四谷三丁目すし処のがみ・毎日のおしながき

冬から春が旬である貝がそろそろ終盤、初鰹・鰈・鱸・鯵など夏の魚が出てきました。

おかみノート1 醤油差しと入り口~あおやぎの仕込み

2004-11-23 00:00:00 | おかみノート1

おかみノート
主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。
今まで見たり聞いたり体験した 寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。
                  

醤油差しと入り口
2000年5月11日 開店初日。
緊張しながら醤油差しを並べていると手伝いにきてくれていた主人の父が言った。
「醤油差しはな、こう、注ぎ口を入り口とは反対に向けるんだ。いろんなものが入り口から出ていかないように」
主人の父はあまり喋らない。
四十一年、寿司屋の一線で走りつづけているひとからのアドバイスだった。

二カンのチャンチキ
寿司の教科書を見ていたら江戸時代末期のにぎりずしが載っていた。
赤貝、きす、アジ、車海老などネタは今と同じである。
ページの隅に (原寸大) と書いてある。
ひとつのにぎりが現代のにぎり三~四個分はある。
私がじっと眺めていると主人が言った。
「昔は屋台で注文するとき、“二カンのチャンチキ”といって“にぎり二カンとのり巻き一本”がほぼ一人前の分量とされていたって聞いたことがあるよ」
「のり巻きってかんぴょう巻きのことでしょ。何でチャンチキっていったの?」
「当時は細巻きを三等分していて、まず一切れを横長に置いて、そこに二切れをクロスさせて建て掛け、太鼓のバチに見立てた。で、チャンチキ」
「あ、なーるほど!」
指を宙で泳がせながらチャンチキチキチキ・・とやってみる。 
江戸の香りが漂った気がした。

かんぴょうのあぶり
かんぴょうはかんぴょう巻で食べるものだと思っていた。
ほかの食べ方など考えたこともなかった。
店を始めたら「かんぴょうをつまみで」と頼まれることに気付いた。
「はい、かんぴょう」
主人は煮含めたかんぴょうに包丁を入れ、二~三切れをお客様のつけ台へ。
そしてそれとは別の肉厚そうなかんぴょうを選ぶと、焼き網の上で慎重に伸ばし弱火でじっくり焼き始める。
火が通ってくると、所々ぷっくり膨らみ、端が焦げてきて、店の中は醤油と砂糖の香ばしいにおいでいっぱいになる。
焼き上がりを待つ間、まな板の上で叩いていた白胡麻をまぶしてお客様にお出しする。
店が終わったあとどうしても食べてみたかったのでそれをやってもらった。
干物みたいで面白い食感だった。けっこうおいしい。
「なんでそんな食べ方を知ってるの?」と訊いたら八丁堀で寿司屋をやっているお兄さんに教わったという。
お兄さんはこういうことをさり気なく教えてくれる人だ。
カウンターでのやりとりの“わくわく感”みたいなものをいっぱい教えてくれる。


結婚して寿司屋ファミリーの一員になったとき、一番驚いたのは手で寿司を食べることが当たり前、ということだった。
主人の実家に初めて帰省した日、店が終わってからカウンターでお寿司を御馳走になった。
「なんでも好きなもの、おとうさんに握ってもらいなさいよ」
お義母さんはお茶とおしぼりと小皿を私の前に置きながら言ってくれた。
お箸をいただけない、ということは手で食べるということか。
緊張した。私は手で食べたことがない・・
隣りの席のお義兄さんやお義姉さん、そして甥っ子をチラリと見る。
みんな自然に手を使って食べていた。
勇気を出して手で食べてみた。
すると、ごはん粒が大量に親指と中指に付いてしまった。
またチラリと横を見ると、みんな指に付いたごはん粒をとても自然に口に持っていっていた。
かっこいい・・歯でこそげ落とす仕草が板に付いている・・
私にそんな離れ業ができるわけもなく、コソコソと指をおしぼりで拭い続けた。
あの日、私が使ったおしぼりの中にはにぎり一個分くらいのごはん粒が溜まっていたはずだ。

大根の役割
タコと一緒に煮ている大根はおいしそうだった。
火にかけた大きな雪平鍋の中でタコ一匹と輪切りにした大根が煮えてゆくのを見つめていた。
タイマーの合図で引き上げられたタコは主人の手で首からSカンに引っ掛けられ、もうもうと湯気を立てている。私は逸る気持ちを抑えきれずに訊いた。
「あのさ、これ食べていいんだよね?」
吊るしたタコの足を一本ずつ切り取っている主人が私の方を見ないで返事をした。
「大根?別にいいけど。でも旨くないよ」
「えっ、ウソ!」
「タコを軟らかくおいしく煮るために入れてるんだから。それに醤油が濃いし、番茶も入ってるし」
いいや、それでも私は食べる。だってタコ飯って料理もあるし、絶対にタコの旨みが滲みこんでいるはずだから。
鍋を覗き込み、醤油色の大根を菜箸でつまみ出した。
ひとくち食べた途端、口の中にアクと渋みが拡がった。
おいしいとは言えない。ちょっとショックだった。
「でも、そのぶん凄く旨くなったよ、ほら」
硬くてお客様にお出しできない、タコの吸水管の部分を食べさせてもらった。
滋味深い味である。
あらためてプロの仕事とは
こういうことなのだなと思った。

松美と里
主人の実家のお正月は忙しい。
ひっきりなしに出前の注文が入るから家族一丸となって動かないとこなせないからだ。
皆それぞれ持ち場がある。
車海老を茹でている義母、かっぱ巻きを黙々と作っている夫、寿司桶を準備する義姉、ネタの切りつけをしている義父と義兄・・。
ヨメ二年目の私は厨房をウロウロするだけで手持ち無沙汰だった。
ふと見ると、ずっと勤めている板前さんが玉子焼きを焼く作業を一人でこなしていた。
聞けばこれからあと十本以上は焼くという。
手伝いたいという私の申し出に板前さんは
「じゃあ卵九個をボールに割って、このお猪口で玉出汁を入れて」と言った。
調味料のコーナーを見ると四角い焼酎の瓶やら醤油やらが並んでいてどれが玉出汁なのか分からなかった。
「その、透明なトロッとした蜜みたいなヤツ!四角い瓶の、そう、そう!」
玉子を焼きながら板前さんは首だけこちらに向けて指示してくれた。
「お猪口は“松美と里”って書いてあるヤツね。マツミトリ。」
湯呑みより小さめの、使い込んだ感じのお猪口が棚の隅にあった。
「“松美と里”に、ぎりぎり一杯の玉出汁と卵九個がうちの味だから」
と義母が言った。

計量カップでは量れない、永年の歴史ある玉子焼きなんだなぁと思いながら卵液を作り続けた。
ボール六つ分くらいは終わっただろうか。

「あれ、酒の匂いがする・・?」
フライパンに溶き卵をジュッと流し込んだ瞬間、板前さんが言った。
よく見ると、私が玉出汁だと思ってガンガン注いでいた瓶は本当の焼酎で、もうひとつの「玉出汁用」と書かれた瓶は満タンのまま残っていた。
その日の夕飯は全員二人前ずつがノルマの玉子丼だった。
しょげた私を笑って許してくれる空気の中で俯き、丼を掻き込んだ。

かっぱと○○きゅう
当店では、かっぱ巻きを一本頼むと三切れが“ブロック”(普通のかっぱ)で、あと三切れが“刻み”で出てくる。
それは何故かと、ある日主人に質問してみた。
すると今まで接してきたお客様との会話から、きゅうりを縦に1/4にしたままのブロックがお好きな方と、かつらむきにしたものを千切りにする刻みがお好きな方とに分かれるから二種類お出しして、歯ごたえの違いを楽しんで頂いたり、どちらがお好きかを伺ったりして巻き分けるようにしているとのことだった。
それからも主人の手元を観察していると
「穴きゅう=刻み」「ヒモきゅう=刻み」「イカきゅう=刻み」「鉄きゅう=ブロック」「梅きゅう=ブロック」と使い分けていた。
何でかと訊いたら師弟関係では教わる際に事細かに説明は無いし、自然にそうなったと言った。
きっと良い組み合わせが残ったのだろう。

あと、変則的なものがひとつあった。
「沢(たく)きゅう=粗い蛇腹みじん切り」だ。
これは沢庵もきゅうりも、上から斜め切りで引っくり返してまた斜め切り、但しまな板の二~三ミリくらい上で包丁を止めて繋がったまま切り進んでいき、最後に縦にザクザクと粗みじんにして巻物の具にする。
これはなんといっても、バリボリといった歯ごたえが堪らない。
ちなみにお土産のかっぱ巻きはブロックだが、水分が出るからきゅうりの内側のタネを取り除いてから巻くという。
“かっぱ”と、ひとくちに言っても、いろいろあるということが解った。

シャリ
店のオープン日を決めたあと主人がまず始めに取りかかったのはシャリのことだった。
実家の寿司屋は福島に移ってしまっていたので東京に馴染みのお米屋さんもなく一人で思案しているようだった。
「とにかく親父に訊いてみる」
受話器を取った主人はお父さんにシャリの配合を尋ねた。
「どうだった?」
話を終えた主人に声を掛けてみると
「“コメ?どうだったっけかなぁ~…”とか言ってさ。ダメ、話にならない」
オープンまで日もないので考える間もなく主人は知り得るお米屋さんを一軒ずつ訪ね、試作サンプルを取り寄せ、試し炊きを繰り返した。
「水分が何パーセントかが知りたいんだよな。来週実家に帰るから直接米屋さんに訊くわ。親父のところのヤツ、水分計で測ってもらう」
実家に帰った主人は早速お米屋さんを訪ねて訊いた。すると
「あのな啓三、それは秘密だ。のんちゃんと俺との間で始めに米の水分量とか配合とかどうすっかってのを決めてんの。だからよ、たとえ息子であってもおめぇに教えるわげにはいがねぇの」
お米屋さんからそう言われて主人は腹を括ったようだった。
それから東京に戻ってすぐに自らの腕を頼りに試行錯誤し、オープンの日には“これが自分のシャリ”というものを作り出した。
四年半経った今でも主人はたまに言う。
「親父は俺にわざと教えなかったのかな。自分でやれってことで」
お父さんは手伝いに来ていた一ヶ月のあいだ「啓三の指示に従う」と言って黙々と手を動かしていたことを思い出す。

満月のイカ
空を見たら満月だった。
「明日はイカが無いな、こりゃ」
と主人が言った。
満月とイカのあいだにどんな関係があるのか解らない。
家までの帰り道、首を捻りながら歩いていると主人が解説してくれた。
「イカは光に集まってくる習性があるんだ。満月だと漁火の効果が薄まってあまり獲れないから翌朝築地に並ぶイカの数が少ないんだよね」
【満月=イカ少ない】と頭にインプットした。
ターミネーターじゃないんだから、と心の中で一人突っ込みをした。

「す」
主人の実家で初めてお手伝いをしたとき、帰るお客様の後ろ姿に
「どうもありがとうございました~」
と言った瞬間、義母、板前さん、義兄が、すごい勢いで 
「す!すっ!すーっっ!」
と言いながら厨房やカウンターからわざわざ飛んで来た。
「はぁ?…す?」
と私。
「そう、“ す ”!」と皆さん。
子供を叱る時の“めっ”という顔になっていた。
お義母さんが言った。
「お客様に“ありがとうございました”って、“し・た”って言っちゃったら、それでお客様との関係が終わっちゃうでしょ。今後とも宜しくお願いしますって、そういう気持ちを込めて心から “ありがとうございます” ってお見送りするの。うちの店では、お帰りのときも“ありがとうございます”」
横で板前さんとお義兄さんが、うんうん、と頷いていた。
おかみ見習いスタートの日、
いきなりのダメ出しでちょっと挫けた夜。

ハラキリ
あなごのにぎりに「表」と「裏」があるなんて知らなかった。
ただ主人が四~五個いっしょにあなごを握るとき黒っぽい皮目が上にきているものと、うす茶色の煮た身が上のものとあって「なんで黒か茶色のお揃いにしないのかな?」と思っていた。普段カウンターでのやりとりは主人がいるから安心だがお座敷のほうは私がお出ししながら説明するので勉強が必要になってくる。
ある日お座敷で、あなごのにぎりを六個というご注文を請けた。
茶二個と黒四個だった。黒っぽいほうは一見あなごに見えない場合もある。案の定、
「これ全部あなごのにぎりですか?」
とお客様に訊かれてしまった。
「ぅ、…はい…みんなあなごです」
としか答えられなかった。
疑問に思ったことはすぐ質問だとその日の夜主人に訊いた。
「あなごは握るとき真ん中から上の頭に近いほうは皮目が上、しっぽに近いほうは身が上なんだ。これは決まりごとなの」
と言った。それでも「なんでか?」と食い下がる私に主人は自論を披露した。
「昔は“腹”をさらけ出すのを嫌ったんじゃないのかな。あなごの真ん中のところを腹に見立てて、頭に近いほうは皮目を上にすることで腹を隠し、下は身のほうを出すことで上とは違う部分ですよと強調したかったとか」
さらに主人はこう付け加えた。
「あなごは背開きでさばくの。生きてるものは背開きなんだ。腹開きだと“切腹”になっちゃうでしょ」
魚が背開きだというのはなんとなく知っていたが、ネタの向きまでにハラキリの因習が関係していそうなのが興味深かった。
お揃いとか、そういう次元の話じゃないんだってことがわかった。

助六寿司
「おいなりさんとかんぴょう巻きが入っていると、どうして『助六寿司』っていうんですかねぇ」
お客様からのご質問に主人も私も答えられず、一気にその場がシラけてしまったことがある。
こういうときは軽く落ち込む。
休日のある日“江戸東京博物館”に行った。
展示物の最後に歌舞伎の十八番「助六縁江戸桜」の実物大模型があった。
見回してみたが『助六寿司』についての解説はなかった。
思い切ってガイドさんに『助六寿司』の由来を訊いた。すると
「いろんな説があるかもしれませんが、助六の恋人の花魁が“揚巻”って名前だから、あげ=油揚げ=おいなりさん。で、まき=かんぴょう巻きで、その弁当の名前が揚巻のまんまじゃ粋じゃねぇってことでシャレで“助六”って名付けたんじゃないんでしょうかねぇ」
「おぉぉ!そういうことだったのかぁ~!!」
主人とふたりで小躍りしながら喜んでいると、その初老のガイドさんが言った。
「こんなに喜んでくれるなんてガイド冥利に尽きるねぇ。ところであんたたち何やってる人?寿司屋さん?あ、でも寿司屋さんなら助六寿司は知ってるか。う~ん、なんだろうなぁ…」
それでも「寿司屋なんです」という勇気はなかった。

菱井桁
出刃包丁をえんぴつのように握り、笹で鶴や亀を作る主人の技はすごいと思った。
「ちょっと、こんなにできるなら笑点に出られるんじゃない?」
と私が言うと主人は
「板前なら修行時代に習うことなの」
と、まな板に向かいながら言った。
「でもね、鶴とか亀はかんたんなの。複雑なかたちのほうが良いか悪いかあまり見分けがつかないから。いちばん難しいのはシンプルな直線もの。俺はいまだに“菱井桁”を成功したことがない」
「ひしいげた?何それ、菱型の変形みたいなやつ?」
「うん、まぁ、そうね。俺が小僧のころから新聞紙や広告のチラシを使ってどれだけ練習しても、これだけはまだできないんだ」
主人はそれだけ言うと、切り終えた鶴や亀を乾かないように水を張ったタッパーに入れた。
おそるべし“菱井桁”。
ものすごい負けず嫌いの主人がいまだに成功したことがないものがあるなんて…。
いつか完成したそれを見てみたいと思った。

あさりメンチ
子供の頃、あさりメンチをよく食べた。
昭和四十年代の習志野の海は貝がたくさん掘れた。
潮干狩りの入場料を払うと配られる濃いブルーの網に父は半日かけてあさりを獲り、重さでちぎれそうになった網をカゴにのせ自転車で帰ってくる。
待ち構えていた母はすでに“貝むき体制”を整えており、ちゃぶ台で父と母、夜中までひたすらあさりをむき身にしていたのを覚えている。
どんぶり二杯分くらいのあさりのむき身をまな板の上で細かく叩く。
そこにメリケン粉・塩・胡椒・ほんの少しのカレー粉を混ぜメンチかつのように衣をつけて揚げる。
熱いうちに食べるのは夕飯のときで、父はビールのつまみで兄と私はご飯のおかずにした。
いっぱい余っているため、次の日の朝ごはんもあさりメンチになる。
冷えたメンチを焼き網に載せ焼いてみたところで芯は温まらず、フチのみが焦げたところにソースをかけてかぶりつき、熱いご飯と味噌汁を口に入れ冷たいメンチとの温度差を埋めようとしたりした。
お客様にこの話をしたところ、
「あさりメンチ、ぜひ食べてみたいもんだねぇ」
と興味を示してくださった。
いつか、やってみようかなと思う。

トリ貝と沈丁花
もうすぐトリ貝の季節がやってくる。
殻に入ったままのものを仕入れ、ご注文をいただいたときにその場でさばき剥きたてのおいしさを味わっていただく。
毎年たのしみにしているお客様は多い。
トリ貝の黒は“お歯黒”と呼ばれ、この色が落ちた貝は値打ちが下がる。
ザラザラしたまな板では摩擦で落ちてしまうため、ラップを敷いた上かガラスの板の上でさばく。
二月、まだはしりのトリ貝は殻も身も華奢で殻の内側は薄墨を流した桜貝のような色をしている。
だんだんと成長し身がはちきれんばかりになってくると春だなぁと思う。
梅雨入り前くらいまでネタケースに上るだろうか。
トリのくちばしに形が似ているからトリ貝だとか、鶏肉に味が似ているからトリ貝だとかいろいろ言われているが私の関心は別のところにある。
昨年通り道で咲き始めた沈丁花を見たとき、はなびらとトリ貝の殻の内側が登場の時期を同じくして色も似ているということに気付き、この一年そのことを思い出してはにんまりしていた。
店までの通り道
沈丁花の蕾を見ながら
トリ貝の登場を待っている。

中落ち
帰省した日の夜、義父が私に
「おう、やるか」
と言った。

グラスを持って飲む仕草を何度もしている。
「じゃ、やりますか」 
私もキライなほうではないので即座に反応する。
何回か帰省して気付いたのは義父と私のコミュニケーションツールは“酒”だということだった。
私は店の冷蔵庫から中ジョッキを二つ取り、ビールサーバーからめいっぱい注いでカウンターに持ってくる。義父は厨房からいそいそと小鉢にてんこ盛りにした何かを持ってきた。
「これ、俺は一番好きなんだ。で、白いネギをどばっとな。たまんないんだわ、これが」
見ると、白身の刺身を細かくしてぐちゃんと混ぜたような感じのものだった。
「なんですか、これ」
「鯛とヒラメの中落ちだ。骨についてる身はほんとおいしいの。スプーンでこう、ガーっとこそぎ落とすんだ。いちいち醤油つけるのめんどくせえからぶっかけちまうべな」
ワサビと白ネギをのせた中落ちの上に醤油をかけて鉢からこぼれないようにしながらかき混ぜて食べた。
けっこう脂が乗っていておいしかった。
なんせ白いネギが効いていた。

まな板を落とした日
主人が一日の締めくくりに必ずやる仕事である、グラグラに沸騰したやかんのお湯をまな板に流しかけている時のことだった。
ドン、という音が聞こえたのと同時に「うわっ」という今までに聞いたことのない上擦った声が耳に入ってきた。レジから厨房に回ってみると床近くの塩ビ製の給水管が見事にスパッと切れていて、すごい勢いで店の中に水が流れ出していた。
「ななな、なんで?」
と訊く私に主人は言った。
「まな板を動かす時手が滑って水道管の上に落としたら切れた!」
主人は水量を減らそうと給水管に指を突っ込み塞ぎに入ったが、水圧が凄過ぎて顔面に大量の水しぶきを浴びることとなった。
「とにかく、元栓、元栓閉めて!もう指が限界!!」
主人は叫んだ。
しかし私は水道の元栓が何処なのか知らなかった。何か詰め物をと思い、とっさに頂き物のワインを抜きコルクを詰めようとしたが管の幅よりコルクの方が大きくてはまらなかった。
「あーもう、なんでもいいから店の元栓関係全部ひねって!」
ガス、よくわからない栓、かたっぱしからひねったが一向に止まらない。ワインなんか開けてるんじゃなかった…そうだ修理屋さんを探さねばとハローページをバンバンめくりながら情けなくなってきて涙が出た。
騒いでいる私達に気付いたオーナーさんがパジャマですっ飛んで来てくれて元栓を教えてくれた。
床上浸水四センチ。タオルとバケツを使って吸い取った。気がついたら夜明けだった。
すきっ腹にワインを飲みながら主人は言った。
「まな板ってさー、包丁を受け止めるだけかと思ってたけど、包丁にもなるのな。すんげービックリした、わははは~」
なんと、ヘコんでいない。
更にこの期に及んで巧いことを言おうとしている。
そんな主人に驚いた。

広島の古葉
イワシには三種類の大きさがあり、それぞれに呼び名があるなんて知らなかった。
四年前、お品書きを毎日書き始めた頃に気付いた。
「今日はイワシ。銚子のおおばイワシね」
主人は仕入れて来たメモを見ながら私に言った。
「おおば?おおばってどういう字?」
「大きいの“大”に“羽”と書いておおばって読むんだ」
【大羽鰯=おおばイワシ】と、一応頭にインプットした。
「あとね、小さいイワシは“小”に“羽”でこば、中くらいのイワシは、“中”に“羽”でちゅうばって読むから」
ちょ…ちょっ、ちょっと待って。私の脳みそは一気に憶えられない。自分が既に認識している言葉に変換しないと無理なので
【小羽鰯⇒広島の古葉竹識⇒こば】
【中羽鰯⇒番場の忠太郎⇒ちゅうば】
【大羽鰯⇒大場久美子⇒おおば】
と、脳に上書き保存した。その憶え方を主人に言うと
「広島の古葉ね。ガハハハ…」
と笑った。そして

「そんな憶え方しなくてもわかるでしょう」
とも言われた。

そりゃあ三十何年、生まれたときから寿司屋の環境に身を置いている人には当たり前のことかも知れないが私にとっては初めて聞く耳慣れない言葉なのだ。

あおやぎの仕込み
水と塩が入った鍋にあおやぎのむき身を入れて火にかけ、そのなかに素手を突っ込みかき混ぜていく。
水からお湯へどんどん温度が上昇してくる中、かき混ぜる動作を主人はひたすら続けている。
鍋のフチに泡が立つ手前くらいの、普通じゃ手を入れ続けていられないところまでに達してから
「くぁっ・・」
という叫びと吐息の中間くらいの声とともに鍋をコンロからはずし、流水で貝のぬめりや汚れを洗い流していく。右手は手首まで真っ赤になっている。
「なんでそんな石川五右衛門みたいなことするの」
私が訊くと主人は
「あおやぎを仕込むお湯の温度は、ぬるすぎてもダメだし熱すぎてもダメで、それを見極める温度というのが、自分の手が我慢出来るか出来ないかのギリギリのところなんだ」
と流水に手を浸したまま言った。
「熱湯にさっとつけて流水にとるっていうやり方もあるけど、俺はこのやり方でずっときてるから」
自分の手を煮るギリギリのところまでもっていくこと自体ビックリしたし、それを揺るぎなく続けていく職人の技はほんとにすごいなと思った。



おかみノート1 利き海苔~煮詰め

2004-11-22 00:10:00 | おかみノート1

おかみノート
主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。
今まで見たり聞いたり体験した 寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。

利き海苔
住居の引越しと店のオープン準備が重なり決めなければいけない海苔の選定が延び延びになっていた。
「すいませんね、ご自宅にお邪魔しちゃって」
海苔屋さんはサンプルを沢山抱えてやって来た。
ダンボールが積まれた玄関の近くに主人と私と営業マンの方と三人でトランプをやるかのごとく床に座り、
一枚ずつセロハンに入れられた大量の海苔を囲んだ。
「産地別にいろいろ三段階くらい持ってきました。先入観持っちゃうといけないから産地を書かずにシールでこう、小さく1-a、1-b・・って番号ふってありますんでこれだ、ってものを言ってください」
ガサガサとセロハンを剥がし二人で黙々と何枚もの海苔を食べくらべた。
香り、歯ごたえ、塩の感じ、目の細かさなど実にさまざまだった。かなり悩んだあげく二人ともそれぞれがどれにするかを決めたので“せーの”で同時に指をさした。
「えーと、旦那さんの選んだのは佐賀ですね。奥さんのは、船橋」
主人は自分が選んだものをもう一度食べながら言った。
「俺は草が柔らかいのがいいんだよね。巻物にした時に口の中でシャリと混ざって溶けていって、飲みこむタイミングが一緒のものが。船橋の海苔もすごくいいんだけど、やっぱり佐賀かな・・」
「わかりました。じゃ、佐賀で話を進めさせてもらいますね」
主人と営業の方の細かい打ち合わせの声はあまり聞こえてなかった。
私は少し興奮していた。たくさんの海苔の中から幼年期に食べていたものを選び取った自分の舌に感動していた。
食卓によく出たあの海苔。

片っぽうの面だけ醤油をつけて、白いご飯に巻いて食べたあの味。

成功祈願
八丁堀に寿司屋をオープンさせる兄の成功祈願にと主人とお墓参りに行った。
祖母が明大前のお寺に、そして中学時代の友人が早稲田に眠っている。
“ついで参り”はよくないらしいがそこはひとつ勘弁してもらう。
近所の花屋で二対の仏花を用意し、コンビニで100円ライターと線香を買った。
友人の墓石に水を掛けながら主人が言った。

「清クンの店が無事開店するように見守ってくれよ」
いざ線香に火を点ける段階になってライターを点けようとしたら丸いギザギザのところがいきなり吹っ飛んだ。
「この近くにコンビニ無いよな。線香点けられないよ、まいったな」
結局点けられないまま線香を供え友人のところを後にした。
明大前で新たにライターを購入し祖母の墓石の前でまた線香を点けようとしたら、今度もライターが点かなかった。
「あれ?これも壊れてるよ。何なんだよ、いったい」
どうやっても点かなかったのでまた線香だけ置き、主人のおばあちゃんにお店の成功をお願いした。
「成功祈願なのにこれじゃあダメじゃん。どうすんだよ」
主人はきっちり墓参りをしないと気が済まない性分で、ましてや兄の店のことなのでなおさら気持ちに収まりがつかないようだった。かなりへこんでしまっている。なんとかしなければ。
「あ、あのさ、開店祝いの贈り物に“火”をイメージするものってダメだからお線香に火を点けられないことで成功するよって言ってくれてるんじゃない?」
苦し紛れに出た言葉だったが本当にそうかなと思った。
大丈夫、見守ってくれている。

コハダの白子
冬場にしか食べられないものが赤貝の肝ならばコハダの白子は春先限定のお楽しみと言える。
大きいコハダにしかない白子。
しかも白子なのでオスしか持ってない。
一日の仕入れは六~八尾。そのうちオス約半分。
小指の先ほどの、いやもっと小さい真っ白な白子。
その日、幸運に当たったお客様は珍味と称してその豆皿に入った平たい真珠を召し上がっていただくことになる。真珠は少し言い過ぎか。
ポン酢・浅葱・紅葉おろしが、おままごとのように豆皿に入れられ、その中でペラペラと白子が泳いでいる。
「意外とあっさりしてるね」
こうおっしゃるお客様は多い。
主人が十八才の頃、実家でコハダの仕込みをしていた時に二つ上の兄から白子が食べられることを教わったという。
兄はその頃もう日本橋の老舗の寿司屋で板前として活躍していた。
「あの頃、オレはまだ掃除と出前が中心の生活でコハダやアジを仕込ませてもらうだけで嬉しかったから白子のことなんて考える余裕もなかったよ」
使い込んだ出刃の先でコハダの腹をさばきながら主人は言った。

ポスティング
開店して半年経ちお客様がゼロに近い状況だった。
なんとかせねばとチラシを作って家々にポスティングをしていった。
「あのぅ、チラシ入れたいんですが…」
マンションの入口で勇気を出してお願いすると管理人さんは小窓から黙って『チラシ投函禁止』の看板を指し示すのだった。
配りたいと思っていた所にはほとんど配り終わっていたのであとは受付があるところのみだった。
 <受付を突破できないくらいなら店は潰れる>
そのくらい思い詰めていた。どうしても一軒配って帰りたかった。
「あんた、さっきも来ただろ。しつこいね」
管理人さんは言った。私もやっていて言うのもナンだが、そうだなと思った。
OLの頃は知らない人に自分を売り込まなくてもよかった。でも今は違う。何の信用も無い今の自分をぶつけるしかないのだ。
ふと見ると重厚な造りのマンションが目に入った。ここは確か、あまりにガードがキツ過ぎて諦めていたところ…ええい、ままよとインターホンを押した。
「四谷で寿司屋をやっているものなのですが、チラシを入れさせていただきたいのですが…」
「チラシはお断りしてます、お引取りください」
「あの、どうしてもこちらに入れさせていただきたいのですが…お願いします」
五秒くらいの間があって
「自動ドアを出て右に回ってください」
と返事があった。言われた通りにすると、小柄な六十代らしき男性がポストの位置を指で示していた。
「本当はダメだからね。オレも怒られちゃう。でもあなた一所懸命だからさ」
思いがけない激励の言葉。うれしくて、チラシを入れながら泣いた。
「どうもありがとうございましたっ!!!」
<これで店は潰れない>
なんの根拠もないが、そう思った。


ルミ子
ポスティングは続いていた。
店の準備の時間が迫っていたがあともう少しと、自転車に乗ったまま腕を伸ばしてチラシを入れようとした瞬間バランスを崩し、地面に自転車ごと叩きつけられた。
アスファルトがすぐ近くにあった。散らばったチラシも見えた。なにより体の上に自転車が載っていて重い。ひっくり返ったダンゴ虫のように手足をゆるく動かしていると
「だ、大丈夫っすかぁっ!」
という声とともに三~四人の若い男性がすごい勢いで駆け寄ってきて自転車を起こし、そして私の両腕と胴体を持って一気に抱えあげて起こしてくれた。みんなでチラシまで拾ってくれている。
「あの、もう大丈夫ですので、ありがとうございました」
私がお礼を言うと「ウッス」「ウッス」と照れた様子でチラシを自転車のカゴに入れ、目の前にある予備校の中に入って行った。
数人の男の子に抱えあげられて思い出した。私はあれに憧れていた。紅白歌合戦の小柳ルミ子だ。いつもルミ子はバックダンサーに華麗にリフティングをされていた。男性にチヤホヤされたことのない私はいつかやってもらいたいもんだと秘かに思っていた。夢はこんな風に叶うのかなと思った。
「いたたた…」
倒れる時に頭をかばったらしく首が痛かった。膝も少し血が滲んでいる。足を引きずり、ゆっくり自転車を押しながら考える。
今どきの若い青年が困ってる人を助けるのは感心だなと思った。
あと、私が触れないほどバッチイ感じじゃなかったのかと思うと嬉しい。
いや、悲惨過ぎて放っておけない状況だったとも考えられる。
それとも受験生ゆえに自転車から【落ちる】という行為を否定したかった?
…まぁ、なんでもいい。
今後は若い男の子に担ぎ上げられたことしか思い出さないのだから。

祐兄ちゃんの青梅
のんちゃん寿司の厨房で休憩をしていると祐兄ちゃんは青梅に爪楊枝を刺したものを私に差し出した。
「梅酒の梅だと思ってんだろ。あれと全然ちがうから食ってみろ」
促されるまま口に入れると、薄い梅の皮を破って冷えたやわらかい果肉が甘さとすっぱさを含みながら口の中で一気に拡がり、鼻で息を吸うと梅のさわやかな香りで息が出来なくなるくらいだった。
目を白黒させながら
「お、おいひぃでふ」
とやっと一言だけ喋れた。

主人は三男なので兄が二人いる。長兄で割烹の板前の祐一兄さんのことは、祐兄ちゃんと呼ばせてもらっていた。
「これ、どうやって煮るんですか」
ティッシュに種を出しながら私が訊くと
「梅をな一コずつ、細い針で二~三ミリ間隔で穴開けていくんだ。同じところに二回針刺すと梅が割れる原因になるから集中してな。塩水に一晩漬けて、そのあと糸水っていう細く水を流しっぱなしにする作業で一晩。火を入れてながら梅が上下しないように気をつけてまた糸水で一晩。極弱火で炊きながら今度は梅の青い色を鮮やかにするための銅を入れて煮てまた糸水。銅は硫酸銅を耳かき一杯くらいか、銅鍋か、清潔な十円玉か、でな。蜜を作って梅を漬けて更に濃い蜜で慎重に甘さを足していく。これ、ウマイだろ?手間がかかってる割にはペロッとひとくちで食えちゃうから、なかなか価値が分かってもらえねぇんだ」
銅鍋に浸された青梅たちを見下ろしながらいつもの口調で言った。
長身で恰幅のいいその板前姿で作り出す祐兄ちゃんの料理はどれもおいしかった。
店の開店を手伝ってくれた数日あと祐兄ちゃんは心臓の病気で突然この世を去ってしまった。
あまりの出来事に主人は「実感が湧かない」と二年くらい言い続けた。
毎年梅雨も終わりに近づく頃主人は極上の青梅に針を入れ始める。
作業台には古いノート。
『梅の甘露煮』のページが開いている。


大葉でっぽう
“パンッ”
と何かが鳴ったので主人を見た。
まな板の上には大葉が一枚あり、中心にくるりと輪状の切れ目が入っていた。
お客様の手巻き寿司にその大葉は入れられていった。
店が終わってから主人に訊いた。
「さっきすごい音だったね」
「ああ、大葉?香りを出すためにやるんだよ」
「さっき見逃しちゃったんで、ぜひ見てみたいんだけど」
私が頼むと主人は冷蔵庫から大葉を取り出し、左手の人差指と親指で作った輪に他の指も添えて茶つぼのようにし、大葉をひらりと一枚、茶つぼの蓋に見せかけて載せると右手のひらを上から思いっきりそこに叩きつけた。
さっきと同じ音がした。
そして真ん中がくるりと五百円玉くらいの大きさに切れていた。
「空気圧で大葉の細胞膜が壊れるでしょ。一気に香りが出るんだ」
「お刺身を食べる時、穂紫蘇を手のひらに載せてポンと手をつぼみみたいにするのと一緒?」
「そうそう、同じ、同じ」
「でもさ、細巻きに大葉を入れる時にはやらないね」
「う~ん…手巻きはすぐお客様に手渡しするから香りの効果があるうちに食べてもらえる感じがするけど、細巻きは切ったりなんだりしていると時間が経っちゃうからパンとやる意味があまりない気がするんだよね。むしろ包丁で六つに切ったり食べる時に噛んだりで香りが出るでしょ。まあ、一種のパフォーマンスみたいなもんだよ。特に深い意味はないから」
パフォーマンスをあまり好まない主人がやるパフォーマンス。
紙でっぽうの音に似ているので“大葉でっぽう”と勝手に名付けた。

煮詰め
開店数日前のある日、主人は第一回目の仕入れのため築地に行った。
鮨雅に勤めていた時代からお世話になっている仲買いさんに予め頼んでおいた穴子の頭と骨を受け取りに行くためだ。
「ほーい、帰ったぞー」
築地から帰った主人は、まだ散らかっている店内の隙間を縫って厨房に入りビニール袋にパンパンに入れられた骨や頭をシンクの中にバサバサっとひっくり返した。
大量の頭はゴロゴロと転がり、かわいい目をしてこっちを見ていた。
五十~六十匹分の骨はゆるく曲線を描いて絡みあっていた。それまで小上がりで休憩していた主人の父は私に骨抜きを渡すと
「疲れるから座ってやれや」
と言ってカウンターに座った。
「いいか、啓三が頭を割ってよこすからな、そしたらまずエラを取る。で、所々赤い血のところがあんべぇ?そこんところをつまんでは取る。つまんで取る、の繰り返しだ。な?」
主人は穴子の頭をひとつ取ると向こう側を向かせ慎重に目と目の間の真上から出刃を入れ、ゴリリと割った。
頭が左右対称、アジの開きのようになった。
インディージョーンズのラストの方で出てくる、猿の頭を割って脳味噌を食べるシーンを思い出した。
むごい、むご過ぎる・・私には出来ない。
あごが胸に付くくらいうな垂れている私を見て義父が言った。
「しょうがねぇなぁ。じゃ、こっちやっか。骨に付いている赤いかたまりみたいなのがあんべぇ?これをギューっと挟んで取る。な?」
どっちもキツい。でも頭を真っ二つの方よりマシかと思った。
骨に赤くへばりついている血合いを最初は恐る恐る引っ張っていたがきれいに取れると快感になってきて、むしろ完璧さを求めることに愉しみを見出すようになってきた。
「血合いが少しでも残っていると煮詰めを取る時に味がおかしくなるんだ。身は付いていてもいいよ、赤いとこだけ取って」
主人は私と義父がやったものを丁寧にチェックした後、焼き台に並べた。弱火でじっくりと炙られた穴子の骨は内側に貯えた脂をじわりと表に出してきて、やがて骨全体を自分の脂で揚げていき、なおかつ余分な脂を下に落とし始めた。
「ものすごくいい匂いなんだけど」
火の中を見つめながら私が言うと
「まだまだ、これからが本番だから」
と険しい顔をして主人が言った。
焼き台で三セットに分けて焼かれた骨と頭はこんがりキツネ色だった。
店で一番大きい鍋に水を張り、そこに焼いた骨と頭を一気に入れた。
「え、水から入れるんだ」
「そう。で、最初は強火。ある程度したら弱くするけど」
温度の上昇とともに鍋の中の汁には穴子の旨みが溶け出てきているようだった。
「さ、濾すよー」
何もかも取り除かれ、黄金色のスープだけになったところに砂糖・酒・醤油を入れ、沸かないように火を調整しながらグルグルとお玉でかき回し始めた。弱火調節の限界点まで細火にしているので鍋の表面は湯気が立っては消え、まるで露天風呂の表面のようだった。 
お玉はグルグルと右回り、かと思えば左回り、そのあとは縦にジグザグと波立てたり。
「こうやってすこ~しずつ水分が蒸発していくでしょ。鍋にいっぱいの汁が、・・そうねぇ、底から四~五センチくらいに煮詰まったら出来上がりかな」
「そんなに減るまで!しかも沸騰させちゃいけないんでしょ?」
「鍋に半分くらいに煮詰まってくると焦げる可能性があるからね。焦げたら終わりだから。細心の注意を払うよ。寿司屋の仕込みの中で一番神経を使うのはこれだから」
三日をかけて煮詰められた穴子のタレ=煮詰めは、専用のステンレス製の容器に入れられ、ついに完成した。
「店を立ち上げる時って、普通は穴子の煮詰めを誰かからもらうものなんだ。修行先の師匠とか、知っている先輩とかね。積み重ねた旨みが最初からはないからね、どんなに頑張っても。でもオレは誰からももらわない。最初の旨みは薄いかもしれないけどそれよりどうやって作ったのかを全部見ていないで出すほうが嫌だ。自分の店のものは100%自信を持って出したいんだ」
開店から三~四ヶ月経った頃、あるグルメサイトにすし処のがみの評価が載った。
 <穴子の煮詰めが団子のツユみたい> と書かれていた。
それから何度か煮詰めを作り足していったある日、開店当初からお見えになっていたお客様が仰った。
「なんだかさぁ、この頃穴子のタレ、おいしくなったねぇ」
開店の時以来、私は煮詰め作りの手伝いをしていない。
こつこつと自分だけでやっているのだろう。