四谷三丁目すし処のがみ・毎日のおしながき

冬から春が旬である貝がそろそろ終盤、初鰹・鰈・鱸・鯵など夏の魚が出てきました。

『スズキのアッリオーリオ』 『マンホール・ベイビー』

2016-08-16 18:09:09 | 『スズキのアッリオーリオ』『マンホール・ベイビー』

おかみノート
 主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。今まで見たり聞いたり体験した 寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。

『 スズキのアッリオーリオ 』
「にんにくと玉ねぎ、買ってこれる?」
スズキをおろしながら主人が言った。
「にんにくぅ~?何すんの、どうすんの、店で使うの?」
賄いではにんにく使用を禁じられている。これは食べた自分の身体に纏うにんにく臭がお客様に失礼だから、という主人の考えからくるものだ。
カツオを仕入れた時には、にんにくが合うのは承知していながらも使わない。おろしたりスライスしたりすると手に臭いがついてしまうというのが理由だ。あと、食べた人の息が食べてない人からすると物凄いものがあるからだと言う。
それなのになぜ、と思った。
「スズキ半身仕入れたんだけど、どうしようかなーと思ってさ。生と昆布締め、あと塩焼きでもいいんだけど今日は暑いし試しににんにくと玉ねぎとオリーブオイルでホイル蒸しにしてスタミナつけてもらおうかなー、と」
「にんにく触るのどうするの」
「やってよ」
「私が?」
「そう」
「手に臭いつくじゃん!」
「だからつかないように気をつけてさ」
「えー・・」
「今日たぶん○○さんがお見えになるから、こういうものお好きじゃないかなって」
○○さんは毎日のように来てくださっている方だった。
開店して二年が経っていた。
お客様から直接言われたわけではないけれどどんなに手を替え品を替えしてもメニューに飽きがきているように感じていた。主人が何か新しいものをと模索する気持ちもよく分かっていた。
「たしかにおいしそうだよねー。・・でもさ、ホイルからにんにくの香りがかなりするんじゃない?いいの?」
「んー、生のにんにくじゃないから大丈夫でしょう」
主人の返答を受け、それではと立ち上がる私の後ろから“試しにさ、やってみようよ”という声が聞こえたので小さく頷き八百屋さんに向かった。
指示の通りにスライスした玉ねぎとにんにくはスズキの切り身とともにホイルに納まった。
メニューの名前は思い切ってイタリア風に“スズキのアッリオーリオ”にして、筆文字で少しおどけたふうに書いた。
私はかなり満足気で、なんだかこれひとつでガラリと店がいい感じに変化したように思った。
メニューを見た○○さんはさっそく“スズキのアッリオーリオ”を頼んでくれた。
やがて玉ねぎがとろける匂いとにんにくのいい香りが店じゅうに拡がり始めた。
蒸し上がりと同時に細長い皿の上に載せ、串切りにしたレモンを添えてお出しした。
ひとくち、ふたくちと食べ始めた○○さんは言った。
「・・・あのさぁ。これおいしいよ、すごく。俺としては嬉しいけどこの店としてはどうなわけ?」
「は?」
私はお盆を持ったまま訊き直した。
「だからさ、この匂いだよ店の中の。今は俺ひとりだからいいけどにんにく充満しちゃってるでしょ?」
「はぁ・・」
「たとえば違うお客さんが入ってきたらどう思うよ?中にはさ、それおいしそうだからって頼む人もいるかもしれない。でもさ、寿司屋でしょ。この匂いはマズイでしょやっぱり。それにこの店はイタリア風だとか、こんなことをやって生き延びていく店ではない」
その通りだった。迷っているところをズバリ言われた。今日メニューとして出す前に私がこの決断をしなければならなかったのだ。 言葉もなく佇んでいると、ドアが開きお客様がお見えになった。
その方もやはりいつもの店ではない匂いと、いつものメニューにはないそれを話題にしたのち頼んだ。
店じゅうがまた食欲をそそる匂いになり、やがてホイルに包まれたスズキが出てきた。食べ終わったお客様が言った。
「・・これ、すごくおいしかったんですけど、いいんですか、こんなの出しちゃって。僕はいいんですけど、これじゃ…こちらのお店 じゃないと思いますよ」
すると○○さんが
「あ、俺も今ね、そう言ったの!ですよね?これ出しちゃダメだよね。・・食ってて言うのもナンだけど。あっはっは」
と愉しそうに言った。
「何か変わったものを…と思ったんですけど、ちょっとやり過ぎました。お客様に喜んでもらおうと、つい一線を越えてしまいました。 やっぱり余計なことをせずにシンプルにやっていきます。ありがとうございます。また何かあったら言ってください」
主人がそう言うのを聞いてホッとしたし、私もそう思ったし、そう言ってくださるお客様がうれしかった。
お客様のほうが私たち以上に店のことを考え、そして見守ってくださっている。
本当にありがたいと思った。

『 マンホール・ベイビー 』
“吉永サヨリください”って言う人がいるよね、というお話をお客様がしていらっしゃる時だった。
「サヨリに引っ掛けてのダジャレもそうですけど、シャコのことは築地でも“ガレージ”って言ったりしますよ。あ、もちろん言わない人もいますけど」
主人はご注文をいただいたシャコのにぎりに取り掛かりながら言った。
一カンは煮つめをつけて、もう一カンは煮つめを付けないでというご注文だったので一尾はすぐ焼き網に載せて強めの中火で焼き始めた。
もう一尾は雪平鍋にお玉一杯ぶんの出汁を張り点火、そこに淡口醤油を適量入れ、沸騰しかけたところにポンと投じた。
軽く煮えたところをそっと金箸で掴みまな板に乗せると湯気が上がる。左手でそのシャコの上部を軽く持ち、右手はシャリを握りながら人差し指でワサビをシャコに付け素早く握る。まずは煮つめを付けない方をゆっくりとお客様の前に置いた。
お客様は間髪入れずに頬張った。
「ん――?ん?・・ん?なんでこんなにしっとりしてんの、このシャコ。ふつうバッサバサなものが多いじゃん」
主人は焼き網のシャコをひっくり返しながら
「シャコの茹でたてっておいしいんですよね。できるだけその状態に近づけようと思ってやってます」
と言った。
「へぇーそうかぁ、だからか。あーでもうまいねぇ」
「ありがとうございます」
焼き具合をちらと目で確認してシャコを金箸で取り、さきほどと同じ手順で手際よく握り今度は小さい皿の上に載せた。
薄っすら焦げ目の付いたシャコの真ん中あたりに、こってりとした煮つめを刷毛でなんとか落とすとそこから湯気が立った。
「おっほぅ、ほぅ、あふ、・・香ばしい。しっとりしたさっきのもいいけど焼いたこの感じも煮つめと合ってていいね―」
「さっきの出汁醤油で温めたものに煮つめより僕はこのほうがいいかなと思うんですよね。でもお好みは皆さんおありだと思うのでご希望をおっしゃっていただければ、その通りにやります」
店内には出汁醤油の匂いが漂っていた。
「ガレージで思い出したんですけど」
「うん」
「実家ではストリップ巻っていうのがありまして」
「ストリップ?」
「ええ。よく外国で見かけるような、海苔が内側でシャリが外側にくる巻き物のことです。俗に言う裏巻きってやつです」
「あ、裏巻きとは言うよね」
「アベック巻っていうのもあるんですよ」
「アベック?」
「芯に鉄火とかっぱが一緒に入ったもので」
「へー、なるほど」
「“てっきゅう”とか“鉄火かっぱ”とかも言いますけどね。実家の店の壁に木の札で“アベック巻”とか“ストリップ巻”とか書いて下がっているので、もの珍しいからお客様が親父にひとつひとつ訊くわけですよ」
「うん」
「“おい親父ぃ!シャコは寿司屋の業界用語じゃあ何て言うんだ?”って訊かれれば “シャコ?シャコはガレージだぁ!”とかね」
「うんうん」
「“じゃあ赤貝は?” “タマだ”、“海老は?” “マキだよ”とか。“穴子は何てぇ言うんだ?”って質問に親父が詰まっちゃって」
「穴子は何て言うの?」
「うーん、穴子は特にないんですよ」
「穴子なんだ」
「ええ。で、ちょっとお客様にからかわれたんでしょうね。“なんだ親父でもわからねぇことがあるのか!”って。でも親父もものすごく負けず嫌いなんで、どうにか無理矢理にでも答えようとしたんでしょうね。じーっと黙っちゃって」
「お父さん、何て言ったの」
「僕も横で聞いていて“親父何て言うんだろう”って固唾を呑んで待ってたんですけど」
「うん」
「“穴子はなぁ・・穴子は・・・マンホールベイビーでぇっ!!”って」
「マンホール・・で、ベイビーか」
「日本中どこ捜したって隠語でマンホールベイビーなんていうとこありませんよ。親父だけですよそんなこと言うの。なんだか時代を 感じますよね」
「あっはっは、そうだね・・・。じゃあ、せっかくだからアベック巻とマンホールベイビーをもらおうか」
「はい」と笑いながら主人は海苔の入っている缶から一枚海苔を取りおひつの蓋を開けてシャリを掴みアベック巻の準備を始めた。