あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

6/20北海こがね収穫

2023年07月24日 15時32分07秒 | リアル農業育成ゲーム
今月上旬にパソコンが突然壊れました。私のパソコンはMacです。故郷の香川県では県庁所在地にしかMacの正規店がなく、ダンナが持ち込みしてくれたのですが、対象のパソコンが古すぎて既にフォロー期間が終わってる。ピシャリ!となってしまいした。諦めきれないので、ダンナがジャンクなお店に持ち込んであれこれ尋ねたところ、お隣の愛媛県の三島市にあるパソコンドックさんならばなんとかしてくれるかも?ということで、現在そちらにパソコンを預けてます。無事に戻ってきますように。
一度電話がありまして、確かに壊れてるのを確認したとのと。順調ならば8月中には結果が出るとか。パソコンドックさんがどこまで頑張るか!?にかかってる。お願いだから無事に戻ってきて欲しい。大事なので二度書いた。
で、今現在形で使ってるパソコンは、ダンナに貸してもらった代替機です。
いや〜、パソコンってサイトに入るにはどこもパスワードが必要だったのね。
探したら2016年辺りのスタンプ帳にパスワード集が残ってた。元のパスワードから変更してるものはログインまだ出来てない。途中にお引っ越しがあったので、保管先がわからなくなってしまいまして。

さて、今日は長らく投稿できてなかったじゃがいもの北海こがねの収穫についてです。
これは7月上旬に投稿するつもりで画像は投稿してあったので、これを使いブログ作成しますね。(つまり以後、またしばらく新しい記事の投稿は難しい。主に画像的な部分で)
北海こがねの種芋は2月に芽出しをした折に、芽が出にくく植え付けが3月になりました。
以降、黒マルチ&不織布を貼った畝もなかなか地上に芽が出ず成長が遅れ気味。
今年は7品種植え付けたこともあり、地上に出るのに品種に差が出て初めてもしやじゃがいもにも早生や晩生があるのかも?と。
そんなこともあり、入梅前に収穫が終わらず。茎が倒れるのを待っていたのですよ。
が、ここで一つ大事なことがあります。
じゃがいもの成長は30度を超えると止まる。
つまりです。茎が倒れるのを待ってても、最高気温が30度を超えるとダメなのだ。幸い今年の6月は雨が多く30度超えの日はあまり多くなかったのですが。
梅雨の中休みの6月20日、ついに収穫に踏み切りました。
まだ葉っぱは緑だけど切ろう!
そして黒マルチをはぐ。
おおっ!豊作の予感。
いいぞいいぞ〜!
キャイーン!
わかりますう〜?
上の画像をよく見ると、変色してるじゃがいもが混じってます。これ、地表近くに出来たじゃがいもが、地表に貼る黒マルチに接した部分が腐ったもの。雨も降ったからさ。
うん、四国香川では晩生のじゃがいもを作っちゃダメだ。たとえ収穫期まで待っても腐ってしまってはダメだもの〜。
愚痴ってても仕方ないので掘ってこう。



粛々と。じゃがいもを掘り返して、自宅の納屋の軒下にブルーシートを敷いて並べていく。(トップ画像です)
では計測。
最奥左から右へ。1271グラム・2189グラム・1936グラム・1727グラム
2段目左から右へ。799グラム・1218グラム・1103グラム・2283グラム
3段目左から右へ。680グラム・1305グラム・1299グラム・1597グラム
4段目左から右へ。707グラム・1969グラム・1407グラム・1739グラム
5段目左から右へ。611グラム・1913グラム
合計18株、25,753グラム。1株あたり1430グラム
愚痴ってた割に1キロの種芋が25キロ超え!という結果になりました。もちろんここから腐ってる芋を取り除くのですが。
さて北海こがねとは?
昭和45年(1970)にトヨシロを母、北海51号を父として交配し育成された品種。
昭和56年(1981)に北海道で初めて育成された黄肉のフレンチフライ用品種であることから、北海道の「ホッカイ」とフライ色の「こがね」を組み合わせて「北海こがね」と命名された。
形はメークインのようで芽の窪みも少ない。皮は黄褐色。肉色は淡黄色。
糖質が少ないので、油であげた時に変色せず、ポテトフライに最適。
食感は男爵芋とメークインの中間くらいのホクホクさで、荷崩れが極めて少なく、煮物にも適する。
休眠明け後の芽の伸長は遅い。開花もやや遅い。芋の肥大も遅め。収穫は中晩生。貯蔵性はやや良。
ジャーマンポテト作ってみた。
フライドポテト作ってみた。
マクドナルドのポテトの味がした。

最後の北海こがねの収穫が終わったので、来年の種芋購入の考察のために今年のじゃがいもの収穫結果をまとめておこう。
アンデスレッドは44,048グラム・インカの目覚めは31,114グラム・とうやは16.613グラム・ピルカは14,786グラム・北カムイは2,466グラム・はるかは24.035グラム・北海こがねは25、753グラムで合計158、815グラムという結果となりました。
ええ、まさかの7キロの種芋が158キロ超えるとか〜!
狼狽えるやろっ!
配りまくるやろ!もうね。実家の母・奈良の妹・従姉妹・義母の弟・義母の妹1・義母の妹2・母の妹1・母の妹2と、親族宅に「じゃがいも食べ比べ」と題し、宅配や配達などで配りまくりました。いや〜!こんなことになろうとは!来年は種芋の数を減らそう。絶対に。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アンデスレッドの芽かき苗を植えてみたら

2023年07月05日 05時56分38秒 | リアル農業育成ゲーム
6月2日に「ジャガイモの芽かき苗を植えてみた結果」という記事を投稿しました。
その時はまだ収穫には早かった芽かき苗を6月10日に収穫することに。
画像のごとくまだじゃがいもは葉っぱが緑で、収穫には早いのだけれど、梅雨にあっては連続して晴れた日が続くタイミングで収穫せねばならんじゃがいもとあっては、ジャガイモの状態に合わせて収穫するのは難しいのです。
では早速。
いつもの茎切りから。
ここは3月まで三池タカナを育てていたところ。適期より遅れてアンデスレッドの芽かきをした時に、立派な根っこつきの芽かきの茎が出てきまして。捨てるにもったいなく。と言って、じゃがいも用に新しい畝を作る時間もなく。タカナを収穫して空いたマルチの穴に突っ込んだのよね。
ここで大事なことを確認しよう。
芽かき苗は成長にはいらないので、抜いたもの。つまり芽かき苗に種芋はない
前のタカナを育てた残りの肥料だけでどこまで大きくなれるのかな?そもそも芋ができるかどうかも怪しい。
そのうち花が咲きました。花が咲くならばと追肥。確かPK苦土化成を黒マルチをはいで株ごとに周辺に撒いて土を手でかき混ぜてマルチを元通りにした。
こんな雑な育て方だったのですよ。そうなのよ!
トップ画像をご覧ください。
やる気出し過ぎっ!

てめえら!種芋もなしに何スクスク育っちゃってんの!
こうなったからには品種ごとの収穫後と同じく一株ごとに検量しよう。



収穫してわかったのですが、区画の芽かき苗は全てアンデスレッドでした。
結果発表〜
ドン!ドドンがドン!
うわ〜い。立派なお芋がいっぱい〜。検量の結果、6月10日収穫のアンデスレッドの芽かき苗は、奥左から218グラム・384グラム・541グラム・530グラム
2段目左から右へ。858グラム・483グラム・417グラム・506グラム
3段目左から右へ。451グラム・657グラム・211グラム。
計11株で5256グラムになりました。
なんでやねんっ!何度も書くけどな。君ら、本気出し過ぎっ!種芋ないのよ?どっから肥料吸って大きくなったの?1度だけ適当にあげた肥料だったのに。
じゃがいもを育てたことのない人のために書きますと、芽かき苗とは栽培に不要な芽を取り除た苗のことです。捨てるのが普通。うっかり「もったいない」とかで育てた私がおかしいのですが。そんで普通に収穫出来た芋が更におかしい。しかも芋大きいじゃん!
なんでや〜!!
ってなことで、既出のアンデス赤収穫済みが37,843グラムで前回6月2日に収穫済みの芽かき苗とアンデス赤の畝に次に百日草を植えるべく耕したら取り忘れ分があったのでそれを足して、今日の5、256グラムもたすと、44、048グラムになりました。
え?
計算間違ってないか?まさかたった1キロの種芋が44キロ超えとかないよね〜。
再計算。
いやいやいやいや〜!
再度再度の足し算をやり直す。
ま。間違ってない〜1キロのアンデスレッドの種芋は44キロ超えた。
どないすんねんっ!って。本日はすでに7月4日になってまして。今年のじゃがいももすべて、あ!まだ収穫し終わってない謎の芽かき苗が残ってるんだった。今から堀に行かねば。
けども。七品種(7キロ)植えたじゃがいもはなんと!150キロ超えちゃったんだよね〜。
そんな訳で、私は実家・妹・従姉妹・義姉・義母の弟・義母の妹たち・実家の母の妹たちへ「じゃがいも食べ比べ」と称しプレゼントしてじゃがいもを配る作戦を決行しました。大概こんなことだろうと!ほとんどの親戚は予想してたらしい。なんでやねん!ま。取れ始めた夏野菜もたっぷり配って在庫を減らそう作戦も併せて決行出来たけどね。
来年は種芋の数を減らそう。100キロ超えたらいかん!
あ。まだ北海こがねの収穫記事を投稿してないや。続けて書かないと!
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

粟井神社さんでアジサイ散策したらうどん

2023年07月04日 05時29分08秒 | アジサイ散歩
山アジサイは相模原では5月末に咲き出した。6月14日の香川では山アジサイはまだ見頃かな?
とりあえず散策路入り口を探す。
撮影を楽しんでます。けど見えるアジサイは山紫陽花ではない。
額紫陽花ではある。中央の小さいのが額アジサイの花で、既に見頃になってます。ということは、山アジサイの見頃は既に終わってると予想。
とりあえず散策路へ行ってみる。
上りで〜す!
どこまで上がるのだろう?さっきもぼやいたけど傘を持ってないの。
見上げるアジサイは一味違っていいけども。白、いや灰色の空がダメだ。降りよう!
神社さんで遅めの参拝。
駐車場に戻る途中、おそらく日露か日清の忠魂碑的なものを見つけたので立ち寄る。
ここにも花手水があった。
時刻は早くもお昼が近い。ちょっとだけ梅雨時の里山ドライブを楽しんだのち、ダンナが小さい頃より通ってたうどん屋に向かう。

確か前回は中華そばを食べた。
今回は?
あ!まさかの!もう6月だというのに、鍋焼きうどんがある!
ちなみにダンナが注文したのは冷やかけの中。
こちらが鍋焼きうどん。蓋を開けるとグツグツいってる。卵を混ぜたら少し温度が下がる。
では早速。
熱っ!けど美味いっ!あ〜、おにぎりも注文すれば良かった!うどんが小なので、せっかくのだし汁がもったいない!
ご馳走様でした!鍋焼きうどんは最高だっ!
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

粟井神社へアジサイ見物

2023年07月03日 09時25分29秒 | アジサイ散歩
2023.6.14午前、ダンナと一緒に粟井神社さんへ出かけた。
ダンナが「スマフォが反応しないから場所がわからない」と、車中でいきなり宣言した。
ンな事を車が走り出してから言われても困る!何気にGoogleマップを見た時に、目印に農材スーパーの前の道を西へ直進すればいいんだな。と思ったので、とりあえず農材スーパーを目指す。それから直進してたら大きめのため池に出た。溜池から粟井神社さんは近かった!そこで止まって当たりを見回す。小高い山に神社っぽい大きな屋根を見つけたので、とりあえずそこを目指したら紫陽花の絵と「粟井神社」さんの看板を見つけた。着いた先は小さな駐車場。けど満車。仕方なく少し先にあった小さな神社さんの駐車場へ停める。
徒歩で移動して、長い登り坂。上がるとそこに粟井神社さんを見つける。
神社の鳥居を潜り境内へ。
あれ?奥から人がどんどんくる。
なぜだ??
うん。わかった!道が違ってた。上の画像では私の背後に大きなため池がある。Googleマップで見た神社に近いため池はこっちだった模様。こっちから来れば坂道登りは回避できてたわ。
紫陽花が山盛り。
あ。説明板発見:
粟井神社:ご祭神:天太玉命(あめのふとだまみこと) 古くは刈田大明神と奉称した。807(大同2)年火災にあい、当地杉尾山に遷座されたといわれる。842年(承和9)に各神社に列せられ延喜式では讃岐国の大社三座の一座となる。
天正年間長宗我部軍の兵火にあったが、えぢ時代には領主生駒家、京極家の尊崇厚く、社殿や造営や社地の寄進を受けた。
地図によると、このうえに行けば藤目城  跡がある。どれくらいかかるんだろうなあ?
実は傘を持ってない。時間がかかるのは困るのだ。長宗我部に奇襲され落城というのは気になるけどもパス。





山アジサイ遊歩道があるのか?行ってみよう!(続く)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

善通寺の大楠と周辺にあるもの

2023年07月02日 05時43分05秒 | 香川の巨木と神社仏閣
訪問は今年、2023年6月3日です。巨木見物が好きな私は、以前境内にある2本の大楠を見物したのですが、それは初詣のついでてした。
楠は常緑樹ではありますが、初夏には新芽に更新するのですよ。
ならば確認せねば。
おお、色鮮やかです。
こちらは大楠の1本、五柱明神の楠です。けども前回訪問時は画像中央のお社に上がり参拝して間近で木を眺められたのですが、現在は周囲に大きく規制線的にロープを張ってあり近寄れなくなってました。
こちらは南大門前の大楠です。
お正月に見た時は、元気ない木に見えましたが、若い葉っぱを十分に蓄えた姿は素敵でした。
移動しようとして不思議な、いやお寺によくある代々の住職の塔的なやつかな?と思い近づけば、全く違ってた。
説明板発見:
三帝御廟:三帝とは、後嵯峨天皇(第88代天皇在位:1242年2月ー1246年2月)。亀山天皇(第90代天皇在位:1260年1月9日ー1274年3月)。後宇多天皇(第91代天皇在位:1274年3月ー1287年11月)。
近年まで伽藍の北100メートルほどの住宅地にありましたが、昭和39年(1964)に現在地に移されました。
へえ〜。
ちなみに、五柱明神に隣接して小さなお社がありました。
こちらは佐伯祖廟です。弘法大師は豪族佐伯善通卿と母、玉寄御前の三男として生まれました。この祖廟は、元は善通寺の背後にある香色山の麓にあった小高い丘(現在の駐車場)の上に「佐伯八幡宮」としてお祀りされてました。
さて移動。
その前に伽藍(東院)を眺める。

東院と西院の間に塔頭がいくつか残ってまして。
観智院さんの前を通りがかったところ、普段と違いお寺さんが欲しいあれこれが並んでました。
問:これ、何だ?
答え:法螺貝。ちなみに売値の札があるので並んでる仏具やあれこれは売り物です。
高松藩藩主松平公の息女が、庵を結ばれていた寺の本尊を移したと言われ、安産・子育ての守護仏として婦女子の信仰の厚い寺である。
だから子安観音なのか。記念祭の間だけだと思うけども。十一面観世音立像が公開されていたので、本堂に上がって見物しました。「出すのが大変なので。息子の時代になったら公開するかもしれないけども。私はもう出すことはありません」とお寺の方が言ってました。ついでだと思うけども。大きな金色のうどん鉢の形をしたものがありまして。「売れないのよね。良かったら鳴らしてみる?」と誘われました。いいの?喜んで!とばかり、巨大な枝が長いタンポを両手で持って、金色のうどん鉢の縁を擦り上げるように叩くと、何とも言えない音色が響きました。あ〜、耳が幸福だ。
さてと、帰ろう!としてお正月にも寄った熊岡菓子店へ向かう。

あれ?人がいない。もしや?
やな予感は当たりまして、店の看板のかたぱんは売り切れてました。ええんや。えびせんがあったら!
えびせん220円・芋けんぴ180円・ミレービスケット150円(各100グラム)
くっ!カタパン〜!!
ちなみにお土産品はこんな感じ。
左から弘法大師1250年お誕生日記念の Tシャツ(2200円)。肩口に真魚ちゃんをキャラクターにしたものを印刷。背中にもワンポイント。
中央上部の三枚の紙は、親鸞堂からお坊さんらが撒いて歩いてたもの。拾いました!
中央下にあるお札は、うちのお寺にいただいた記念祭の特別開帳と戒壇巡りと宝物殿鑑賞3点で2000円のところ1000円になるチラシをチケット売り場で出したらいただけたお札です。中央下右のファイル(550円)は、義母へのお土産。
空海が唐で恵瓊阿闍梨にいただいた国宝の錫杖頭を裏表で印刷してあります。
そして熊岡菓子店で購入したお菓子。それとお接待でいただいたお茶。久々にお出かけして大満足。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

法然上人逆修塔と足利尊氏利生塔

2023年07月01日 06時25分57秒 | 歴史散歩
先程(6月29日投稿済)、親鸞堂の説明文に「讃岐善通寺は弘法大師生誕の霊地にて我が師法然承認は彼の地に詣でて自ら逆修の塔を建て給えり」とありました。その塔が見たい。
こちらは2019年9月、上野の博物館でたまたま展示されてた法然上人絵伝の絵巻の一部です。下に解説がありまして、「空海生誕の地である讃岐国善通寺にしばらく止まり松を詠む」と書いてるのを見つけ、「へ〜、法然さんって香川に来たことあったんだ」と。何気に撮影しました。当時はおそらく善通寺さんの背後の香色山に登ってそこで絵を描いたんだな。程度の認識でした。
が、法然さんが実際に善通寺に来た証拠の「逆修塔」があるなら見たい!
親鸞堂の説明文にも出てきたならば、探せばある!ってなことで、いただいた弘法大師空海御誕生1250年記念祭の裏面の境内図を確認すれば、伽藍(東院)の東下あたりにあるではないか!ってなことで、特別公開中の五重塔に優先して法然上人逆修塔を探す。
あった!見つけたのが本日のトップ画像です。
では早速塔を見よう。
思ったより小さい。
逆修塔とは、死後の往生を願って生前に自らが建立するものです。
高さ4尺(約130センチ)の石造の五輪塔です。
室町時代〜戦国時代の制作年代の異なる部材により構成されてます。(善通寺のホームページより)
ん?
え〜と、wikiによりますと、法然は75歳の時に讃岐国に配流され10ヶ月滞在。承元元年(1207)12月に赦免され讃岐国から京に戻り、摂津国豊島郡(現箕面市)に承元4年まで滞在とありました。
法然さんは当時既に浄土宗の開宗で会ったので、それなりに名が通っており、法然さんが建てた逆修塔は残ったと推察。けど、元はもっと小さかったのでは無いかな?それを後年、つまり戦国の世に塔を盛った人がいたと思う。それで室町と戦国の二つの年代が異なる部材で構成されたと推理。ま、当たりかどうかはわからないけども。私の生家って浄土宗がか浄土真宗でして。嫁に入ったら真言宗で。どちらにせよ善通寺さんには参拝する縁があるなあと思いました。うん。
で?満足して法然上人逆修塔を出たら、隣に何やら由緒ありげな塔がもう一つある。
何かしら〜?
ん?足利だと?
まさかのビッグネームの登場です。
善通寺さんのホームページによりますと「足利尊氏利生塔、足利尊氏・直義が暦応元年(1338)、南北朝の戦乱犠牲者の菩提を弔い、国家安泰を祈念し、国ごとに一寺・一塔の建立を命じたことに由来する多層塔。制作は鎌倉時代前期〜中期ごろとされる」とあります。つまり、足利尊氏本人は善通寺に来てないパターン。為政者のパフォーマンス的に作られたものと思われ。
ちなみに南北朝時代とは、鎌倉時代の後、室町時代の最初期の1337年ー1392年です。そもそも塔を立てるように命じた「暦応元年」というのが、北朝の年号で、南朝だと延元3年となります。日本史ですんごく面倒な時代だよね。


塔の位置関係はこんな感じ。上の画像右手の塀は東院と町の境です。さて、引き返そうか?と思ったら、ステージから大きなマイクの声が聞こえているのでステージと客席を迂回すべく、塀にそって北上することに。
赤門に着いた。
赤門は東門が本来の名称ですが、赤いので赤門と呼ばれます。上の画像奥に続くのは赤門商店街。かつては丸亀・多度津方面からの参拝者で賑わった道ですが、自動車で参拝するようになった現在はあまり人影がありません。ダンナが50年前に祖母に連れられて瞬目大師像を参拝した折にはこの道を歩いて参拝したハズ。ダンナは祖母にこの道にあった餅屋で和菓子を購入して食べた思い出があるとかで、その餅屋を探して目を凝らしてる。
あるかなあ〜?50年前だよ??「ばあちゃんが、甘いもんを食べよう」と買ってくれた。同じ餅が食べたい。と未練たっぷりで探してますが、探しに商店街を奥までゆく体力も気力も私にはない。
それよりさ。
なんか、でっかい切り株が赤門のそばにあるんだよ?
巨木な模様。けど随分前に切った模様。
別角度から。中央に大きな空洞が見れます。で、枯死したのかな?何の木だろう?多分松みたい。違うかも?
巨木は減ることはあってもそうそう増えない。枯れたら終わりなのだ。これも諸行無常ということか。
今度は私が感慨に耽ってると、餅屋探しを断念したダンナが追い抜いて行った。
待て!人が多いんだから、逸れると探すの大変だ!(続く)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする