あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

大根を一穴に2本作る?

2023年11月27日 06時02分28秒 | リアル農業育成ゲーム
まだまだ農業初心者な私は、YouTubeで予習復習を欠かせません。
9月ごろ、大根の育て方を視聴していた時に、「マルチの穴に2本の大根を育てると?」というのをやっていた。
マルチとは?「作物の株元を覆うフィルムを指します。
マルチ(マルチング)を行う事で、土壌水分を蒸散を抑える効果があります。
また土壌変化が緩やかになるので、作物に良好な環境を作ることが出来ます」
穴あきマルチとは、最初から穴が空いてるマルチのことで、一定の株間と条間で植えれるので便利です。
大根の場合は種を穴に3個程度植えて、芽が出ると都度に間引きします。本葉が2〜3枚で2本立ち。本葉が6〜7本で1本立ちにします。
これが普通の育て方なのですが。YouTubeではマルチ穴に2本立ちで育ててみよう!と言ってたのです。
私もやってみよう!
選んだ種は「三太郎」
袋種に短めな大根と書いてある。
袋の裏に「特徴 根長さは20−30センチ位で育てやすい」とある。
では早速、種まき。
これが9月23日のこと。
種袋によりますと「三太郎大根の収穫目安は約60日」とある。
時は経過して11月下旬となった。ぼちぼち収穫時期です。
一般的な大根は直径7〜8センチが収穫時期です。
実は穴あきマルチの穴は直径6センチで作られているので、穴にパンパンになれば収穫時期が来たということに。なので、一穴に2本育てた大根は早々に穴みみっちりするので、指で広げました。
では収穫!
比較で上の画像に足の大きさ25、5センチの私の靴も一緒に写してみました。
成功しちゃいました!
けども水洗いしたらば葉っぱにアブラムシが来てた。マルチの一穴に2本作るということは、葉っぱが2倍ある訳です。
風通しが悪くなるからかな?防虫ネットはかけてたけどさ。どこから害虫が入ってくるのか?害虫は嫌いです。
煮物を作ってみた。
美味しかった。同じ面積で倍の大根が出来るなら、野菜作りの場所が限られてるならお得だよ無〜。ま、いいとしよう!
コメント (2)
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唐辛子もチョビチョビの収穫でした

2023年11月26日 06時00分30秒 | リアル農業育成ゲーム
去年、香川の地場野菜の本鷹唐辛子を育てた。

きっかけはスーパーにピーマンの苗を買いに行った所、3苗で298円の合わせ買いで売ってたから。3苗ということで、去年はピーマン・ししとう・本鷹唐辛子という組み合わせで購入した。はっきり言って去年の本鷹唐辛子はおまけだった。ので、収穫したのは撤去した時の1回だけでした。ところが、期待は全くしてなかったのに、本鷹唐辛子は美味しかったのです。
唐辛子って味が違うものなの?と思うでしょう?キリリと辛いのが香川の地場野菜の本鷹唐辛子。しかもたまたまかもしれませんが、色が真っ赤で綺麗でした。撤去後軒下物干し竿にかけて長らく放置したのが良かったのでしょう。
で。味を占めたと言いましょうか。今年も唐辛子を作ろうかな?と。運のいいことに、
義父か義母がかつて購入し、放置してあった古い唐辛子を発見。使いやすいように、ハサミで小口切りにしてたら、退色した唐辛子の中から種がいっぱい出てきました。これさ〜、種でしょ?植えたら芽が出ないかな?出たらラッキーだな。と。
種まきしたら芽は出ました。ので育てた。
こちら、8月16日の様子。注目して欲しいのは、紅い実と緑の実と白い花が同時にあることです。
放置していたらば美しい紅い実が、薄ボケて退色していくのが切なくて、webで唐辛子を検索したところ、「唐辛子は紅くなったものから順次収穫する」とあったのです。
ってなことで8月半ばより紅い実を収穫開始。
そして現在。赤と緑が混じってます。まだ収穫が続いてます。
ちなみにトップ画像は10月27日に収穫したものです。撮影日は11月22日。ほぼ一月乾燥させてます。webで検索したら、実を振ってカラカラと種の音が聞こえたら完成。なんだって!実はそんなこととは知らず、数日干した後、瓶詰めして乾燥剤を入れて保管したらカビた。乾燥が足りてないのです。
最後にもう1回収穫すべきか?収穫せずに緑の実が残る状態で刈り取るか?迷ってます。もう十分な量を収穫済みで、あちこちに随分配りました。けどまだまだ乾燥中なのでこのまま放置してもいいかもしれん。どうすっかな〜?
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大納言小豆を作ってみた

2023年11月25日 06時22分43秒 | リアル農業育成ゲーム
7月24日大納言小豆の種をまく。
あんぱんとクリームパンがあればあんぱんを。羊羹も好きだしお汁粉も好き。昔からそうではないか?と思ってたけど、あんこが大好きらしい。ならさ、小豆を作ってみよう!と気軽に種まきしたのですが。これが。すんごくムズい植物だったのです。
まず収穫方法が面倒。上の画像をよくみると、鞘が緑のものと黄土色のが混じってますね。ということは、一度に収穫出来ないんですよ。黄土色や茶色になったものを順次収穫せねばならんのです。
こちらはさび病にかかってしまった株。収量激減。
でもまあ。収穫してみるか。
と収穫してみれば。
鞘から豆を取り出すのが大変。どんぶり1杯ほどの豆を鞘から外すのに3時間半かかりました。ってか夕方に初めて。夕ご飯作って。再開して終わらず。翌朝続けてて。途中でキィ〜!となって、鞘にパンチしたら小豆が飛び出してきたので。最初から小豆を殴ってれば早かったのだ!と残り少しになってから気づいて。
水に沈めて沈んだ奴が合格。
こちらは水に浮いた不合格品。多さに目眩する〜。
で、小豆を炊いた。トップ画像です。
せっかくなので餡子にして。義父の法事の時のお餅を冷凍してあったのを思い出して。焼いたら焦げた。仕方ないので餡子まみれにして誤魔化す。
翌日はお汁粉にしていただいた。
ま。自分で作った大納言小豆で餡子を作って食べるという一連の作業は完遂したけども。作業の多さに見合うものではない。来年はもう作らないと思う。大変過ぎる。ま。失敗ですね。
ちなみに、いつまでも畑においとけないので、11月22日に株ごと撤去しました。野菜と思うと4ヶ月は育てないとダメです。
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我が家の風呂場が寒いので、せめて追い焚きしたいと思う

2023年11月24日 06時15分30秒 | 雑記
今年3月に遡る。
私が住んでるのは、令和3年に亡くなったダンナのお父さんが建てた家です。昔ながらの日本家屋でして古い。
こんな感じ。壁はタイル。床というか足の裏がつく場所もタイル。おまけに天井が高い。となると保温機能はない。冬はとっても寒いのですよ。もうね歯をガチガチいわせて入るので修行の如くです。

ある日、通販会社から送られてきたカタログにトップ画像の商品を見つける。
沸かし太郎。
曰く、「お風呂に入れるだけでいつでも簡単に追い焚きができる」とある。
これいいかも?しかし躊躇せざるを得ない39、990円!税込だと43989円!!
お高い。
けど背に腹は替えられないんである。
けどさすがに〜??と思った私は、試しにweb価格で比較してみた。
同じ沸かし太郎が30,800円(税込)だった!
少々安くなってたがやはり高い!
迷ってダンナに購入していいか相談したらば、「これはやめておけ。似たような商品はいっぱいあるから」と。
数日後、ダンナが類似品を購入したので早速試しに使ってみることに。
まずは前日の残り湯。現在の水温は19、4℃です。
ちなみに、試しなので残り湯は足首まで減水した。
で、ワクワクと待ったのですが。
これが。
待っても待っても暖かくならない!
なんでやねんっ!
強力湯沸かしヒーターなのではないのか!
ムカついたので、いつまで待てば入浴可能になるのか?測ってみた。
5:50で19℃
6:25で30.6℃
6:37で33.1℃
6:45で35.5℃
6:52で37.2℃
ジリジリと上がる。ってか。ジリジリ上がるけどさ〜。
ふと、通販のチラシの最後に目がいく。
*容器の形状、材質など使用環境により異なります。
水からの湯沸かしは時間がかかります。
目安 夏:約3〜4時間 冬:約7〜9時間
なんやとぉ〜!!
今回は試しなので、水量は足首にしてます。残り湯を追い焚きに何時間もかかるなら、追い焚きではなく足し湯を選ぶわ。
ってな事で、ダンナがせっかく購入してくれた沸かし太郎の類似品はあれから一度も使ってない。ま。参考になりましたら幸い。
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お土産にもらった海軍カレー

2023年11月23日 06時10分09秒 | おいしい&スイーツ
神奈川県相模原市に住んでた私は、横須賀の自衛隊公開があると見物に出掛けました。
その時に海軍カレーを購入したことが。
検索かけたらやけに古い記事がヒットしました。そうこれ!
今回紹介するのは義姉が広島で会議があって〜といただいたお土産です。
その名も海軍さんのカレー。どこが違うの?といえば、箱裏に答えが書いてある。
曰く「海軍さんのカレーは甘み、辛み、コクと食べ進むうちに様々な表情を見せる飽きの来ない味わいです。
戦艦大和が生まれた港町・呉のハイカラな名物として人気を博しています」
「海軍さんのカレー」は、コーヒーとの相性も抜群です。元・戦艦大和乗組員の証言を元に再現、防人たちが愛した伝説の香「海軍さんのコーヒー」と併せ、お楽しみください。
え〜と?wikiによりますと、戦艦大和は昭和20年(1945)に沈没とあります。今を遡ること約80年。まさか元乗組員が生きてるとは!いや、この商品の製作はもう少し前なのかもしれないけど。レシピが残ってたのならまだしも、私ならばそんな昔に食べたカレーの味は覚えてない。
ちなみに原材料名を眺めると海軍さんのカレーの肉は牛肉を使ってます。当時手に入りにくそうな香辛料は?と見ればズバリ「香辛料」と書かれており詳細は分からず。いやねえ。右京さんのように気になると調べたくなるのが私の悪いクセ。こういうのはロマンでいいじゃないの。
ってな事で、レトルトパックに入っていたので普通に湯煎していただきました。付け合わせのコロッケは8月の台風の時に大量に製作した自家製コロッケです。まだ冷凍が残ってるう〜。早く食べんと食味が落ちちゃう。
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四国香川三豊市のおやつ

2023年11月22日 06時04分11秒 | おいしい&スイーツ
私が暮らすのは四国香川の西、三豊市です。
三豊の観光交流局のwebはとてもよく出来ていて、頻繁に閲覧してる私。ある日のインスタグラムに「ポンせんこうちゃん」が紹介されてまして。所在を確認すれば、自転車で行ける距離だったので出掛けてきた。
記事を書こうとしたら画像がピンボケしていた。
ので、再び買い出しに出掛けた。トップ画像です。
商品に5枚入りと2枚入りがある。
何気なく裏返すと、2枚入りは原材料が小麦粉。5枚入りは米とある。
品名はどちらも「せんべい」です。
んん?どういうこと?
web検索すると「せんべい(煎餅)とは?小麦粉や米粉など穀物の粉を練り、薄く伸ばして焼き上げた米菓。現在日本では、うるち米で作ったものを煎餅と呼んでmす。なお、せんべいと似たようなお菓子で「おかき」や「あられ」があります。これらはもち米から作られてます」とある。
ポンせんを購入した時に三豊市の観光ガイドをいただいてきた。
ポンせんこうちゃんが載っていた。ポンせんは2枚100円から〜というリーズナブルな価格設定です。一番売れてるのはプレーン。表面に胡麻・青海苔・梅・いりこ粉を塗ったものや、香川の地場野菜の本鷹唐辛子などがあります。ちょっとした手土産にも使えます。
ちなみにこちらがポンせんこうちゃんの外観。どこに煎餅屋が?と思いますよね。実は建物は(株)四国ポンプです。上の画像の中央下に、紫色の幟がありますね。これがポンせんこうちゃんの目印。
玄関から入ったところがポンせんこうちゃんで商品が並んでます。
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今年のりんごガチャは小当たり?

2023年11月21日 06時18分31秒 | おいしい&スイーツ

りんごガチャに勝利する
毎年9月になると楽天でりんごを注文してます。今年は2社に9月上旬と10月上旬に届くように頼みました。「訳ありりんご10キロ」品種指定せずに届く時期だけ指定して頼みました。数年......

去年は大当たりでした。品種を指定せずに注文したところ、全く知らないりんごが届いて。しかもとても多かったのだ。
今年到着したのはトップ画像の早生ふじでした。
ふじは代表的なりんごだから、そこに驚きはなかったけど、「早生」の品種だからか甘酸っぱいのだ。
撮影は11月14日です。残り2個。今年のりんごは12月初旬にまた10キロを注文してる。次はどんなのが届くかな?た〜の〜し〜み〜
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200年ぶりの公開の両界曼荼羅

2023年11月20日 06時51分28秒 | 香川の巨木と神社仏閣
10月終わりの四国新聞に紹介されてた大曼荼羅。
生きてる間に2度と公開されなそう〜。なら見物するしかない!
あれ?公開期間がすごく短い。11月7日(火曜)〜12日(日曜)ということは6日しかない。しかも「文化財保護のため、公開が中止になる場合がある」と注意書き。ということは雨の日には公開しないんだな。
ってな事で11月9日に出かけてきました。なんと公開時間は朝7時から。というのも両界曼荼羅は善通寺の金堂(本堂)内で公開するのだ。善通寺にお参りに来れば見れるんである!なんと拝観自由の無料という太っ腹!
9時前に駐車場に到着。早速両界曼荼羅を見物すべく歩いてたら
こんな立て看板を見つけ寄り道(昨日の投稿記事です)見物後、改めて両界曼荼羅見物に向かう。
金堂に到着。早速参拝へ。
非常に残念ですが撮影禁止です。
でも感動です。普通、私たちが曼荼羅を見る場所を思い出すと、博物館か神社仏閣の宝物館がほとんどです。けど今回の両界曼荼羅は金堂の左右の壁です。正面には巨大な御本尊で、シュチュエーションがすごい。けど残念なのはせっかくの両界曼荼羅の近くで見物出来ないんだな。上の新聞の切り抜きでわかりますよね。そう近づけないの。くっ!
あ。説明文のコピーを置いてある。
両界曼荼羅図 2幅 原在中:長谷川賀一筆。 絹本(紫)金銀泥描
向かって右の壁に胎蔵界:縦436、2 横402、4センチ(装丁法量 縦509 横450、9センチ
向かって左の壁に金剛界:縦397 横367、4センチ(装丁法量 縦516、9 横416、2センチ)
製作年:江戸(享和元年〜2年<1801−1802>)
紫の画絹に金銀泥の線描で諸尊を描く。その図像は長谷寺本(白描図像の写本・国重文)の高雄曼荼羅に倣ったもの。高雄曼荼羅(京都・神護寺所蔵)とは、天長年間(824−833)に製作された現存最古かつ唯一の空海監修の大曼荼羅で国宝に指定されている。
本図は、箱書によると胎蔵界は原在中(1750−1837)が、金剛界は長谷川賀一(1757−1810)が、それぞれ享和元年・同2年に描いたもので、点眼(開眼供養)を慈雲尊者飲光(1718−1805)が行なっている。近世における本格的な転写本として貴重な遺品である。
(中略)
金堂内での公開は、文政6年(1823)の弘法大師お誕生1050年に行われた大曼荼羅供以来200年ぶり。直近の公開は、平成18年(2006)に香川歴史博物館(現:香川県立ミュージアム)で行われた特別展「創建1200年 空海誕生の地 善通寺展」。
さて見物終了。次は南大門へ行かないと!というのは、聖霊殿で御影堂奥殿再現ご開帳を見物していた時、説明のお坊さんが「南大門の屋根の四方にも四天王がいる」とおっしゃってたのです。
南大門到着。確かに四天王がいる。
拡大。
次です。
あ。御神木!真魚ちゃんの御朱印をまだ買ってないや!
1250年記念でイベント盛りだくさん。五重塔も特別公開しているのか。けど公開は11月26日までの土日限定なのね。本日は11月9日は木曜なので見物出来ません。
移動。
いつの間にか晴れてきた。奥の山も紅葉が始まっている。
おおう。境内に木が少ないなあ。と思ったけど、元から木がないのではなく、かつては木があったけど枯れてしまったのね。名残の切り株がありました。切り株の大きさから大きな木だったようです。しかも奥にもう一つ切り株がある。
切り株の側の龍王社。金堂の西側にあります。雨を呼ぶという善如龍王が祀られている。香川は雨が少ない土地柄で、日照りの被害が多い。五穀豊穣のため、雨乞い神事はあちこちに残っている。寺社にも求められる大事な役目で、江戸まではここで雨乞いが行われていた。国の登録文化財。
東院を後に。西院に戻る。
出る時は気づかなかったけど、手水舎が太陽の光に照らされてて。
花束が飾ってあった。
さて、真魚ちゃんの御朱印を買わないと!
まず売店をのぞいてみたけどない!あれ〜??どこだ?もしやまた御影堂で売ってるのか?と思ったのだけどダンナは知っていた。
「あそこに行列があるだろ?あそこで買えると思う」
ん?指差す先は納経所です。見れば確かに行列がある。ええ〜!?あそこ!!
大ショックです。思い出して欲しい。御影堂で御影堂奥殿再現ご開帳チケットを購入した時は、先着30食ブレゼントの「こなとなりて」をいただいた私達。奥殿再現を見物した後で御朱印を買っていれば、行列に並ばなくてもよかったのだ。やらかした〜。
場所は納経所ということは、四国八十八か寺巡りの納経帳集めをしてる方々とも一緒な訳で。一々記帳していただいてる関係で、行列はなかなか進まない。
でも並んでも真魚ちゃんの御朱印が欲しい訳は、奥殿再現で説明のお坊さんが「真魚というのは、弘法大師の幼名です。けど貴重なのは真魚の御朱印に使われた紙です。御神木を練り込んであるのです。御神木を剪定したり、折れ枝を紙に練り込んであるので、例えば家の仏壇の奥にしまって差し支えない品です」だって!
御神木というのはこれ。
 
以前詳しい投稿済み。

真魚ちゃんの御朱印ゲット!
この御朱印はほぼ印刷。日付のみその場で記入してくれます。
御神木を練り込んだ特別な紙なので、授与は10月1日からなくなるまでの限定販売となってます。1部五百円なり。高いような?御神木を保護する料金だと思えば気持ちよく支払えます。さ。帰ろう!
おや?こちらも期間限定ですが、金比羅さんの宝物も同時公開な模様。期間は奥殿再現ご開帳と同じく11月26日まで。
そういえば、謎の旗があったなあ?
これは何?
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生誕1250年祭秋行事開始の善通寺さん

2023年11月19日 06時15分43秒 | 香川の巨木と神社仏閣
時は先月下旬に遡る。新聞に「総本山善通寺で200年ぶり」「巨大曼荼羅、来月公開へ」という記事を見つけた。添えられてた画像は人の縮尺が間違ってるのではないか?と思う程にでかい。公開は11月7日から12日まで。すごく短い。上に、200年ぶりならば、次回公開があったとしても私は生きてない遠い未来だろう。ならばいかねばならぬ。
人混みが苦手なので、調べたら巨大曼荼羅は善通寺さんのご本堂(金堂)で公開するので朝7時には公開が始まるとあった。7時ならばさすがに見物人も少ないハズ。
ダンナを誘って11月9日に出かけた。
おやっ!巨大曼荼羅以外にも素敵なイベントをやってる模様。こっちは9時からか。え〜と?
撮影時刻を確認すると9時2分だった。始まったところじゃん!先にこっちへ行こう。
何かある?よくある寄付かしらね?
うおっ!き、金額が桁違いじゃん!さすが善通寺さんだ。
少し拡大してみた。右上の一番金額が多いのはなんと2千万円なり。その隣は一千万円なり。しかも「篤信者」とあるのは個人で寄付するけど名前は非公開という方だ。き、奇特な方ですね。大半はどこぞのお寺さんですね。
寄付は聖霊殿の屋根の葺き替え費用な模様。建物が国の登録有形文化財です。老朽化もするだろう。いくら必要なんだろうなあ?上の掲載されてる方々だけで億超えだけども?
あ。先を急がねば。え〜と?どこでチケットを買えるのだろう?春のイベントの時はチケット売り場が臨時で設置されてたんだけどな。
春のチケット売り場があったところをウロウロしてると、視線の奥に御影堂を見つけた。あそこで聞けばわかるはず。
あ。ちなみに、上の画像の右に写っている立て看板を前面に回るとこうでした。
特別御朱印は気になるけども500円か〜。私、御朱印集めはやってないんだよね。買うかどうか後で考えよう。
さて。御影堂へ。
「奥殿再現ってどこに行けばチケット買えますか?」
「ここです」
「二人分、お願いします」
で。白いビニール袋を2ついただいた。
中身はこれ。
お札は春にもいただいたけども。なんか予想外のものが入ってる。
「こなとなりて」精進料理手づくり体験セットです。「粉」です。
ちなみに撮影は帰宅してから。
ちなみに紙袋は全部で4つ。こんぶ・ダイシモチ麦・乾燥しいたけ・びわの葉でした。
簡単そうなびわの葉の羊羹を作ってみた。
閑話休題。
御影堂奥殿再現のチケットを購入したつもりだったのですが、戒壇巡りと宝物殿入館もセットになっていた。まずは大きなビニール袋を渡されて靴を袋にインしたら、戒壇巡り開始。
うん、まさかの春に続いて今年2年めの戒壇巡りです。
一度やってるから〜と期待せずに始めたのですが。9時開始だったのでほぼまだ誰も入ってない。空気がひんやりしてる。人の気配も感じない。そして暗闇です。思わず「ナム大師返上こmんどう」違う!「南無大師遍照金剛」だ!と狼狽えつつ左手を壁に添わしつつ暗闇を進む。運がいいとここでお大師さんに会えるらしいけど。信心深くない私は荷物を落とさないことに気をやってしまい出会えませんでした〜。
光を感じてゴール?かと思えば違うのだ。正面に仏壇に似てる祭壇があり、お参りしてるとレコーダーからおじさんの声が聞こえてきた。声は弘法大師という設定な模様。
実は祭壇地下ですが、真上が弘法大師のお母さんの寝室です。つまり御影堂の奥殿と呼ばれる場所です。ということは、本日見物に来た初公開の「御影堂奥殿再現ご開帳」の仏像達は本来はここの真上にいらっしゃるという事です。
戒壇巡り再スタート。そしてゴールで階段を上がる。案内人に宝物殿の行き方を説明してもらう。
宝物殿は春も見た。けどあの時はチベット密教の仏像展示をやっていたのでその区画分新しくなってるハズ。新しいのは多分これだと思う。『どうする家康』合わせか?秀吉と家康の書状が展示してあった。秀吉はなんつーの?紙いっぱいに文字を書いてます。秀吉は字が下手だと思う。比べて家康は慎重派?きちっと書いてるな。
さてと、次こそ目的地だ。
不本意ですが、新聞の転載です。なぜって撮影禁止だったから。
新聞の画像を使って説明しますと、祭壇のように設られていて、御影堂奥殿の再現は、中央に弘法大師像。木造玉眼古色 像高さ:78、8センチ。製作年:江戸(天保4年<1833>
弘法大師を囲うように四方に四天王像。木造玉眼彩色。 像高さ:右手前から持国天65、8センチ 左手前像長天63、7センチ。 左奥広目天63、3センチ。 右奥多聞天63、9センチ。製作年:全て江戸時代(17世紀)
ちなみに、多聞天は毘沙門天のことです。
右手前に愛染明王坐像。木造彫眼古色。 像高さ:56、2センチ。製作年:不明
左手前に降三世明王像。木造玉眼古色。 像高さ:126センチ。製作年:江戸<19世紀>
更に外側に掛軸で両界曼荼羅。左は金剛界。縦165センチ横158センチ胎蔵界。縦164センチ横157、3センチ。 製作年:江戸(享保12年<1727>)
更に外側に弘法大師12大弟子像。
普通は10大弟子ですが、弘法大師の死後2人追加になってます。紙本著色。 各縦85、2センチ横163、5センチ。 製作年江戸(18世紀後半〜19世紀初頭)
ちなみに、四天王像と弘法大師十二大弟子像以外は初公開です。
上の画像の右奥のお坊さんが詳しい説明をしてくれます。1回説明が終わると待ってれば次のお坊さんが来て再度最初から説明してくれるので聞き逃しがありません。
そして最後に国宝の金剛錫杖頭のコピーが出口に設置されてます。春の時はお祓いみたいなのをしてくれたのですが、今回はお触りOKでした。みんな行列して手を合わせたのち触りました。で、出口。
奥殿の大きな写真パネルが展示してあります。ここだけ撮影OKでした。奥殿再現は聖霊殿でやってまして。御影堂入り口で靴を脱いでずっとビニール袋に入れて持ち歩いてたのをここで靴を履いてゴールです。
ブログ公開は11月19日です。御影堂奥殿再現ご開帳は11月26日(日曜)までです。今すぐ行けば見えます。
さてと。次は200年ぶりに公開された巨大な両界曼荼羅を見に行こう!(続く)
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しょうれいさんのおまつりを主宰する

2023年11月18日 06時06分34秒 | 雑記
私が嫁入りした家は結構な歴史があるので儀式も残ってる。中に一族が出席して行うものもある。一族といっても今では3軒しかない。かつてはもっとあったようだけども、独立した子供が遠い場所に家を構え戻らなくなったり。戦争に従軍して主人が戦死したりと理由はあれこれ。でだ。一族が3軒しかないので、3軒持ち回りで主宰して行う年に一度の儀式がありまして。実は今年の主催が我が家なのです。
で、まずは私は去年の儀式にこそっと見物に行った。というのも、儀式に参加するのは一族のそれぞれの当主と主宰家の奥さんの合計4人です。が、来年自分たちだけで準備を整えて儀式をやらないとならんとなると資料が欲しい!と。主宰のご主人に頼んで撮影や儀式終わりにインタビューをお願いした。何しろ我が家は令和3年に亡くなった義父がやってたし。おそらく少しは知ってるだろう義母は介護施設に入ってる上、耳が遠くて会話もままならんので!と押し切ったのが去年の9月28日のことです。

ダンナ、テンパる。
8月あたりにダンナはうちの山から旗竿に使う竹を切り出してきた。
長い。去年、主宰のお隣のご主人は「6メートルで切ったら足りなかった。旗が地面について弛んでる」というので、おそらく8メートルのサイズで切り出してきた。
どうやって持って帰ったのだろうか?ちっとも役に立たない私ですが、一応手伝おうか?と聞いたけど断られた。んで、儀式前日、出来上がった旗竿を家から儀式の旗立てに運ぶにもダンナは四苦八苦。なぜって普段使ってる道には電線があって、縦て竹を運ぶと電線に当たるのだ。ならば寝かせればいいじゃない?と思うでしょ。道が狭くて俺曲がってるからそれも無理。8メートルが邪魔をする。考えて家の裏にある裏道から出て、耕作放棄地(我が家のではない)を抜けて持ってった。まさかそこに道があったとは!嫁入りしてきて初めて知る事実。

他に主宰が用意せねばならぬ難敵はしめ縄です。
まずはどこで買うの?から始まった。いや、かつては農家だったので、自分ちで作った稲藁が自前で用意出来て、自分で縄をなっていたのでしょうが。今、米作りはしていない。稲藁が欲しければ買うのだよ。
去年のインタビューを見返すと「しめ縄はホームセンターで買った」とある。とダンナに伝えたけど、答えを待てなかった模様で、web通販で注文した後でした。後日、でっかく重い荷物が届いたのでこれは何?と思えば、くだんのしめ縄用の縄だった。どんだけ使うつもりやねんっ!ま。これだけあれば、少々失敗しても練習し放題だね。って事で問題なし!ということにしておこう。テンパってギリギリなのに。そんな8月末にまさかの義母が入院してしまい、ダンナは病院に日参し出した。そりゃあ「万一の時に救命するかしないかサインお願いします」と病院に言われた日には心配も最大になるってものよ。
そんなこんなで9月に入るとまずは儀式の日程を決定し、案内を一族の方々に儀式の2週間前に伝えた。文章を考えてコピーして配りに行ったのは私です。ダンナに余裕がないので出来ることから協力せねば。
そしてお彼岸。お彼岸もな。古い家なので、親戚宅へお参りに行ったり来ていただいたり。お墓も掃除して。お花をあげて線香も。仏壇もお彼岸仕様にモデルチェンジして。仏様のお膳は今年は時間がないので、あれこれ省略させてもらった。
仏壇だけは!お義父さんが好きだったスイカとお酒は外せない。
 
後はお墓。ちなみに仏花はシャシャキを除いで全て私が育てました。義母が世話してた時は仏花を毎回スーパーや道の駅などで購入していたけど。お墓が多いから全部で13個も花束が必要なのだ。義母のように毎月花代を5000円もかけられんのじゃ!
あ。ついでに。先日投稿した記事で、天満神社と宗運寺がかつて一つだった。財田川と河内川の洪水で現在地に移転したという話がありましたが覚えてますか?我が家の古いお墓を見れば、どうもいづれかの洪水で亡くなった方も祀られてる模様。さらにしょっちゅうこぼしてる元耕作放棄地から大量の石が出てくるので、除去が大変というのも財田川の洪水で運ばれて来ちゃったようですわ。余談の余談だけどさ。
お彼岸終了。こっからしょうれいさんの儀式に集中するぞ。
ダンナは旗竿以外の準備です。
旗竿と旗を結んだり。てっぺんに刺す新しい笹を切り出したり。
旗竿を立ててみたら、旗をシャンと立つようにしないといかんと気づく。楔を噛ませて工夫してた。
私はといえば、スーパーに榊を買い出しに行ったらば。お彼岸合わせの残りしかなくって。しまった。やらかしたやもしれん。仕方なく購入したのは日本製の高い榊だったんだけども。葉っぱが見窄らしい。選びに選んでこれだよ〜。チッ!水につけてどこまで復活するか微妙だ。
あと、お供えの準備。上の画像の右上からお酒の器とお酒。蝋燭立てと蝋燭。右下から水入れと水。洗いごめ。塩。塩は盃でもうちょっと綺麗に盛りたかったのですが、固まらず不恰好です。(儀式後の撮影のため、蝋燭が使用済みになってます)
で、しょうれいさんの儀式用にお墓をお掃除して仏花も準備。
 
「儀式の時はシャシャキだけ飾るもんや」と義母に言われて去年も確かそうしたので今年も去年にならえ。ちなみにシャシャキは義姉にもらいました。けど代々墓の花はスーパーで一番高い仏花を買ってきた。去年もそうしたからね。
準備は整った。明日の本番を待つだけじゃ!

9月28日朝7時半、しょうれいさんのところへ向かう。
と?早くもお一人到着済みだった。儀式は8時で案内してあるけど、田舎の人は大概行動が早い。
もうひと方も到着して、まだ8時前だけど儀式を始める。
かつてはお坊さんだか神主さんだかもおこしいただいて盛大にやってたらしいけど。儀式が終わるとお膳を囲んで宴会みたいにしてたらしいけど。現在は簡略化してます。一族の当主が榊を捧げてお祈りするくらい。
儀式は早々に終了し、次の主宰に申し送りをする。
実は明治時代に作った旗がぼちぼち限界を迎えている。去年のこと、布が一部破れていたのを来年主宰する御当主の奥さんが修理してくれたのだけど。古すぎてミシンをかけられなかった。慎重に手縫いして縫ったけど、次に破れても直せないかもしれないこと。
それは3軒ともわかっていることだけど。申し送りは大切なのであえてする。
その後、儀式の主宰家の主人が「儀式担当しました」の紙にサインしたらほぼ終了。後は旗を次の方へ回せば我が家の当番の再来年まで問題ない。

ちなみにこちらがダンナが手作りしたしめ縄です。
ついでに、基壇の右奥の小さな石積みをかつて調査したと聞いた。これがなんか文化財らしくて大切にせねばならんとかなんとか。
裏側。ここも毎月1日にお墓に花と線香を上げるついでに私が掃除してる。ま、背後に笹林があるので年中降ってくる落ち葉を拾う位だけども。

今日の記事は個人的なことですが。次に主宰する再来年の私が確認出来るように詳しめに書きました。記事閲覧下さりありがとうございます。
いや、個人的はいえブログ記事で公開するので書けることと書けないことがあってだいぶん配慮してるよ。これでもさ。だって肝心の「しょうれいさん」とは?を書けなかったもの。歴史の闇ってどこにでもあるのね。
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近隣の萩の名所なのは知ってた

2023年11月17日 06時42分33秒 | 香川の巨木と神社仏閣
時は9月25日に遡る。このところ似たような出しばかりでごめんなさい。
その日、西讃地方で一番大きな病院に入院していた義母がようやく退院の運びに。
心が軽くなって病院からも近いのでダンナに萩寺に萩を見にいこう!と誘う。
けど突然の思いつきで場所がうろ覚え。私らは長いこと神奈川暮らしだったので近場でも道に疎い。迷い迷い到着。
駐車場に車が疎らに停まってる。やな予感。
ああ〜、遅かったぁ〜。まあね。萩原寺の萩まつりは9月18・19・23日に開催だったからちと遅いのはわかっていたけども。花の見頃って年毎に少しずれるものだしと淡い期待を抱いてたんだけどさ〜。凹む。
宝物館か。確かここには空海の急就章があるんだよな。5月に県立ミュージアムの空海展で見たやつ。
ちなみに急就章とは、空海が唐に留学した時に手に入れた王羲之が書いた本。子供が字を覚えるために作られた古字書。帰国後、空海は原本を時の天皇嵯峨天皇に献上。おそらく自分用に写本したものが萩原寺に伝わっている。原本を使って複数の天皇が幼少期に勉強したらしい。5月に県立ミュージアムに展示してあったのは確か鳥の名前の楷書体のページだったような?うろ覚えだけどね。ここの宝物館でもう一度見れるなら見物したいところだけどさ〜。綺麗な萩の花を期待して来たのに、すっかり見頃を過ぎてるものだから心が荒んでしまった。次の機会にしよう。

門を出たら不自然な石垣が目の前に?
気になったので上がれる場所を探して登ってみれば。
讃岐にはありがちのため池だった。上の画像はため池をカットして、名残の萩を取り入れて写してある。今思えばため池も入れて撮影すればよかった。
売店で団子を購入。
もしかしたら期間限定の萩だんごやもしれんが。売店の方が「焼きたてだよ〜」とおっしゃってたのでついつい1パック購入してしまった。確か安かったと思う。300〜400円くらいだったと。記憶が曖昧。
さてと。お寺さんに来たのならばお参りせねば。本堂はどこかしら?あれ?山門らしきものがため池の下にある。ということは、本堂は山門の奥ね。
もう一度降りて改めて山門から上がることも出来たのですが、つい楽しようとため池の淵から向かったらば、山門をスルーしてしまった。どうも表からだと左右に仁王様もいらっしゃったらしい。帰りに見ればいいや。と思ってスルーしたのに、実はここにはもう戻ってこなかったという〜。
次、行ってみよう!急な石段を上がると盛りの過ぎた萩がある。
どうやらこれが本堂のようだ。
立派。お寺にしたら少し変わってるな?と思うのは石垣の基壇の上に本堂が載ってるから。ん〜?湿気対策か??
あ。説明板発見。
萩原寺本堂:巨鼇(きょごう)山地蔵院は平城天皇の大同2年(807)弘法大師空海の開基と伝えられている。
空海は雲辺寺山の頂上及び麓に寺を建て、それぞれ千手千眼院雲辺寺・地蔵院萩原寺と名づけ、千手観音・地蔵菩薩を安置し、以来当院を前寺、雲辺寺を奥の院と呼ぶようになった。
延喜3年(902)には醍醐天皇が当院を勅使談義所として、朱雀天皇が天慶2年(929)四箇談義所の一ケ寺として定められた。
本堂は乱石積みの基壇の上に建ち、桁行5間、梁間6間の入母屋造である。背面に庇が月、向背3間のこの辺りでは数少ない5間堂の建物である。
軒は本格的な二重繁垂木とし、組物は平三斗のつめ組で、妻飾りは虹梁太瓶束からなっている。中世密教本堂の遺風を伝え(以下画面に写ってないので不明)」
あやや!雲辺寺が奥の院で萩原さんが前寺でセットだったのか。確か駐車場の前の道を登っていくと雲辺寺のケーブルカーの駅に着くはず。ということは、昔はあの辺から雲辺寺まで徒歩で歩く道があったのね。いや、今もあるかもしれんが。でもさ、この萩原さんは88ヶ所の札所じゃない。奥の院の雲辺寺が札所だからかな?元はセットだったから?現在は「別格」札所になってる模様。歴史って面白い。説明文も面白い。
基壇を分かりよく撮影してみた。そして変わった建物だと思った第一印象も間違ってなかったわ。
あ、空海さん発見。
こんなのもあった。
上の画像右手奥に坂道があるのでどこに続くのかな〜?と興味持って眺めてたらダンナがさっさと降り出した。
どこいくの?とついていったら道路に出る。その前にはため池。香川県って昔っから雨が降らない土地だから、あちこちにため池があるんだよね。池が多過ぎて讃岐人はそれが珍しいとも思わんけども。全国的に見たらおかしいから。いつぞら高松空港から福岡に飛んだ時、車窓から見下ろしたら池ばっかりでびっくりしたわ。んで、ため池って多くは地元住民が管理してるんだよね。我が家の近所にもため池が何個かあって、うちの場合池2個の草刈り当番があります。
あ。駐車場!ここに出るのか。ってな事で、思いがけず戻って来ちゃったので帰ります。
上の画像は、駐車場脇にほぼ唯一残ってたまだ見頃のピンクの萩。
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祇園さんのお祭り。でも寝坊したら〜

2023年11月16日 05時25分14秒 | 香川の巨木と神社仏閣
時は今年7月2日に遡る。
前夜は花火が上がり、家の前の道をたくさんの人影が通っていた。祇園さんは夜店を冷やかすのが面白いお祭りだった。人混みが嫌いな私は、翌日も祇園さんは続くので明日お参りに行こう!と見送ってしまった。
さて翌日、実は実家の母から連絡があって、おばさん所に連れて行ってくれるという。確か大量のじゃがいもをあちこちに配っていた時に、おばさんところにも持っていきたい。ついては家を知らないので連れて行って欲しいと、私から母に頼んだのだった。のを今、思い出した。
ともあれ、おばさんとは田舎に戻って初めて会う。おばさんが午前中だけ時間が取れると言うのですぐに母と訪問した。
久々に会うと話も弾む。うっかり時間の許す限りおしゃべりしておばさん宅を後にした。自宅まで母に送ってもらった後、自覚がないだけで疲れてたみたいでうっかり昼寝してしまった。
気づくとまさかの午後3時になっていた。こんなに遅くて祇園さんまだやってるのかしら?
いや、迷うくらいならすぐ自転車を飛ばすのだ!と。
前夜、ダンナは一人で人混みをものともせずに見に行ったらしい。曰く「幼稚園が駐車場になっていた。満車で停められない人はふれあい公園に停めて祇園さんに徒歩で行っていた」と教えてもらっていたのですが。幼稚園の駐車場に車は停まってなかった。私が小さな頃に来たことあった祇園さんは道沿いにたくさんの夜店があったのに。何もない。
嫌な予感がしつつ祇園さんに向け自転車を走らせると?公民館の隣の広場に一つだけ、店じまい中の出店があった。
やはり遅かったのだ。お祭りは終わってしまったのだ。
とはいえ、来ちゃったからには神様にご挨拶せねば。
人影のない参道。奥まで自転車で進む。終点に駐車場。ここまで来るとまばらに車が停めてある。
自転車を邪魔にならない隅っこに寄せて停める。
振り返る。やっぱ誰もおらん。寝坊したのが敗因だけど。祇園さんのお祭りは昨日今日の2日間だ。なのにまさかのひと気のなさにビビる。
狛犬発見。一応画像撮影。
手水鉢。何か刻まれている「征清兵士凱旋報●」最後の一文字が読めないね。
ってか日本における「征清」とくれば日清戦争だろう。あれは確か1894年(明治27)から翌年にかけてだったハズ。
あれ?そういえば、さっきの鳥居に。画像再生&切り抜き
右の柱に明治41年と刻んである。明治41年は日清戦争から13年後だから関係あるかないか微妙なところだなあ。
ん?それより名前名前「須賀神社・八幡神社」を併記してある。どういうこっちゃ?
周りを見回したけども説明板はなかった。のでwebで検索かけてみる。
「山本町にある須賀神社は、二柱の神様(須賀神社と八幡神社)が仲良く並んで鎮座するちょっと珍しい神社。
江戸時代までは「祇園宮」と呼ばれていたため、今でも地元民には「大野の祇園さん」と呼ばれて親しまれている」とある。
詳しい縁起が出てこない。なんでや〜!ちなみに続きがあって「毎年7月に行われる夏祭りは「祇園祭」と呼ばれている。参道の両側にはたくさんの露店が並び、花火も打ち上げられる賑やかなお祭り。獅子舞の奉納もあり、多くの参拝者で賑わいます」
くっ!寝坊して獅子舞の奉納が見れなかった〜。しまった〜。やらかした〜。確か去年まではコロナで自粛してこじんまりとした祭にせざるを得ず。今年は久々に通常開催になったのにな。また来年じゃ!
さて、参拝せねば。手水鉢ですが、氏子さんが柄杓を洗うので回収したのかな?置いてない〜。
肩を落とし石段を上がる。里山の中腹に神社があるので、まず石段を上がらないといけないのですよ。
うん、わかってた!お祭りのあれこれも撤収済みでした。
上の画像をご覧下さい。奥に仲良く2つ奥社があります。どちらかが須賀神社さんでどちらかが八幡神社です。
お祭り気分さえ味わえない。自分が悪いんだけども。
さ。帰るか。
振り返っってびっくり。さっき石段を登った時には気づかなかったけど。巨木ではなかろうか?大きな木が斜面に立ってるので、巨木を測るルールで計測できない。
ちなみに環境省の巨木定義によりますと「巨木とは地面から130センチの幹周りが300センチ以上の木のこと」です。
目測でそれくらいあると思う。斜面が自然の土なので地面から130センチを測るのも難しい。そして幹周りも計測できん感じだけどさ。
でも立派な木だなあとしばし見ほれる。
あれ?反対側の木も大きいみたいだ。
くっ。この木も根元は斜面にある上に周囲を細い木々が取り囲んでいる。
もしやひこばえか?どっちにしてもこの木も計測は難しい感じだ。一応記事をかくにあたり環境省の巨木データーをあたってみた。
載ってた。マジか。
須賀神社:クスノキ 樹高15メートル 幹まわり500センチ 樹齢不明 確認年1988年
もう1本は私のスキルが低く、何の木か特定出来ず。最初に木の種類を特定しないと、巨木データーは使いにくいのだ。けどまさか掲載されているとは!どちらの巨木好きが測ってくれたのだろう?巨木好き、侮れん。素敵〜。
さて。帰ろ。ってか、お祭りっぽさが残ってたのは石段を上がったところの石灯籠2基に灯りが灯されてたところだけ〜。がっくり感が酷い。だから7月の出来事なのに記事投稿してなかったのか〜。ま。話題に乏しい記事ですまんのう〜。

追記:2023/11/26
自分ちの氏神様を知らないのもいかがなものか?と山本町誌を調べました。
八幡神社:ご祭神は品陀別命(ほんだわけのみこと)・息長帯姫命(おきながたらし)・仲哀天皇。
今から900余年前、大野郷の産土神として下大野に祀ってあったが、のち、上大野の産土神の祇園宮(須賀神社)に移して大野一郷の産土神として崇敬された。
生駒家(丸亀藩)の崇敬が厚く、元和年間に神供田として寄進され、天和2年(1682)には丸亀藩京極家より田畑・社林が寄進された。
現在の社殿は天保12年(1841)に本殿・幣殿を再建。明治5年(1872)に郷社となった。
向かって左が郷社の八幡神社。右が摂社の須賀神社。
祇園宮(須賀神社):ご祭神は須佐之男命・稲田比売命・大山祇命・大物主命・木花咲耶姫が合祀されている。
創祀年については正確ではないが、京都祇園宮の応安元年(1368)の文書に記述がある。その他の史料により、当社が勧請されたのは文永7年(1270)ごろであろうと思われる。大野郷が京都祇園宮の社領であり、現在も神田・庄の側・神内の地名が残ってることからも、京都祇園宮の祭神である牛頭大王(須佐之男命)を産土神として祭祀したことは当然のことと考えられる。
明治維新の際、須賀神社と改称。明治18(1885)年に本殿と幣殿を再建されて今日に至る。
祭典は毎年旧暦の6月7日に行われていたが、近年になって新暦の7月14&15日に行われ、最近では7月の第3土曜・日曜に行われている。夏冬の疫病の防止と家内安全、子供の守り神として三観地域より10000人程の参拝がある。
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やまもと爽郷(さっさ)祭り

2023年11月15日 06時30分00秒 | 香川県三豊市観音寺市
これまた既に終了してる。爽郷祭りは山本ふれあい公園で10月14日(土曜)は花火を2000発。15日(日曜)は獅子舞やよさこい踊りや手品にヒーロショウと楽しいものを詰め合わせたお祭りでした。
実は我が家は会場から近い。花火の打ち上げ会場は数百メートル先だと去年知ったので、今年は是非とも実家に連絡してうちから花火を見てもらおう!と思っていたのですが、またしても天候が悪く、もしかして雨?やるの??と案内を躊躇して結局誘うのをやめた。まあ結果、小雨決行!だとわかったので、来年はぜひ実家に「花火見に来ない?」と案内しようと思う。
さて、翌日15日はふれあい公園でのパフォーマンスです。事前に発表されてるスケジュールによると獅子舞は10時20分からなので、それに間に合うようにしよう。
と、携帯持参で元耕作放棄地で作業してたところ、まさかの太鼓の音が聞こえてきた。
なんで〜!!まだ時間があるハズなのに〜!!
慌てて公園に向かって早歩き。
公園は元耕作放棄地の畑から近く出発の数分後には到着した。けど音は聞こえど会場はまだ先。しかも現場は野球場。入り口はどこだ!可能な限り急いだけども。
到着したら獅子舞はほぼ終盤だった。
あ〜!!やらかした〜。スケジュール表を信じたばっかりに。
間もなく獅子舞は終了してがっかりしたけども。実は今終わったのは第一部。続いて新たなお獅子と太鼓打の子が並び出した。まさかの2部構成だったのだ。
あ。うちの地区のお獅子は右端だね。太鼓打ちの子らの衣装が先日我が家に回ってきた子と同じだもの。
けど私の携帯はガラパゴス。しかも望遠機能が壊れていて舞台が遠い。もう少し右手に行かねば。
やがて上の画像左端のお兄さんの鐘の音がスタートの合図で一斉に太鼓が鳴らされる。
合わせてステージ上のお獅子が舞い始める。

多いなあ?1.2。全部で6頭いるね。第一部が4頭だったから合計10頭もいるの??そんなにいたの?
舞う獅子が大人しくなると、太鼓打が舞台へ。手前から奥へ進み、奥の階段を降りて元の場所に戻る。
再開。先日我が家に回ってきたお獅子は、太鼓打が獅子の周りを一回りしてた。ステージの広さで変更したのかも?
当日は風が強く、獅子を操る人は被ってる体が風で飛ばされてやりずらそうだった。
終了。満足〜。
さて帰ろうか?いや、出店ってどんなかな?
まだ始まったばかりとあって、準備中のお店もある。見たいが、作業を進めねばならん。素人とはいえアグリカルチャー民は野菜とお花のお世話が忙しいのだ。
あ?お獅子が休憩中。どうやら午後の出番までここで待機な模様です。
ん?お獅子ってオス・メスがあるの??会話が聞こえてきてすごく気になったのだけれど。話は別の話題に移ってしまった。並んでるお獅子を見比べると、着物の柄が違う。おそらく花柄がメスで武者絵がオスではなかろうか?知らんけど。
そして徒歩で畑に戻る。一日賑やかな祭りの音を楽しみつつ作業をした。去年は素敵なバンドが出演したんだけど、今年はバンドはなかった。音だけ聞いてる私はちと残念だったよ。

おまけ:
獅子舞しか紹介してないけれど、香川の西讃地方の祭りは地元民がちょうさと呼ぶ太鼓台もある。これは10月9日にスーパーに買い出しの途中で見かけたちょうさです。
このちょうさは小さいので子供ちょうさかもしれない。曳き手も少ないしな。
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自分とこの秋祭り

2023年11月14日 06時12分29秒 | 香川県三豊市観音寺市
昨日投稿したのは天神さんの秋祭り。我が家からは自転車で10分程度走ったところに自転車を停めたのですが、翌10月8日は私の住む地区の秋祭りです。
ところが朝から空模様が怪しい。天気予報は午後から雨の模様と伝えている。
今年は夏の祇園さん当日も狙ったように雨降りとなり、夏は獅子舞が中止で玄関口で太鼓を叩く子供と獅子舞の頭だけ並んで獅子の口を1回カチッとしてくれた。せっかく毎晩獅子舞の太鼓の音が聞こえてたのに秋も中止は嫌だなあ?
けど遠くから獅子舞の音が聞こえてます。他の地区では獅子舞が廻ってる模様。ならば、今すぐ獅子舞をスタートさせればいいのに、何をぐずぐずしてるのか!!
と?近所のおじさんも思ったようで「お前ら何やっとんじゃ」「早よ回らんか!」と一喝してくれた。
お獅子の世話人曰く「地区は60軒からある。途中で雨で中止になるのは公平でない」とのこと。
何をほざいてるのか!はなから雨待ちで中止にするのと、スタートして途中で雨が降ってきて中止になるのとは違う!雨が降りそうならば、その分早くスタートすればいいじゃない!話を聞いて私はおじさんに1票!そうこうしていると、集合場所あたりから出発の掛け声上がった。
早よやれ!例年よりすでにだいぶんスタートが遅れている。
やがて太鼓の音が聞こえてきた。スタートは集合場所南隣の家からな模様。
待ってる間に菜園で作業する。空と睨めっこだ。気になるものだから、獅子舞の順番を観察してしまった。そっか。あの道を南に降って。途中で西に入って。細道をぐるりと回るか。そかそか。〜〜え〜?うちは午前中に来るかな?ご飯の準備もしなきゃんだけどな。
ヤキモキしてたら獅子舞の音が近づいてきて。ようやく隣家に到着した。
ヤバっ!ダンナを呼んでこないと!シャキシャキ動いて時短に貢献せねば!

到着。すぐさま獅子舞開始。
あ〜、雨対策で太鼓を叩く子供の花笠はナシにしたのね。ちょいかわいそうだなあ。
それでも去年と違って太鼓は2人に増えた。
終了〜。右から世話人が走ってきて、急いで太鼓を撤収。次の家に向かった。
ダンナがお花を獅子連の人に渡す。
太鼓の子供が「あとどれくらいあるの?」とぼやいている。雨が降るまでは勝負なので時間がないのだけど。休憩なしは子供には辛かろう。しかももうすぐお昼です。
先を急ぐので、みんな急いで次に向かった。
「あ!」と獅子連の人が、お花をもらった人にお礼に渡してる獅子のハガキをくれた。忘れるとこだったらしい。
そんなに慌ただしい状態だったけど、午後、無常の雨が降り出した。
獅子舞の太鼓の音も途絶える。
やっぱりうちの地区は最後まで獅子舞が回れなかった模様です。だから早くやれ!と。言っても仕方ないんだよなあ。
せっかく練習を重ねたのに本番を奪われたお獅子ですが、多分翌日の神社の奉納舞は予定通りではなかったかな?
でも消化不良だ。確か、山本町のさっさ祭りでは獅子舞の披露があったはず。そっちを見物に行こう!
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かつては一つだったのか

2023年11月13日 06時35分56秒 | 香川の巨木と神社仏閣

天満神社の御本殿から180度振り向いたら、不自然な大きな直線路が見えた。世話人に聞けばこれがかつて競馬をしてた馬場だという。
見物に行こう!と歩き始めて、思った以上に大きな道だと知る。天満神社に上がる道は急坂だった。上の画像を見たらわかりにくいのだけれどここは里山だ。水平の長い道を作るのは大変だったはず。
あれ?何かある。展望台かな?
手前の木々が大きくなってて近辺が見えないけれど。遠くに伊吹島らしき影がある。ということは右手は七宝山か。見晴らしがいい。
さてと。期待したちょうさも獅子舞もなかったけれど。子供が期待するお祭りとはちょっと違うみたいだ。大人の、まあ神様への奉納の儀式がメインのお祭りなのだろう。
帰ろ!
展望台のそばに雑木が実をつけていた。これはおそらくアレだ。冬になると黄色くなるやつ。サポニン的な。昔は石鹸代わりだったやつだと思うのだけれど。名前が出てこない。何だったかなあ?
気にしつつ急坂を降りる。
あれ?坂が途中で建物方向へ?何かしら〜??
お寺でした。しかもここ。我が家はこのお寺の檀家ではなかろうか?法事の時はダンナがここに仏具一式を借りに来てるハズ。
あ。説明板発見:宗運寺縁起抄
延暦15年(797)桓武天皇御願、右大臣藤原内麿41歳の建立。比叡山より山王権現の分身出世大黒天を迎えて鎮守とし「山王山総本寺」と称して、700メートル西の平地に七堂伽藍を構えていた。
惜しいかな、財田川、河内川に接していたため薄ウドの水災を蒙り、3度目の大洪水、天文9年(1540)に壊滅状態となる。
大檀主御家中、山下右衛門盛久隠居「宗運」を通して、生駒親正領主の庇護のもと、この高台に移転し新たに天満宮を迎えて山王駒石山天満宮宗運寺と公称されていた。
明治維新の神仏分離の制によって、本堂を中心の伽藍一帯が神社に。客殿を中心としてのこの地域が宮寺と別れたまま現在に至る」
へえ〜へえ〜へえ〜!
随分と由緒あるお寺だったのね。あ?お寺はおかしいか。高台には天満宮があるからね。多分天神さんって呼ばれてたのかも?知らんけど。

サクッとまとめた説明板もありました。
さてここで地図を再度確認すると?宗運寺さんの隣に「横穴式古墳」がある。
どこにあるのか?

探したところどうもこれらしい。
らしいというのは入り口に土嚢を積んであって中に入れない。ってか、多分古墳の上にお寺の建物が建ってる感じかな?
あ。説明板があるわ。
わからんけど、建物を建てた後、古墳を見つけたのかも?だとするとあり得る。
そして私が自転車を預けたのは、天満神社の駐車場でなく宗運寺さんの駐車場だったと知る。か、帰ろ。
けどついでなので帰りにスーパーで買い物してから帰ろうと思い自転車を走らせていると、やけに近くから太鼓の音が聞こえてくるので、音源を探してみれば。
あれ、ちょうさじゃないの?
追いかけてみる。
うをををを!ちょうさだったけど。方向が逆。天満神社のちょうさならそっちへ戻るのかな?見送る。手前が雑草の荒地でなく黄金色の稲の田んぼなら絵になるんだけどな〜。
ちょうさを見送ってスーパーに向かってると、獅子舞の倉庫があった。天満神社に行くときに遠くで見た獅子舞はここのかも?
ん?道の反対側にのぼりがある。「奉納 天満宮」って書いてあるなあ?んで荒神社とある。
気になったので道を渡って確認することに。
これが荒神社か?ちっこいな。ドアなんかアルミでしょ?
説明板がない。なので考察してみる。
確か宗運寺さんの縁起に「700メートル西の平地に七堂伽藍を構えていた」とあった。
そんで「惜しいかな、最多川、河内川に接していたため数度の水害を蒙り、3度目の大洪水で壊滅状態となる」とあった。
で、天満神社の説明文には「慶長11年(1606)、山下盛久が天満宮を再営し元和年間(1610年ごろ)に生駒壱岐の守が社殿を再建した」だっけ?
ここで注意せねばならんのは再建したのは江戸時代に入ってから。で、確かこの辺りは長宗我部が攻めてきた場所なので、おそらく戦国時代には大きなお寺はほぼなかったんじゃなかろうか?大概大きな寺は戦いのときに本陣として利用されるもんだし。ということは、この荒神社はかつて大伽藍を構える神社の一部だったんじゃないかな?で。現在はこう。それに背後は現在は財田川だもの。
おそらくそうだと思う。大きく外してないと思うけどどうだろうか?
自転車をスーパーに走らせながら考察していたら、また太鼓の音が聞こえてきた。

あ。獅子舞見っけ!随分広い地域を回ってるのね。
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