四谷三丁目すし処のがみ・毎日のおしながき

新子はコハダに。新いかはまだ新いかで。いくらは塩から出汁醤油漬けに。すじこも登場。新秋刀魚、ブリと、もう秋です。

ステン

2007-01-31 18:25:00 | 04 どんこ・しいたけ

「お父さんから引き継いだ道具ってこれだけなの」

私が訊くと、主人はしばらく考えて

「そうだなぁ、包丁は兄貴や先輩からもらったものばかりだし、これだけだな」

と言った。

「店の準備の時さ、実家にある寿司桶とか土瓶蒸しの器とかもらいに

 行ったじゃん。そしたら親父がさ、このバット出してきて“持ってくか”

 って言うから けっこう軽く “あぁ”って言ったんだ。

 で、開店を手伝いに来てくれてた時にマグロのサクを入れながら 

 “このバットはな、オレが店を始める時に買ったものなんだ。

 ものすごく高かったんだぞ。道具屋が安いのと高いのを持ってきて、

 両方ステンレスだけど安いのは錆びたりするから少し無理をしてでも

 高いのにしたら三代使えますよって言うから思い切ってそっちを買ったんだ。

 こうして見るとやっぱり一生もんだよなぁ” ってしみじみ言うんだよ」

最近売っているバットはネタを入れやすく薄型で重ねる収納が出来るものが

多いけれど、父のそれは深型のたっぷり入るものだった。

小さい頃、大事なものを仕舞っておいたお菓子の缶を思い出した。

大きさから言うとそんな感じだが、

40数年経ったこの分厚いステンレス製のバットには、

ゆったりとした独特の佇まいがある。

マグロや白身がきちんと収められ、冷蔵庫の一番下にいつもある。


お隣り

2007-01-30 18:22:00 | 04 どんこ・しいたけ

隣りはおすし屋さんだった。

物件を紹介された時に不動産屋さんから

「すし屋と言っても上方鮓だし、お持ち帰りがメインだから大丈夫よ」

と言われていた。

開店初日、沢山のお祝いの花が届けられ、

対応に走り回っていると酒屋さんから何かが届いた。

贈り主は隣りの関西鮓さんだった。

「お隣りからお祝い頂いたんだけど、どうしよう」

私がおたおたしていると手伝いに来てくれていた主人の父が言った。

「どうしようって、有難く頂戴すればいいじゃねぇか。寿司屋からだなんて、

 この上ない宣伝だぞ、どーんと飾らせてもらえ。…そうだな、お返しに

 うちの寿司でも持っていったらどうだ」

父と主人はすぐさま細巻きを巻き始めた。

「ちょ、ちょっと、にぎりなら江戸前でかぶらないからまだいいけど、

 巻き物って思いっきりかぶってない?なんか挑発的な気がする…」

「上方鮓ってのは巻き物なのか?」

「いや、茶巾ずしとか押しずし、あと太巻きとかかな… まぁ、かぶらないっちゃ

 かぶらないけど寿司は寿司だし、なんだかちょっとね」

「別にいいじゃねぇか。人数がいっぱいいるんだろうし、こういう時はな、

 ちょっとずつ皆で摘めるのがいいんだよ。 それにな、堂々と最初に

 “うちは、こういう寿司を出すんです” というのを出したほうがいい。

 つべこべ言わず、さっさと挨拶してこい! ほれ行けっ」

ぎっしりと詰め込まれた色とりどりの巻き寿司に薄い紙の蓋をかぶせただけの

折箱を持ち、足取り重く隣りの裏口に回った。

「あのー、隣りの寿司屋ですが・・先ほどお祝いを頂戴しまして

 ありがとうございます。これ、あの、うちのお寿司なんですけど、

 よかったら皆さんで召し上がってください・・・」

おずおずと私が差し出すと、大女将らしき人が受け取ってくれた。

すると、私の手が蓋に触れてずれ落ち、中身があらわになった。

「あら、巻き物。えっ、もしかして上方鮓かしら。寿司屋さんとは聞いてたけど」

「いえいえいえ!江戸前ですっっ!!江戸前ですっ!」

「あぁ、そうなの。じゃ、どうぞよろしく」

「はいっ、あの、よ、よろしくお願い致します!」

最敬礼して、すぐ逃げ帰って来た。

「どうだった、大丈夫だったろ」

父は余裕の笑みを浮かべていた。私はちょっと血の気が引いていた。

上方鮓とは言え、やはり同業の方に寿司を持っていくっていうのは

どうだったんだろう。今のことで気分を害されてしまったのではないだろうか。

しかしそれは杞憂だった。

お店の方が何度も食べにきてくださったりして、とてもいい関係になった。

考えてみれば、歴史的にも規模的にも、象とアリくらいの違いがあるのだから

深く考えず素っ裸になってうちの手の内を見せればよかった話なのである。

父は、はなっからお見通しだった。


どぼどぼ

2007-01-29 18:20:00 | 04 どんこ・しいたけ

主人が炊く魚のアラはとてもおいしい。

甘過ぎず

醤油が濃過ぎず

上品に仕上がっている。

『鮨雅』での修行時代

何度かお通しで食べさせてもらった。

アラはブツ切り

熱湯にくぐらせ

ひたひたに水を入れ、大鍋で煮込んでいく。

味付けは

砂糖ガバガバ

酒ジャブジャブ

醤油どぼどぼ

このとき鍋を覗き込み、汁がウーロン茶色になったら

醤油をストップする。

30分も煮れば出来上がり。

煮魚、肉じゃが、里芋の煮っ転がし・・・

醤油を入れて煮る料理はどれでも

ウーロン茶色から煮詰めていくと上手くいく。

一升瓶の醤油の口を

親指で弁のように調節しながら

大鍋にゆっくり円を描く主人の姿を見ていたら

急にそのことを思い出した。


サヨリの福玉

2007-01-28 18:17:00 | 04 どんこ・しいたけ

ある日の午前中、仕込みをやりながら主人が話しかけてきた。

「水産会社の社長が言うんだよ。“サヨリの頭捨てちまうのか!エラの中に

 虫みてぇのがいるだろ。あれ焼いて食うとうめぇんだぞ” って」

「なにそれ、前に勤めてた店の話?」

掃除の手を止めて私は訊いた。

「そうそう。サヨリのエラを覗くと、5尾中3尾くらいにその虫が入ってるんだよ。

 泳いでいるとエラにいろんなものが付くでしょ、でも魚は手が無いから

 何も出来ない。で、虫が寄生しながらあれこれ動いてあげて、その代わりに

 虫はエラの中で外敵から守られているんだ。でもさ、うまいって言うけど

 その社長が実際に食べてるところはみたことないよ」

「水産会社の社長さんが言ってたってことは、本当においしいんじゃないの」

「かなー…」

「だよ、絶対そうだよ!やってみようよ」

「あ、そう。オレは食わないけど」

「私は食べる」

すると主人はサヨリの頭を落とし、エラを覗きながら数匹の虫を取り出した。

半透明の白っぽいふっくらとしたモスラの卵みたいなヤツが出てきた。

「うわっ、エラのスペースより虫の方が大きくない?よくこの中に収まってたね」

「人間で言ったらほっぺたパンパンに膨らました状態だよな」

笑いながら金串に刺して主人は言った。

「塩まぶして焼く?」

「そ、そうだね。塩味があったほうが食べやすいかな~、なんて」

好奇心でここまで事を運んでもらっていたが、いざ食べる瞬間が近づいてくると

決心が揺らいだ。お腹の中に入れたらこのモスラの卵がまた卵を隠していて、

どんどん増殖していったらどうしよう… 死ぬかもしれない… 

でも食べてみたい。

考えていたら顔に血が昇ってきて、心臓も乱れ打ちをしていた。

「はい、どうぞ。よく焼けたよ」

香ばしい感じに焼けたモスラを前に一瞬たじろいだ。

でもここまでしてもらって要らないとは言えない。思い切って前歯で

ちぎってみると、薄い殻とパサパサした中身で、噛んでいると少し

シャコのような味がした。

「う~ん、おいしいような、あんまり味がないような」

食べて食べられないことはない、そんな感じだった。

「これ、名前なんていうの」

「さぁ、なんだろうなぁ。あ、でもこれに近い形は絵でみたことがあるよ。

 たしかこの本…」

江戸時代に描かれた、鯛の骨の部位を図説している絵にモスラはあった。

【鯛の鯛】や【鳴門骨】と並んでそれは【鯛之福玉】と書いてあった。

「鯛のふくだまぁ~?」

2人で同時に叫んだ。 インターネットで調べたら、シマアジなんかにもいるらしく

画像を見ると、やっぱりあいつだった。

「あ、今日、真鯛も仕入れているから見てみるか」

「おっと、それを早く言ってくださいよ」

興味津々で鯛のエラを覗き込むと、3倍くらい大きいのが入っていた。

「ギャー!でかっ 寒いっ」

「生きてるよ、オレの指をギュ~って足で掴んでるもん、ほら離れないよ」

人差し指をブンブン振り回している。

「ひぇ~・・」

「塩ふって焼く?」

「もう、けっこうです」

即答した。



煮詰め

2007-01-27 23:04:00 | 04 どんこ・しいたけ

開店数日前のある日、主人は第一回目の仕入れのため

築地に行った。

鮨雅に勤めていた時代からお世話になっている仲買いさんに

予め頼んでおいた穴子の頭と骨を受け取りに行くためだ。

「ほーい、帰ったぞー」

築地から帰った主人は、まだ散らかっている店内の隙間を縫って

厨房に入り、ビニール袋にパンパンに入れられた骨や頭を

シンクの中にバサバサっとひっくり返した。

大量の頭はゴロゴロと転がり、かわいい目をしてこっちを見ていた。

50~60匹分の骨はゆるく曲線を描いて絡みあっていた。

それまで小上がりで休憩していた主人の父は、私に骨抜きを渡すと

「疲れるから座ってやれや」

と言って、カウンターに座った。

「いいか、啓三が頭を割ってよこすからな、そしたらまずエラを取る。

 で、所々赤い血のところがあんべぇ?そこんところをつまんでは取る。

 つまんで取る、の繰り返しだ。な?」

主人は穴子の頭をひとつ取ると向こう側を向かせ、

慎重に目と目の間の真上から出刃を入れ、ゴリリと割った。

頭が左右対称、アジの開きのようになった。

インディージョーンズのラストの方で出てくる、猿の頭を割って

脳味噌を食べるシーンを思い出した。

むごい、むご過ぎる・・・ 私には出来ない。

あごが胸に付くくらいうな垂れている私を見て義父が言った。

「しょうがねぇなぁ。じゃ、こっちやっか。骨に付いている赤いかたまり

 みたいなのがあんべぇ?これをギューっと挟んで取る。な?」

どっちもキツい。でも頭を真っ二つの方よりマシかと思った。

骨に赤くへばりついている血合いを最初は恐る恐る引っ張っていたが

きれいに取れると快感になってきて、むしろ完璧さを求めることに

愉しみを見出すようになってきた。

「血合いが少しでも残っていると、煮詰めを取る時に味がおかしく

 なるんだ。身は付いていてもいいよ、赤いとこだけ取って」

主人は私と義父がやったものを丁寧にチェックした後、焼き台に

並べた。弱火でじっくりと炙られた穴子の骨は、内側に貯えた脂を

じわりと表に出してきて、やがて骨全体を自分の脂で揚げていき、

なおかつ余分な脂を下に落とし始めた。

「ものすごくいい匂いなんだけど」

火の中を見つめながら私が言うと

「まだまだ、これからが本番だから」

と険しい顔をして主人が言った。

焼き台で3セットに分けて焼かれた骨と頭は、

こんがりキツネ色だった。

店で一番大きい鍋に水を張り、そこに焼いた骨と頭を

一気に入れた。

「え、水から入れるんだ」

「そう。で、最初は強火。ある程度したら弱くするけど」

温度の上昇とともに鍋の中の汁には穴子の旨みが溶け出てきている

ようだった。

「さ、濾すよー」

何もかも取り除かれ、黄金色のスープだけになったところに

砂糖・酒・醤油を入れ、沸かないように火を調整しながらグルグルと

お玉でかき回し始めた。弱火調節の限界点まで細火にしているので

鍋の表面は湯気が立っては消え、まるで露天風呂の表面のようだった。 

お玉はグルグルと右回り、かと思えば左回り、そのあとは

縦にジグザグと波立てたり。

「こうやってすこ~しずつ水分が蒸発していくでしょ。鍋に

 いっぱいの汁が、・・・そうねぇ、底から4~5センチくらいに

 煮詰まったら出来上がりかな」

「そんなに減るまで!しかも沸騰させちゃいけないんでしょ?」

「鍋に半分くらいに煮詰まってくると焦げる可能性があるからね。

 焦げたら終わりだから。細心の注意を払うよ。

 寿司屋の仕込みの中で一番神経を使うのはこれだから」

3日をかけて煮詰められた穴子のタレ=煮詰めは、専用の

ステンレス製の容器に入れられ、ついに完成した。

「店を立ち上げる時って、普通は穴子の煮詰めを誰かからもらう

 ものなんだ。修行先の師匠とか、知っている先輩とかね。

 積み重ねた旨みが最初からはないからね、どんなに頑張っても。

 でもオレは誰からももらわない。最初の旨みは薄いかもしれないけど

 それよりどうやって作ったのかを全部見ていないで出すほうが嫌だ。

 自分の店のものは100%自信を持って出したいんだ」

開店から3~4ヶ月経った頃、あるグルメサイトにすし処のがみの

評価が載った。

 <穴子の煮詰めが団子のツユみたい> と書かれていた。

それから何度か煮詰めを作り足していったある日、開店当初から

お見えになっていたお客様が仰った。

「なんだかさぁ、この頃穴子のタレ、おいしくなったねぇ」

開店の時以来、私は煮詰め作りの手伝いをしていない。

こつこつと自分だけでやっているのだろう。