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●同感…《「安倍政権7年8カ月の功罪」…考えてみると、ぼくにとっては「罪」ばっかりで「功」はちっとも浮かばない》(鈴木耕さん)

2020年10月01日 00時00分11秒 | Weblog

[※ 赤木俊夫さんの「国家公務員倫理カード」は擦り切れている… (『報道特集』、2020年9月12日)↑]



マガジン9のコラム【言葉の海へ 第132回:去った男の残したものは(鈴木耕)】(https://maga9.jp/200902-3/)。

 《最初は「安倍政権7年8カ月の功罪」とのタイトルにしていたが、考えてみると、ぼくにとっては「罪」ばっかりで「功」はちっとも浮かばない。だから「安倍政権7年8カ月の罪と罰」とタイトルを変更した。…でもね、これも実はスッキリしないのだ。だって「罪」はいくらでも出てくるが、結局、ぼくらは安倍氏にはなんの「罰」も課すことはできなかったのだもの。それが残念だが、これからきちんと検証して、見合った罰を与えたいものだ》。

 青木理さんも《罪があまりに大きかった》と。前川喜平さんは《数々の政策の失敗行政の私物化について、納得できる説明をし、ちゃんと謝罪し、その責任をとってから、辞めてほしい》と。

 鈴木耕さんのコラムをもう一つ。大惨事A氏院政体制の下、J社はさらに地獄の底へ。
 【言葉の海へ 第133回:ある会社の物語(鈴木耕)】(https://maga9.jp/2020909-3/)によると、《まったく「責任」を取らずに消えていくA氏のことなどすぐに忘れて、旧体制の幹部たちは、うまい汁をこれからも吸い続けられると考えたわけだ。もはや、J社をどう建て直すか、スキャンダルの後始末をどうするのかなどと、誰も考えていないのがJ社なのだろう》


 但馬問屋@wanpakutenさんのつぶやきから。

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https://twitter.com/wanpakuten/status/1304714338221961217

但馬問屋@wanpakuten

#報道特集
金平茂紀
「政権の中枢にいる官邸官僚といわれる人達が全部決めてしまい、官庁が下請け機関みたいにになってしまったのは腐敗だと思う。これを放っていいわけがない。これは赤木さん肌身離さず持っていた“国家公務員倫理カード。この文言を官邸官僚にきちんと読み返してもらいたい
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 官邸官僚の腐敗、《官庁が下請け機関》。アベ様や元・最低の官房長官のシモベ、下僕。滅私奉公ならぬ滅公奉「僕」(「僕」チン=アベ様)。
 赤木俊夫さんの「国家公務員倫理カード」は擦り切れていることが分かる。『報道特集』(2020年9月12日)で金平茂紀さんは「この文言を官邸官僚にきちんと読み返してもらいたい」と。元最低の官房長官による第3次アベ様政権(大惨事アベ様政権)でも、官邸官僚の腐敗までも《継承》していいのか?
 青木理さんはサンデーモーニング(2020年9月13日)で《第3次安倍内閣》《安倍なき安倍内閣》と。鈴木耕さんによる《安倍政権の罪と罰》リスト。






   『●アベ様や財務相は、赤木さんが《残したファイルとか、いま黒塗りに
     なっている夫がうつ病になった経緯であるとか、出すのは簡単なことだ》

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https://maga9.jp/200902-3/

言葉の海へ
第132回:去った男の残したものは鈴木耕
By 鈴木耕 2020年9月2日

安倍晋三首相、辞任

 安倍晋三首相が、8月28日(金)、ついに辞任を表明した。体調悪化が原因であることを疑うつもりはない。しかし……。
 安倍氏は6月には綿密な健康チェック(人間ドック)を受けていた。記者会見でも、はっきりと「6月の検査で持病再発の兆候が見られると告げられた」と述べていた。そして、8月に入ってから2度にわたって再検査のため慶応病院へ行っている。もはや公務を続けるのは無理と、その時点で判断していたのだと思う。
 ならば、なぜもっと早く辞任表明してラクにならなかったのか?
 麻生太郎氏は例によって口をひん曲げながら、記者に対して「あんたは147日連続で働いたことがある? ないだろ。安倍総理はそれをやってたんだから疲れるのは当然だろう」と記者に対し恫喝的に述べていた。だが実際には、安倍首相は土日には休んでいたし、平日でも午前中は私邸にいて、午後に1~2時間ほど官邸に“出勤”という日が続いていたことは、新聞の「首相動静」を見れば明らかだった。
 それが悪いというのではない。しかし、それほど病状に変調をきたしていたのなら、なぜ8月28日まで辞任発表を遅らせていたのか。
 “首相在任記録”がキーワードだったとぼくは思うのだ。安倍首相は8月24日に連続在職2,799日に達し、第1位だった大叔父の佐藤栄作氏の2,798日を抜いて、ついに歴代第1位の座を獲得した。安倍氏はこれを達成するのが夢だった。石(医師?)にかじりついても夢の実現を果たしたかったのだ。
 望みが叶ったからこそ、その週末の金曜日に、ついに辞任に踏み切ったのではないか。それは、ゲスの勘繰りではないだろう。人はそれぞれ、自分なりの目標を持つ。安倍氏は、目標達成を待って身を処したのだ。

 ではなぜ、それが安倍氏の「目標」だったのか?
 安倍氏には、なんら後世に誇れるような政治的レガシー(遺産、業績)がなかったからなのだ。安倍氏が生涯を賭けた目標だと言い続けた「改憲」だって、結局は成し遂げられなかった。「安保法制でなし崩し的な改憲はできた」という人もいるけれど、安倍支持のコアな右派層からさえ「それでは足りない。明文化した改憲を」と突き上げられていた。靖国参拝にしたって、玉串奉納でうやむやに終わらせてきた。
 「戦後レジームからの脱却」を謳った安倍氏だったが、いずれも中途半端なままで投げ出さざるを得なかった。そんな安倍氏にとっての最後のレガシーは「首相在任期間歴代第1位」という数字だけだったのだ。


去った男の残したものは……

 谷川俊太郎さんに『死んだ男の残したものは』という詩がある。武満徹さんが曲をつけて小室等さん他が歌っている名曲である。ぼくの大好きな歌のひとつだ。
 そのひそみに倣っていえば、「去った男の残したものは」いったい何だったろうか。それを考えてみた。

 ぼくは毎日、新聞や週刊誌、検索のプリントアウトなどから、重要だと思われるものを切り抜いてファイルしている。「3.11」以降に始めた習慣だ。
 そのファイルをめくって目についた「安倍首相の“業績”」をピックアップし、書き出してFBに上げてみた。けっこうな数の方たちが「いいね」を押してくれていた。これらを“素晴らしい成果”だと称賛する人たちもいるだろうけれど、人間、見方や考え方はいろいろある。
 アトランダムな抜粋だから、時期が前後するけれど、参考までに見てほしい。FBに上げたものを、多少手直しした。
 最初は「安倍政権7年8カ月の功罪」とのタイトルにしていたが、考えてみると、ぼくにとっては「罪」ばっかり「功」はちっとも浮かばない。だから「安倍政権7年8カ月の罪と罰」とタイトルを変更した。
 そんなタイトルはお前が偏っているからだ、と言われるかもしれないが、それは仕方ない。甘んじて受ける。
 でもね、これも実はスッキリしないのだ。だって「罪」はいくらでも出てくるが、結局、ぼくらは安倍氏にはなんの「罰」も課すことはできなかったのだもの。それが残念だが、これからきちんと検証して、見合った罰を与えたいものだ
 安倍氏は何か批判されると、必ず枕詞のように「責任は痛感しております」と言い続けた。だが痛感はしたかもしれないが、具体的に「責任を取った」姿など見たこともない。首相の座を降りるのだから、この際、きっちりと「責任」は取ってもらおうじゃないか。だから「罰」はタイトルに残しておくことにする。


安倍政権の罪と罰

アベノミクスの結果
幻のトリクルダウン(末端労働者に恩恵はなし)
非正規雇用労働者の増加(非正規雇用者は37%超)
労働者全体の実質賃金の目減り

消費税増税と景気後退
GDPは回復せず
「緩やかな回復」とは何を意味していたか
黒田日銀総裁の「異次元の金融緩和
率3%の物価上昇はついに実現せず

戦後レジームからの脱却」路線
集団的自衛権行使容認閣議決定
特定秘密保護法の強行採決
共謀罪(テロ等準備罪に含む)
重要事項を「閣議決定」で片づける強権政治
専守防衛から敵基地攻撃論へ自衛隊任務の変質

東京オリンピック招致
原発事故は「アンダーコントロール」という大嘘発言
スーパーマリオの着ぐるみ首相
日本の8月は「温暖な気候」
招致委員会竹田会長の買収疑惑

森友学園疑惑
昭恵夫人「安倍晋三記念小学校」の名誉校長
昭恵夫人は「私人」と閣議決定
籠池夫妻の“国策逮捕
安倍氏「私か妻か事務所がかかわっていたら辞職する」発言
さまざまな公文書の偽造・捏造・廃棄処分
近畿財務局の赤木俊夫さん自死

加計学園疑惑
お友だち(加計孝太郎氏)優遇の大学設立認可
書類捏造疑惑多発

桜を見る会疑惑
前夜祭で、参加者はホテルとの個別契約というウソ
首相招待枠の激増に疑義続出
関連文書をシュレッダーで削除
公的催しを個人的選挙運動に利用
反社会的勢力との交友関係

外交の安倍」の実態
トランプ大統領の押し付け米兵器の爆買い
イージス・アショアの撤回
北朝鮮拉致問題はトランプ頼みで進展せず
プーチン大統領は北方領土と平和条約でゼロ回答
沖縄・辺野古米軍基地の埋め立て工事強行
地球儀俯瞰外交」という言葉

人事掌握での一強政治
官邸主導型で官僚人事を一本化
それによる官僚たちの忖度
黒川検事長の定年延長問題
任命閣僚が次々に辞任、スキャンダル多発
官邸官僚による側近政治の弊害

マスメディアの分断
お気に入り(読売・産経・月刊Hanadaなど)を選んで登場
マスメディア幹部たちとの会食
親しい記者のスキャンダル潰し(元TBS記者山口氏の逮捕不許可)
安倍政権下で低下「報道の自由度66位」(2020年)先進国では最低
記者会見での癒着質問とプロンプター

新型コロナウイルス対策の大失策
アベノマスクという笑いもの
星野源さんの動画へのタダ乗りで大炎上
PCR検査の徹底的な遅れ
10万円給付金の右往左往
持続化給付金の事務費での電通との癒着
国の司令塔不在で地方自治体とのぎくしゃく

国会軽視・国民無視
「こんな人たち」発言
野党要求の国会召集を拒否(憲法違反の疑い)
記者会見を2カ月以上開かず
広島・長崎等の挨拶文のコピペ
東日本大地震と福島原発事故への対応

そして、なによりも国民の分断!
これが、安倍政権が残したいちばんひどい“レガシー”


「安倍政治の継続」だけは勘弁してほしい

 正直なところ、調べていてイヤになったよ。まだまだ“ダークサイド”は目白押しだろうが、これがぼくにとっての「安倍政権7年8カ月の実態」なのだ。
 それでも「いや、こんな素晴らしい成果もあったじゃないか」と言う人がおりましたら、ご自分で「安倍政権7年8カ月の成果表」でもお作りになったらよろしい。じっくり読ませていただきますから。
 これから誰が跡を継ぐのか知らない(大方の下馬評は聞こえてくる)が、誰がやるにしても、安倍晋三氏が食い散らかしたこの国の政治・経済・社会の建て直しと、疲れ切った庶民たちの気持ちの治癒を優先しなくてはならないのだから大変だろう。

 でもお願いだから、間違っても「安倍政治の継続」などと言わないでほしい

 ほんとうに、いくらなんでもいくらなんでも、それだけは勘弁してもらいたいのです
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●「ト」な自民党改憲草案の押し付け…押し付けられた「押し付け憲法論は、賢明なる先人に対する冒涜」

2016年09月04日 00時00分15秒 | Weblog


東京新聞の壊憲批判の社説シリーズ5つ。
【今、憲法を考える(1) 平和の道しるべたれ】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016082902000121.html)、
【今、憲法を考える(2) 過去幾多の試練に堪へ】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016083002000127.html)、
【今、憲法を考える(3) 明治の論争が試される】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016083102000134.html)、
【今、憲法を考える(4) 源流は自由民権運動】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016090102000129.html
【今、憲法を考える(5) 修正重ね、自らの手に】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016090202000137.html)。

 《幣原は口を開いた。何と「戦争放棄」の条項を新憲法に入れる提案をし始めたのだ。日本が軍隊を持たないということも…。「マッカーサー回想記」の記述だ》。
 《日本国憲法九七条はこう記す。<基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託された>》。
 《「天賦人権説」という。日本国憲法もこの考え方に基づくが、自民党の憲法改正草案同説を採用しないと公言する。草案は「公の秩序」が人権より上位にくるような書きぶりだ》。
 《今年で公布七十年を迎える日本国憲法。改正を目指す「改憲」論者は、占領軍によって押し付けられた憲法であることを、改正を必要とする根拠に挙げるが、本当に押し付けだったのだろうか》
 《現行憲法が、押し付けられたものを唯々諾々と受け入れたわけでないことは明らかだ。むしろGHQの圧力を利用して旧弊を一掃し、新生日本にふさわしい憲法を自らの手でつくり上げた、と言った方が適切だろう。何よりも重要なことは、公布後七十年もの長きにわたり、主権者である国民が憲法改正という政治選択をしなかった事実である。押し付け憲法論は、賢明なる先人に対する冒涜にもつながる》。

 …以来、壊憲派は沈黙。押しつけ憲法論という思考停止をしているのは壊憲派でした。マッカーサーとの書簡が見つかり、憲法第9条の《二項も含めて幣原提案とみるのが正しいのではないか》ということが東京新聞で報じられました。壊憲派が市民に「押しつけ憲法論」を押し付けていた訳です

   『●争点は「壊憲」: 「ト」な自民党改憲草案は
       「国民主権の縮小、戦争放棄の放棄、基本的人権の制限」

 一方、「ト」な自民党改憲草案は「国民主権の縮小、戦争放棄の放棄、基本的人権の制限」をしようとしています。トンデモの「」、世界の笑いもの。なのに、2016年7月参院選では、「もっとも危ない暴君に、とてつもない数を与えてしまった」訳です。自公支持者・「癒(着)」党支持者眠り猫の皆さんは後悔しても「あとの祭り」。いい加減に、「茹でガエル」から脱してはどうでしょうか?

   『●「憲法九条…戦争放棄はGHQの指示ではなく、
       当時の幣原喜重郎首相の発意だったとの説が有力」
    《憲法九条です。争放棄はGHQの指示ではなく、
     当時の幣原喜重郎首相の発意だったとの説が有力》。
    《日本国憲法は、連合国軍総司令部(GHQ)に強いられたものであり、
     自らの手で作り替えたい》。
    「…押し付け? これまた、古い呪文、昔の名前をひたすら唱える
     アベ様の自公政権。「積極的平和主義」を愛する公明党も壊憲を
     あと押し。自公お維大地こそが壊憲を市民に強いているし、押し付けている

   『●花森安治さんの「「武器を捨てよう」は
      憲法押し付け論を批判し、9条の意義を説く一編」
   『●壊憲派の沈黙、押しつけ憲法論という思考停止:
       「二項も含めて幣原提案とみるのが正しいのではないか」

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016082902000121.html

【社説】
今、憲法を考える(1) 平和の道しるべたれ
2016年8月29日

 マッカーサーの執務室が今も残っている。皇居堀端の第一生命本社ビルの六階。連合国軍総司令部(GHQ)が一九四五年の終戦後、そこに置かれた。執務室は広さ約五十四平方メートル。引き出しのない机と革製の椅子…。背もたれのばねが弱り、今は座ることを許されない。
 四六年一月二十四日。当時の首相幣原喜重郎は正午にGHQを訪れた。年末から年始にかけ肺炎で伏せっていたが、米国から新薬のペニシリンをもらい全快した。そのお礼という口実をもって、一人で訪問したのである。
 お礼を述べた後、幣原は当惑顔をし、何かをためらっている様子だった。最高司令官のマッカーサーが「意見を述べるのに少しも遠慮する必要はない」と促すと、幣原は口を開いた。
 何と「戦争放棄」の条項を新憲法に入れる提案をし始めたのだ。日本が軍隊を持たないということも…。「マッカーサー回想記」の記述だ。こう続く。

   <私は腰が抜けるほどおどろいた。(中略)この時ばかりは息もとまらん
     ばかりだった。戦争を国際間の紛争解決には時代遅れの手段として
     廃止することは、私が長年情熱を傾けてきた夢だった>

 二人の会談は三時間に及んだ。マッカーサーは後に米国議会上院でも同じ趣旨の証言をした。
 また五七年につくられた憲法調査会会長の高柳賢三がマッカーサーに書簡を出したことがある。戦争放棄はどちら側から出た考えなのかと-。
 五八年十二月に返信があった。その書簡でもマッカーサーはやはり幣原による提案だと書いていた。今年になって、堀尾輝久東大名誉教授が見つけた新史料である。こう綴(つづ)られている。

   <提案に驚きましたが、心から賛成であると言うと、首相は、明らかに安どの
     表情を示され、わたくしを感動させました>

 幣原側にも史料がある。五一年に亡くなる十日ほど前に秘書官だった元岐阜県知事平野三郎に東京・世田谷の自宅で語った文書である。その「平野文書」が国会図書館憲政資料室に残る。

   <風邪をひいて寝込んだ。僕が決心をしたのはその時である。
     それに僕には天皇制を維持するという重大な使命があった>
   <天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えた>

◆天皇制存続と絡み合う
 オーストラリアなどは日本の再軍備を恐れるのであって、天皇制を問題にしているのではない、という幣原の計算があった。戦争放棄をすれば、天皇制を存続できると考えたのだ。この二つは密接に絡み合っていた。そして、マッカーサーと三時間かけて語り合ったのである。

   <第九条の永久的な規定ということには彼も驚いていたようであった。
     (中略)賢明な元帥は最後には非常に理解して感激した面持ちで
     僕に握手した程であった>
   <憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情として
     そういう形でなかったら実際に出来(でき)ることではなかった>

 「平野文書」は九条誕生のいきさつを生々しく書き取っている。
 むろん、この幣原提案説を否定する見方もある。GHQに示した当初の政府の改正案には「戦争放棄」などひと言もなかったからだ。大日本帝国憲法をわずかに手直しした程度の内容だった。かつ、二人の会談は録音がないから、明白な証拠は存在しない。ただ、会談から十日後に示されたマッカーサー・ノートと呼ばれる憲法改正の三原則には、戦争放棄が入っている。
 ドイツの哲学者カントは十八世紀末に「永遠平和のために」で常備軍の全廃を説いた。第一次大戦後の二八年にはパリで戦争放棄をうたう不戦条約が結ばれた。実は大正から昭和初期は平和思想の世界的ブームでもあった。軍縮や対英米協調外交をすすめた幣原もまた平和主義者だった。

◆戦後国民の願いでも
 憲法公布七十年を迎える今年、永田町では「改憲」の言葉が公然と飛び交う。だが、戦争はもうごめんだという国民の気持ちが、この憲法を支え続けたのだ。多くの戦争犠牲者の願いでもあろう。行く末が危ういとき、この憲法はいつでも平和への道しるべとなる。
 私たちは憲法精神を守る言論に立つ。戦後の平和な社会は、この高い理想があってこそ築かれたからだ。一度、失えば平和憲法は二度と国民の手に戻らない
 読者のみなさんとともに、今、あらためて憲法を考えたい。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016083002000127.html

【社説】
今、憲法を考える(2) 過去幾多の試練に堪へ
2016年8月30日

 詩人の谷川俊太郎さんが世界人権宣言を訳している。一九四八年、国連で満場一致で採択された宣言である。第一条は-「わたしたちはみな、生まれながらにして自由です。ひとりひとりがかけがえのない人間であり、その値打ちも同じです」。
 第三〇条は「権利を奪う『権利』はない」。真理である。例えば基本的人権はどんなことがあっても奪われない。たとえ国民が選んだ国家権力であれ、その力を乱用する恐れがあるため、憲法という鎖で縛ってある。その目的は人権保障であり、個人の尊重である。日本国憲法九七条はこう記す。

   <基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、
     これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、
     侵すことのできない永久の権利として信託された>

 信託とは信頼して管理や処分を任せることである。憲法学者の石川健治東大教授によれば、信託者、受託者、受益者の三者からなる。この九七条では過去の国民が現在・将来の国民に信託している。受託者は受益者のために厳粛な責任を負うという意味である。受益者は将来の国民でもある。
 そうして過去・現在・未来をつないでいるわけだ。そもそも戦争の犠牲の上にある憲法だ。
 「戦争犠牲者から常に問い掛けられている部分で、この憲法の深みにつながっています。見えない原動力です」と石川氏は語る。
 国民への信託は憲法一二条とも響き合う。自由と権利のために国民に「不断の努力」を求める条文である。憲法は権力を縛る鎖であるから、憲法を尊重し、擁護する義務に国民は含まれない。だが、信託によって、国民は道徳的に、そして道義的に「不断の努力」が求められる
 人間とはある政治勢力の熱狂に浮かれたり、しらけた状態で世の中に流されがちだ。移ろいやすさゆえに、過去の人々が憲法でわれわれの内なる愚かさをも拘束しているのである。
 「信託」の言葉は、憲法前文にも「国政は、国民の厳粛な信託による」と記されている。この受託者は代表者であり、やはり道徳的な重い責任を負う。未来の国民のために信託を受け努力する。それが憲法に流れる精神である。
 自民党の憲法改正草案は、その重要な九七条を全文削除する権利を奪う「権利」はない-、それが過去から受け継ぐ真理だ。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016083102000134.html

【社説】
今、憲法を考える(3) 明治の論争が試される
2016年8月31日

 大日本帝国憲法をめぐる枢密院での伊藤博文と森有礼との論争は有名である。伊藤は初代首相、森は初代文部相となる重鎮だ。伊藤は憲法創設の精神を語った。

   <第一君権ヲ制限シ、第二臣民ノ権利ヲ保護スルニアリ>

 立憲君主制をめざしたので、君主の権力を制限して、国民の権利を保護すると述べたのだ。憲法で権力を縛る立憲主義の根本である。
 森の答えが実に興味深い。

   <臣民ノ財産及言論ノ自由等ハ、人民ノ天然所持スル所ノモノニシテ(中略)
     憲法ニ於テ此(これ)等ノ権利始テ生レタルモノヽ如ク唱フルコトハ
     不可ナルカ如シ>

 生まれながらにして持つ権利は憲法で明文化する必要はないと主張しているのだ。弁護士の伊藤真さんに解説してもらった。

   「明文化すると、明文化されていない権利が無視されることを恐れたのです。
    人間の持つ自然権は、すべてを書き尽くせません。基本的なことを書き、
    時代に即して解釈していく方が幅広く人権を守れると考えたのです」

 自然権は十七世紀に活躍した英国の思想家ジョン・ロックらが主張した。権利を守るために契約により政府をつくる。もし、正しい政治がなければ、国民が政府に抵抗する「抵抗権」を認めた。さて自然権を憲法に書くべきか-。
 一七八七年の米合衆国憲法には当初なかった。九一年の修正条項で自由と権利が規定された。フランスの一九五八年の憲法でも規定がないが、前文で一七八九年宣言への至誠をうたう。フランス革命時の有名な人権宣言である。つまり、生まれながらに持つ自由と権利は自明の理なのだ。
 「天賦人権説」という。日本国憲法もこの考え方に基づくが、自民党の憲法改正草案は同説を採用しないと公言する。草案は「公の秩序」が人権より上位にくるような書きぶりだ。まるで国が恩恵として与える明治憲法の「臣民の権利」と同じだ
 作家の高見順は一九四五年九月三十日の日記に書いた。

   <戦に負け、占領軍が入ってきたので、自由が束縛されたというのなら分るが、
     逆に自由を保障されたのである。なんという恥かしいことだろう

 明治の森有礼でさえ、自由と権利を「人民ノ天然所持スル」と述べた。人権宣言から二百年を超す今、天賦人権説への異論が出るとは、まことに恥ずかしい
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016090102000129.html

【社説】
今、憲法を考える(4) 源流は自由民権運動
2016年9月1日

 今年で公布七十年を迎える日本国憲法。改正を目指す「改憲」論者は、占領軍によって押し付けられた憲法であることを、改正を必要とする根拠に挙げるが、本当に押し付けだったのだろうか。
 敗戦から二カ月後の一九四五年十月十五日発行の「東京新聞」(現在は本社が発行)一面トップに「憲法改正」と題する評論記事が掲載された。筆者は鈴木安蔵氏。後に静岡大や愛知大などで教授を務めた憲法研究者だ。
 三日連続で掲載された評論記事で、鈴木氏は「日本国家の民主主義的建設」や「日本民族のより高次な発展」のためには大日本帝国憲法を全面的に改正する必要があり、改正の意見が「広く国民の間から、溌剌(はつらつ)として」展開されることが望ましいと主張している。
 この連載からほどなく、鈴木氏は元東京帝大教授の高野岩三郎氏の呼びかけで民間の憲法制定研究団体「憲法研究会」に参加する。
 研究会には早稲田大教授の杉森孝次郎、社会学者の森戸辰男両氏のほか、馬場恒吾、室伏高信、岩淵辰雄各氏ら当時の日本を代表する言論人も名を連ねていた。
 憲法研究会は二カ月間にわたって議論を重ね、四五年十二月二十六日、憲法草案要綱を発表した。政府の憲法調査会の改正草案よりも一カ月以上早く、新聞各紙が一面トップなどで大きく報じた。
 「統治権は国民より発す」と国民主権を明示し、天皇に関しては「国民の委任により専ら国家的儀礼を司(つかさど)る」と象徴天皇制に通じる内容だ。「法の下の平等」や「男女同権」など、現行憲法と共通する条文も列挙している。
 この案は一民間の案にとどまらなかった。連合国軍総司令部(GHQ)にも提出され、GHQによる憲法草案の作成に大きな影響を与えたことは、多くの証言や資料から明らかになっている。
 鈴木氏は明治期の自由民権運動活動家、植木枝盛の私擬憲法「東洋大日本国国憲按(あん)」を発掘し、分析したことでも知られ、憲法研究会の憲法草案要綱の作成に当たっては、自由権を規定するなど進取的な植木案をはじめとする私擬憲法や諸外国の憲法を参考にしたことを明らかにしている。
 現行の日本国憲法がGHQの影響下で制定されたことは疑いの余地はないが、そのGHQの草案には日本の憲法研究会案が強い影響を与えた。しかも、その源流が自由民権運動にあることもまた、紛れのない歴史的事実である。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016090202000137.html

【社説】
今、憲法を考える(5) 修正重ね、自らの手に
2016年9月2日

 「改憲」論者が憲法改正を必要とする理由の一つに挙げているのが、その制定過程。現行の日本国憲法は連合国軍総司令部(GHQ)に押し付けられたとの立場、「押し付け憲法論」である。
 現行憲法が終戦後、マッカーサー元帥率いるGHQの影響下で制定されたことは事実だ。
 松本烝治国務大臣を委員長とする日本政府の憲法問題調査委員会(松本委員会)による憲法改正案を拒否したGHQは自ら改正草案を九日間で作成し、政府に受け入れを迫った。GHQ草案である。
 日本政府は結局、この草案に沿って大日本帝国憲法の改正案を起草し、帝国議会に提出する。
 在任中の改憲を目指す安倍晋三首相が「日本が占領下にある当時、日本国政府といえどもGHQの意向には逆らえない中、この憲法がつくられ、極めて短い期間につくられた」と述べるのも、こうした経緯に基づくのだろう。
 しかし、この見方は表面的だ
 GHQの草案づくりには、日本の民間団体「憲法研究会」が作成した「憲法草案要綱」が強い影響を与えていたし、日本政府が憲法改正案をつくる際も、GHQ草案をそのまま受け入れたわけではなく、地方自治規定を盛り込むなど「日本化」の努力がされていた
 平和国家という戦後日本の在り方を規定した戦争放棄の九条が、当時首相だった幣原喜重郎氏の発案だったことも、マッカーサー元帥の著書や書簡、幣原氏の証言などから明らかになっている
 改正案を審議した帝国議会で活発に議論され、修正を加えたことも押し付けとは言えない証左だ。
 九条第二項冒頭に「前項の目的を達するため」との文言を加え、自衛権を保持しうることを明確にしたとされる「芦田修正」は衆院での修正。貴族院では、公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する、などの修正を加えた。憲法前文は、両院で修正され、文言が練られている
 現行憲法が、押し付けられたものを唯々諾々と受け入れたわけでないことは明らかだむしろGHQの圧力を利用して旧弊を一掃し新生日本にふさわしい憲法を自らの手でつくり上げたと言った方が適切だろう
 何よりも重要なことは、公布後七十年もの長きにわたり、主権者である国民が憲法改正という政治選択をしなかった事実である。押し付け憲法論は賢明なる先人に対する冒涜(ぼうとく)にもつながる
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●「自己責任」バッシングの嵐: 「話す」ことも許さず、「話しても」伝わらず

2014年04月26日 00時00分02秒 | Weblog


(ずいぶん前に書いていて、出すのが遅くなりました。)

asahi.comの記事【バッシングの嵐 話せば伝わる(考 民主主義はいま)】(http://www.asahi.com/articles/ASG24417CG24PTIL00T.html?iref=comtop_6_06)。
東京新聞の記事【週のはじめに考える 積極的平和主義を疑う】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014021702000118.html)と、
コラム【筆洗】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2014021702000096.html)。
孫引きで大変に恐縮ですが、CMLに出ていたBARAさんの投稿【[CML 029674] この浅はかな日本 二分法の世界観 映画監督・是枝裕和】(http://list.jca.apc.org/public/cml/2014-February/029674.html)。

 「10年前、イラクで武装勢力の人質となり、激しい批判にさらされた今井紀明さん(28)。社会からわき起こる憎悪が一個人へ向けられる恐ろしさを、身をもって経験」・・・・・・当時のあの異様な雰囲気が本当に怖い。現状、それが悪くなっていはいまいか? 猛毒法・(非)特定秘密「隠蔽」法で「話す」ことも許さず、「騙されることの責任」というよりも「話しても」伝わらないという「無関心の責任」。

   『●『戦争と平和 ~それでもイラク人を嫌いになれない~』読了(1/2)
   『●『戦争と平和 ~それでもイラク人を嫌いになれない~』読了(2/2)
   
     「しかし、彼女ら (郡山さんと今井さん) の予想は全く裏切られ、
      「自己責任」とばか騒ぎし、醜悪なバッシングの嵐。解放後、
      「生まれ故郷に帰るのに「覚悟」が必要」(p.141) な国って、
      いったい何?? 解放後の「新たな不安と恐怖」(p.147) は、
      拘束時以上だったのではないだろうか・・・。」
   
   『●『ご臨終メディア ~質問しないマスコミと一人で考えない日本人~』読了 (2/3)
   『●『ルポ 改憲潮流』読了(2/3)
   『●『だまされることの責任』読了(2/3)
   『●『靖国/上映中止をめぐる大議論』読了(3/3)
   『●『安心のファシズム ―支配されたがる人びと―』読了
   『●『それでもドキュメンタリーは嘘をつく』読了(2/2)
   『●見損ねた
   『●『筑紫哲也』読了
   『●『ルポ戦場出稼ぎ労働者』読了
   『●「自己責任」を叫ばれた人の立場

 すいません、孫引きです。でも、「考える」ために読んだ方が良いCMLの記事『[CML 029674] この浅はかな日本 二分法の世界観 映画監督・是枝裕和』(http://list.jca.apc.org/public/cml/2014-February/029674.html)。「そんな変な価値観がまかり通っているのは日本だけです・・・・・・多様な価値観を持った人たちが互いを尊重し合いながら共生していける、豊かで成熟した社会をつくりたいからです」。

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http://www.asahi.com/articles/ASG24417CG24PTIL00T.html?iref=comtop_6_06

バッシングの嵐 話せば伝わる(考 民主主義はいま)
2014年2月7日07時09分

■イラク人質、今井さんのいま

 10年前、イラクで武装勢力の人質となり、激しい批判にさらされた今井紀明さん(28)。社会からわき起こる憎悪が一個人へ向けられる恐ろしさを、身をもって経験した。いま、大阪で通信制高校の生徒を支援する活動に取り組んでいる今井さんに、社会はどう映っているのだろうか

     ◇

 高校卒業直後の18歳だった。劣化ウラン弾による子どもらの戦争被害を知り、「現地の人の力になりたい」と入国したイラク。バグダッドへ向かう車中で、覆面の武装勢力に襲われた。

 8日後に解放され、帰国。待っていたのは、すさまじいバッシングだった

 ・・・・・・・・・。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014021702000118.html

【社説】
週のはじめに考える 積極的平和主義疑う
2014年2月17日

 国際協調に基づく「積極的平和主義」は安倍晋三首相の外交・安全保障の看板政策。そこに軍事による平和の傲(おご)りが潜んでいないか、深く憂慮します。

 憲法九条を柱にした日本の安保・外交が「一国平和主義」の批判を浴びるようになったのは一九九一年の湾岸戦争からでした。

 イラクのサダム・フセインのクウェート侵攻に多国籍軍が編成されたこの戦いに日本は百三十億ドルの資金提供をしましたが、クウェートが戦後、米国の新聞に掲載した感謝広告に日本の名前がなく、「国際社会は日本の財政的貢献を評価していない」とのキャンペーンが展開されたのでした。


当事者の和平欲求こそ

 実際にはクウェートの戦争記念館には日本の貢献を説明する特設パネルが設けられ、資金提供とは別に、横須賀、佐世保、岩国、沖縄・嘉手納など日本の米軍基地の貢献度は絶大だったのですが、政府は湾岸戦争の反省として人的貢献へ踏み出します。湾岸での遺棄機雷掃海や九二年のカンボジア国連平和維持活動(PKO)の自衛隊の海外派遣でした。

 明石康国連事務次長が暫定統治機構代表に就任し、六百人の自衛隊員が参加したカンボジアPKOは、成功した国際貢献といえるでしょう。民間ボランティアと文民警察官の犠牲を出しましたが、民主選挙が実施され、曲がりなりにも和平が到来、二十年後の今日、アンコールワットには観光客があふれ、首都プノンペンにはイオンが出店予定、急速な発展途上にあるからです。

 成功の条件は何か。紛争当事者たちの厭戦(えんせん)と内からの和平欲求-です。当時のカンボジアを取材しての実感でした。自衛隊は世界各地のPKOに派遣されていきますが「停戦の合意」が派遣の条件になっている理由がわかります。


賢者の傲りが愚行生む

 日本の国際貢献は九〇年代になって「消極的平和主義」から「能動的平和主義」とも呼ばれるようになりましたが、そこには憲法九条の要請から、戦闘行動には参加しないとの原則が貫かれています。首相は能動的平和主義はなじみがなく、自らの政権では積極的平和主義と唱えるようにしたそうですが、集団的自衛権の行使容認の憲法解釈変更や憲法改正を目指していることで、「積極的」平和主義は「能動的」とは明らかに違います。非軍事から軍事的貢献への大転換が意図されているのだと受け取れます。

 首相は施政方針演説で「日本は米国と手を携え世界の平和と安定のために、より一層積極的な役割を果たす」と表明しましたが、九条の歯止めがなくなれば、かつて米国の同盟国の韓国、タイ、フィリピンがベトナム戦争に派兵したように、日本の派兵拒否は難しくなります。それでいいのか。

 米国大使キャロライン・ケネディさんの父親が大統領だった六〇年代は米国の黄金時代でした。デービッド・ハルバースタムの「ベスト&ブライテスト」は、若き輝ける大統領の下に参集した「最良にして最も聡明(そうめい)」な米国の英知たちが、なぜ残忍で愚劣極まりないベトナム戦争の泥沼に国を引きずり込んでいったかをめぐるニュージャーナリズムの傑作でした。

 ハルバースタムの指摘は「賢者の傲り」でした。能力や軍事力、経済力への過信がベトナムについて学ばない傲慢(ごうまん)を生み、判断を誤らないための確固たる道徳的信念も欠いていた、と仮借ない筆致。文官が将軍を統制する道は戦争を起こさないことだと手厳しいものです。

 国防長官だったロバート・マクナマラは九五年の回顧録で十一項目の失敗を列挙しました。ナショナリズムの過小評価、歴史・文化・政治への無知、近代のハイテク軍備の限界を認識せず、国民に十分説明しなかった。軍事行動は国際社会が支持する多国籍軍と合同で、との原則を守らなかった。ベトナムの愚行は、誤れるイラク戦争でもそのまま、歴史に学ぶことはありませんでした。

 正しいと信じたベトナムの八年間の戦いで、マクナマラが認めなければならなかったのは、誰もが人間。そして人間は過ちを免れないという事実でした。二十世紀には一億六千万人が戦争で死んだそうです。二十一世紀をそんな世紀にしてはならない、とマクナマラは言うのでした。


専守防衛こそが「本道」

 軍事力や経済力への過信はないのか、積極的平和主義に暴走の恐れはないのか。昨年暮れに閣議決定された国家安全保障戦略や新防衛大綱には、わが国の防衛の基本方針として「日本国憲法の下、専守防衛に徹し、軍事大国にならないとの基本方針に従い」と書かれています。それこそが国際協調主義に基づく日本の平和主義の本道と考えます。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2014021702000096.html

【コラム】
筆洗
2014年2月17日

 喜劇を書くとする。人はなぜ笑うのか。諸説ある。プラトンさんは「他人への優越感」、カントさんは常識からの予期せぬズレと考えたそうである▼予期せぬズレ。分かりやすい例は立派な紳士がバナナの皮で、すってんと滑って転ぶ伝統的なギャグだろう。すまし顔の紳士。ヘマをしないような人物が転ぶから笑いが起きる▼黒木夏美さんが書いた『バナナの皮はなぜすべるのか?』によるとバナナの皮で滑るギャグは誰かが突然、思いついたものではないという。十九世紀後半、米国ではバナナの皮を平気で路上に捨てていた。滑って転び、場合によっては死亡する事故が続出していた▼冗談ではなく、一八七〇年にはニューヨークで「反オレンジの皮・反バナナの皮協会」なる団体が結成されている。バナナの皮で滑って転ぶという現実。その中でバナナのギャグがいつしか生まれ、やがて定着していった▼「バナナの皮」は英語では政治用語でもある。政権を悩ませることになる災いや落とし穴などを意味する。安倍首相。立憲主義を軽視した発言は言うに及ばず、意見を異にする者への憎悪むき出しの国会答弁を見るとバナナの皮が敷き詰められた道を目隠しで歩いているようである▼滑っても笑えない。こんな調子の政治ならいずれ転んでも当たり前。笑いを生む予期せぬズレではない。どう転んでも喜劇にはならぬ
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http://list.jca.apc.org/public/cml/2014-February/029674.html

[CML 029674] この浅はかな日本 二分法の世界観 映画監督・是枝裕和
BARA ・・・・・・
2014年 2月 16日 (日) 11:26:00 JST

今こそ政治を話そう 二分法の世界観 映画監督・是枝裕和
2014.2.15

朝日新聞・朝刊
http://digital.asahi.com/articles/DA3S10979945.html

世界はね、目に見えるものだけでできているんじゃないんだよ――。
「そして父になる」でカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞するなど
世界的評価の高い映画監督・是枝裕和さんが脚本を手がけた
テレビドラマのセリフだ。
敵か味方か。勝ちか負けか。
二分法的世界観が幅を利かせるこの日本社会を是枝さんはどう
見ているのか、聞いた。

 ――昨年12月に発足した「特定秘密保護法案に反対する
映画人の会に賛同されていましたね。

 「ひとりの社会人として、責任がありますから


 ――政治的な「色」がつくという懸念はなかったですか。

 「そんな変な価値観がまかり通っているのは日本だけです。
僕が映画を撮ったりテレビに関わったりしているのは、多様な
価値観を持った人たちが互いを尊重し合いながら共生していける、
豊かで成熟した社会をつくりたいからです。
だから国家や国家主義者たちが私たちの多様性を抑圧しようと
せり出してきた時には反対の声をあげる。当然です。
これはイデオロギーではありません」


 ――ならば、日本政治や社会を告発するようなドキュメンタリーを
撮ろうとは考えませんか。
世界的に名高い是枝さんの手になれば、社会の空気を変えられる
かもしれません。

 「たとえば『華氏911』でマイケル・ムーアが表明したブッシュ
政権への怒りの切実さが、多くの人の心を揺さぶったのは
間違いない。
だけど豊かなドキュメンタリーというのは本来、見た人間の思考を
成熟させていくものです。
告発型のドキュメンタリーを見ると確かに留飲が下がるし、怒りを
喚起できるし、それによって社会の風向きを変えることもあるかも
しれない。
でもそのこと自体を目的にしたら、本質からずれていく気がします」

 「あるイベントで詩人の谷川俊太郎さんとご一緒したのですが、
『詩は自己表現ではない』と明確におっしゃっていました。
詩とは、自分の内側にあるものを表現するのではなく、世界の側に
ある、世界の豊かさや人間の複雑さに出会った驚きを詩として
記述するのだと。
ああ、映像も一緒だなと。撮ること自体が発見であり、出会いです。
詩やメッセージというものがもしあるのだとしたら、それは作り手の
内部にではなく世界の側にある
それと出会う手段がドキュメンタリーです。
ドキュメンタリーは、社会変革の前に自己変革があるべきで、
どんなに崇高な志に支えられていたとしても、撮る前から結論が
存在するものはドキュメンタリーではありません


 ――じゃあ何ですか。

 「プロパガンダです。
水俣病を撮り続け、海外でも高く評価された土本典昭さんは
『不知火海』という作品で、補償金をもらって陸に上がった漁師が、
品のない家を建てて金ぴかの調度品で部屋を飾っている様子も撮って
います。
そのような、水俣病を告発するというプロパガンダからはみ出した部分
こそがドキュメンタリーの神髄です。
間の豊かさや複雑さに届いている表現だからこそ、人の思考を深め、
結果的に社会を変えられるのだと思います」

 「安倍政権を直接的に批判するドキュメンタリーもあっていい。
だけどもっと根本的に、安倍政権を支持している私たちの根っこにある、
この浅はかさとはいったい何なのか、長い目で見て、この日本社会や
日本人を成熟させていくには何が必要なのかを考えなくてはいけません


 ――この浅はかさ。何でしょう。

 「昔、貴乃花が右ひざをけがして、ボロボロになりながらも武蔵丸との
優勝決定戦に勝ち、当時の小泉純一郎首相が『痛みに耐えてよく
頑張った。感動した!』と叫んで日本中が盛り上がったことがありましたよね。
僕はあの時、この政治家嫌いだな、と思ったんです。
なぜ武蔵丸に触れないのか、『2人とも頑張った』くらい言ってもいいん
じゃないかと
外国出身力士の武蔵丸にとって、けがを押して土俵に上がった国民的
ヒーローの貴乃花と戦うのは大変だったはずです。
武蔵丸や彼を応援している人はどんな気持ちだったのか。
そこに目を配れるか否かは、政治家として非常に大事なところです。
しかし現在の日本政治はそういう度量を完全に失っています

 「例えば得票率6割で当選した政治家は本来、自分に投票しなかった
4割の人に思いをはせ、彼らも納得する形で政治を動かしていかなければ
ならないはずです
そういう非常に難しいことにあたるからこそ権力が与えられ、高い歳費が
払われているわけでしょ? 
それがいつからか選挙に勝った人間がやりたいようにやるのが政治だ、
となっている。政治の捉え方自体が間違っています。民主主義は多数決
とは違います

 「政治家の『本音』がもてはやされ、たとえそれを不快に思う人がいても
ひるまず、妥協せずに言い続ける政治家が人気を得る。
いつから政治家はこんな楽な商売になってしまったのでしょう
表現の自由』はあなたがたが享受するものではなくて、あなたが私たちに
保障するものです
そのためにはあなたの自己表出には節度が求められるはずです」

 ――しかし政治に限らず、「勝たなきゃ終わり」という価値観が世間では
幅を利かせています

 「世の中には意味のない勝ちもあれば価値のある負けもある。
もちろん価値のある勝ちが誰だっていい。
でもこの二つしかないのなら、僕は価値のある負けを選びます
そういう人間もいることを示すのが僕の役割です。
武蔵丸を応援している人間も、祭りを楽しめない人間もいる。
『4割』に対する想像力を涵養するのが、映画や小説じゃないかな。
僕はそう思って仕事しています」

 「ただ、同調圧力の強い日本では、自分の頭でものを考えるという
訓練が積まれていないような気がするんですよね。
自分なりの解釈を加えることに対する不安がとても強いので、批評の
機能が弱ってしまっている。
その結果が映画だと『泣けた!』『星四つ』。こんなに楽なリアクションは
ありません。
何かと向き合い、それについて言葉をつむぐ訓練が欠けています。
これは映画に限った話ではなく、政治などあらゆる分野でそうなっていると
思います」

 「昨年公開した『そして父になる』の上映会では、観客から『ラストで
彼らはどういう選択をしたのですか?』という質問が多く出ます。
はっきりと言葉では説明せずにラストシーンを描いているから、みんな
もやもやしているんですね。
表では描かれていない部分を自分で想像し、あの家族たちのこれからを
考えるよりも、監督と『答え合わせ』してすっきりしたいんでしょう
よしあしは別にして、海外ではない反応です。
同じく日本の記者や批評家はよく『この映画に込めたメッセージは
なんですか』と聞きますが、これも海外ではほとんどありません


 ――そうなんですか。

 「聞かれないどころか、ロシア人の記者に『君は気づいてないかも
しれないが、君は遺された人々、棄てられた人々を描いている。
それが君の本質だ』って言われたことがあります。
で、確かにそうだった。
ずっと『棄民』の話を撮りたいと思っていたから。
すばらしいでしょ。
翻って日本では多数派の意見がなんとなく正解とみなされるし、星の数が
多い方が見る価値の高い映画だということになってしまう
『浅はかさ』の原因はひとつではありません。
それぞれの立場の人が自分の頭で考え、行動していくことで、少しずつ
『深く』していくしかありません」


 ――「棄民」を撮るんですか。

 「ブラジルの日系移民の話をいつか劇映画でやりたいと思っています。
彼らは国に棄てられた『棄民』ですが、第2次世界大戦が始まるとむしろ
日本人として純化していく。
情報遮断状態におかれた移民たちは日本の敗戦を知らず、うわさを聞いても
信じない。
そして負けたと主張する仲間を『非国民だ』と殺してしまう。似ていませんか?
 いまの日本に。国に棄てられた被害者が加害の側に回る、そこに何が
あったのかを描いてみたいんです」

 「精神科医の野田正彰さんは、加害の歴史も含めて文化だから、
次世代にちゃんと受け渡していかなければならないと指摘しています。
その通りです。
どんな国の歴史にも暗部はある
いま生きている人間は、それを引き受けないといけません
だけど多くの人は引き受けずに、忘れる。東京電力福島第一原発事故も
そうでしょう。
アンダーコントロール』だ、東京五輪だって浮かれ始めている。
どうかしていますよ

 「いまの日本の問題は、みんなが被害者意識から出発しているということ
じゃないですか。
映画監督の大島渚はかつて、木下恵介監督の『二十四の瞳』を徹底的に
批判しました。
木下を尊敬するがゆえに、被害者意識を核にして作られた映画と、それに
涙する『善良』な日本人を嫌悪したのです。
戦争は島の外からやってくるのか? 違うだろうと。
戦争は自分たちの内側から起こるという自覚を喚起するためにも、被害者
感情に寄りかからない、日本の歴史の中にある加害性を撮りたい
みんな忘れていくから。誰かがやらなくてはいけないと思っています」

 (聞き手 論説委員・高橋純子

    *

これえだひろかず 
映画監督・テレビディレクター 62年生まれ。ドキュメンタリー番組の演出を
手がけ、95年に映画監督デビュー。作品に「誰も知らない」「奇跡」「そして父になる」など。
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●『この世でいいちばん大事な「カネ」の話』読了(2/2)

2009年05月20日 07時52分31秒 | Weblog
【西原理恵子著、『この世でいいちばん大事な「カネ」の話』
 各章のタイトルが良い。第1章「どん底で息をし、どん底で眠っていた。「カネ」がないって、つまりはそういうことだった。」、第2章「自分で「カネ」を稼ぐということは、自由を手に入れるということだった。」、第3章「ギャンブル、為替、そして借金。「カネ」を失うことで見えてくるもの。」、第4章「自分探しの迷路は、「カネ」という視点を持てば、ぶっちぎれる。」、第5章「外に出ていくこと。「カネ」の向こう側へ行こうとすること。」。

 最後の「谷川俊太郎さんからの四つの質問への西原恵理子さんのこたえ」(pp.236-237)。西原さんのイラストを添えて。
  「誰がいちばん好きですか?」 かぞくとしごと。
  「誰がいちばん好きですか?」 たくさんあります。
  「何がいちばんいやですか?」 にくむこと。
  「死んだらどこへ行きますか?」 あの花の
                   
さく
                    
むこう。
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