あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

パワースポット大宮八幡宮のイチョウ

2018年11月30日 06時02分06秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2018.11.25訪問。まずは目的の巨木探訪から。

イチョウが4本あるんですけど??と、外からみて迷ったけど、中から見ると、男イチョウが飛び抜けて大きい。
説明板がなかったので、売店の巫女さんに尋ねてみたけどご存知なく、「年配の宮司なら知ってるハズ』と言われたので、聞くつもりで行ったら、七五三対応でてんてこ舞いされてたので諦めた。で、記事にするためWEBの海で調べたところ、大宮八幡宮のイチョウ(雄株)
東京都指定天然記念物(昭和8年10月指定)
樹高:28、5メートル(区内のイチョウでは、松林時のものに次いで2番目の高さ
幹周り:361センチ 直径:115センチ 推定樹齢:不明
ではイチョウが一番カッコよく見える場所を探す。





ちなみに、この木は銀杏ができない雄株です。画像の門は神門で、門の左右にイチョウがあります。雄株の反対には雌株がある。でも雌株は細い。まあ、大概有名なイチョウは雄株ですが。でも大宮八幡宮のイチョウは夫婦銀杏で、縁結びのパワースポットなんだって。そして珍しい復縁のパワースポットでもあるとかなんとか。こちらは銀杏の情報をWEBで探してたら見つけました。
 
訪問時、境内には七五三の着物を着た子供らと両親祖父母の一家総出の参拝客も多かった。ちょうどこの日まで菊花展も開催されてたし、見どころ盛りだくさんです。

参拝した後、境内図に乗っていた源義家お手植えの松を探すことに。「源」だから、あちこちに笹竜胆を見かけます。鎌倉にはほとんど笹竜胆の社紋をみないからなんとなく嬉しい。
あれ?この木は〜??

説明板発見:菩提樹
松平秀康(1574−1607)は、徳川家康の次男として生まれ、始め豊臣秀吉の養子となり結城の姓を授かる。のちに関ヶ原の戦功により越前藩主に封ぜられ、松田秀康と名乗る時に、清涼院を側室に迎える。
清涼院は当宮を崇敬し、ご参拝のおりに、この菩提樹を植樹されたと伝えられている。」
ビッグネームが目白押し!え〜と?関ヶ原の戦いが1600年だから、この菩提樹は400年近く前に植えられた模様です。そうなんだねっ。ならば全景が撮りたい。しかし境内は現在七五三客が多くて。

悲しいことに逆光になっちゃいました〜。

まさか、これが源義家お手植えの松??あれ〜??
調べた!「源義家=八幡太郎は、1039年生まれの1106年死没」となると、今から900年近く前。松はそこまで長生きしない。900年ものの松が現存してたら、もっと有名になってるわ〜。
説明板はあるけど、これ、読めるかなぁ〜??挑戦する。
頑張りましたが、挫折しました。でも、背後の細い松が後継だと思う。
 
そばには小さな祠がいくつか並んでます。一対の狛犬。これさ、ど〜みても笑ってる!ほんわかする。
む!また立て札がある。今度は読めるかな?

共生の木
榧木に犬桜が寄生しています。
古代よりの武蔵野の社叢の中で稀なる二つの木が一本の⚫️で結ばれ、枝が合い生きていている姿は、まさに共生じ示唆している御神木です」
つまりどゆこと?二種類の木ってことだよね?下から見上げてもよくわからんな〜。もうちょい犬桜が紅葉すれば分かりいいハズだけど。たぶん、枝の感じから一番下の、右に伸びてるのが犬桜じゃなかろうか?あれだけ枝ぶりが違うし。

時刻は11時29分、次行ってみよう!

あれ〜??八幡橋はどこだろう?北へ抜けたら神田川にかかる北参道にあるハズなんだか??

実はですね、大宮八幡宮の北の神田川では結構大規模に工事をしてて、工事中は塀を巡らせてあり、川の対岸が見えません。どこに橋があるのかもわからん。仕方なく道なりに進むと、橋はあった。でも八幡橋じゃない!御供米橋って書いてある〜。
仕方ないので渡りました。御供米橋の先はケヤキ広場です。いい感じに色づいてるし、ベンチもある。ここでお昼ご飯も悪くない。

てなことで、早めのお昼ご飯にしました。時刻はまだ11時40分。公園に行こう!の情報では、和田堀公園のバーベキュー場の紅葉が綺麗とあったので、まずはバーベキュー場を探さないと!

参道入り口にあった説明板によりますと神社本庁別表神社 多摩乃大宮・武蔵国八幡一宮 大宮八幡宮
御祭神:応神天皇 仲哀天皇 神功皇后
御由緒と御神徳
大宮遺跡の存在でも明らかなようにこの大宮台地は古代より神霊の坐す聖域でありました。
社伝によれば第70代後冷泉天皇の時、天喜年中(1053−57)鎮守府将軍源頼義公が奥州兵乱平定の途次、この地で長男の八幡太郎義家等と共に白雲八ツ幡の瑞祥をみて戦勝を祈願され、平定後の康平6年(1063)源氏の祖神である京都・岩清水八幡宮の八幡大神を勧請、当宮が創建されました。
以来多くの人々の崇敬が篤く神域も殊の外広大でありましたので、武蔵の国三大宮の一つ「多摩の大宮」と呼ばれていました。
源氏一門の徳川家康公も江戸開府にあたり当宮にも参詣。以降歴代の将軍より崇敬され朱印30石を賜りました。
御祭神親子三神の御神威により子育て(安産)守護、家庭円満、厄難よけ、所願成就の神として信仰が篤く、近年は神々の記憶とわが国の歴史へ誘う、東京の重心「東京のへそ」「子育て厄除け八幡さま」と讃えられています。
なお大宮、方南、和田、松の木の各氏子地域の氏神様であります。
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貴船神社から大宮八幡宮へ

2018年11月29日 05時21分19秒 | 神社・仏閣
2018.11.25訪問。和泉熊野神社さんのクロマツの巨木を見物した後、神田川沿いに数分、10時23分貴船神社さんに到着した。最初はがっかりした。あまりに小さなお社と、敷地だったのだ。最初はお隣にある習字の先生のおうちの屋敷林が立派でそっちが貴船神社さんかと見誤ったくらいだ。でも説明文をみて驚いた。
貴船神社
当社は和泉熊野神社の境外末社です。『新編武蔵風土記稿』は江戸時代の当社の姿を「除地一段、村の北の方にあり、小祠を東向に立つ」と記しています。
創建は社伝では文永年間(1264−75)ともいわれますが、詳細は明らかではありません。
祭神は高おかみの神です。この神は山・谷あるいは川にすむ雨水をつかさどる竜神で、雨乞・止雨に霊力があるといわれています。当社はこの水を支配し豊饒を約束する神として信仰されていた、山城国(現京都府)の貴船神社の祭神を勧請したものと伝えられています。
境内の池は”御手洗の小池”と呼ばれ、かつてはいかなる干天にも涸潟することがなく、村民の雨乞を行う場所であり、その豊富な湧水から”和泉”の地名は、この池に由来するともいわれています。また水質も大変良かったようで『豊多摩郡神社誌』は「里人は往昔此井より清酒を湧出せしなど云伝ふ」との伝説を伝えています。この伝説は今日も語りつがれています。しかし、この湧水も神田川の改修工事や周辺の宅地化にともない、昭和40年頃以後は水が涸れてしまいました。
当社は大正時代においても「木造萱葺、間口四尺、奥行三尺」という小祠にすぎませんでしたが、古くから和泉地域の人々の厚い信仰に支えられて今日に至っています。
なお、現在の神明造りの本殿は昭和36年の造営で、落成を記念した石碑も建てられています」

境内に今は水が涸れた池が残っていた。
10時39分西へ出発。坂道を上り永福北ロードに突き当たる。

視界がすっきり。この道には電柱がないのだ。電柱がないから電線もない。いいなあ〜、これ。近くの電柱をみてほしい。上に大きなバケツが乗っている。いかにも重そうで、大きな台風がくると電線が切れたり電柱が傾斜し、東京電力が右往左往する。最近多いのよ。停電が。我が家では10月初めの台風では、半日以上停電した。でも今更電柱を地下化するにはどれほどの経費がかかるのか?と思うとバケツの乗ってる電柱はまだまだ未来もあると思う。時刻は10時44分。住宅街の生活路を抜けて北へ。6差路を過ぎると次の目的地、大宮八幡宮に到着。

時刻は10時55分。想像より境内が広い八幡様です。

参道を進み、途中で鳥居を振り返る。

反対側。社叢も広い。でもまだ社叢の紅葉には早いので、社叢の見学はパス。

ようやく見えてきたのは黄葉の大銀杏です。訪問の目的はこれ。でも妙に着物を着た人が多いんだよね。なぜかしら〜??

あ!これかっ!!
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和泉熊野神社のクロマツ

2018年11月28日 04時55分12秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2018.11.25訪問。京王線代田駅からウォーキング開始。龍光寺さんを見学後、道を挟んで隣接する和泉熊野神社さんに移動です。目的は、トップ画像の本堂左横にある巨木です。



ああっ!!巨木は御神木だった。それだけならば、今までにもあちこちで遭遇してるのだけど、ここの御神木は木の柵の向こうにあってそばまで近づけない。直接触れない。
説明板発見:和泉熊野神社のクロマツ
社殿横の本クロマツは、幹回り(目通り)3、1メートル。根元周囲6.3メートル、樹高(目測)は17メートルあり、樹齢は350年以上と推定されています。
クロマツは俗に雄松と呼ばれ、赤松に比べて大形で葉は大きく、樹皮が黒褐色をおびています。近年クロマツは、環境の悪化により都内では年々少なくなってきています。このクロマツには、徳川家光お手植えとの伝承があり、御神木として古くから氏子の人々によって、手厚い保護を受け都内でも有数のクロマツの巨樹として貴重なものです」

下から巨樹を見上げる。

隙間から見える木肌はこのクロマツにも綺麗なハニカム構造ができていた。
ちなみに、すぎなみ景観ある区マップ 永福・和泉編には『和泉熊野神社 旧和泉村の鎮守で、現在の社殿は文久3年(1863)の造営です。境内からは縄文時代以降の遺物が出土し、クロマツの大木もあります』と掲載してあった。

せっかくなので、狛犬を撮影。狛犬は境内に二対あったように思う。
 
狛犬の奥に神楽殿。そこにあった大木。なんか、掘り出したような木肌に惹かれ触ってみたら、まるで石みたいに冷たく硬かった!びっくりした!!

神田川側に参道があったので降りた。社号標と鳥居を撮影。画像では二重の石鳥居に見えますが、石段を少し上がったところに木の鳥居もありました。時刻は10時32分。神田川に沿って北上する。
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龍光寺さんの紅葉はモミジ

2018年11月27日 05時41分04秒 | 紅葉散歩
訪問は2018年11月25日。すぎなみ景観ある区マップ 永福・和泉編片手にウォーキング。龍光寺さんの説明文に使われていた紅葉画像が素敵だったので訪問しました。
素敵な紅葉を見たい!時期ですが、見頃の紅葉には木の種類が大事。ケヤキイチョウモミジメタセコイアの順に色づきますが、一番見たい真っ赤なモミジは種類による色づきのばらつきが大きいのだ。

こんな感じに色づいてるモミジもありますが。

イロハモミジ&日当たりが悪い場所はまだ緑色でした。

色づいたらいい感じの撮影ポイントになりそう〜。
んん??ダンナがいないっ!どこ行った〜〜!!探したら、裏手に88箇所巡りがありました。
 
私の田舎の最寄りの札所をみつける。
途中でダンナと遭遇。私は88番から1番に向けて歩いてた。ダンナは1番から88番に向かって歩いてた。

ちなみに、参拝は最初に済ませてます。本堂の画像を探したけど、斜めから撮影したのしかなかった。失敗した。

社務所かな?そちらにあった赤松の見事な枝ぶりと、大きな石灯籠もいい味出してます。
説明板発見:龍光寺
当寺は、泉湧山医王山と号する真言室生寺派の寺院です。
本尊は薬師如来立像で、杉並区内では珍しい平安時代末期(12世紀前半)に造立されたものです。
開削は、明治10年の書上げによると承安2年(1172)とされ、開山は寺伝によれば龍観和尚(明応2年<1493>寂)と伝えられています。
山号の「泉湧」は、和泉の地名の由来ともなった貴船神社の泉に、院号の「医王」は、本尊の薬師如来にちなむものをいわれています。また寺号の「龍光」は、当寺のすぐしたを流れる神田川の源、井の頭池に住んでいた巨大な竜が、川を下ってきて、この付近で雷鳴をろどろかせ、光を放って昇天したことに由来すると伝えられています。
江戸時代、当寺の本尊は難病にご利益のある薬師如来として信仰あつく、護摩の煙が絶えなかったといわれています。戦時中の供出で今はなくなってしまった寛保2年(1742)銘の梵鐘にも、「医王之宝殿」「衆病悉除抜苦」と記されていました。なお現在の梵鐘は、昭和29年になって造られたもので、区内では最も大きいものです。
当寺に伝わる文化財としては、室町期に作られたといわれる興教大師像、文明2年(1470)銘・明応5年(1496)銘の板碑のほか、江戸時代の庚申塔・供養塔など多数が所蔵されています。
また、当寺は明治初年に廃寺となった慈冠山日照寺を合併しています」以上
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日本のガウディ作品マインド和亜

2018年11月26日 04時15分58秒 | レトロ建築
昨日紹介した日本のガウディこと梵寿鋼(ぼんじゅこう)さん設計のラポルタ和泉から徒歩3分、マインド和亜に到着。時刻は午前9時39分です。見えると同時に私もダンナもテンションMAXです。歩きながら撮影開始。



玄関。
玄関入ってするのオブジェ。

ピンボケしちゃったけど、玄関から見えた。右手に進むとなんと!中庭がありました。これさ、ディズニーランドにあってもすんなりなじむ不思議な建物です。

外観に戻った。上の左の方は、シャッターに描いてある絵です。馴染み過ぎてて最初は気づかなかった。

バルコニー?

まさかのコンビニが1階に入ってました。これさ、最初YAHOO!の地図で所在地検索かけた時、ビルの名前でかけても地図に名前が書いてなかったのに、不思議な赤色のマークが出てて「何だろか?このマーク??」となったのですが、まさかのデイリーヤマザキの印だったとは!!この面白建物にコンビニ!しかも周辺にお店はほぼなかったので、利用率高そうです。撮影しようとしたら、中からおっさん客が出てきてびっくり〜。

建物は通りの角にある。コーナー撮影してみた。

ちなみに裏手。逆光〜〜!!

実は上はコーナーの壁を撮影したのですが、右下にはゴミステーションで張り紙がありました。なんか、芸術作品に日常の業務連絡メモが貼り付けてあるようでシュールだ。
脇にも建物の入り口がある。外から象の足っぽいのが見えた。中を見てみたいけど、そっから先は住人のプライベート空間なので諦めた。
さて、次だ。え〜と??この先の細道を西北西に行けばいいのだよね?

すぎなみ景観ある区マップ 永福・和泉編片手に進む。マップによると、上の画像の屋敷林の角を曲がる。

大きなケヤキ?かな??鹿の子的な木肌の木が目印です。ここに9:42到着。

道なりに進んでると、下り坂が見えてきた。マジ〜〜!?この日の散歩は坂道がないところを選んだつもりなのに〜〜!!で、見えてきたのが杉並和泉学園の芝のグラウンド。手入れが大変そ〜。

そんで、次の目的地和泉熊野神社さんと龍光寺さんの林が見えた。あ、今度は上り坂か〜。ちなみに、降って登る真ん中にあったのは神田川でした。到着時刻は10:02。いいペース。
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日本のガウディが設計のラポルタ和泉見物

2018年11月25日 18時24分04秒 | レトロ建築
今日は杉並区散歩へ行ってきた。初夏に荻窪周辺散策をした時に、ゲットしたすぎなみ景観ある区マップ 永福・和泉編&高井戸・、浜田山編片手にウォーキング。まずは京王線代田橋駅下車。北口より甲州街道へ。徒歩数分で変わった建物が見えてきた。
実は以前レトロ建物の記事を投稿した時に「日本のガウディを知ってる?見た?」と書き込みをいただきまして、いつか行こう!と思ってたのです。で、永福・和泉編の地図を眺めて行き先を絞り込んでた時に、行けるんじゃね?と組み込んでしまいましたっ!では早速。
甲州街道から入るとまず目に入ったのが建物の上部の白いペガサスの彫刻です。
で、正面に回るとこれ。

下部がビルの入り口。覗いてみた。

すごい〜。

これ、普通の賃貸マンションですよ?信じられんわ〜。でも「FOR RENT」って書いてあったから間違いないと思うよ。

ちなみに、北側(甲州街道の反対側)の外観はこちら。

正面のくねる女性を中から見ると、ステンドガラスがありました。ピンぼけ画像でごめんなさい。
9時36分、ラポルタ和泉を後に。北西に進みます。
大きな木が入り口の遊び場96番。ここを過ぎて数分の9時39分、次の目的地マインド和亜に到着です。

これまた同じ方の設計です。ってか、ラポルタ和泉の建築途中にマインドのオーナーさんが「作って!」お願いして出来たんだとか。
ちなみに設計者さんは梵寿鋼(ぼんじゅこう)さんです。
明日に続きます。
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泉の森公園散策2018/11/16

2018年11月22日 05時20分51秒 | 大和市泉の森公園
gooブログで読者にならせていただいてる方の記事に「大和市の泉の森公園にミゾソバが咲いてる」画像が掲載されてました。私は散策の時はもっぱら二つ折りのガラパゴス携帯で撮影してるから、ミゾソバのように小さな花をアップ撮影すると大概手ぶれ画像になるので撮影することはまずありません。しかし掲載されてたミゾソバの花は可憐で、とてもフォトジェニックでした。みたいっ!と、先週の11月16日に出かけました。腰と右足に痛みが出て、とても大和市まで自転車を漕げなくなったので、泉の森公園は久々の訪問です。いつもの大和市民家園そばの駐輪場を利用。と?大きなトラックがバーベキュー場そばのくぬぎの雑木林に横付けされてます。しかも赤いコーンと警備員が周囲を警戒中です。
通れるかな?なんとか脇をすり抜けて先へ進めた。
どうも10月始めの台風で、泉の森公園の木も被害があったようです。だって、11月半ばになってもまだ倒伏の木や枝の処理が終わってないんだからさ〜。私は愚痴るだけですか、あちこちの庭や公園で延々作業されてる方は本当にご苦労様です。でも少々の被害では枯死しないイチョウや広葉樹はなるだけは伐採でなく残す方向でお願いしたいもの。まあ、私は口だけ番長なわけですが。あちこちで大きな木が姿を消してるのを見るのは本当に切ないのよ〜。
大和市郷土民家園到着。トップ画像では野菊が見頃です。

古民家と桐がいい感じです。背景の雑木林はまだ紅葉が進んでませんね。

到着したのは午後1時半過ぎ。隣の針葉樹の林の陰がススキの先まで伸びてます。陰が邪魔でいい感じの構図にならないわ〜。
ミゾソバを探し先に進む。と?あれ??何か白い??何かある!
いつもは下草やあれこれで通れない林が、台風であちこちで木が折れたり枝が折れたりして、綺麗に清掃がなされてて歩ける今だからこそ気付けたと思う。
見てこれ!!

素晴らしい〜〜〜っ!!見えてたのはきのこの裏の真っ白な部分。これが遠くから目立ってたんだ。アップで撮影して自画自賛。ふっふっふ〜。なんかこれ、きのこ図鑑に掲載できるできかもね〜。

きのこが生えてる木も合わせて撮影。今手元に図書館から借りてきた「山渓カラー図鑑日本のきのこ」がある。それによるとこのきのこはコフキサルノコシカケです。でも図鑑にはコフキサルノコシカケの裏側の画像がない。なので、同定にはイマイチ自信がない。表の層になってる感じとかあってると思うけどさ。

すぐそばの切り株にも似たのがあった。これは多年生のサルノコシカケだけどたぶん今年でたばかりの若いものだと思う。
満足したので先へ。にしても、雑木林や藪に夏や初秋の時期には鬱陶しいヤブ蚊が全くいないのはいい。

ついたのは自然観察センターしからしの家。私はここで情報を聞いてから見に行くようにしてます。足の赴くままに散策するのも面白いけど、右足の痛い今は最短距離の移動にしたいのだ。で、しらかしの家には公園内に展示してる生き物もついでに観察。いてはいけないアカミミガメや外来魚も飼育されてました。放すのはダメだけども、殺して処分するのは何か違うからかな?泉の森公園のホームページに日々紹介されてるツイッターは画像が毎回とっても素晴らしく、ちょくちょくチエックしてます。
さて、ミゾソバの咲く場所がわかったので、最短かつ、石段を避けるコースで移動。

できれば、吊り橋と合わせて撮影したかったのですが、ここ数日は最低気温が低かったからさ。寒さに弱いソバは一気に弱った模様です。目的のピンクのミゾソバに咲いてるのはなかった!白いのも咲いてるのはわずか。来るのが遅かったみたい。残念ですね。
仕方ないので駐輪場に戻ることに。でもせめて来たのと違うコースにしようと、初夏にヤマユリが咲いてたくぬぎの森へ向かいます。
散策路の左右に、古い枝や木を積んである。昆虫の幼虫のエサにもなる優れものですが、きのこの菌床にもなります。

嬉しいことにまだきのこが残ってた。

いくつかは撮影したけど、またもやピンぼけ画像を量産した。残るきのこは相模原公園でも見たサルノコシカケやカワラタケが中心です。ふと、この裏側ってどうなってるの?とめくってみようとしたら、まるごとポロリと剥がれた。形はきのこを保ってるけど、実は相当古いきのこだったみたい。となると、色も退色してるかも?

見るだけにとどめ離れる。

最後に古い切り株にハリタケっぽいのが群生してるのを見つけて、駐輪場そばのくぬぎ林に到着。時刻は午後2時半近く。パンと熱い紅茶で遅いお昼ゴハン〜。
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相模原公園と麻溝公園の紅葉2018/11/15

2018年11月21日 06時14分07秒 | 相模原公園と麻溝公園
朝一の診察後、一番近い散策は麻溝公園なので、最近よくここを歩いてます。ただし短時間で、やり過ぎ注意と何度も言われてるので。でもさ、素晴らしい秋空だとついつい。ダメだと分かっててもな。
あ。イカンイカン。今日は11月15日、麻10時50分過ぎに麻溝公園の駐輪場に到着。まずは紅葉の進み具合を確認すべく、グリーンタワーに上りました。

画像中断を左右に横切って銀杏並木がありますが、まだほとんど黄葉してません。
短時間の散歩を心がけて、まずは相模原公園の東側の雑木林の散策です。10月始めの台風被害で、長らく通行止めになってました。今年はきのこ大発生で、観察できるのを心待ちにしてたのですが。結局ほとんどここできのこを見れなかったなあ〜。

わずかにのこるきのこを探しながら進みます。

多孔菌科カワラタケ属のきのこがわずかに残ってました。画像はアラゲカワラタケの古いのと、カワラタケですね。

きのこっぽいのもわずかに残ってた。足元にどんぐりがころがってるから、きのこが好きなクヌギやコナラなんかの落葉広葉樹が多かったみたい。

今までもよく歩いてた道なのに、「きのこ」主体で考えてなかったよ。

途中で、大きな切り株を見つけた。10月始めの台風で倒伏し、伐採された木です。周りに木の大きな幹や枝が放り投げてあったので、来年以降、きのこの苗床にジョブチェンジする模様です。散策路の終点あたりには多くのイチョウがありまして、数人銀杏拾いされてる方がいた。でも見上げてもイチョウはまだ色づいてないなあ。

雑木林の散策路から、メタセコイア並木のフランス庭園に戻ってきた。メタセコア並木もまだ色づいてないですね。
メタセコイア並木のフランス庭園の西側へ。こっちも雑木林があり、9月にきのこ観察を楽しくした場所です。
ぼちぼち早く色づく品種のモミジの紅葉が始まってました。

でもあちこちに黄色の立ち入り禁止テープが残ってます。更に!!見本庭園入口にあった赤いモミジと門のコラボ画像の撮影を楽しんだあの門がっ!!
なくなってましたっ!!
おそらく10月始めの台風で倒壊撤去されたと思われます。が、紅葉シーズン以外、ここに来ることはなかったので、気づきませんでした。更にさらに、見本庭園周囲の垣根も撤去になっていた。「見本」庭園だから、いろんなタイプの垣根があったのに〜〜。味気ないなあ〜。今年はここでの紅葉撮影を楽しめそうにない。がっくり。

まあ、紅葉した雑木はそこそこ綺麗でしたが。がっくりしつつ自転車を預けてる麻溝公園に戻ります。

この辺りのケヤキは紅葉して見頃になってます。

麻溝公園の斜面花壇は、最近植えかえされました。まだ色づき前でした。でも広場わきのカツラの木が散り初めで、太陽の光に葉っぱが黄色に輝いてました。

で、老鴉柿。見頃です。年配グループが老鴉柿とグリーンタワー背景に記念撮影してて、頼まれてシャッター押しやりました!大きい株なので、いい感じのモチーフです。

賑やかな子供の声に気づく。楽しいお弁当タイムが始まろうとしてました。私も何かもってくればよかったわ。時刻は11時53分。ちょうど1時間の散歩でした。痛くなる前にお散歩を終えたから、大丈夫だよな?
大丈夫じゃなかった!
あれだ。ハリとお灸は済んだ直後はなんともないけどさ。時間をおいてじんわり痛くなる。ハリを打ったところがぁ〜。へばる。
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相模原公園散歩2018/11/8

2018年11月20日 05時06分46秒 | 相模原公園と麻溝公園
麻溝公園で相模原市菊花競技会を鑑賞後、相模原公園へ移動。足の赴くままに進む。

ドッグランと犬禁止を分ける紫のアメリカセージが見頃です。背後のラクウショウはまだ紅葉前。
そうだ!10月の台風被害で立入禁止になってた雑木林の現状を見てこよう。
 
損傷をうけた木は、伐採されこれから榾木にジョブチェンジな模様です。来年以降のきのこ観察が楽しみですねっ。

メタセコイア並木の紅葉もまだまだ。例年通りならば、煉瓦色に紅葉するのは12月の第1週です。待ちましょう。

時刻は12時近く。ここでパンを取り出せたらよかったのですが、朝家を出る時には散歩するつもりはなかったの。取り出したるは病院通いのお供の本。しばしの休憩です。
集中して読書していたら、賑やかな声が聞こえてきた。何かしら?と見やると、大勢学生がやってくる。聞こえてきたのは英語かな?米軍キャンプや住宅が近所にあるので、そこの学生たちと先生の模様。本をしまって散策再開。

お花が育ってとても綺麗です。

何か絵文字っぽいね。
サカタのタネグリーンハウスの展望台から見下ろそうと移動したら、展示会をやっていた。

老鴉柿展(11/6-11 9:30-16:30)が開催されていた。んん??なぜ柿の色が違うのか?聞いてみた!
「すいません。潤い色の柿と濃い色の柿があるのはなぜですか?」
「種類が違うんです」
老鴉柿って1種類だと思ってました。バラやチューリップの色が違うのと同じなんだね。びっくり!!
 
観察してみた。ゴマ付きの老鴉柿が好きです。

更に老鴉柿の樹形を盆栽みたいな鉢があちこちに!お気に入りのを掲載してみた。昭和記念公園を訪問したら、盆栽を必ず見る。柿やカリンの盆栽になる実は、小さくないんだよ。普通の柿やカリンと同じ大きさです。でも老鴉柿は小さいからまるで宝石かなんかみたいで面白い。
あ。そうだった!そもそもサカタのタネグリーンハウスに寄ったのは展望台だった。

撮影時刻は11時半過ぎ。奥のメタセコイア並木の両側に太陽が当たるのはもっと早い時間です。十分綺麗だけども。色の変化を楽しみたい方には並木に太陽が当たってる時間帯がオススメです。でもぜいたくなことを言ってるのは少数派。

普通は展望台からの風景をみて感動するんだよ。こんな感じです。おばさまたちがキャピキャピしてたよ。

2階吹き抜けの両側では展覧会もやっている。この時の2つの展覧会をやってた。一つは珍しかった。丹沢に仕掛けたカメラの前を動物が横切ったらシャッターが下りて、その時カメラの前を横切った犯人はダレか!という趣向です。

2階から1階の老鴉柿展覧会場を撮影。さてと?どう自転車置き場へ戻ろうか?と思い、10月の台風で被害を受け長らく立入禁止の続く東側の散策路へ行ってみる。さすがにもう再開できてると思うけどどうだろう?

幸い、立ち入り禁止テープは撤去されていた。期待半分で石段を上る。散策路沿いの木は損傷痕は見当たらないなあ〜。
あ!!きのこ発見!まだ出てたのかっ!

今年の夏は雨が多かったので、いまだかつてなく量も種類もきのこが豊富にあって楽しい観察でした。しかし!10月最初の台風襲来で、ここのポイントは立ち入り禁止になってしまい、今まで観察できてなかったんだ。でもさすがに11月ともなるときのこなどないと思ってたのですが。気合いを入れてきのこを探す。

結構ある。出たばかりのサルノコシカケかな?乾いてますね。これ以上大きくなれなさそう〜。

あるけどもきのこの種類はショボい。

これはアブラカワラタケかな?似たようなのばっかり〜〜!!

そして気づけば雑木林と斜面には台風被害の木や枝があちこちに置いてあった。

これなんか、木肌の感じではナラやシイの木だと思うのね。きのこの好物の木だし、来年以降のきのこに期待したいです。

その前に12月の雑木林が一番彩られる紅葉を楽しむつもりです。
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相模原市菊花競技会

2018年11月19日 06時10分50秒 | 相模原公園と麻溝公園
先に10月27日の明治記念大磯邸園ガイドツアーの記事と11月11日の大山紅葉散歩の記事を投稿してからと後回しにした記事です。撮影は2018年11月8日。まずは麻溝公園のタワーから紅葉の進み具合を確認(トップ画像)

隣接の相模原公園に移動してると、素敵な老鴉柿を見つけた。ここに老鴉柿があったとは〜〜!!見上げて楽しい。

次に見つけたのはハンカチの木の実です。こんなふうに実るのね。
広場にテントが並んでる?何かしら〜??

菊だった。相模原市菊花競技会です。10月21日〜11月9日(9:00-16:00)の日程で開催。数は少ないけども今年初の菊です。わくわくと鑑賞する。

私の好きな管菊





そして厚物。





まるで盆栽のように仕立てた菊。

どれも見頃で素敵です。
さてと?目的だった相模原公園は?

菊花競技会のテントが並ぶ広場から見えるお隣の相模原公園のケヤキは、いい具合に色づきはじめてます。
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大山寺の紅葉2018.11.11現在

2018年11月18日 05時52分16秒 | 紅葉散歩
大山ケーブル阿夫利神社駅から大山駅へ移動。
駅を降りて大山ケーブル駅に降りるケーブルカーを見送る。

大山寺をめざす途中、道々に石像が並んでる。しかし、逆光で撮影した画像は真っ黒になったのがほとんどで残念無念です。

さてと?有名な撮影スポットの不動像が並ぶ石段の紅葉具合はどうかな?
うん!まだだ!

見頃になると、頭の上にモミジの真っ赤なアーチがかかるんだけどね。
赤く染まる大山寺(2009年11月28日)の記事 大山寺の階段が真っ赤に紅葉してる画像を掲載してます。

がっくりしつつその辺の石像の撮影を楽しみます。

ようやくうっすら赤くなりはじめてるモミジを見上げる。

赤くなるのはもうすぐか?
階段を上がりつつ石像撮影を楽しんでたらば。

いや〜な音がして、携帯の画面がブラックアウトした。
おおおおおお〜〜〜ん!!
電池がぁ〜〜〜!!
あれだ。電源入れたままうろうろしすぎた模様です。
もう一度電源を入れ直し、なんとか撮影できたのは数枚のみ。



ということで、撮影画像が終了してしまいました〜。大山寺は特別公開中です。以前参拝した時の記憶では、大きく真っ黒な天狗像が何体か?いらっしゃいました。大きな天狗像は必見よ。拝観料500円ですが。
参拝後、大山ケーブルの大山寺駅に戻りました。そのまま降りて再びこま参道。私の痛めてる右足には登りより下りがダメ!と先生に言われてるので、慎重に時間をかけて下りました。
大山ケーブルバス停近くの公衆トイレを利用。でたらダンナがいない!!まさか!!バス停へ先に行ったのか??
探しにいったけど、ダンナがいない。うろうろしてたら、観光客・参拝客・登山客に軍手プレゼントキャンペーンをやってたおじさんに軍手をいただいてしまいましたっ!や。嬉しいけども。どうせなら登りで欲しかったような。次回これを使わせていただこうかとも。
ダンナ発見!彼もトイレに行ってた模様、なぜにそんなに所要時間が長いのか?
幸いまだバスが待ってたので、乗車。運がよければ、渋沢駅発のバスに間に合うかも〜??
 
間に合いませんでした!渋沢駅発大倉行きのバスは30分に1本で、しかも増発便はなかった。5分前に出たばっかりで、25分待ちはせつない。
でもさ、秦野戸川公園のざる菊は見頃でした。ざる菊と風の吊橋と、色づきつつあるモミジはとてもいい感じでした。公園を散策し、休憩がてらに日本庭園を眺めつつ茶屋でコーヒ&クッキー(300円)と甘酒&クッキー(300円)でほっこり。
2時間後、帰りの大倉バス停が見えた時たまげた!すんごい行列ができてたのだ。行列は、丹沢トレッキングを終えたハイキング客です。もうね。30分に1本だからぎゅうぎゅう。背負ってるリュックを前に抱え直し、満員バス状態。それでも積み残し客は発生。
と?
神奈川交通がようやくの臨時バスを用意。柔軟な対応は嬉しいけど、もうちょっと早く動いて欲しかったぁ〜〜〜!!
ってなことで、当然のように右足痛が発生。翌日、先生にまたもあきれられちゃいました。そもそも病院に通院してる患者は、私みたいに動かないんですって!(動きすぎですっ!!自重は?!ちょっと戻ったからって、すぐに調子にのりすぎっ!)と耳タコな言葉をまたもいただいてしまいましたっ。
自分の中では、3つ訪問したいと思って2つに減らしたし。仙石原も御岳山も高低差が厳しそうだからやめたんだよ〜。これでもっ!

雨降山大山寺 関東36不動霊場第1番札所
天平勝宝7年(755)奈良東大寺の別当良弁僧正が開削し、聖武天皇の勅願寺となった古刹で、通称「大山のお不動さん」として親しまれている。関東三大不動の一つに数えられ、現在は真言宗大覺寺派に属し、京都大覺寺の別院ともなっている。文永年間(1270年ごろ)願行上人によって鋳造された本尊不動明王および二童子像は国の重要文化財に指定。

紅葉ライトアップ
期間:11月17日(土)〜25(日)
時間:平日 日没から19:00まで 土休日 日没から20:00まで
場所:大山阿夫利神社下社・大山寺
*紅葉ライトアップ期間中は、大山ケーブルも夜景運転&沿線ライトアップされます。
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大山阿夫利神社の紅葉2018/11/11

2018年11月17日 06時23分07秒 | 紅葉散歩
大山ケーブル阿夫利神社駅に20時18.11.11の9時33分到着。道なりに進むと広場があり、広場は既に真っ赤に紅葉したモミジもあった。しかし、またも石段が〜!!もうね。ここまできちゃったんだから、石段を上がらないということはないのだけど、滅入るのはしょうがない。だって右足痛いし〜。

登りました!まずは参拝する。列に並ぶ。

紅葉シーズンとあって、参拝客は多いのです。

ちょうど菊花展もやってて、待ってる間も退屈しない。
うわっ!!何か動いた〜〜!!

私を驚かせたのは何だ!?
見つめて気づく。生きたワンコです。ワンコがカバンに入ってる!!
ええ〜!!これってアリかぁ!?

モミジの赤に誘われて、境内をうろうろ。空きベンチを見つけたのでおやつ休憩する。

10月27日に大磯明治歴史散歩の時に買ったアオバトのサブレです。

期待以上に美味しかった!満足〜。

あたりには大天狗の石碑など、鑑賞ポイントがあります。上の画像は空襲の慰霊像だったような?

さて、どんどん人がこちらに向かってきたのでどこを目指してるのだろう?と、後をつけてみたらば!!
激坂がありました。そそり立つ石段!!一眼みただけで冷やかし気分の私なんか心が折れた!あわよくば大山登頂して、大山阿夫利神社本社に参拝したいと思ってたけども、下社でもいいや。これ、登れんもの。
大山ケーブルを共に登ったボーイスカウトのグループが、今まさに石段を上ろうとしてる。頑張って下さい!と後ろからエールを送って見送ります。

さて、石段手前にこんなんありました!でも登ってく人で入山料を支払ってる人あんまりいません。入山料を払わない人って、知らないから払わないのか?もったいないから知らんぷりするのか?聞いてみたいとは思うが自重した。

さてと、境内チェック開始です。

大山阿夫利神社の絵馬の絵柄は天狗でした。

何か像があった。

左隣に獅子山もある。なぜか獅子山に飾ってる狛犬の彫刻が新しい。

境内から広場を見下ろす。画像では映らなかったけど、遠くに太平洋が見えてます。うっすら江ノ島も見えました。

境内には休憩できるベンチや机も配置。

満足したので石段を下りました。

行けそうならば?と日向薬師につながる道を見下ろす。急すぎる。しかも、日向薬師方面のモミジはほとんど色づいてない。
大山ケーブルの駅に戻ってきた。

阿夫利神社駅の標高パネルが設置してあった。678メートルだって。大山ケーブルカーは、レールの上にロープがあって、ロープを動かすとケーブルカーが動く仕組みです。音が次第に大きくなって、車両が近づいてきた。トラブル中の右足なので、無理はせず大山寺に向かいます。

関東総鎮護大山阿夫利神社
第10代崇神天皇の頃(紀元前97年)の創建と伝えられ、祭神として大山祇大神、高龗神、大雷神の三神を祀り、さらに海人たちの守り神として鳥之石楠船神も山頂の石尊を依代として祀られている。山頂に本社、中腹に下社がある。同社に伝わる倭舞、巫女舞は奈良の春日大社より伝授されたものであり、神奈川県の無形民族文化財に指定されている。

紅葉ライトアップ
期間:11月17日(土)〜25(日)
時間:平日 日没から19:00まで 土休日 日没から20:00まで
場所:大山阿夫利神社下社・大山寺
*紅葉ライトアップ期間は、大山ケーブルカーも夜景運転&沿線ライトアップされます。
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大山に紅葉見物2018/11/11

2018年11月16日 05時11分14秒 | 紅葉散歩
紅葉がみたいと紅葉の見頃の行き先をピックアップ。
1)丹沢・大山フリーきっぷを利用し、大山詣りと大山阿夫利神社&秦野戸川公園でざる菊見物。
2)とことこ切符を使い、箱根の強羅と仙石原のススキ見物
3)紅葉の見頃の御岳山と御岳渓谷散歩
どこも魅力的だけど、問題は私の健康状態です。現在、右足と右の太ももが痛いのだ。とても。で、我が家から一番近い、1)の大山阿夫利神社を選択したのですが。予想外に階段登りが多くて大変でした。でも紅葉シーズンなので、紅葉情報紹介になるかも?と。記事にしますね。
小田急伊勢原駅に8時20分ごろ到着。急げば8時25分発のバスに間に合うか!?とバス乗り場に急ぐ。と?神奈川交通の係員が客の列を管理してた。そもそも!25分発を逃したら、次は待ち時間が長いのだけども??客は次々やってくる。と!!臨時バスの大山ケーブル行き直行バスが8時30分発です。と!
何だってぇ〜〜〜!!
待ちます。待ちます。
やってきたバスは直行便。車内アナウンスは伊勢原出身の噺家さんで、小話やらで乗車時間も楽しい。
トップ画像は終点の大山ケーブルバス停そばで、8時52分に撮影しました。先行の伊勢原駅発8時25分のバスが目の前に止まっている。ほぼ同着でした。
さて、次は大山ケーブルのりばに向かうのですが、まさか!!の石段登りが待ってました。
ええ〜〜〜!!登るの〜〜!!
実は紅葉シーズンの大山阿夫利神社&大山寺訪問は2度目です。前回は、脳梗塞発症(5月)の年の11月下旬に訪問したの。あの時も石段登りがあったハズなのに、すっかり忘れてしまってた私。なんと!362段も石段は続いてます。が、頑張るぜ!

石段の途中に趣きある店や建物が現れる。



9時過ぎには大山ケーブルのりばの行列の最後尾が見えてきた。
最後尾に到着したものの、行列の先頭は見えない。私たちの前に並んでいた若いグループは、大山ケーブルの行列整理員の『この辺りはあと1時間ほど待ちます』と案内を聞いて、ケーブルカーを諦めて徒歩で所要30分の男坂を上がる選択をして行列から抜けて行きました。
1時間待ちか〜。もっと早く家を出発すれば良かったわ〜。
凹んでると先ほどの案内員さんが「この列はケーブルカーの切符購入列です。丹沢・大山フリーきっぷを持ってる人は、先へ進んで下さい」
なんだってェ〜〜〜!!!
ボーゼンとしつつも行列を抜けて先へ進むと、きっぷ購入列とは別の行列があった。

待つことしばし。おそらくケーブルカー2〜3台待ち。

私たちの順番がきたので、ケーブルカーのホームで待つ。

やってきた!「6分間隔で運転しています」だとか。フル回転ですね。

乗車したのは9時28分でした!行列で何分待ったらわからないけども、丹沢・大山フリーきっぷを持ってたら、行列をショートカットできるので便利です。でもなぜに行列客が多いのか?といえば、並んでる人は登りだけの片道きっぷを購入するためですね。降りる時は別のコースをゆきたい(ヤビツ峠・日向薬師)ハイキング客なのだ!
9時33分、阿夫利神社駅到着。

阿夫利神社駅の標高は678メートルです。ケーブルカーで一気に登ったら、紅葉が進んでました。

ハイキングルートの看板です。今の私には無用のものですね。

なんか、同じケーブルカーに乗ってきたボーイスカウトが、階段を降りてった。何してるんだろうか?
目を凝らしたら、鹿がいる!うわ〜。

で、鹿から目を外すと、赤く紅葉したモミジが目の前に!これが見たかったんだ〜!!

モミジと一口に言っても、種類がある。紅葉時期だってずれてます。真っ赤に色づいてるのは大盃という早く色ずく種類でして。紅葉の遅いイロハモミジはまだ緑色です。
画像が多いので記事を分けます。明日に続きます。

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旧陸奥宗光邸と旧大隈重信邸庭園散歩

2018年11月15日 06時13分10秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
明治期の重要な歴史的建造物を「立憲政治の確立に貢献した先人の業績を次世代に残す取組み」をテーマに明治記念大磯邸園として保存活用を進めている。明治維新150年にあたり、2018年10月23日から12月24日まで特別公開中で、ガイドツアーに参加すれば、旧大隈重信邸と旧陸奥宗光邸の内観ができます。ついでに旧伊藤博文の滄浪閣の外観も見学ツアーに組み込まれていました。ガイドツアー申し込みはすでに人気で募集を終了してるようですが、邸宅の外観と庭園の見学は特別公開の期間中は自由見学です。今日は同じ敷地に並ぶ大隈邸と陸奥邸の庭を紹介します。

門を抜けるとまず庭。中央に見えた奇妙な木は龍頭の大島桜と名付けられていた。
邸宅内は東海道に面した玄関口の標高が一番高い。邸宅は高い部分に建っていて、トップ画像は旧大隈重信邸です。邸宅から海岸までは斜面になってます。うまい感じに手を入れて、日本庭園を造ってるのが旧陸奥宗光邸。2つの邸宅の間には、上の段に果樹園と下の段にバラ園があります。

柑橘系の果樹や柿を植えた果樹園。陸奥宗光は和歌山県出身で、紀州の名物だった。

バラ園。 説明板:東京の駒込に古河家の本邸を大正6年から8年ごろに造られた。古河家の本邸は、古河家3代目の虎之助の邸宅として洋館、西洋庭園、日本庭園が造られました。現在は東京のバラの名所として親しまれています」
大磯にもバラ園を作ったのね。今はほとんど花が咲いてないのが残念ですが。
さて、私が今年熱中してるのは巨樹・巨木巡りでして、公園や神社仏閣を訪問すると、木に目がいきます。陸奥・大隈邸はそれぞれ明治27年(1894)と明治30年(1897)に建てられ、既に築120年ほど。となると、庭木もそれなりの年月が経ってるわけで。庭木にはどんなのがあるか?と。

こちら、大隈邸にある赤松。こういう途中で多く枝が分かれてる松は「多行松」と言われ好まれたと、ガイドツアーでは伊藤博文邸の松を紹介してました。あっちは手前に別の木があって、綺麗に撮影できなかったので、大隈邸の松を紹介。

こちらも大隈邸の書斎だった神代の間の東側の木です。根っこの一部が地面から出てるのと、枝ぶりが素敵でしょ?
で、飛び抜けて変わった枝ぶりだったのがこちら。

説明板:宇賀大神の碑
宇賀神は仏説では白蛇神と言い、弁財天ともされました。白蛇の信仰は水神信仰と結びつき、さらにかウカノミタマとも合わさって豊作を祈る神となり、稲荷のキツネ神や稲荷神ともなりました。
江戸時代の天保12年(1841)の『新編相模国風土記稿』には「宇賀神社、畑中に小祠を建て、村持」とあり、明治27年(1894)に発行された『神奈川県大磯明細全図』には現在の場所に宇賀神社が記されています。
宇賀神社の碑は、大隈重信公から邸宅を引き継いだ古河家が近隣の人々と共に、商売繁盛の神として祀ったものと伝えられています。また、宇賀大神とともにあるクスノキの巨木は、枝が八方に伸びて、あたかも千手観音が手を広げているように見えるところから、ご神木のようにあがめられています
やっぱりクスノキでよかったのか〜。楠木といえば、長寿で巨樹・巨木探訪ではおなじみの木です。木肌と葉っぱからクスノキだとは思ったけど、あまりに特殊な樹形をしてるから疑ってたのよね〜。この木のこれから何百年も後の姿を見て見たいっ。どんな形になるのか??今で100年越えか。後世の人のために現在の姿を描いて残して欲しいわ〜。

陸奥宗光、引き継がれて古河家別邸の庭に到着。邸宅のある一番上から斜面にはつつじがたくさん植栽されている。素敵な階段を降りると斜面の下にもつつじが多くある。

つつじの奥の石灯籠を鑑賞しょうと思い移動すると、説明板があった。

説明板:大観腰掛岩
陸奥宗光亡き後の別荘を引き継いだ古河邸の床の間には、流れ落ちる滝を描いた掛け軸「飛泉」がかけられています。

作者は巨匠横山大観です。古河家に招かれた際、歓待のお礼として、庭にある滝を見て描きました。その際、大観が腰掛けて描いた岩が大観腰掛岩とされています」
その滝はどこかいな?と見回したら、枯れ川があった。

現在は水源を止めてあるようです。
散策路が奥の海に向かって続いていた。

また説明板を見つける。
説明板:相撲土俵跡
古河家3代目当主、古河虎之助は大の相撲好きで、若手の力士にも土をつけるほどの実力でした。大磯の別荘に土俵をつくり、力士たちを引き連れては相撲を楽しんでいました。

虎之助と共に稽古した力士には大錦がおり、大正15年、大関に昇進した時の化粧回しの「大錦」の文字は、虎之助の自筆によるものです。後に大錦は横綱に昇進。引退後は虎之助の付き人として、長く交友が続きました」
へえ〜!!

さて、降りた石段と別の散策路で上段に戻る。古河家別邸時代の富士の間の前に出た。

素敵な石を多く使った鹿威しがあったけど、現在は水を止めてる模様です。
まだ気になる古木はあります。

が、足がどうにも痛いのでもう帰るう〜〜〜!!ってなことで、時刻はまだ14時半ですがが、大磯駅へ戻ります。
訪問は10月27日、大磯では大磯うつわの日(10月26・27・28日)の開催中です。町の全域の文化施設・ギャラリー・飲食店の52箇所で地元の陶芸家が中心となって開く年に一度のうつわの展示・販売イベントを開催中。

気になる陶器があちこちに並んでて興味はとてもあるんだけども、右足痛では楽しめない〜。素敵なうつわのあれこれを横目に午後3時前には大磯駅に着いちゃいました〜。早くもとの体に戻りたい〜。
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七賢堂特別開扉

2018年11月14日 04時51分39秒 | 歴史散歩
明治記念大磯邸園の明治150年記念公開が、10月23日〜12月24日の期間限定で開催中です。会場の旧大隈重信邸や旧陸奥宗光邸などの邸宅と邸園から、大磯城山公園は徒歩20分ほど。合わせて訪問したいと大磯城山公園のホームページを閲覧したら、七賢堂特別開扉日程 開扉日:10月23日(火)及び、10月27日(土曜)〜12月24日(月曜)の間の土日祭日 開扉時間10:00〜16:00とありました。
マジで?
旧吉田茂邸(2015年2月27日)の記事 吉田茂邸は梅の季節の初訪問です。前回訪問時には七賢堂の扉は閉まってて、中がどうなってるか?わからなかったんだよね。
わくわくと見学です。

開いてますっ!

七賢者の写真が掲げられてます。
いただきましたコピーによりますと、七賢堂は、明治の元勲伊藤博文が、大磯町の自宅「滄浪閣」の敷地内に明治36年(1903)に建築した9尺四方(四畳半の板張り)の大きさのお宮風の木造建物「四賢堂」が始まりです。
「四賢堂」は、伊藤博文が日頃から尊敬していた、三条実美・岩倉具視・木戸孝允・大久保利通の4人の写真を道内に掲げ祀られたため「四賢堂」と呼ばれ、「滄浪閣」を幾度か訪れられた皇太子時代の大正天皇の筆による扁額が掲げられていました。
伊藤博文の没後には伊藤博文の写真が掲げられ「五賢堂」と呼ばれていました。
その後、西武鉄道の手を経たのち、昭和35年(1960)に吉田茂が邸内に移築し、自らの筆による「五賢堂」の扁額が掲げられていました。
吉田茂は尊敬している西園寺公望の写真を掲げ合祀しました。
吉田茂の没後には、吉田茂の写真が掲げられ合祀されて「七賢堂」と改称されました。佐藤栄作元首相の筆による扁額が掲げられています。
吉田茂邸に移されてのち、毎年例祭が行われてましたが、吉田茂邸が大磯公園になると、公園内で宗教行事を行う事が出来なくなりました。
上の画像の七賢堂内に掲げられている写真は、左から吉田茂・岩倉具視・大久保利通・三条実美・木戸孝允・伊藤博文・西園寺公望です。
ふと視線を下げると、写真のない古い額が直置きしてある?

見つめていたら公園のガイドさんが「公園内で宗教行事を出来なくなった時に降ろされた古い額です。額には家紋がついてます。今回見つかったので展示してます」ですってよ?
せっかくなので手を合わせてついでに吉田茂邸の庭園を見学する。

吉田茂はサンフランシスコ講和条約に調印した方で、銅像はサンフランシスコを向いて設置してあるとか。
で、トップ画像です。実は旧吉田茂邸は2009年3月に焼失しました。2017年に大磯町郷土資料館の別感として再建されました。
 
中に入るか迷ったけども、ここ有料なんだよね。観覧料一般500円。
〜〜残念だけどもパスです。時間がないんじゃ!本日の私の活動限界も近いんじゃ!
ってな事で、明治記念大磯邸園ガイドツアーでいただいた当日限定庭園入園券を利用すべく戻ります。
通りはかつての東海道で現国道1号線。沿道には古い民家が点在してて面白い。あれ??

見事なサボテンを見つけた!大きさがわかりますか?背景の民家の屋根の高さを比べてみると大きさが推し量れるかと?

つ、疲れた〜。足が痛い〜。お尻も痛い〜。活動限界はここまでか〜。予想以上に普通に動ける時間が短かったので凹む。座って痛みの治るのを期待して待つ。
痛みに鈍い私が痛みを感じたら手遅れで、だいぶん悪い状態になってます。痛くなる前に休憩しないといかんのだとわかっていたのにやっちゃいました〜。とりあえず、国道1号線沿いにあった神社の木陰でおやつ休憩にする。
なんとか痛みが弱くなったので再び歩き、旧伊藤博文の滄浪閣まで戻ってきた。この先の旧大隈重信邸と旧陸奥宗光邸まであと少し。

〜〜〜!!庭園の前にき、休憩を〜。一旦痛みが出ると痛みがすぐにぶり返してきたわ〜。もう堪らんのじゃ!私の場合は腰椎由来ですが、今痛いのは右の太ももと尻たぶあたりでねっ。どないもねっ。はふう〜。
敷地にめぐらしてある見事な石組みを眺めることしばし。
で、痛みが治るのを待って大隈重信&陸奥宗光邸の敷地入り口で庭園入園券を見せて入場。先ほどのガイドツアーでとっても気になってた桜の老木をまず見学。

不思議な形の枝ぶりです。

これ何に見える?
説明板発見:龍頭の大島桜龍頭のかたちをした珍しいオオシマザクラで、一重咲きで白色、3月から4月にかけて満開を迎えます。関東以南の島々の海岸沿いから山地にかけて多く生育し、得に伊豆大島などの伊豆諸島に多く生育することから、和名の由来となっています。上部で潮風にも強いことから庭木に利用されています。
到着したのが午後2時です。逆光になったのが残念だ。
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