハビリを頑張るんだ。運もあるけどがんばれば私みたいにほとんど元通りになるからね」
更に「年は関係ないから!脳みそは梗塞した周りの普段は眠って使ってない細胞を叩き起こせれたら勝ちじゃ!義母さんがんばれ」と。
更に追い込む嫁「義母さん、返事は!」
「はい」と答えて病棟の奥に消えてく義母。それを見送る義姉と私。ちなみにダンナは義母の日々のお薬を取りに家に戻ってた。
それから多量の書類に目を通しサインサインサイン。
合間に血液検査の結果を見る。
うを!ヘモグロビン値が7しかない!やばい。こりゃ動けないハズだ。(ちなみに13くらい値がないと貧血です)
聞けば、「もう少しヘモグロビン値が減ると輸血をするので了承のサインしてください」と。
ええ!?私も7以下に落ちたことあるけどさ。鉄剤であげたんだけどな〜。鉄剤は使えないのかな?と思ったけども。先生の方針には従うしかないのかも?「義母には説明をちゃんとしてください。輸血したことないんで」とは言っておいた。
で更にあれこれ義姉と私と。到着したダンナの3人がかりで書類を埋めていく。
最後に用意する入院グッズの受け持ちを手分けして病院で義姉と別れた。
お腹がすいた。既に午後4時近く。お昼を食べてないの。
「夢タウンに行こう」うどんを食べてグッズを買い揃えないと!!そんなこんなで日が暮れる。
一応ね。義姉が義母の里には連絡してくれると言ってくれたのですが。朝挨拶に行って夕方に義母の入院の知らせを受ける義母の実弟様ことを思いますと。私からも一報入れねばならん。
その後、後始末。ダンナ曰く「母の部屋の匂いをなんとかしたい」と。消臭剤を大量に振り撒き出した。私はともかく晩御飯を作る。で、1月4日が終わった。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弱る時は急激というけれども。もしかして?

2022年01月05日 07時16分26秒 | 香川県三豊市観音寺市
1月3日朝、朝ごはんを持って義母の部屋にそぉ〜っと持っていくと?というのも、歳をとってすっかり自由人の義母は、起きた時が朝。食べたい時にご飯を食べる生活です。
昨年の8月末に私たちが神奈川から香川に戻ってきて、それまでは週1回訪問してくれるヘルパーさんと、嫁に行った娘(義姉)が時折来てくれて手伝ってくれたというものの、ほぼ全てを頑張って頑張って自分でやっていた義母。そこへ息子夫婦が戻ったからには、あれもこれもやりたかった事をガンガン消化して息子夫婦。つまり私達がヒ〜こらしつつ一つ一つやり遂げていくに比例して、義母は弱りつつあった。ちなみに、最近ぼやいていた
折れたアスベスト煙突&空の見える古い下屋。
そんで持って傾いてる奥の納屋。義母が想定してなかった緊急事態が次々と発覚。で、義母のやりたいリストの消化は停止。突然の納屋の部屋を早急に片付けるミッションがスタートしました。極寒の12月に。
歳を取った義母に「ここを片付けて置いて」と言われ、母屋のあれこれを必死で片付ける息子夫婦。けど数日後に「あれはどこにやったんや!」「あんたほおったんか!」とクレームが入って。探す日々。これが繰り返され私達は学習した。片付けるにはまず義母に捨てるかどうかの選択をさせてから!私達は義母が取捨選択を済ませたものをどう処分するか仕分けする。のが正解。
つまり残すもの・燃えるゴミ・燃えないゴミ・プラゴミ・金属ゴミ・汚れたプラスチック(不燃ごみ)と仕分けるのですよ。それが取り壊す(建物が倒れかけてるので、義母とダンナが残そうとしてもできない事実で彼らは納屋を処分することにしました)と決まったからにはなかの荷物も仕分けなくてはならんのです!すでに業者さんから見積もりが届いたからには早急にです!!
義母は頑張った。実は納屋というのは現在の呼び名であって、かつて義母が嫁入りした時に最初に入った部屋なのです。なので、義母の思い出がいっぱいに詰まってる場所。で、片付けると決めて取り掛かったものの。
田舎の一軒家って広いのね。「取っておく」と決めたものを置ける場所があるのですよ。もうね。神奈川の50㎡しかないととって置けないの。引越しの際には荷物を減らしまくったからね。
納屋にあった義母の嫁入りタンスに取り掛かった時。義母のかつての宝物。娘時代の成績表や卒業証書が出てきた時にはめまいがした。処分せずに嫁ぎ先に持ってきたんかいっ!と。普通女性は嫁に行く時にあれこれ処分して家をでるのですよ。
で〜。出るわ出るわ大量のゴミが。その辺は投稿済み記事でもぼやいてますが。
でで!2021年の12月の暮れは寒かった。強力な寒波がやってきたのだ。四国香川も影響を受けまして、連日最高気温が10度に届かず。そんな中、連日日が暮れるまで頑張ったら熱がでた。私が。先に。
となると作業はストップです。あ、ダンナは私と義母が頑張ってる納屋の部屋の続きの倉庫の整理。いや片付けです。もうね。去年92歳で亡くなった義父が幼き頃に描いた拙い名前付きのものやら。去年定年のダンナが幼い頃に亡くなった祖父のものやらがごっそりと詰まってたのですよ。あ。農家の古い道具類も沢山ね〜。
で、寝込んで起きて年末年始のあれこれに忙殺される私。その間、義母は元気でした。そして12月31日。数年ぶりに来るお客様たち。そりゃそうだ。2021年4月に急死した義父のお葬式は、日本全国にコロナの第何波かが襲来しておりとても通常の葬式はできなかった。家族葬でやったので、ご近所様達でさえ義父の死を知らないという有様。となると、なんとしても数年ぶりに帰省できたからには仏壇にお参りしたいと思う人も多かった訳で。
義母は大興奮しました。
もうね。腰が曲がり耳が遠くなり、日々体が弱っていく。日々ご近所の親しい友人と顔を合わせるのでさえ嫌がっていた人と同じ人と思えない喜び具合でした。
で私達と義母の2021年が終わりました。まさかの!紅白で見たのはぽっかり目が覚めた時の最終局のミーシャさんでしたっけ?彼女の曲だけという有様。ライジンも見えなかった〜〜!!!
で。運命の1月1日。
当日午後、東京から数年ぶりに孫一家が「今から仏壇にお参りに行きたいのだけれど?」と連絡がありまして。聞けば明日(1月2日)午後には彼の嫁さんの家に移動するので、これを逃すと次はいつになるかわからないらしい。彼はコロナがなけれなとっくに海外赴任してたハズ。娘もだいぶん大きくなってるから一家で海外に引っ越すかもしれん。となると、これを逃すともう義母はひ孫に会えないやもしれん。と。了解しまして。
で。その時の義母は、遅いお昼ご飯を食べてました。
前日大興奮したので疲れていた模様。正月の朝ごはんも起こしに行ったものの疲れて起き上がれず。朝ごはんは私とダンナの二人だけで食べたのだ。で、私はそのまま家庭菜園に出かけ。その間に一人で朝ごはんを食べた義母。
で、遅めのお昼ご飯も一人で食べてた。で言っちゃったのだ。私。
「今から東京の孫一家が来たいというのでOKした。早めに食べてね」と。
で?ダンナは??と見れば、まさかの!!彼の日々のルーテーンの夕方のお散歩に出かけていないと来たもんだ!
私は一人で用意しましたよ。その間、義母は放置です。
で。だ。
義母がやってきた東京の孫一家に会うべく、台所から仏間に移動する時にむちゃくちゃ時間がかかった。思えばこの時すでにヤバい状態だったのかも?
けども嫁は忙しかったのです。お茶やらお茶請けやら出す合間に補助して。なんとか仏間に移動した義母。で、その折だけは義母は久々に。数年ぶりにあったひ孫に会えて再びの大興奮です。そして東京の孫一家が帰った後、義母は疲れて立ち上がれなくて。ほうほうのていで台所に戻る義母。そんな時、ダンナが散歩からようやく戻ってきた。いつもの時間です。もう外は暗い。となるとね。私は晩御飯の準備だ。再び義母を放置。
食後かなあ?もう記憶が朧かもしれん。
義母が台所から自分の部屋に戻るとき、まず自力で歩けなかったのです。二人掛かりで介助してようやく自室に移動したのだ。で、1月1日が終わりました。
で、1月2日、投稿済みの記事の事態です。
さすがに急激に動けなくなって義母本人も驚いただろうけども。私達だって驚いた。
ともかく、夜中にもよおしても動けずお布団の中でおしっこをしちゃった義母。もう大惨事。お布団を干してシーツを剥がして。汚れた衣服を脱がして〜〜!!となりまして。大騒ぎですわ。詳しくは1月3日の記事をご覧ください。
で。3日目朝、おそるおそる朝ごはんを持って義母の部屋に顔を出したところ。
「今日は台所で食べるので朝ごはんをそっちへ戻せ」と。
一安心です。続けて義母が「布団の中で運動してから移動する」というので、私達は普通に朝ごはんを食べて家庭菜園へ移動。
まずは温室。育苗中の苗に水やり。植えたばかりの種は芽が出るまで乾燥させてはダメなのに、忙しすぎて見に行けてなかったのだ。
それから私の実家へ1月3日の午後に新年の挨拶に伺うと伝えてあるので、家庭菜園で私が作った野菜も持参したい。人参・ひやっか(香川の郷土野菜)・不織布でトンネルした春菊・日本ほうれん草・青ネギ次々と収穫して洗って用意したらもう11時半。やばい。お昼ご飯を用意しなくては!!
で、台所に戻りましたらば。まさかの義母の朝ごはんは手付かずだったのですよ。
ええ〜〜〜〜〜!!やな予感がする。
義母の部屋に駆けつけてびっくり。義母がまたも大惨事です。
「ちょっとダンナ!!!」
で。大騒ぎの私たち。前日の悪夢再びです。
汚れ物はそのままでは洗濯機に入れられず。まずは予洗いせねばならん。急な介護生活スタートに何が必要かもわかってない私たち。
ともかく汚れ物をなんとかせねばっ!
「毛布は●●さんとこのコインランドリーで洗ってこい。おしっこで濡れた布団は熱湯で拭いて干せ」と義母は体は動かないというのに指示だけはどんどん飛ばしてくる。
新しい下着と服に着替え義母は「お腹が空いたから」と。しかも「台所で食べる」という。「部屋で寝ながら食べてたらいかん」と。
それから私たち二人で義母を介助して移動させる。
10分かかった。
義母が無事に食事を取り始めたので。私たちは義母の後始末です。
洗濯物を干し〜の。うんことおしっこの匂いのする義母の部屋をなんとかなんとか消臭して。合間のコインランドリーに追加。シーツが!!ご飯を食べたら義母が「寝る」というので、お布団をなんとかせねばならんのですよ。再びコインランドリーに走るダンナ。どないもならんシーツだけは私がタライに漂白剤と一緒にお湯にぶっ込んだ。
つ、疲れた。ともかく実家に「遅れる。午後4時ごろになる」と連絡する。
でだ。食べ終えた義母が「お昼ご飯はどうするかなあ」と呟く。ええ〜〜〜!!!時計をみろ!すでに午後2時だ。まだお昼ご飯を食べる気なのか!
「今から私たちは非常用に冷蔵庫の冷凍パンを解凍してお昼ご飯を食べるけど、お母さんも食べる?」と差し出せば。
「今朝ごはんを食べたばかりやからそんなん食べれん。炭酸せんべいでええ」ときたものだ。で。「最近はあられも砂糖やら醤油より素焼きがええね」というので。こんなこともあろうかと。年末に実家に注文してあったあられ一箱詰め合わせより素焼きのあられを探して差し出せば。「開けれんから開けてくれ」と。で。食べ始めた。
時刻はどんどん過ぎていく。布団がまだしけてないので部屋に戻れない母。暇こいたので「私(義母)の実家にこれから年始の挨拶に行け」と言い始めた。
無理だ。私の実家へこれから挨拶に行くというのに。2軒掛け持ちはできないのだ。
「で。お母さんの実家への手土産を用意してない」と言えば。
「スーパーで贈答用のみかんを買ってこい」という。
「嫌だ」と私。「なんでや!」と怒る義母。「あられを持っていく」と私。「そんなん!」と義母。「注文した。ちゃんと箱入りで持っていくから」と私。義母は贈り物は箱入りが大切なのだ。
で。耳が遠い義母なのでマスク越しだと何を言ってるか聞き取れないだろうと。急いで実家に連絡。私の実家はあられ屋なので電話口に出た母に「ごめん今からあられ一箱作って欲しい。午後4時には行けると思うから」と急いで頼む。声が弾む母に要件だけ伝えて切る娘です。ごめんね〜。そこへ義母が「あんたの実家へはもう何度も行ってるからいつでもええんじゃ。私の実家を優先しろ」とゴネ始めた。耳が遠くて何を言ってるから聞き取れなかったものの。雰囲気から電話先を察した模様。
「私はな。何度も行ってるけど。ダンナ(義母の息子)はこっちに戻ってから一回も顔を出していない。それはどう思うの?」と私。そうなのですよ。自分が最優先の義母はいつまで経っても私の実家へ挨拶に行って来いと言わなかったので、痺れを切らした私が合間を縫って短時間だけ実家へ自転車を走らせていたのです。
が。そこまで言っても納得しない義母に。「お母さんの実家への手土産を私の実家へ注文してるの。先に私の実家へ行かないとお母さんの実家へ行けんやろ?」と言われようやく納得した義母は。「私の実家へ電話しろ」と。訪問の約束を取り付けろというので、翌朝、1月4日の午前10時に二人で挨拶に行く約束を取り付けた。忙し過ぎてそちらへ引っ越しして戻った挨拶もできてないのです。礼儀をかきっぱなしなのですよ。
で。クリーニングしてようやくコインランドリーから毛布と追加のシーツを抱えて戻ったダンナです。急いで義母の布団を用意しないと義母が寝られない。それもあっての無茶振りしてた模様。
旦那が干してた布団と取り込み。私がシーツをかけて。
卯ヲヲヲヲをおおおお〜〜!!!
しゃかりきに作業を進めて。義母をまたまたまた二人で介助して部屋に戻す。
で。気づく。
義母の足は萎えてるのではなかろうか?
や。でもな〜〜??
なんとか義母が布団に入ったので、時計を見ればすでに3時をとっくに回っている。
早く用意せねば。私はともかく。がっつり義母の体を支えていたダンナは義母の漏らしたおしっこ臭くてまずはシャワーを浴びねばどないもならん。
待ち時間を利用して義姉にメール。内容はもちろん「やばいやばいやばい」。しかも中断。メールを最後まで打ち終える前にだんなの用意が整った。なら早く行かねばならん。新年から連日の予定変更と遅刻は不味すぎなのだ。
で。実家の仏壇へまずはお参り。
で。挨拶も早々に「義母がマズい。お布団に敷く尿漏れ防止シーツってどこで買えるの?」と。
娘夫婦の訪問が遅れた理由を察した母はすぐに「聞いてくるから」といなくなった。
で、待つ間に。仏壇に帰省しないハズの妹の旦那の名前の祝儀袋があったのを疑問に思いメールを打つ。
と?なんと!奈良に住む妹一家は奈良から日帰りで顔を出し。すでに香川を離れていた。もうね。妹に最後に会ったのっていつだっけ?コロナ前なのですよ。
母が戻ってきた。「これ使って!」と大荷物。防水シーツの売り場を聞いてきただけでなく。父が生前使っていた大人おむつが残ってたので持ってきたと。
「サイズが違うんじゃ?」と聞けば「はきやすいから。こういうのは大きい方がいいのだと」。ってなことで、発注したあられのために弟の嫁が急ぎで作ってくれた一箱を受け取り、早々に実家を後にして。その足で教えてもらったホームセンターの介護コーナーで目的の品をゲット。ダンナがそっと差し出したポータブルトイレの消臭剤。切実だよな〜。ホームセンターでの買い物を終え、帰りに母行きつけの病院の正月明けの診療日時を確認した。念の為。
で。帰宅。急いで義母の布団に介護の防水シーツを敷こうとして「お母さんちょっと体をよけて」と言えば。「それができるくらいならあんたらに頼まん!息子を呼べ」と御立腹。本当に義母は突然にやばくなった。
ダンナに介護の防水シーツを敷く用に伝えて私は晩御飯を作る。
義母が機嫌が悪いのは、何があろうと、どんな時間になろうと日々3食食べる義母はお昼ご飯を食べれなかったことも大きいと思うのだ。
あれ?ダンナが戻ってきた。早くない??
聞けば「お母さんが寝てたから戻ってきた」と。
へえ〜?そうなの?と。それから私は晩御飯を作ったわけで。その間に義母が何度目かのピンチになってたのに気づいたのは、晩御飯を部屋に持っていってからです。(続く)すでに7時16分です。朝ごはんを作らねば。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする