あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

広園寺

2015年04月08日 00時27分20秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
高尾しだれ桜巡りの最後は、京王山田駅から徒歩約10分の広園寺さんです。ここには樹齢200年のしだれ桜と樹齢600年の山桜があります。

記事にすべく画像を編集していて気付いたのですが、どうも上の画像の奥のが樹齢200年のしだれ桜かな?でも奥へは行けません。非公開みたいですわ。現場に行った時、画像手前のがそうだと思ったのですが、どうみてもこれ、樹齢200年はないよな~?
そしてトップ画像が樹齢600年の山桜ですが、到着したのは午後14時43分でしたが、隣のお寺の樹木の影が落ちてて日陰でした。だからかどうかは分かりませんが、全く桜が咲いてない~。

なので、今日の記事は桜散歩でなく、「神社・仏閣」カテゴリーに入れてます。
説明板発見:広園寺(こうおんじ)境域
広園寺は、慶応2年(1390)大江備中守師親が、峻翁令山和尚を請じて開削したと伝えられていますが、火災等により文献が焼失しているため明らかではありません。幾度かの火災や復興を経ましたが、天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めに際し兵火にかかり諸堂が焼失しました。
江戸時代初期には幕府の庇護のもと、京都南禅寺派の禅宗寺院として発展し、七堂伽藍が整備されます。今日多くの塔頭は失われているものの、広園寺の伽藍配置は踏襲されています。
元禄10年(1687)及び寛政4年(1792)の火災で荒廃しましたが、文化から天保年間にかけて現在の堂宇のほとんどが再建されました。総門・
山門・
仏殿が南北の一直線上にあり、

中間東方に鐘楼があります。
背後には石垣をもって一段高く本堂・庫裏・開山堂が東西に接続しています。江戸時代後期の建築物(総門・山門・仏殿・鐘楼が都有形文化財)を含む禅宗寺院様式の伽藍配置が良く残っています。

東京都では11月の第1週に毎年東京都文化財公開ウィークが開催されます。確か、広園寺さんも公開されていたハズ。普段非公開の部分とお庭は、この時を狙って訪問するしかありませんね。
高尾しだれ桜巡りは、最後の最後はしまらなかったのですが、もう歩けない…。当初の計画では、JR高尾駅から徒歩で周り、広園寺さんからJR横浜線の片倉駅まで徒歩で移動する予定でした。途中に多摩森林科学園を挟んだばっかりに、計画は変更する他なく…。結局京王線山田駅から北野を経由して京王八王子駅へ。JR八王子駅まで徒歩で移動して帰宅しちゃいました…。体力が足りないわ~~。

総門は閉鎖されていて、現在入れません。脇のこの門から入った。

明日から旅に出ます。今日は氷雨どころか雪が降ってるのに、スーツケースに詰めてるのは、半袖Tシャツです。今は明日朝の服装をどうするか??あれだ。ホッカイロって貼付けててもチェックする機械通ると思います?成田でコートを預かってくれるサービスがあるのは知ってますが、へたしたらコート本体価格より預け賃の方が高くつきそう~。どう切り抜けるか…。
ってな事で、記事は予約投稿してるから更新されますが、コメント返しも記事の誤字チェックも出来ません。戻ってきたらやるという事でお願いします。
コメント
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