四谷三丁目すし処のがみ・毎日のおしながき

冬から春が旬である貝がそろそろ終盤、初鰹・鰈・鱸・鯵など夏の魚が出てきました。

『醤油差しと入り口』『あおやぎの仕込み』『シャリの寿』『前へ進め』

2016-09-23 23:35:00 | 『醤油差しと入り口』『あおやぎの仕込み』『シャリの寿』『前へ進め』

おかみノート
 主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。今まで見たり聞いたり体験した 寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。                               

『 醤油差しと入り口 』
2000年5月11日 開店初日。
緊張しながら醤油差しを並べていると手伝いにきてくれていた主人の父が言った。
「醤油差しはな、こう、注ぎ口を入り口とは反対に向けるんだ。いろんなものが入り口から出ていかないように」
主人の父はあまり喋らない。
41年、寿司屋の一線で走りつづけているひとからのアドバイスだった。

『 あおやぎの仕込み 』
水と塩が入った鍋にあおやぎのむき身を入れて火にかけ、そのなかに素手を突っ込みかき混ぜていく。
水からお湯へどんどん温度が上昇してくる中かき混ぜる動作を主人はひたすら続けている。
鍋のフチに泡が立つ手前くらいの普通じゃ手を入れ続けていられないところまでに達してから
「くぁっ・・」
という叫びと吐息の中間くらいの声とともに鍋をコンロからはずし、流水で貝のぬめりや汚れを洗い流していく。
右手は手首まで真っ赤になっている。
「なんでそんな石川五右衛門みたいなことするの」
私が訊くと主人は
「あおやぎを仕込むお湯の温度は、ぬるすぎてもダメだし熱すぎてもダメで、それを見極める温度というのが自分の手が我慢出来るか出来ないかのギリギリのところなんだ」
と流水に手を浸したまま言った。
「熱湯にさっとつけて流水にとるっていうやり方もあるけど俺はこのやり方でずっときてるから」
自分の手を煮るギリギリのところまでもっていくこと自体ビックリしたし、それを揺るぎなく続けていく職人の技はほんとにすごいなと思った。

『 シャリの寿 』
オープンして10日も過ぎると最初に見えなかったものが見えてくる。
主人と義父とのあいだに常に流れている協力体制が途切れ、ときおりつっかえるような瞬間が訪れる。
「オヤジ、もうあげて」
「なんだ、もうあげちまうのか」
「うちは出前やってねぇからガチガチに火を入れないの」
「・・そうか」
お義父さんはヤットコで雪平鍋をつかみ、ザパァッと竹串に刺した車海老をザルにあける。
そして冷ましたあとネタ皿に並べるのだが、その並べ方にも主人の考えがあるようで、夕方1本ずつ並べなおしているのを見たことが何度もある。
車海老だけではない。
スミイカの子供、新イカの仕込み。
主人はゲソの先のほうは必ず切り落とす。義父はおそらく落とさない。
いろんなものを触っているところだし、食べた感じも切り落としたほうがいいと主人は思っているからだ。
コハダを仕込む時はさすがに「塩は何分、酢は何分か」と主人に聞いて義父はその通りにやる。そしてネタ皿に並べ冷ケースに仕舞う。
すると主人がすぐにひっぱり出して、包丁の先で尻尾だの開いた両端の角度だの、カタチが気に入らなくて一枚ずつ整え始める。
切れ端がまな板の上に溜まっていく。
お義父さんはそんな息子を黙って見ていた。
午前中私は床掃除をしていた。
カウンターの椅子の背もたれは木で出来ており、しゃがんだ状態で見上げるとちょうどその隙間から義父とのやりとりが見える。
あおやぎの仕込みを終えたらまたネタ皿にきちんと並べる。
「ほい、お願いしますっ!」
お義父さんはおどけた感じで主人に声を掛ける。
主人はみつばを湯掻き水に放つとすぐにあおやぎをチェックし始めた。
ヒモが繋がったまま仕込んだかどうか。ヒモについている薄い膜は取り除いてあるか。開き方は。火の通り具合は。舐めるようにひとつずつ見終えると主人が言った。
「お、いいね。カンペキだね、オヤジ」
「・・・・・」
お義父さんは黙っていた。
「うん、これ、いいよ。パーフェクト」
主人がさらに言うと
「初めて褒められたんじゃねぇのか?、おい」
お義父さんは半分怒っているような、でも冗談ともとれるような口調で言った。

お義父さんのお昼ご飯は朝と同じメニューだ。
剥いたバナナを食パンで巻いて、食べながら牛乳で流し込む。
私は常にその3つを切らさぬようにと言いつかっていた。
糖尿病でカロリー制限のあるお義父さんは私たちと同じ食事は摂れない。店の立ち上げからずっとコンビニ弁当が続いていた。
皆には申し訳ないと思ったがどうにも余裕がない。
病院から指導を受けた時間にきちんと食べ終わった義父は小上がりで新聞を読んでいた。
私たちがお弁当を食べ始めると電話が鳴った。
同じビルの雀荘のマスターからだった。
「社長いる?社長」
主人に声を掛けて受話器を渡した。しばらくすると
「オヤジ、電話」
と今度はお義父さんに代わった。
主人は元の位置に戻り、唐揚げをひとつ口に入れると固まったご飯をまたわしわしと押し込み数回噛んで呑み込んだ。
「・・だからよぉ、社長は俺じゃねぇの。息子だっていうの」
お義父さんは後頭部をポンポンと叩きながら戻ってきた。
「メンバー足りねぇってぇから、・・・言ってくらぁ」
すぐ5階に行ってしまった。

夜のカウンターは主人が取り仕切ることになっていた。
お義父さんは白衣に捻じり鉢巻。お茶を携えて小上がりの隅に腰掛けて息子の姿を眺めていた。
「おとうさんの握ったお寿司が食べてみたいです」
女性のお客様からそう言われ、私もおどけて
「よっ、お義父さん。御座敷掛かりましたよ!」
と促した。

しかし、なかなか立ち上がらない。
「お義父さん、ほら」
「あるじのよ・・」
「え?」
「この店の主のお許しがねぇとよ・・」
出来るだけ明るい声でカウンターの向こうの主人に声を掛けた。
「ねぇ、お義父さんにお願いしたいよねぇ?」
主人は無言のまま軽く眉と瞼の辺りを引き上げ、3回ほど頷いた。
「・・・じゃ、しょうがねぇなぁ」
お義父さんはゆっくりと前掛けを締めなおし、板場に上がった。
カウンターに立ったお義父さんは華がある。
主人はその陰になった。

閉店時間が近づいた頃、お義父さんはいきなり猛烈な速さでシャリだけのにぎりを握りだした。四十個くらいになった時
「柳のまな板を倉庫から持ってこい」
と私に指示を出すと
そこにシャリを並べ始めた。
シャリで “寿” という文字がつくられていた。
その女性のお客様は
「うわぁ、おとうさん、すごい、ね、すごいですよね」
と私と主人に同意を求めてきた。
「このな、ことぶきの最後の点をな、食紅か何かで赤くしてな。ちょん、とやってもいいしな。半分の数を赤くして交互に並べてもいいんだぞ。緑が映えるから、こう、葉を飾りつけてな」
喋りながらステンレスのボウルに入った手酢を手に馴染ませて、ひとつふたつシャリを握ると、“寿”のバランスを見て足りなそうな部分、― カーブしている一番先っぽのところや、最後のハネの部分 ― に置いていった。
見たことのない飾り寿司に興奮して
「お義父さんすごい!初めて見たー、ね、ね、いいじゃない?」
主人に視線を向けて頷いてもらおうとした。
「・・・・・」
主人は黙ったままだ。
「・・ねぇ、すごいよ、ねぇ?こういうの覚えとくとさ、いいよねぇ?」
それでも主人は何も言わない。少し顔が紅潮している。
苦虫を噛み潰したような、でもあからさまな怒りではない。
「面白くない」
と顔が言っていた。


『 前へ進め 』
お義父さんが店に行く時、私を起こしてくれる。
それがサイクルになっていた。
「行くぞーい」
薄ぼんやりとした視界には白衣の上に灰色のジャンパーを羽織って高い位置から私を見下ろしているお義父さんがいた。
薬が入っている縮緬の巾着袋を持っているということはもう出掛けるということか。
「おはようございまーす・・」
六畳間に敷き詰めた布団を見回すと皆いなかった。
奥からお義父さん、祐兄ちゃん、主人、私と並んで寝ていた。開店の準備と軌道に乗るまで間は寝起きを共にしていた。
主人はとっくに築地に行っている。
祐兄ちゃんは私に気を遣ってか、いつのまにか外出していなくなっていることが多かった。
お義父さんを見送りがてら出たあとの鍵を閉めようと立ち上がった時だった。
「あ、いたたたた・・」
柔道の受身のように布団に倒れた。
「なんだ、まだ痛ぇのか」
「はい~・・」
「慣れるしかねぇわな」
「・・はい~」
返事をしながらパジャマのズボンをめくり上げフチが剥がれかけのトクホンをバリバリと取り始めた。
「効いてんのか、それ」
「うーん・・気休めかもしれないけど何もしないよりは」
枕元のトクホンを束で掴み、新しいのを貼っていく。
「なんだ、もう貼るのか」
「昨日貼ったのはもう効き目がないだろうから。営業中はニオイが無いのを何枚か貼るけど。これ、誰かに箱ごともらったヤツでせっかくだから使わないと」
「じゃ・・行ってくらぁ」
「はーい、じゃあとで」
掴まり立ちする場所がないので空中を手探りしながらなんとか立ち上がる。
「くっ、だぁ―――っ」
もう、声を出さずには立ち上がれない。
フランケンシュタインのようにして玄関まで歩きお義父さんを見送り鍵を閉める。
また戻り、布団の上に仰向けでドサッと倒れた。こんなに立ち仕事が辛いとは思わなかった。
デスクワークの時は腰と背中と肩と首が凝っていた。今はそれが一気に足にきてるんだ。
でも、へこたれるもんかと思っていた。
朝、フランケンで立ち上がる状態を何回やっただろうか。
ある日起き上がろうとしたら、すっと立てた。そして痛くもなんともない。やった慣れたんだ!
数えたら二ヶ月半経っていた。だいたい三ヶ月やったら慣れるということを身を持って知った。

以前勤めていた職場の同僚が辞めるというので会社の近くで一緒にお昼を食べようということになった。
退職してからは、Tシャツやパーカーしか着ていなかった。久しぶりにちょっとオシャレをして、チョーカーを着けようとしたら後ろの金具までの距離がきつくてはめにくくなっていた。無理やり留めると、のどのところのビーズの十字架が垂れ下がることなく正面を指してしまう。手でいくら下のほうに向けても首周りがパツパツなのでピコンと上がってしまう。
立ち仕事でしかも下を向いて洗い物をしているからか。頭を支えている時間が長いから首が鍛えられて太くなったんだなと思った。
チョーカーは断念して、さて革靴を履いて出ようとしたら、こんどは甲がきつくて履けるけど歩けない状態になった。長時間身体を支えるように足がバランスをとるため、少しずつ拡がっていったんだ。
革靴は諦め、スニーカーで待ち合わせ場所に向った。会社を辞めてまだ三ヶ月くらいだと知っている人も多い。同僚と会社から離れた場所の店に行く途中、まっすぐ続く歩道で後ろから声を掛けられた。
「あれ、カメちゃうか?」
振り返ると何年も前に仕事を一緒にした男性だった。
「あ、どーも。ご無沙汰してます」
「あれ、辞めた・・よな、たしか」
「はい、いま寿司屋やってます」
「そーかー。今、出張で来てんねん。今度また東京来たら寄してもらうかもしれんわ」
「あ、はい。お待ちしてます」
会釈をしてまた同僚と喋りながら歩いていると後ろから再び声がした。
「なんかレディーにこんなこと言うたらあれやけど、ずいぶんとこう、ごついイメージになったなぁ・・」
「・・・・は?」
振り返りながら男性を見るとさらに続けた。
「シルエットが・・なんか昔はどっちかっちゅうと細長い感じやったのに今は四角い言うか・・。そや!くびや、首も太うなった、そやろ?な、な!」
「・・・はい」
睨みつけて答えると満足げにその人は頷いた。同僚も歩きながら無言で睨みつけていた。
また前を向いて歩きながら思った。
頭にはくるが首まで指摘するとは、さすが女性の身体に着けるものを売っている会社の人間だなと感心した。
太ったのには理由がある。
コンビニのデザートを唯一の愉しみにしていたからだ。
覚悟を決めて臨んだ店の開店とは言え男性三人との共同生活はやっぱりしんどかった。
コンビニのデザートだけは自分で好きなものを好きな時に好きな分量だけ食べようとできる唯一の心の拠りどころだった。
私はどっぷりそれにはまった。
深夜仕事が終わって
揚げ物メインのコンビニ弁当を全部食べたあと生クリームがたっぷり飾られたプリンを、チョコレートムースにチョコレートソースがかかったデザートを、背中や腹やお尻や腿に肉のついた身体を丸めてプラスチックのスプーンで貪るように食べた。
アスファルトの歩道を力強く少し大股で歩きながら思った。
立ち仕事⇒足の甲が拡がった。おぉ、進化じゃないか!
海の生物が陸にあがるまで何万年もかかるというのに私は三ヶ月足らずで変わっちゃったんだ。まぁちょっと意味がちがうかもしれないけど、すごいということにしよう。
それに甘いデザートは自分のバランスをとるためなんだ。
これまで禁止したら私は精神的にもっと追い詰められていただろう。
青空を仰ぎながら思った。
この数ヶ月の人との出逢いやトラブルや様々な出来事の中でもがきまわって揉みくちゃになっていたら、いつのまにかこういうチョロチョロとちょっかいを出してくるヤツなどにかまっているヒマはない、という自分になっていた。
それに気付けたことがうれしくて
ずんずん歩いた。