四谷三丁目すし処のがみ・毎日のおしながき

冬から春が旬である貝がそろそろ終盤、初鰹・鰈・鱸・鯵など夏の魚が出てきました。

『ほこりの膜』『負け』『入居審査』『回転寿司』

2016-09-06 23:35:00 | 『ほこりの膜』『負け』『入居審査』『回転寿司』

おかみノート
 主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。今まで見たり聞いたり体験した 寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。                           

『 ほこりの膜 』
OLの時、よく行く寿司屋のランチで五回に一回くらいの割合でほこりが醤油に入っているのがどうも気になっていた。
「あれさ、何で注ごうとすると、細かいほこりがブァ~って出てくるわけ?」
勤めから帰って来たばかりの主人にいきなり質問を浴びせた。
「醤油?・・・もしかしてランチ開店直後に行ってる?」
「うーん、そうねぇ・・だいたい十二時過ぎだね」
「その日の初めてのお客さんだってことだよね。夜、営業が終わるでしょ。それで醤油差しをお盆か何かに集めるでしょ。生醤油だとそのまま放置しておく店もあるんだよ。何か上に被せたりする店もあるけど、しないところもあるわけ。そうすると穴のどこかからほこりが入ってそのまま翌日のランチの最初のお客様の小皿にドッと出ることになる・・」
「えー、そうなの?」
「まぁせいぜい醤油差しの表面を拭いて減った醤油を足すとかね。これは店によってかなり差があると思うよ」
「私たちが店をやるとしたら、こんな管理はしたくないんだけど」
「大丈夫だよ。オレは醤油に出汁と味醂と酒を入れてオリジナルの煮切り醤油を作ろうと思ってるから、店に常温で出しっぱなしになんかしないよ。それだけで傷んじゃうからね。必ず毎日別の器に入れて冷蔵庫で管理して、醤油差しは毎日洗う。いろんな人が触るし飛び散った醤油とか受け皿に付いたりするでしょ。ちゃんと洗って伏せておくよ。で、開店間際にひとつずつ注いで蓋をする。そしたら大丈夫でしょ」
“オレが出す店でそんなことあるわけないでしょーが”
横顔がそう言っていた。

『 負け 』
「すいませーん!」
振り返ると、すごい勢いで走ってくる女将さんが見えた。
「これ、・・店の、ハァ、すいません、湯呑みです。つまらないものですけどよかったら使ってください。今日は、ほんとに遠いところをありがとうございました」
私たちに会釈をすると、いま来たであろう踏み切りをまた戻って行った。レールの上を跨ごうとして小さく飛ぶように走る後ろ姿を目で追った。オレンジ色の綿のエプロン。背中の、太く“H”になっている部分をじっと見た。
「行こうか」
「いや、まだ」
主人の言葉を遮り、店に戻って行く女将さんを見ていた。
扉が閉まり、しんとなった店構えをもう一度見た。
「よしっ行こうかっ」
黙々と歩いている私を見て、主人は言った。
「先輩だけど・・違う課なの?」
「そう。お名前は知っているけど、一緒に仕事をしたことはない」
「ふーん・・。旦那さん、銀座の○○にいたって言ってたね」
それには答えず、駅の階段を上りきったところで言った。
「こういうの、“勝ち負け”で言うことじゃないのはわかっているけどさ」
「うん」
「あちらもべつにそんなことさらさら思ってなくて、むしろ自慢にならないようにじゃないけど、ものすごく気を遣ってくれていたのもわかっているけどさ」
「うん」
「負けた。やっぱり、実際に店やんないと、何も言えないね」
「・・・・・」
「うちらはさ、店やろうとはしてるけど、じゃあリスク背負って始めているか?っていうと、そうじゃないもんね。そりゃ多少書類とか集めて融資の手続きどうしようとか言ってるよ。でも実際に何にも進んでないし。やっぱりやってる人は強いよね。余裕っていうかさ」
「・・・・・」
「先週ガツンとやられたじゃない。“野上君がやる気になってるのに、なんで協力しないんだ?”とか言ってさ。先週のことも、今日ここに来たのも、もうつべこべ言ってないで早く店出せっていうことなんじゃないのかな?」
「そうだね」
「正直、羨ましかったもん。“醤油差しと小皿はどうしても自分で選びたかったから、納得のいくものが手に入ってよかった”とか、“出前下げに行ったらシャリの味についての意見メモが入っていたけど自分の味を貫こうと思ってる”とかさ。・・くやしいっていうか、もう、やられたって感じ。だから、ここでこの気持ちを胸に焼き付けるためにさっきの光景をずーっと見てたワケですよ」
真紅のビロードの座席に並んで座るとすぐに電車は動き出した。見慣れない長いつり革が一斉に同じ動きで揺れている。
「飛び込もう。カッコわるくてもいいからやろう。同じステージに立たなきゃ始まんないよ。もうこういう店に行くときは自分も店をやっている立場で行きたい。もうオーディエンスはイヤだ・・!」
「やろう」
ご主人のしっとりとした指先から出てくる洗練された小振りのにぎり。
少し甘めの一粒一粒がおいしいシャリ、よく切れる包丁で切りつけた白身、いいマグロ、まだ温かい玉子焼き。
二階につながる階段からもれてくるお座敷のお客さんの笑い声。
せめて昼だけでも顔を見ていたいと、カウンターの一番端にホルダーで固定した子供用の椅子に座らせていた一歳くらいのかわいい息子さん。
みんな羨ましかった。
帰ったらすぐにまた、事業計画書にとりかかろうと思った。

『 入居審査 』
そのマンションに住むには面接をクリアーしなければならないと不動産屋さんから聞いた。
築35年とはいえ、麹町で10万を切る2Kの物件なんてあまりない。
結婚して一緒に住むには一番町の鮨雅に歩いて通える距離がベストで、「バイクで通える距離になると遠いから、できればそのマンションに決まってほしい」と主人は言った。
そこを断るとあとは軒並み15万円台になる。
「面接受けます。申し込んでください」
不動産屋さんに返事をすると、すぐ翌週にということになった。
当日は午前中会社を休み、八重洲にある大手の建築会社の仲介管理部門を訪ねた。
小さな会議室に通され身上書のようなものに記入して終わり、そういえば朝から何も食べていなかったな…などと思いながらぼーっとしていると面接担当の男性が入ってきた。
「はい、書けましたか。ええ、どうぞ楽にしてください」
その書類を私から受け取ると黙って目を通し始めた。
「野上さん・・・ですね」
「はい」
「ご主人は、えーっと、お勤めは、と・・お寿司屋さん」
「はい。あの、一緒に伺いたかったんですけれども平日に休みを取れないもので申し訳ありません」
「えぇまぁいいですよ」
少しの沈黙があった。
「うーん。ざっと見させてもらいましたけど特にはねぇ・・うーん。この面接も念のためってことで、形式上段取りの意味合いが強いんでね。オーナーさんの強い意向でやっているようなものなんですけどね」
「はぁ」
「オウム事件なんかもありましたからねぇ」
「あぁ…」
「あと、このマンション皇居に近いでしょ。何やかやと管理をしっかりしておきたいというのもあるんですよ」
「はぁ…」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
なかなか結論を出してくれない。
入居審査の面接など初めてで、どうしていいのかわからない。
まいったなぁと思いかけた時、書類を見ながらその男性が言った。
「24歳!」
「・・・はい?」
「24歳で、板前かー」
「・・・・・」
「こんなこと訊いたらアレですけど、あー、どうしようかな」
「何ですか」
「いいですか、訊いちゃって」
「はい」
「旦那さん、板前でしょ。夜中に、包丁持って暴れたりしませんかねー?」
「・・・はぁぁあっっ?!」
「いや、ま、イメージですけどね、ほら若くて板前だと血の気が多いタイプの人だとちょっとアレなんでね」
「あのー、そういうことはぜんっぜん心配ないと思いますけど」
「あ、そーお?でも、寿司屋、板前、若い。う~ん、イメージがねぇどうも・・“荒くれ男”って感じじゃないの?」
キレそうになったが堪えた。ここで我慢をしなければ。カバンの中を必死にまさぐる。あった、証明書用の顔写真。
「あのー・・見てもらえばわかると思うんですけど、実に穏やかな感じですし、ご想像のイメージのまったく逆な感じだと思います」
テーブルに証明写真を置くとその人は指でつまみ、回転椅子をゆっくり反転させながらモノクロの主人の顔を見ていた。
深読みかもしれないが、私の反応も試されていると感じたのでさり気ないほほえみを絶やさないようにしながら、自分の中の“キレないちゃんとした人間ですので、よろしくねオーラ” を全開にして頑張った。
面接の結果は後日出るということでビルをあとにした。

審査結果は入居OKということで、無事引越しができた。でも切なかった。 
板前がそういうイメージだったこと。
そのイメージを面と向かって浴びせられたこと。
浴びせられたのに媚びへつらい、希望のマンションをものにしたこと。
面接があった夜。 主人に電話で話したら
「傷ついたかって?全然。へぇー、まだ板前ってそういうイメージがあるんだなーって、それだけだよ」
私はまだまだ甘い。
こんな程度のことでめそめそしていてはいけないんだなと思った。

『 回転寿司 』
勤めていたビルの2軒となりには回転寿司があった。
寿司が大好きな私は、お昼になるとお財布とハンカチを掴み回転寿司屋さんの自動ドアをくぐった。
月曜日、同じ課のAさんとBさんと。
火曜日、同期のCちゃんとDちゃんと。
水曜日、1人で。
木曜日、回転寿司には行かず、会社の社員食堂。
金曜日、また同じ課のAさんと。
・・・といった具合に、ほぼ毎日という週もあった。
「カメ、ほんまに寿司好っきやなぁ」
「お寿司屋さんと結婚したのにまだ回転寿司食べてんの?」
「えっ?今週ほとんど回転寿司!?飽きないの?」
・・・といった具合に、かなり気味悪がられていた。
でも、回転寿司はいいのだ。
好きなものを、好きなだけ、手早く食べられて値段も手ごろ。
私は大好きだ。
寿司屋を始めてからというもの、ほとんど行く機会がない。
主人は行かないので、私が1人で食事をするチャンスに
こっそり行く。しかも店の向かいの回転寿司にはさすがに行きにくいので、原宿とか、新宿とか、四谷三丁目から少し距離を置いたところに行く。
「週に3~4回という記録を更に伸ばしたい」と、野望に燃えていた時期があった。
週に数回なら会社にいくらでも行っている人がいる。
私は“回転寿司に行く回数”で抜きん出てみたかった。
「おぉっ、すげぇな・・」 とか、言われてみたかった。
ある週、月曜から木曜まで、途切れずに連続で食べに行けたことがあった。金曜日も行けばパーフェクトだ。
記録更新を控えた11時55分頃、「さぁ食べに行きましょう」と思った途端、吐き気を催した。
気持ちは行きたいのだけれど身体が受けつけない。
好きな気持ちにブレーキが利かなくてやり過ぎてキライになってしまうのだ。いつもの悪いクセが出た。
私はエレベーター前で立ち止まって考えた。
無理矢理行って“記録は残るけれどキライになる”より、回転寿司を好きなままでいたかった。
その日は喫茶店でナポリタンを食べた。

わたしにとって回転寿司は大切なものだ。
江戸前の、立ちの寿司屋をやっているからといってもういいとか、そういうことじゃない。
小学校3年生の時、千葉のショッピングセンター内に出来た『元禄寿司』に連れていってもらって以来、あの回るお皿の前に座ると楽しい気持ちになる。(初回はちょっぴり切なかったが)
なんと言っても社会人になって自分の采配で自由に寿司を食べられるようになった第一歩なのだから。