おかみノート
主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。
今まで見たり聞いたり体験した 寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。
傷口の話
修行中は大根をむいていても魚をおろしていても指を切ることが多く、鮨雅に置いてある何百枚か入りの絆創膏の箱は一年で使い切ってしまうのだと言っていた。
師匠である店の親父さんは主人が怪我をする度に
「おう、また切ったか。これでまたひとつ覚えたな。上手くなるぞ。どんどん切ってどんどん覚えろ」
といつも言っていたそうだ。
深い傷を負った時は血が止まらず仕事から帰ってくるなり新しい絆創膏に替える時もあったし、朝シャワーを浴びた後に貼ることもあったのでテレビの横にはいつもお徳用絆創膏が置いてあった。
ある日、指の血がどうしても止まらない場合は沸かしたお酢の中に指を突っ込んで治すのだと聞かされた。
「しぇ――っ!お酢を沸かして!?」
「うん」
「イタタタタタ・・・」
「親父さんがさ、止まるっていうんだよね」
「沸かしてでしょ?」
「うん」
「グラグラに?」
「いや、さすがに沸騰してたら怪我してない指でも辛いよ。・・そうねぇ、ずっと突っ込んでいたら熱いってくらいの温度かな」
「痛いでしょ」
「痛いなんてもんじゃないよ」
「どんな痛さ?」
「傷口に何百本もの針の先をこう、一気に突き刺したって感じ」
「・・・で、止まるの?血」
「もうね、止まるとか何だとかそういう問題じゃなくなってきてね、あまりの痛さにもう何だかワケわかんなくなっちゃうのよ。だからいいのかもしれないけど」
自分で店を始めてからは絆創膏の箱はお徳用箱から二十枚入りにダウンサイジングした。
今でも少しは切ることもある。
ただ、怪我をしすぎて体がメンテナンスを早くせねばと思っているのか、少しの傷なら一日で治ってしまう。
先日、老舗の寿司屋の板前さんに訊ねることができた。
指を切った時どうしますか、と。
「まず塩ですね。ええ、傷口に塩をたっぷりと。そうすると血が止まるんですよ。で、それを流してからお酢をかけます。消毒になるんですよ」
沸かした酢。
塩ののち酢。
どちらも、どちらも痛そうである。
愛のビンタ
空いたグラスをお下げしながら「あはは」と私が反応した時だった。
お客様が真顔になった。
「・・・ママがそこで笑っちゃダメだ」
ビールをぐいっと飲み、視線を落として
「今ので一緒に笑っちゃダメでしょう」
と。そして小さく舌打ちがあり
「OLだったんだっけ?」
と問われ、「はい」と応えると
「・・・・あのさぁ、ママ。ほんとダメだからね!そーゆうことは。わかった!?」
内容はお連れの方の失敗談のようなものだったと思う。
私は面白おかしく自虐的に話されているそのお連れの方のお話を聴きながら楽しく賑やかにご一緒しているつもりだった。
“牛乳とガム買って来い事件”から二ヶ月。
うちの店を気に入ってくださったそのお客様とはすっかり打ち解けていた。
打ち解けているとは言っても『お客様』と『店の者』という一線を越えず、きちんと接客をしているつもりだった。
それが出来ていないということを告げられた。
まるで後ろからスリッパで殴られたような気分だった。
いや、もう少し受け入れ難いようなでも呑み込まなくてはいけないような気持ち。
なおも談笑は続いておりここで逃げるわけにはいかない。
「はい」と言った後、顔が引き攣りながらも会話に加わったままいろいろと考えた。
ショックだが言ってもらえたのは有難かった。
以前、私に対してムッとして帰られたお客様がいらしたからだ。
私の対応がよくなかったのが原因なのは明らかだった。
「あのね・・。・・・まぁ、いいか。はい、おあいそ」
と言葉を呑み込んで帰られたのがずっと気になっていた。
あるいはそんな素振りも見せず帰られたお客様も沢山いらっしゃったのではないだろうか。
そうやって考えてみると、お客様からのこのご指摘は二ヶ月ほど私を見ていてどうも本当の意味での接客が出来ていない、全部ひっくるめて教えてやらねば俺が、という苛立ちと愛情の雑じり合った発言だったのではないかと思えてきた。
グラスを洗いながらそんなことを考えていた。
ヒリヒリする心を手にじゃぶじゃぶと注がれる水道水で冷した。
うちが半年を過ぎてもあまりに閑散としているのを心配してご出張の度にお見えになっていた方とお話している時のことだった。
「お店、…いいお店なのにねぇ」
「ありがとうございます。でも、こんな状態で…」
「元気出して。僕ね、いろいろな寿司屋に行くんですよ。いわゆる有名店っていうところも仕事がらみで行ったりね。でも独りで食事となると気に入ったところに決めてずっと行きたいわけ。・・・正直に言っちゃうと初めて来たあとしばらく・・そうだな一ヶ月、一ヶ月半くらい?空いてた時期があったでしょ?あの時ね、実は結構広範囲もう有名無名問わず直感でどうかなっていう寿司屋をぶぁ~って行ってみたのね。で、結局。こちらが一番、おいしい。本当ですよ」
嬉しさからつい気持ちが弛み、談笑ののち愚痴をお聞かせしてしまった。
開店して三ヶ月はお祝い景気でちやほやされたこと。
大きな波が引き、そこからはずっとこの状態だということ。
「で、ある法則が分かったんですよ」
私は得意気に言った。
「お帰りになる時に“はーい、どうもー、また来ますねー!”って明るく仰る方はまずほとんどお見えにならなくて、何も仰らない方はまた来てくださることが多いんですよ」
湿った裏庭に張った蜘蛛の巣の住人のような目つきをして私は言った。
十余年勤めた社からの退職、その一ヶ月半後には寿司店を開業。
華々しく注目を浴びる時期も過ぎ誰からも忘れ去られた気分だった。
がらんとした店内の窓から斜め向かいの回転寿司店に行列するお客様を見ながら恨めしく思う毎日。
せめて強がりにそんなことを言った。
その日のお見送りの時だった。
振り返ったお客様が私の目を見た。
「あのね・・」
「はい」
「確か僕は初めてここを訪れた時、“また、来ますね”って言いましたよ」
「・・・・・・」
「そしてまた来ました」
「・・・・・」
「何度も」
「・・・はい」
「ね?あなたの法則、当てはまらないんじゃない?」
「・・・・・」
「お客さんにね、そんなこと言ったら・・。わかりますよね?」
「はい」
「じゃ、また来ますから。がんばって」
「どうもありがとうございます」
螺旋階段を降りていくお姿が見えなくなった。
私、えらいこと言っちゃった。
でも叱ってくれた。
教えてくださってありがとうございましたと心の中で呟いた。
センサーマン
穴子を焼き網に載せてじっくり炙っている時
手のひらを上にして指四本を揃えたまま
指の部分で穴子を何度か触っている主人を見たことがある。
それは小児科のお医者さんが聴診器で子供の胸の音を聴く仕草に似ている。
店が終わった後、主人に訊ねた。
「穴子を温める時、何で手を裏返しにして触るの」
「ああ、あれ?あれは指の腹の部分だと熱さにもう慣れちゃって鈍感になってるから裏のまだ感覚がまともな方でどのくらい温まっているかを測っているの」
「あーそうなんだ」
「他にもそういうのあるよ」
「どこ?」
「あん肝を蒸して中まで火が通っているか確める時竹串を刺すのね。で、すぐにくちびるに当てて温かければOK、と」
「ほー」
「あと大根のツマをむく時にね、包丁持った手の親指で送るのと同時に厚さを触りながら測ってるから、ほら削れちゃうんだよね」
親指の腹の皮がだいぶ薄くなっていた。
「もっといろいろ体の部分を使ってるんだけど、うーん・・すぐには出てこないなぁ」
「アオヤギの仕込みなんかもそうだよね。熱いのをどこまで耐えるかっていう」
「・・ああ、そうね」
知らない人にとっては新鮮な動きも、主人にとっては仕事としてやっているから当たり前過ぎて特別なこととは思わないのだろう。
毎日神経を使っているだろうなと思うものがある。
シャリを炊く際の水分量だ。
その日の気温、湿度、米の状態。
それによって研ぎ方も水に浸す時間も違ってくる。
常に仕上がりが同じになるように調整する。
シャリをやっている時の主人は北斗の拳のケンシロウが全身からむぁ~っとなんかを出しているのと似ている。
近寄れない。
あっちこっちにセンサーがあるセンサーマンだ。
畳のこと
その畳屋さんにお願いしたのは店を始める時にお世話になった畳屋さんに「裏返しなどせず総とっかえしろ」と言われたからで、小上がりの畳を全部替えるお金などなかった私は迷い込んだ隣りの隣りのそのまた隣り町にある畳屋さんに予算交渉をしてOKをもらい店の定休日にあわせて来てもらっていた。
もの静かなその畳屋さんはテーブルを退かした小上がりを見てズブリと一撃、太く短いキリのようなもので畳の片隅を刺すとあれよあれよという間に全部の畳を上げてしまい、目の前は木の枠と床面に敷いてある新聞紙の世界になった。
新聞の日付はかなり懐かしい時代のもので、テレビ大好き人間としては床に這いつくばってラテ欄を見ていたかったのだが畳屋さんに申し訳ないのでぐっと堪えた。
「中身ボードだね」
立てかけた数枚から一枚を横にして畳屋さんは言った。
「ボード。あ、発砲スチロールみたいなのってことですか」
「・・・うん。全部替えろってその畳屋さんに言われたの?」
「はい」
「・・・なるほど」
私は訊ねた。
「本当は裏返しじゃなくて全部を替えたほうがいい時期に来てるってことなんでしょうか?」
「うーん。大丈夫ですよ、裏返しで」
「ほんとですか」
「ほんと、ほんと。またね、三年くらい経ったらそのときはほら、全部替えればいいから」
「中身はイグサの方がいいんでしょうか?」
「いや、いいんじゃないこういうので。何年かおきに裏返して替えていけば。それより日頃のお手入れが大事だよね」
畳屋さんは太い糸を断ち切ったり表畳を剥がしたりしながらこう言った。
「濡れた布で拭いていたでしょう」
「うぇっ・・はい、わかりますか」
「色変わっちゃってるからね」
「かなりきつく絞ってから拭いてるんですけど」
「乾いた布でね、さっさっとするくらいでいいんですよ」
立ち上がったり座ったりを繰り返しているのにそういった物音は一切なく、畳と畳にまつわる道具の間で奏でる音だけがしていた。
「昔は湿らせた新聞紙をちぎって撒いてからほうきで掃いたって・・そう言いますよね?」
この際だから失礼かもしれないけれど疑問点は質問してしまおうと遠慮がちに尋ねてみた。
「新聞紙・・・ほこりを捉えるからね。・・まぁ当時から掃除機があれば掃除機で吸ってると思うけどね。一番いいのは目に沿ってゆっくりとこう、ずーっとやっていくこと。ね?」
主人が一番町の鮨雅に勤めている時、十七名様の宴会が入っているのに若い職人さんが店に出られなくなり、急遽手伝いに行ったことがある。お座敷の掃除を命ぜられた私はほうきでザッザッと掃いていたところ、その適当さが逆鱗に触れ親父さんにえらい怒られたことがあった。
「畳を掃くっていうのはな、こう、目に沿ってきちんとこうずーっとほうきの先に神経を集中させて掃いていく。やってみろほら!四角い部屋を丸く掃くっていうのはさっきみたいなのを言うんだよ!・・・そう、そう、そーう、ほらやればできる!汗掻くだろじわっと?ちゃんと掃除すりゃ汗が出るんだよ」
そう言われたことを思い出していた。
「奥さん?」
「はいっ」
「さ、あとは縁を選んでください」
「ヘリ?」
「畳縁。いくつか柄がありますから」
「たたみべり・・」
「こういうのはだんなさんじゃなくて奥さんが決めるのがいいのかな」
十二~十三センチの畳の縁だけが紐でまとまっているその束から五パターンだけを扇形に並べて
「緑系は替えたばっかりの時はしっくりくる。茶系はその逆。どうしますか」
と訊かれた。
緑系の紋様を選ぶとそれは持ってこなかったらしく「ちょっと取りに行って来る」と畳屋さんはご自宅の仕事場に戻っていった。
畳屋さんが戻ってくるまで主人と二人だった。
「これでよかったよね?」
「いいでしょう」
「記念になるよね?」
「なるよ」
「うちらに出来る目いっぱいだもんね」
あと五日で三周年だった。
店が三才になるお祝いを自分たちの出来る範囲で何かひとつしたかった。
別の畳屋さんが作った畳を裏返すというのはそれほど勝手はよくないだろう。
それなのにやっていただけて本当にありがたかった。
戻ってきた畳屋さんがすべてを終えて思い出したように言った。
「娘がね、なにかその・・店のわかるものを欲しいって・・」
「お嬢さんってあの店先でお仕事をしてらした・・」
訪ねて行った時、舗装道路に作業台を出して仕事をしていた女性を思い出していた。
「そうです、あれ娘です。“こんなお寿司屋さんあるよ”って言ったらそんな場所に寿司屋があるの知らなかったって言われて、ぜひ知りたいから何か情報が書いてあるもの持ってきてくれって」
手作りのチラシを五部ほどお渡しして主人と最敬礼でお見送りをした。
畳からはほんのりといい匂いがした。
畳をじっと見ていて思い出した。
敷いてある古新聞のラテ欄をチェックするのを忘れた。
盛込みの色いろ
出前のすし。
ふたつの大皿ににぎりを並べ始めている主人を見て「何か並べる順番に法則みたいなのはあるの?」と訊いてみた。
「赤の隣りには白、白の隣りには黄色、または青。あと黒いものは天地・・かな」
「どーゆーこと、どーゆーこと?」
私の問いに主人は答えた。
「赤はほら、見れば判るでしょ。マグロの赤身、トロ、海老、赤貝なんかね」
トロと赤身のにぎりは主人の手によって大皿に配置されたけれど、まな板にはまだこれから運ばれるのを待っている車海老、赤貝、イカ、コハダ、サバ・・など沢山のにぎりが四カンから六カンずつ、間を空けずびっしりと並んでいた。
「白はイカとかヒラメとか?」
「そうそう、あとミル貝もそうだね」
「青はヒカリモノのこと?」
「そうね、サバ、コハダ、サヨリ、アジなんかね」
「あと何色だっけ」
「黄色。玉子焼き、あと数の子とか。黒はトリ貝、それとのり巻。この五つの色のバランスを考えて盛り込んでいく」
「あ―――――!」
「なにっ?なに?どうした」
「・・・たしか載ってた」
「何に?」
「アレに」
店の本棚から『すし技術教科書江戸前編』を出してバラバラとめくった。
「やっぱりあった!“盛込みのポイント、配色よく盛込むこと。すしのタネには大きくわけて青、黄、赤、白、黒の五つの系統の色がある。これが 青(しょう)、黄(おう)、赤(しゃく)白(びゃく)、黒(こく)といわれるすしの五色である”だって。この字の並び、どっかで見たことあると思ったんだよなぁー。そっかぁ、そういうことだったんだなぁ~」
「なんじゃそりゃ」
「え?」
「聞いたことない。オレ、そんな風に習わなかったし」
「あ、そうなの?」
「初めて聞いたよ、何、しょうおう・・?」
「しゃくびゃくこく」
「ふーん」
主人はまな板の上のにぎりはすべて並べ終え、なるべく海苔がしなる時間が少ないほうが良いイクラやウニの軍艦巻きを作り出した。
「音だけ聞くとさー、なんか北斗の拳に出てきそうだよね。“あーたたたた――!!しょうおうしゃくびゃっこく!!ひでぶ~!“あ・・べ・・し・・・!”みたいな」
主人は私の言葉を聞くことなくひたすら手を動かしていた。
「あと天地っていうのは・・何?」
「のり巻は黒で締まる印象があるから上とか下に持っていく。ほら最初に巻き物をいれて、それから赤いものを並べたでしょ」
「なるほど」
「今日のはおめでたい席用だから赤とか白を多くしたね」
米寿のお祝いにと特別に頼まれたおすしだった。
中央上部に並んだ海老の赤と白の縞模様が眩しい。
「お祝いは華やかに。でも御通夜とかお葬式の席に頼まれたおすしは地味めに」
「地味ってどういうふうにするの」
「白・青・黒を多めにする。赤と黄は少なく。まあ赤はせいぜい赤身を入れるくらいだね」
「なるほど」
「あー・・御通夜って言えば子供の頃失敗したことがあってね。実家の近所で御通夜があって出前が入ったのよ。その頃オレ出前っていうと必ず板前さんにくっついていって“お待ちどうさまー”って言うのが楽しみで楽しみで。とにかく元気に大声でやれっていつも言われてたから、御通夜の家の玄関先でも大きな声で“お待ちどうさま――!!”って叫んだら“バカっ!こういう時は小声で言うもんだ”って叱られて」
ふと盛込んだすしを見ると穴子が冷たいままで握られていた。
「あれ、穴子炙らないの?煮詰めも塗らないの?」
「んー、炙っても食べる前に冷めちゃうからね。あとツメも隣りのにぎりにくっついちゃうとよくないから塗らない。そのかわりワサビを入れて握る。はいラップして」
主人は甘酢を絞ったガリをギュッとのせた。
仕上がったところに鶴と亀に切った笹を飾った。
「笹もね、昔は笹切り屋さんがいて、出前に行く家の家紋を切ったりしてたらしいよ。あとにぎりとにぎりの間に挟む剣笹なんかはおめでたい時には立てて、御通夜やお葬式の時は寝せて上から置くだけにするとか聞いたことがあるよ。五色も大事だけどこの笹の緑色があることですごくすしが生き生きとすると思うのねオレは」
慎重にラップをしながら「しょう・おう・しゃく・びゃく・こく、プラスみどり」と呟いた。
あらばしり
店を始めた頃、麹町の酒屋さんから珍しい日本酒が入ると連絡をもらうようになっていた。
冬のある日、自転車でその四合瓶二本を受け取りに行き店に戻るとすぐおしながきを書き始めた。
ラベルの裏に搾りがどうのこうのと解説があったので一番太字になっている単語を強調すればいいかなと思い『あらしばり○○入荷致しました』と魚の名前の隅の方に筆で書いた。
営業時間が始まるなりお客様に言われた。
「・・・カメちゃん。これさぁ、あらしばりじゃなくてあらばしりだよ」
「えっ、荒縛りじゃないんですか?」
私はかなり適当なところがある。ラベルをざっと読んだところ、縄で縛って搾って…みたいな箇所があったなーと思ったので荒縄縛りを略して“あらしばり”と書きましたと説明した。
「荒縄縛り!?そんなこと書いてあるわけないでしょーが。アブナイよ、それ」
と笑われてしまった。
それから七年が経ち、今お世話になっている酒屋さんであらばしりが入りましたと教えてもらった。
「あらばしり、そんな時期ですかー」などと言いつつ過去の荒縄縛りのことを思い出してニヤけた。
チクショウ
ご婦人が扉を開けて飛び込んで来た。
やっていますかと訊ねられたのでやっていますと答えた。
「ああーよかった間に合ったわぁ。・・ええとこちらの有名なおすし、ください」
まだ暑さが残る日だった。
主人が言った。
「あの、どんなおすしでしょうか」
「え、ここのおすしよ。ほら、何て言ったかしら…ああ、おばあちゃんに頼まれてきたのに!大好きだってここのおすしが。少し待ってくださる今電話で聞きますから」
ご婦人はハンドバッグからハンカチを取り出し、額の中央、こめかみ、首の右、左と押さえながら携帯電話が繋がるのを待った。
「あっおばあちゃん?私、いま四谷。間に合った、間に合った。あのね、おすしの名前何て言うの?忘れちゃって・・え、茶巾?茶巾ずしね?はいわかったわ。・・・はい、はーい」
主人と私はどう言っていいのかわからず黙っていた。
「わかりました、名前。茶巾ずしをください…ええと、折箱の何個入りって頼んだほうがいいのかしら?」
主人が言った。
「…あの、それでしたらお隣の関西鮓さんじゃないでしょうか」
「えっ?」
「あちらの茶巾ずしだと思います。まだ今でしたら開いています。急がれたほうが」
「えっ、だってこちらは…?」
「江戸前寿司です」
「江戸前・・・あの、前からあったかしら?」
「三ヶ月前にオープンしました」
「そうだったんですか。ごめんなさい、・・・あの、一人前お持ち帰りできるかしら。握っておいてもらって後で取りに伺いますから。そうしたらお隣りで頼んでからだとちょうどいいし」
主人は言葉を遮るように言った。
「無理にご注文なさらないでください、うちは大丈夫ですから」
「ううん、無理じゃないの!無理にじゃないの!私は生のおすしのほうが好きなの、おばあちゃんに頼まれたのは関西鮓だけど私は握ったのが食べたいの、暑いし食欲ないしちょうどいいし。だからやっておいてちょうだい、ね?」
この一折が今日一日の売り上げすべてかもしれなかった。
何日も、何週間もガランとした店内。
お隣りに間違えられたって当たり前のキャリアの差だ。
むしろこんな分かりにくい場所に上がってきて頂いただけで感謝しなければならない。
それなのに
せっかくお声を掛けていただいたのに
素直に喜べなかった。
チクショウ、と心の中で言った。
もし心が豊かなら
ベストを尽くしている結果がこうなら
チクショウとは思わない。
まだじゅうぶんにやるべきことができていないことや
やらなければいけないことがなんなのかわからないことや
やっているけどそれがはたしてあっているのか
確信が持てないことや日々のイライラ、不安を全部
ぜんぶこの出来事に転嫁しようとしていた。
チクショウと念じた言葉はぐるっと店内そこらじゅうの空気を
悪くして己の心に戻って突き刺さった。
出来上がったおすしを包装して割箸を刺して手提げ袋に
入れて笑顔でお見送りした後も、甘えた素直になれない
自分のキャパの狭さに落ち込んだ。
テッポウの認識
お客様と主人の会話。
「テッポウください」
「テッポウって・・・どういうのですか?」
「かんぴょう巻にわさびをたっぷり入れたものですけど」
「切らないで、一本まんまですか?」
「いや切ってください」
「四つ切りですか?」
「そうです」
「わかりました」
その日の営業が終了。
主人と私の会話。
「アブなかったな」
「テッポウのこと?」
「そう。なんか巻き始める直前に鉄火のことじゃないって気がしたんだよ」
「でもお義父さんはそう言ってたんでしょ?」
「たぶんね。オレは鉄火巻の切らないものがテッポウだって思ってたんだけど。でも店によっていろいろな呼び方があるだろうからどれが正解っていうのはわからないよ。そういうことで言えばホテルに勤めている時なんか寿司屋の用語をお客様に言うの禁止だったね。ガリは“生姜の甘酢漬け”、煮詰めは“甘いタレ”って言わなくちゃいけないんだから。生姜の甘酢漬けなんて逆になんのことだかわかんなくてかえって悩んじゃうよね」
前掛けを外しながら主人は笑った。