四谷三丁目すし処のがみ・毎日のおしながき

冬から春が旬である貝がそろそろ終盤、初鰹・鰈・鱸・鯵など夏の魚が出てきました。

おかみノート3 まかないの掟~浴衣

2004-11-21 00:10:00 | おかみノート3

おかみノート
主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。
今まで見たり聞いたり体験した 寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。


まかないの掟
オープン数日前のこと。
内装工事が終わって食器や調理器具を運びこみ、床にビニールシートを敷いた上でコンビニのお弁当を食べながら主人は言った。
「今はまだいいけどさ、店のまかないを作る時にニンニクを入れないでね」
「えっ、ニンニク嫌いだったっけ」
「いや、大好きだけど寿司を作る者として一切の余計なニオイを放ちたくないからもう食べない」
「えー・・っと、たしか勤めていた時は食べてたよ・・ね」
「まぁ土曜の夜とかね。休みの日でたまたま料理に混ざってたらそりゃ食べるよ。でも基本的には極力摂らないし。特にすりおろしたのは絶対にダメだから」
私が実家の母に習ったカレーにはすりおろしたニンニクが入る。
「カレーもですか」
「カレーも、です」
「ミートソースにでもですか」
「ミートソースにでも、です」
お義母さんの作るまかないのミートソースはすごくおいしくて以前レシピを教えて貰ったメモをボロボロになるまで繰り返し見て覚えたことがある。
<ほんのちょこーっとね、ちょこーっとだけニンニクを細かく刻んだのを入れて始めに炒めるとおいしいのよ>
親指の爪で小指の腹の真ん中あたりを押しながら私に教えてくれた。そのミートソースをも封印すると言うのか。
もはや牛乳とかリンゴジュースでどうこうするという話ではないようだ。
「わかった。入れたいけど入れないよ」
さようなら、ニンニク。特にすりおろしニンニク。
またいつか逢おう。

小樽の店
小樽に来たからにはどうしても納得のいく寿司屋に入りたかった。
ゴールデンウィークを使って旭川空港から入り、レンタカーで道央・道東・稚内、札幌と巡り、車を返して電車で小樽に来た。
正味四日間で小さく北海道を一周するというタイトなスケジュールで、しかも予約した各地の宿泊ホテルの夕食の時間には絶対に遅れてはならないというツアーを選んだため、ずっと走りっぱなし、パリダカのような新婚旅行だった。
さて、どうしよう。小樽になんのコネも知識もない私たちは、地元の人がよく行く寿司屋を訊いてしまうのが一番早いと思った。
「えー、いいですけど・・歩いて二十分くらいありますよ」
寿司屋を知っているというガラス工芸品を置いてある店の人が書いてくれた地図には、ほとんど目印らしきものはなく<アーケード街が終わるかなー・・というあたり>というヒントだけを頼りにひたすら歩いていた。繁華街からどんどん遠ざかっていた。
「アーケードったってなぁ・・三十~四十年前はここが栄えてたんだろうけどなぁ。ほとんどシャッター閉まったまんまじゃん」
「看板は出てないかもって言ってたよね」
日が暮れたせいか小樽特有の飴色の空気はますます濃くなってきた気がする。
「・・ここじゃねぇか?」
ガード下の焼き鳥屋という感じの店構えだった。
引き戸の上のほうを覗くと奥に裸電球のオレンジが見えた。
大将がいる。
「ここだ、混んでる。お客さんでいっぱいだよ」
入り口に待合用の丸イスが二つ並んでいた。
「いらっしゃい。時間かかりますけど、急ぎます?」
手の動きを止めずに私たちを見ながら大将が言った。首をブルブル振ると大将は目線を落として再び仕事に没頭した。
「どうぞ」
声がしたので右を向くとエプロンをした女将さんがカウンター越しに丸イスをすすめてくれた。
カウンターに座っている人と同じ向きに並んで腰を掛けると大将と女将さんの動きがちょうどよく見えた。
大将は使い込まれたまな板の上でマグロの表面を焼いてヅケにしたものや煮蛤を握っては目の前のお客さんに出していた。
「江戸前だね」
「生のエビやホタテばっかりじゃねぇな、だから人気あんのかな」
女将さんは右手に菜箸を持ったまま焼き網の穴子を凝視していた。家庭用コンロのかなり強火で炙っている。もうもうと煙が出ていた。ほんの一瞬の動きで大将の待つまな板へのせた。
大将は研ぎに研いで小さくなった出刃の刃先をコトンと穴子の上にのせる。出刃の重みだけで穴子の肉厚の部分が二つに分かれ、くっついたままの皮目は左手を峰に添えながら体重を少しかけるだけで切り離す。
切ったところから湯気が昇り、小骨がワシャワシャと見えた。
「骨すげぇな。かなり大きめの穴子使ってるな」
大将はその手では似合わないような細かい動きで小骨を何本か抜きすばやく握る。相当熱いはずだ。
「はいっ」
大将の合図で素早く女将さんがテーブル席にその穴子を運んだ。
三十分後には同じテーブルに座っていた。
箸を置き、垂れた煮詰めがくっついたゲタに視線を置いたまま飲み込んだ。
シャリと、穴子と、煮詰めと、黒く焦げてピンピン出ていた小骨も一緒くたになって食道を通過していった。
「・・おいしい」
主人も黙ってはいるけれどおいしいと思っているはずだ。
いつになるかわからないけれど、こんなふうな店をやりたいと思った。

海苔の背を叩く
白い帯で封をされた海苔は、100枚で束になっている。
帯をちぎり30~40枚くらいまとめて持つと厚さは5cmくらいある。
細巻用の大きさにするには半分にしなければならない。
分厚い海苔の束は、そろーっと端と端を合わせようとするとU字の磁石を少し押しつぶしたような状態になる。
そこで主人の動作は止まった。
「このままバリッと上から押すと、真半分にならないんだ。長いのと短いのができちゃうんだよね。だからこうするの」
五木ひろしのモノマネかと思えるような仕草で右手を拳にし、折れ曲がりそうになった背の部分を斜め45度の角度で慎重にトン、トン、トン、トンと叩き出した。
「えー、そんなんで切れるの?」
「そりゃ、一枚ずつ包丁で切ったらきれいに切れるよ。でもそんなことしてたら仕事が終わらないでしょ。素早くいっぺんにまとめて切ろうとしたらこうするのが一番早い」
「ひぇー、すごい。こんなの誰に教わったの?」
「兄貴かなぁ」
やっぱり清二さんはすごい。

新宿御苑
ある夜
お客様がお見えにならない日が続き
落ち込んだ気持ちを転じるために
カウンターに立つ主人の前で
欽ちゃん走りをし
坂田師匠のモノマネをし
デューク更家氏のウォーキングをし
主人に「もういいよ」と言われ
ガランとした店内で
自分たちのやり方が間違っているのか、とか
うちの店を知っている人が圧倒的に少ないんじゃないか、とか
近所のほかの寿司屋は混んでいるのか、とか
堂々巡りになるようなことばかり選んで
弱い自分から目を逸らそうとして
一方的にまくし立てた
「三年持てば店は安泰」
この定説らしきものはいったい誰が言い始めたのか
もうすぐ三年になろうとしているのに
うちはいつ潰れたっておかしくない
なんとか店を維持しようと
二時間だけ
ランチタイムの時給が1400円にハネ上がるカレー屋で
バイトすると言った
主人はダメだと言った
じゃあ、どうすればいいんだ

四月の中旬
八重桜にはまだ早い
でもどうしても桜が見たいと
百円玉4枚をふんぱつして
倒れこむように入った新宿御苑
ベンチで見上げた空はみずいろ
覆いかぶさるような桜の枝々
自分で決めた道とは言え
あまりの前への進めなさに
悔しくて
上を見たまま涙が湧いた
桜は
亡くなった人を思い出す
祐兄ちゃん
お義父さん
この辛さはいつまで続くか教えてください

出口近くの舗装道路には
花びらではなく
花のかたちのままの桜が不自然なほど散らばっていた
見上げると
小鳥が二羽くちばしで
満開の花の首のところをついばみ続けていた
花のかたちをしたまま
くるくると回りながら落ちてくる
主人とその下に立ち
いくつも
花のシャワーを浴びた
人生の最期に見る映像のラッシュがあるならば
きっとこのシーンは入ってくる
辛くても
いいこともあるもんなんだな


数寄屋橋交差点
携帯が鳴った。
ゆっくり上体を起こし、焦点の合わない目を凝らしながら画面を見ると“野上啓三PHS”の文字が出ていた。
「・・どうしたの?」
点けっぱなしのテレビは『特ダネ!』をやっていた。
「寝てた?あのさ、いま数寄屋橋なんだけど」
「え?数寄屋橋って数寄屋橋交差点?」
「そう。交通事故起こしちゃって。今から救急車乗るから」
「きゅ、救急車?ちょっと、だいじょぶなの!?」
「大丈夫、バイクですっころんで、ちょっと膝打っただけだから。今からタクシーの人が魚を持って店の前にくるから、とにかく冷蔵庫に全部突っ込んどいて」
「・・・えぇ?」
タクシーで魚?
とにかく顔を洗い急いで店に行く。シャッターを開けて電気を点けていたら、バンジュウという河岸で仕入れた魚を入れる箱を持たされた見知らぬ男性と主人が上がって来た。
「ここ、カウンターに置いてくれればいいですから」
主人の指示で降ろされたバンジュウの中には砕いた氷が沢山入ったビニール袋が無造作に載っており、その下には魚や貝が見えた。
「はい、あの、この度はとんだご迷惑を・・・すいません」
私に向かって男性がお辞儀をした。
「その話はあとでいいですから。先に病院連れてってください」
「・・はい」
その男性は階段で先に下りて行った。
「怪我、どこ?大丈夫なの」
「いきなり前のタクシーが左折してね。直進しそうになってたからわざと転倒して。膝がね、ちょっと。体重を支えちゃったからね。そしたら数寄屋橋の交番からお巡りさんが一斉に飛び出してきて、タクシーの人と交番の人みんなで道路に散らばったスズキとかヒラメとか拾ってくれて。オレは大丈夫だって言ったんだけど、絶対病院に行けって無線で救急車呼んでくれて。で、いっぺん病院に行ったんだけどやっぱり魚のほうが大事だからさ。加害者に乗せてきてもらっちゃったよ」
「いまの人?」
「車ん中さ、ずーっと気まずいの。黙っちゃって」
「病院どこ?」
「木挽町病院」
膝を庇いながら歩く主人を見送り窓から新宿通りを見ると、九時出社にはまだ早いからなのかゆったりと歩いている人が数人見えるだけだった。
トイレで鏡を見たら目の下にクマがあった。とりあえず仕入れたものをすべて冷蔵庫に入れた。
主人が帰ってくるまで少し時間がある。
となりのコンビニで缶コーヒーを買ってきてカウンターで飲んだ。
今回は何故かそんなに驚いたりうろたえたりしていない。
慣れか。いや、救急車に慣れてどうする。
未熟ながらも二年ほど店をやっていることで妙に度胸がついたか。
いずれにしても築地に通う途中に何があるかわからない。そしてもっと可能性を言えば包丁を使っているのだから大きな怪我だってしないとも言えない。
いろんなことを覚悟しなければいけない商売なんだなと思った。

処置を終えて戻ってきた主人が冷蔵庫を覗きながら大声をあげた。
「あっれぇ?いくら捜してもワサビが二本見つからねぇ。どこ行っちゃったんだ?オレたしかに買ったのに」
その日の数寄屋橋交差点はおそらくタイヤに何回も砕かれ潰されたワサビでツーンとなっていたに違いない。

足袋
きもの教室に持っていく道具を確認しては大きめのカバンに入れていく。
白い熨斗烏賊みたいになっている足袋は24cm。
「足袋はね、一度か二度使って洗ったものだけどお稽古なら別に問題は無いでしょ。とりあえず家にある着物関係のものは全部送るから、まぁ勝手におやんなさいな」
実家の母は言った。

「はいっ靴下を脱いで、持ってきた足袋を履いてくださーい」
着物姿の先生が歩きながら声を掛けていく。
二十畳ほどの稽古場に横並びで十五人、そして前にも十五人。
初級講座は無料のせいか大盛況だった。
取り出した足袋を見て動きが止まった。
指の入る部分の分かれ目が真ん中にきていた。というか、そう感じた。
ブタのイラストの爪の部分のような、バルタン星人の手のような、あるいは桜の花びらの一片のような。
とにかくシンメトリーな感じであることは間違いない。
ゴソゴソと履いてみると中指と薬指のあいだに分かれ目がきた。
これはおかしい。親指1:他の指4になるはずなのに3:2になっている。両隣の人を見ると既に履き終えていた。
「はいっ次いきますよ、立ち上がってー」
まずい、先に進んでしまう。このまま進まれると困るので勇気を出して質問した。
「先生、親指が入る場所に三本くらい指が入っちゃうんですけど・・」
目の前を通り過ぎようとした先生が立ち止まり、私の足を見て言った。
「あなた、ちょっとこれ、左右反対よ!コハゼが外側にきちゃってるじゃない、待っててあげるから急いで履き替えなさい」
寿司屋の女将なんだから着物くらい自分で着られなくちゃと飛び込んだ教室。
足袋は七五三を含めて数回は履いたことがあるのに、まさか自分がそんな簡単な間違いを冒すとは。
横に並んだ人たちがなんとなく顔を出しては引っ込めるという動きを始めた。前の列の人たちも荷物を捜すふりをしてチラチラ後ろを見ている。
(足袋の右左もわからないアホはどんな顔だろう)
空気がそうこだましているようだった。
体育座りの姿勢で私だけが必死に動いている。
耳が熱い。

浴衣
通い始めて三ヶ月。
そこのきもの教室はすべての教材を一斉に買わせるのではなく手持ちのものがあればそれをどうぞお使い下さい無ければ購入もできますよ、という方針だったからお金が無くてやる気だけ満々の私としてはなんとか母から送って貰った着物関係のダンボール箱の中から間に合わせようと必死だった。
自分が持っていく帯や長襦袢は、教室認定のワンタッチで開閉できる洗濯ばさみのようなものが付いているものとは違っていた。
それらを欲しいとは思わなかったけれど、自分だけが教室認定のものをひとつも持っていない状態がずっと続くとイヤでも目立ってくる。
もちろん何も買わなくても責められることはない。
ただ、何というか、例えばヤクルトの外野席で皆がビニール傘を振っている横でジャビット人形を抱きながら読売新聞を読みふける、みたいな居心地の悪さがそこにはあった。
教室が勧めるものをほとんど全部買って先生と和気藹々な雰囲気で授業を受けている人たちが羨ましかった。
次の授業は“浴衣の着付け”だった。
前日にまたダンボール箱に手を突っ込んだ。
すると、きちんと畳まれた白地に紺のチェック柄の浴衣が出てきた。
「お祖母ちゃんが縫った浴衣も入ってるからね」と母が言っていたのを思い出した。
拡げてしまうときちんと畳めないのでそぉーっと持ちながら柄を見ると、チェックの線が竹になっていて節々がポップな感じに切れている。ひょっとしたら江戸紋様のなんとかいうものなのかもしれないが、見ようによってはエルメスだかセリーヌだかのスカーフに縁取られている柄に似ている気がした。
海外のブランドがもし浴衣を作ったらこんな柄になるのかもね、なんて思いながらカバンに詰めた。
「浴衣はね、裏に力布が付いているのといないのがあるのよ。はい、自分の持ってきた裏地をよく見てくださいねー。背中の上のほうには“肩当て”。お尻全体の座ったり立ったりに負担がかかるところには“居敷当て”。補強のための生地が付いてますか、はい、見てー。そう、ほら、ね。これは付いてる」
先生がひとりずつチェックを始めた。
いつもの日曜午前中クラスのメンバーが五人、色とりどりの浴衣を並べていた。
「あれ、野上さんの、シブーい」
同級生が私の浴衣を見て言った。
「なんか、古臭いでしょ。祖母が縫ったものらしいんだけど」
「え、いいじゃん。かえって新しいってカンジだよ。いいよ、いいよ!」
「そ、そうかな~」
ちょっと嬉しかった。
「はい、ほら、野上さん。見せてごらん拡げて。え、手縫い?おばあちゃんの?あらま、いいじゃない。どれ、裏はどうなって・・・ん?」
全員が裏地に釘付けになった。
他の人のものはほとんどがサラシの無地だった。
でも、これは明らかに違う。
同級生が肩当てのほうを読み上げた。
「・・善光寺、参拝記念」
お尻の部分をまた別の人が読み上げた。
「牛に・・引かれて・・善光寺、詣り・・?」
オリジナルにもほどがある。
祖母は善光寺土産の手拭いを分断して当て布にしていた。
お尻の部分には“牛に・引かれて・・”の四行の文章の下に善光寺と松の風景が茶と紺と緑色でデカデカと描かれていた。
「・・あらぁ、なんだか縁起がいいじゃない?」
先生が言った。同級生たちは固まっていた。
「そ、そうですねえ!わはははは~!!私のおばあちゃん、面白いっすねぇっ、いやぁ~まいった!!!」
私がひとりではしゃぎ、笑った。
皆が困っているのが何ともいたたまれなかった。

『善光寺詣り』をお尻に持ってきた祖母。
こんなシュールな浴衣を作る人だったなんて。
あまり接点がないと思い込んでいた祖母のことを亡くなって二十年近く経ってから考えるとは思わなかった。
「寿司屋の女将なのに何かヘンじゃない?どことは言えないけどさ」
とお客様から言われ続けて数年。
もしかしたら私は祖母の“善光寺センス”を受け継いでいるのかもしれない。

  


おかみノート3 オカアチャン<前編>~私の手 

2004-11-21 00:10:00 | おかみノート3

おかみノート
主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。
今まで見たり聞いたり体験した 寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。


オカアチャン<前編>
義父のお供で何軒もの寿司屋に行けたのはいい経験になった。
義父は思い立ったらすぐ実行に移す人で、息子たちがお世話になっている寿司屋に挨拶に行くと決めた翌日に上京。結婚二年目にして荷物持ち担当を仰せつかった私は一日会社を休んだ。
一軒目は一番町鮨雅。
ここは月に一~二回行っているから
慣れたものだ。お義父さんを鮨雅の親父さんに引き合せてしばらくの間カウンターでお茶を飲んだあと、タクシーで日本橋の蠣殻町に向かった。
「仕事の方は大丈夫だったのか」
流れる景色を見ながら義父は言った。
「いや~、むしろウレシイっていうかー、ほんとくっついてきちゃって私のほうがいいんですかって感じで。すいません」
いずれ啓三さんと東京で店をやりたいと言っているのを義父は知っていた。
だから今回のご指名はとてもありがたかった。でも二人だけで出掛けるのは初めてのことだし、何だか気恥ずかしい。後部シートに並んで座るとちょうど真ん中に足が置きにくい盛り上がった部分がくる。義父との関係はまさにこんな感じだ。壁じゃないし、かといってフラットでもない、乗り越えられなくもない低い隔たり、というのがピッタリ当てはまる。清二さんの奥さん同様、私もありがたいことにお義父さんに可愛がられているという実感がある。
とは言っても何を話していいのかわからない。どうにも間が持たないので福島からのお土産をガサガサと膝の上で動かしたりしていた。握りしめた紙袋の取っ手は汗でクタッとなっていた。

清二さんが修行した老舗の寿司屋。それだけでワクワクした。
お義父さんが扉を開けた。
「いらっしゃいませぇっ!」
ものすごい勢いで声があがり、若い見習いの方の案内で二階奥のテーブル席に通された。歩きながら一階のカウンターを横目で見たら、なんだかとても乾いた感じの清潔そうな印象だった。
「息子が大変お世話になっています」と、義父はそこのご主人と丁寧な挨拶を交わした。『すしの雑誌』という業界誌に載っているご主人を見たことがある。協会の大きな役職に就かれている方で、ミーハーな私は
(本物だ…)と興奮した。
久しぶりの再会なので、ご主人と義父は積もる話に花が咲いていた。
手持ち無沙汰な私は大皿に盛られたお刺身を黙々と頂いた。
と言っても緊張していたので何を食べたか覚えていない。
「ウニを食べて御覧なさい」とご主人に言われて、おいしかったということくらいしか思い出せない。ただ、義父にお願いしてご主人にひとつだけ質問をさせてもらったのは覚えている。
「うちの嫁がどうしても旦那に訊きたい事があるって言うんで…寿司屋のことならほとんど私が相談に乗ってやることもできるんですが、今の時分東京でやりたいって言うんでね。しばらく東京から私も離れてますんで最近はどんなもんでしょうか」
義父は私に目で合図してきた。箸を置き、勇気を出して訊ねた。
「いずれ、五年から十年以内には東京で寿司屋をやろうと思っています。この時代、店を立ち上げてもそのあと続けていけるのでしょうか?」
ご主人は少し微笑んで、間をおいてから
「店の主が“飲む・打つ・買う”を一切やらないで、真面目にやっていくのなら絶対に店は潰れません」
と仰った。
「絶対…ですか?」
「絶対です」
この言葉に衝撃を受け、店を出す時にはこの言葉にとことんすがろうと思った。
お借りしたトイレの掃除の行き届き方にも驚いた。
ホコリとかいうレベルじゃない。塵ひとつない清々しい空間。
手洗いの蛇口が金色に光っている。それはもともと金ではなくてあまりに磨きすぎて銀のメッキがきれいにはがれて金色になってしまったのだ。そのくらい掃除をしている。
清二さんの修行の原点はこの地にあるのだ。

蠣殻町をあとにして今度は堀留町に向かって歩き出すと義父が言った。
「清二には八時くらいになるって言ってあるから。まぁそこでぱっと挨拶して、一時間も居ないで帰ろう・・気ィ遣って疲れたっぺ?家帰ってゆっくりすべぇ」
堀留町は清二さんの兄弟子の人がやっている店で、清二さんはそこで働いていた。お義父さんは初めて訪れるところなので一度お邪魔したことがある私が案内することになった。
歩いてすぐのはずなのだが…方向音痴の私はやっぱり迷ってしまい、なんとかお義父さんをそこにお連れできた時には緊張の糸もプッチリと切れ、清二さんに勧められるままにビールと日本酒を飲んで、若干へべれけになっていた。ただ、何故だかここでもウニがおいしかった。
いずれにしても寿司屋は一日に一軒、それも数日の間をおいて行ったほうがおいしく感じるということがわかった。

三つ折にした布団を横に並べてソファの背もたれというか、枕代わりにして義父と並んで寝っ転がりながら喋っていた。
「啓三、遅いな。いつもこんなもんか?」
「もうすぐ帰ってくるでしょー」
『クイズSHOWバイSHOWバイ』の特番も終わり、スポーツニュースか何かを見ている時だった。横にいる義父は眠たそうだった。
いくら暑いとはいえ、このまま寝たら風邪をひいてしまう。
タオルケットをかけなくちゃ…と立ち上がった瞬間ドアをドンドンと叩く音がしたので、のぞき穴を見に行った。鮨雅の後輩だった。
「どうしたの?」
「先輩が…先輩が…とにかくすぐに来て下さいっ」
「えっ…どういうこと」
「とにかく大変なんです、早く、店の前に行って下さいっ」
ただならぬ状況だというのは伝わってきた。とりあえずお財布と鍵だけ掴み、居間でウトウトしているお義父さんのところに行って声をかける。
「ちょっと何かあったみたい。すぐ戻ってくるから」
「おぅ、寝てるかもしれないから鍵かけといてくれぃ」
テレビのほうを向いたまま義父は言った。
ツッカケが何度も脱げそうになりながら後輩のあとを追った。
歩いて五分もかからないところなのに全然たどり着けない。私は走りながら質問をぶつけた。
「大変ってどういうことっ?」
「指が…指が…」
後輩は言葉が出ない。
「指がどうなのよッ」
「指が…」
「切ったの!?」
後輩は全速力で走りながら首を振る。
「指はあるのねッ!?」
ガクガクと首を前に倒した。よかった、指はある。
でも何が起こったのだろう。
前を見ると、十台近いパトカーと数台の救急車が一番町の交差点に溢れかえっていた。
サイレンの赤い光でやじうまの人垣が照らされたり影になったりしていた。
 
オカアチャン<後編>
一番町の交差点はパトカーと人で溢れかえっていた。
目を凝らしても主人がどこにいるのかわからない。苛立ち始めた時、横から声をかけられた。
「あ、カメちゃん、こっちこっち!」
鮨雅でいつもお会いするご夫婦だ。ご夫婦の足元にはアスファルトに座っている主人がいた。
「のんちゃんね、酔っ払いの若い人にからまれちゃったみたいで…私たちもたまたまコンビニに来たら、のんちゃんがすごい顔だったからビックリして、とりあえず冷やすことくらいしか出来なくて・・」
ロックアイスを袋ごと片目に乗せている主人が言った。
「らいじょぶ、らいじょぶ、ちょっと冷やせばよくなるから。オレさ、店休むわけいかないから、顔らけは守ろうとして手れ覆ったのよ。れも、何人かに思いっきり蹴られてたから、グーッと手に力入れてて、今気付いたら、指が曲がっちゃっててさ、力、入んないんらよ。オレ、今顔ろうなってる?鏡見たいな、血は出てないんらけろさ、顔見たいよ」
そっと氷の袋を外してみると、腫れ上がった顔が出てきた。
歯も見ただけではわからないが、喋り方からしてもダメージを受けているのはわかった。そして手を見ると、小指がぷらーんとありえない方向を指していた。かなり長い時間頑なに同じ体制を維持したせいか、手も、首も、肩も、プルプルと小刻みに揺れていた。
「…誰がやったんですか」
ご夫婦に訊いた。
「あそこのパトカーのところに立っている男の人たちがいるでしょ。駐車場の脇で事情聴取されている・・」
「…ノヤロォォォォォォ――――――――――――ッ!!!!!!」
人垣と警察官を押しのけて二人の男に飛び掛ろうとした。
その瞬間、誰かに後ろから羽交い絞めにされた。
すぐ目の前に加害者がいる。でも手が出せない。
耳元で男の押し殺す声が聞こえた。
「警察です。気持ちはわかるけどあなたがここで何かをしても事態は変わらない。いや、悪くなるだけです。堪えなさい、収めなさい」
「離せ、はなして下さいっ」
「ここは落ち着いて、あとは出るべきところで解決すればいいんだから・・」
「るせぇっ、ふざけんな―――――ッ!お前ら聞け―――――ッ!!板前はなー、手が命なんだよ!手が使えなくなったらどうしてくれるんだよッ、えッ?何とか言えコノヤロウ、寿司が握れなくなるんだよ!手が大事なんだよ!メチャクチャにしやがって!!!わかってんのかコラ!わからないなら指へし折って同じ目に遭わせてやるからこっち来いオラ!」
そいつらを目の前にして声が出なくなるまで叫び続けた。
「・・・はいはい、もうわかったから。ね、何か身元がわかるものある?」
「…私の、ですか?」
「そう」
腕を解かれたので、興奮を鎮めるように息を無理にゆっくりしながら免許証を取り出した。
「はい、ノガミユキコさんね、・・・はい、はい、と」
本当に頭にくると、こめかみがピクピクして脈が速くなり足が冷たくなる。
体中の血が頭に昇り頭が重くなっている。ボーッとしているが体が怒りで勝手に震えている。どうしようもできない。そのスーツを着た刑事らしき人が免許証の番号を手帳に書き込んでいるところを呼吸をしながらただ見ていた。
後ろから誰かが声を掛けてきた。
「あ、いたいた、○○さーん、救急車乗るから、一緒に!早く」
するとその人は手帳を胸ポケットにしまい、救急車に向かって駆け出した。
そして手招きをしながら私に向かって
「ほら、オカアチャンもこっちこっち」
と言った。
(・・・オカアチャン?奥さんのことをオカアチャンと呼んだりする刑事さんなんだな。まったく、しょうがないな)
心の中で思いながら救急車の後ろの部分から乗り込むと、既に主人が座っていたので声をかけた。
「とにかく指があってよかったよ。ナイフとか持ってる人だったら危なかったよ。これはもう、不幸中の幸いだと思おう」
“慶應病院、慶應病院”という声が救急隊の人、運転手さん、刑事さん二人の間で飛び交うと、じきにサイレンを鳴らして出発した。

救急外来の入り口から入るのは初めてだった。
待ち構えていた病院の方々に主人が連れていかれるのを見るとあとは待合室で待つしかなかった。そうだ、自宅にいる義父に電話をしなければ。公衆電話があるところに行き数回のコールを聞きながら繋がるのを待った。だめだ、出ない。きっと寝ているのだろう。
前回上京した時も救急車騒ぎがあった。その時は心臓発作だった。
清二さんの家に泊まりに来ていた義父が苦しそうにしているのを甥っ子が発見し、ママであるお義姉さんに伝えてすぐ救急車を呼んで助かった。
もしこれで電話が繋がって、息子が救急車で運ばれたことを知ったら・・義父がショックを受けてまた発作が起きるかもと思うとそれも心配だった。
どうしたらいいのだろう。ひとりで悩んでいると先ほどの刑事さんたちが私の目の前に来た。長椅子から思わず立ち上がった。
「この度は大変なことになってしまいましたね。こんな時にアレなんですが、お母さんね、息子さんの怪我の経緯についてちょっと話を聞きたいんでね、いくつか質問させてもらっていいかな?」
「息子!?」
「息子さんじゃないの?」
「ちがいますよ!」
私が憮然としていると若い方の刑事さんがその人にすぐ耳打ちをした。
「・・あ?あーぁ、お姉さんだ、お姉さん!弟さんの怪我のことでね・・」
「あの、弟でもないんですけど」
二人の刑事さんが向き合って首をひねっていた。
「ちょっと待ってよ、・・お母さんでも、ない。・・・お姉さんでも、ない。え?身内の方でしょ?だって名前は同じ “ノガミ” だもんねえ。じゃあ、あなたここまで一緒にくっついて来て、一体何なんですか?」
「何なんですかって・・あの、一応これでも “妻” なんですけど」
「う゛ぇえええ―――?奥さん!?奥さんなのっ?」
同時に二人が叫んだ。
いくら家からツッカケで飛び出して来たとはいえ、髪の毛ぼーぼー、首が伸びたTシャツ、ダボダボの短パンだからとはいえ、それはないんじゃないかと。さっきの免許証確認は何だったのか?いくら学年が三つ上でも“妻です”と言って“う゛ぇえええ――?”とまで言われる筋合いはないのだ。
救急車に乗る時、“オカアチャン、こっちこっち”って呼んだのは母親としてだったのか・・
簡単に事情聴取をした後、二人の刑事さんは私から一番遠い長椅子に腰を掛けて主人が出てくるのを待っていた。
緊迫した空気を破って鮨雅の親父さんが片手にヘルメットを持ってやって来た。
「のんちゃん大丈夫か?」
「あ、親父さん!いま治療中です」
「いやー、帰るときバックミラーになんか映ってたんだよ。のんちゃんはちょっと見えなかったけど他のやつらがさ、誰かに話しかけられてたのが見えて、あ、何だかやな雰囲気だな・・って思ったんだけど、そのままアクセル入れちゃって・・あの時引き返してればよかったな」
「そんなのわからないんだからしょうがないですよ」
「ん?カメちゃんなんか顔色悪いけど大丈夫か」
「大丈夫じゃないですよ。・・・いろんな意味で」

昼休みのオフィスは人影もまばらだった。いつも早く席に戻っている人たちと電話当番の人だけがパソコンに向かっていた。自分の席の下にカバンを置いてアロエヨーグルトが入ったコンビニの袋だけ持って仕切られているブースをいくつか覗いた。
「あ、カメちゃんおはよう」
いつもお昼を食べているメンバーがいた。デザートも食べ終わろうとしている。
「来るかと思ってお茶入れといたから飲みなよ」
四人掛けのちょうど空いている席に座るとどっと疲れが出た。紙コップのぬるいお茶をひとくち飲んだ。
「昨日はお義父さんと晩酌したの?」
「お寿司屋さんに行ったんでしょ、どうだった?」
この十二時間に起きた出来事の何から話そう・・時計を見ると休憩時間はあと十分を切っていた。歯磨き時間を考えるともう立ち上がらなければならない。
「う~ん・・いろいろあリ過ぎてさ、ちょっと語りつくせないから明日ね」
皆の反応はだいたい予想がつく。 
主人の怪我のことは本当に心から心配しつつ・・私が“オカアチャン”に間違えられたことをどうにも堪え切れなくて笑うだろう。
ぜひ笑ってほしい。その方が少しでも気持ちが紛れるから。

出前桶のラップ
子供の頃、一番の贅沢といえば寿司屋の出前だった。
チャイムが鳴ると玄関まですっ飛んで取りに行っていた。
母が代金を支払っている間、上がり端にうず高く積まれた出前桶の隙間から漂ってくる酢飯と海苔の混ざった匂いが好きだった。
「ねぇねぇ、早く食べようよう」
「我慢しなさい。お客さんがお帰りになったらね」
来客用の湯呑みと父の湯呑みに交互にお茶を注ぎながら母は言った。
一番上は中身が見える。
竹か梅か覚えていないが、松ではなかったと思う。
早く食べたい・・どの順番で食べよう。最後に何を食べよう・・
にぎり六~七カンと細巻きが入った桶を見つめながら何度もシミュレーションをした。
それにしても、なんでこのラップはこんなにシワがなく張れるのだろう。
寿司はとてもおいしそうに輝いていた。

「そろそろあがるよ」
お義母さんが割り箸を数えながら言った。
つけ場を覗くと直径80cmくらいの大きな出前桶に盛り込まれたお寿司が見えた。四台ある。板場では義父がガリの水気を切って桶の隅に押し込めているところだった。
主人は集金袋と車のキーをわしづかみにして地域の地図を見ながら私に言った。
「ほら、一緒に行こう、上の二台、早くラップして」
業務用の長いロールに巻かれたラップを手渡され、戸惑いながらもその寿司が盛り込まれた大きな桶にかぶせてみた。
するとラップはモヤモヤーンとかぶさるだけで、あのピーンとした感じになってくれない。
あっちをひっぱりこっちをひっぱり悪戦苦闘していると義母が一旦ラップを外して、きつく絞った手拭いでサーッと桶のフチを拭いた。
「こうするとピタッとするのよ」
わずかな水分でフチに吸い付いたラップは憧れのピーンと張った状態になった。
「これこれ、これなんです!あー、スゴイ!!」
「ラップはね、一本でもシワがあったらダメなの、いくらいいお寿司でもおいしく見えないの。少しの違いなんだけど見栄えがうんと変わるから」
なるほどと頷いていると主人が言った。
「ラップを長めに切って、下の桶の胴体に貼り付けるようにして。そうすると重ねたところがズレにくくなるから」
おぉ、なるほど。寿司屋に嫁に来たって感じだなぁ。
後部座席に積んだ寿司桶を見守りながら、もれてくる酢飯の匂いをクンと嗅いだ。


花屋さんの入り口にある植木鉢にはもうすぐ咲きそうなピンクの小さい花がたくさん控えていた。
シロツメクサに似た野草の雰囲気が気に入ってお店の人に無理を言って譲ってもらった。
「本当は売るものじゃないんですけどね。六個の苗をあわせて、ここまで見栄えがよくなったのはこれだけなんですよ」
歩いて500mくらいの距離を台車で運んでもらった。
当店にふさわしい一階のディスプレイ。わかりにくい店内のイメージを伝える効果が少しでも出てくれればいいと思った。
「へぇー、いいじゃん」
主人も気に入ってくれた。
翌日、咲きそうな花はすべて無くなっていた。
顔を突っ込みそうになりながら鉢を見つめると細い枝状のところがあっちもこっちも裂いたようになっていた。
花折る人へ

私はかなしい

通りを歩く人がこの花を愛でることをたのしみにしていたのに。

よく見ると、つぼみはひとつふたつ、青く小さく見え隠れしていた。

三階に移そう。

辛抱強く一階に置き続けられなかった負けた感じとガラス越しにお客様に見ていただければそれでもいいという、少しほっとした気持ちが混ざったまんまでしばらくしゃがみこんでいた。

私の手
「なま、リャンね!」
直前に起きた私の非常状態など知らない主人は板場から容赦なくオーダの声をあげた。
「はぁいっ!かしこまりましたっ」
生ビールサーバーのコックを持った右手、グラスを持った左手、どちらもビジュアル的にマズイことになっている。
アカギレが悪化していた。網目になった無数の切れ目のクロスした数箇所からは血が出ていた。
手の甲はよく見ると東急ハンズのボードゲーム売り場にこんなゲームがあったかも…と思わせるような赤い点と線の複雑な模様になっていた。
このままお客様の前に出て行ったら絶対によくない。
「最初の何年かは手が荒れるから覚悟しなさいよ」と、義父、義母、祐兄ちゃん、清二さんからはしょっちゅう言われていた。
「お湯を使うと手の脂が落ちちゃうけど、まぁ水は冷たいから大変だしね。仕事中はハンドクリームなんか塗るわけいかないから、寝る前にね、たっぷり塗って。それで手袋。そしたら大丈夫だから」
お義母さんのアドバイスが頭をよぎる。横着な私はそれを怠っていた。
言うことを聞かなかった罰か・・と落ち込んでいる場合じゃない。とりあえずこのビールを運ばねば。
濡れたタオルに甲をバンバンと打ち付けて血を拭き取り、勢いで持っていく。
そしてすぐ裏へと引っ込む。
ドラッグストアのビニール袋から水絆創膏を取り出した。
以前、指のフチが割れて困っていた時にいつも行く八百屋さんに相談したら水絆創膏が一発で傷がふさがるからいいと言われて用意してあったものだ。
説明書を見たら、薬の効果がある瞬間接着剤みたいなものだと思えた。
たしか大仁田は有刺鉄線マッチの時にはほとんどアロンアルファで治したと言っていた。よし、これだっ。これしかないっ。
急いでティッシュで血を拭い、血が出そうなところを狙ってつけた。
「はぅっ!っつ ――――――!!!」
傷口がむき出しになっているところにこれはキツイ。こんな痛みは初めてだ。あまりに痛すぎて涙も出ない、というか目から水蒸気が噴き出してくる。しかも、この衝撃を七~八回いや、両手だからその倍は繰り返さなくてはならない。耐えられるのか?
「あっ!」
すぐ固まらないジェル状の水絆創膏の下から、あっというまに血が滲んできてきれいなビー玉模様みたいになってきた。
「冷酒ピンね―――!」
また主人の声が飛ぶ。あぁ、早く出なければ。もう混ざってもいい!
血と水絆創膏が混ざった状態をティッシュで拭ってすぐに、またうおぉぉぉぉぉ――っと気合をいれて左右の手とも、もう一回ずつ塗り直してから日本酒をお客様へ持って行った。
その日の営業が終わりカウンターでぐったりしながら何年か前に義父から言われたことを思い出していた。
「お義父さんがね、“オレらの時代はこの道に入ってまず最初の冬の水仕事でシビレっちまって逃げ出すやつが大半だからな”って言ってたよ」
すると主人が言った。
「実家でよく言われたよ。“寒風吹きすさぶ中でな、濡れた手のまんま出前行って、帰ってきたら洗い物がいっぱいでよ。モタモタしてると下駄で殴られたり蹴られたりよ。オレが修行した時代に比べると、お前らは 幸せだ”って。清クンも修行時代、最初の二~三年は手なんかガビガビで、ほんっとひどかったもんなぁ。慣れてくると荒れなくなるもんなんだよ。あとね、板前は魚を触るから魚の脂が手についたりして保護膜の役割もしたりするんだよね。洗い物だけやっているほうがよっぽど荒れるよ」
乾いた手の甲には剥がれかかったシール状の水絆創膏がウロコのようにへばり付いていた。
私も何年かしたらビクともしない手になれるのだろうか。
修行してきた人たちの足元にも及ばないけれど
荒れた手が少し誇らしかった。