四谷三丁目すし処のがみ・毎日のおしながき

冬から春が旬である貝がそろそろ終盤、初鰹・鰈・鱸・鯵など夏の魚が出てきました。

おかみノート10 昭和のサンプル~かんぴょう推進委員会

2004-11-14 00:00:00 | おかみノート10

おかみノート
主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。
今まで見たり聞いたり体験した 寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。

昭和のサンプル
それはどんな商店街を歩いている時でもだ。
ナポリタンにホコリが被っていても、天津丼のグリンピースが二つ三つ取れてしまっていても海老天がのった鍋焼きうどんのおつゆが濁ってひび割れていても、ショーケースのサンプルが色褪せているのを見ると主人はぽつぽつと話を始める。
「学校から帰ってくるとサンプルをメンテナンスするおじさんがいたりしてさ、よく見てたなー」
「ああ、お店のサンプル?」
のんちゃん寿司が上落合の駅のすぐそばにあったことを思い出して私は訊いた。
「サンプルって買い替えるだけじゃないの?」
「あれ高いんだよー。大事に長く使うんだよ。・・・たしか月いちでニスみたいなテカるのを塗りに来て、三ヶ月に一度海老とか玉子とかの色を直しに来て、あれ蝋で出来てたのかな…なんか夏場はしょっちゅう直しに来て冬はそうでもなかったような・・。その頃店はずーっと営業していて今みたいにランチタイムとか分けてなかったから午後二時とか三時にそういう業者さんが出入りしていてね。いろんな色の塗料とか太さが違う何本もの筆を使って塗ったりするのを見るのが楽しくてショーケースの周りをウロチョロしてさ。そうすると親にジャマだからほらどっか行ってろって何軒かとなりの駄菓子屋さんに追いやられたり」
「お兄さん達は見てなかったの?」
「そうねぇ、オレが小一くらいだったから一番見ていて面白がる時期だったのかもしれないね。兄貴は見てなかったね。“ボク、こういうの好きなの?”っておじさんに訊かれたり」
「どんな感じの人なの?」
「・・・ベレー帽を被っていない藤子不二雄」
「うわっ、わかりやすっ」
「ズボンはスーツの下だけの感じ、柄のあるシャツにベスト、で、もの静かな・・」
「藤子不二雄でもうじゅうぶん伝わっています」
「出前桶、店で出すゲタ、お土産用の折箱は本物なのね。それぞれに寿司のサンプルが並んでいて修復するのに除けると陽が当たってない容器の部分は新品のまんまの色でね。またもとの位置に並べてガラスケースの扉をおじさんが閉める時に“今度はいつ来るの?”って訊ねたり」
「なんかかわいい小学生だったんだねー」
「まぁね。生意気だったけどね」
のんちゃん寿司は路面店だった。
見たことはないけれど
おだやかな陽の当たるショーケースは思い浮かべることができるのだ。


かっぱ橋まで
飲食店を始めるのにはたくさんのグラスが必要だ。
酒屋さんから無償で提供してもらうものと以前ここで営業していた居酒屋さんのもの、そして最終的に足りないものは実家からいただいてそのほとんどをまかなおうと思った。
酒屋さんからもらった酎ハイ用のグラスには真っ赤なローマ字で商品名が入っていた。
居酒屋さんが置いていったビールグラスには青い文字でメーカー名が、のんちゃん寿司からもらったロックグラスには黒い文字でお酒の名前が印刷されていた。
主人は「グラスがきちんと洗ってあるかが重要でどんな高級グラスを使っているかというのは問題ではない」と言った。
実際開店してみるとお客様は開店直後の気合いを感じてくださったのか、あえてそういうものを面白がってくれた。
酎ハイグラスにプリントされている星のマークを指差しながら「ここ、この底から二つ目の星のところの濃さで作ってね!」と言ったりしてくれていたので私もそれでいいと思っていた。

オープンして二年半になろうかという頃のことだった。
いつも来てくださる方が初めての方を紹介するからとお客様をおひとり連れて来てくださった。
暑い日だった。
まずは冷たいお茶をということで
酎ハイグラスにたっぷりと入れた冷茶をお出ししたら“商品名のプリントされたグラスを出すようなお店にあなたは来ているのですか?私はちょっと遠慮したい”というようなことを遠回しに言われてしまった。
連れて来てくださったお客様は黙っていた。
私はギクッとした。
自分の中ではっきりとした意志が固まっていなかったからだ。
「実は買い替えたいと思っているんですよ。やっぱり無地のグラスですよね」と言い切るほど替える必要性を感じていなかったし「名入りのグラスでもぜんぜん問題ないじゃないですか。うちはずーっとこのままですよ」と笑い飛ばすほど吹っ切れてもいなかった。

それから数日後、ランチの営業が終わってすぐ出掛ける準備をした。
「かっぱ橋行ってくる」
「今から!?」
主人が驚くのも無理はない。グラスの買い替え問題は保留のままだったからだ。
「グラス買いに行くの?」
「そう」
「全部?」
「いや、さすがに予算的にキツイ・・っていうか本当は何も買えないくらいキツイ。でも酎ハイグラスとビールグラスだけはど――しても替えたい。ど――しても。何だかわからないけど、急に替えなくちゃダメって気になって」
「何も今行かなくてもいいじゃない。今度の休みに行けば」
「い―や、今日の営業に差し支える。買って帰ってこれる時間がギリギリでもあるのに行動に移さないで、全力を尽くさないまま夜の営業に妥協した気持ちで臨みたくない。そんな腐った気持ちでやったら絶対伝わる。それは絶対によくない」
「・・・じゃあ気を付けてよ。無理に急いで帰ってこなくてもいいから」
「だいじょうぶ間に合うから」

ロックグラスが並んだ棚を眺めながらお会計を待っているとお店の人から声を掛けられた。
「ええと今ならまだ配送間に合うから・・明日の午後には着きますけど」
年配のその人は下がり気味の眼鏡の上からちらりと私を見た。
「今日使いたいんで持って帰ります」
仁王立ちのまま言った。
「・・・ああ、そう。え―っと、十六と十六、三十二ありますよ。お連れの方が?」
「ひとりです」
「えっ・・」
ボールペンを持ったまま絶句している男性のもとに、先ほど接客してくれた息子さんらしき人がビニール紐を持って戻ってきた。
「いやオレも言ったのよ。そしたら都内で大丈夫だって言うからさ、二個ずつ振り分ければいいかな」
「はい、すいません」
「都内ってどこ」
「四谷三丁目です」
「はー」
「オヤジほら早く手伝って」
「ああ」
お店の人はグラス六個入りの箱を二個ずつ紐で縛り手の部分にプラスチックの持ち手を付けてくれた。
「あと八個、八個・・・どうしようかな。肩に掛けるくらいっきゃもう身体空いてないよねぇ・・」
「あれは?商店会で作った」
「ああ、あれか。ん―、あと二枚か三枚なんだ・・・いいや!お嬢ちゃんだからやっちゃおう!」
お父さんはレジ横の引き出しから不織布で出来た紺色の大きなバッグを取り出した。
「かっぱちゃん!かっぱちゃんのプリント!ほら、かわいいでしょー。去年お祭りで作ったんだよ。これなら拡げりゃ箱ひとつかふたーつ入るだろ、な、な?」
息子さんは喋っているお父さんからその手提げバッグを取り上げると手際よく六個入りの箱ひとつと緩衝材に包まれた二個のグラスを入れて肩に掛け、両手に箱を持って二度三度しなり具合をチェックしながら
「オッケー、これで大丈夫でしょう」
と言って私に
持たせてくれた。
しばらく歩き振り返ると心配そうに見送っているお二人の姿が見えた。
「気を付けて―!」
お父さんは手を振ってくれている。その言葉に頷きながら向き直った。肩のかっぱちゃんをもう一度背負いなおし両手にぐっと力を込めて持ち上げた。
重い。
思ったより重い。そして背中にまだ視線を感じる。
格好をつけて商店街の端っこまでノンストップでガンガンに歩きたかったが二十メートルおきに休憩しながらが精一杯だった。
かっぱ橋通り商店街の入り口、洋食器のニイミに到着した。
ニイミの巨大コック像はビルの屋上にある。

信号を渡って少し距離を置いたほうがよく見えた。
「ニイミのおっさんよぉ・・。私のしてることは合ってますかね?」
まっすぐ前を見つめて動かない像に問いかけてみた。
銀座線田原町まであともう少し。
ありがたいことに四時過ぎの地下鉄の車両は五時台ほどは混んでいなかった。赤坂見附で丸の内線に乗り換え四谷三丁目の二番出口を出た頃には首と腕と指の筋肉はほぼ麻痺していた。掛け声だ。掛け声を掛けないともう持ち上げられない。目に飛び込んだ看板の文字を心の中で思いっきり叫んだ。
「だ、い、ま、す、の、すまいだ――――っ!!!!」
その勢いで少し進んだがまた力が尽きた。
妻家房の前で荷物を置いたらわるいのでもう少し粘って数メートル先まで進んだ。
痛む手をさすりながら私は何をしに行ったのだろうと思った。我を通しに行っただけだ。しかもグラスを買ったお店の人に手厚い協力までしてもらって。
二年半というなんともあいまいな時期に、方針が定まっていなくって、二種類だけ替えるのが正解かも分からないまま何を中途半端なことを、さも一生懸命やってますみたいな顔をしてやってんだと思った。

店に辿り着くと主人が荷物の多さを見て少し驚き
「ごくろうさん。すぐ使いたいんでしょ、洗うからシール剥がしてこっちによこして」
と言った。
開店までギリギリの時間だった。
主人にも迷惑をかけてしまった。
しかもそこまでして替えたグラスだったが評価はあまりよくなかった。いままでのでよかったんじゃないの、と。
でも結果がどうであれもがいてよかったと思う。
もがかないよりもがいたほうがいいと思うから。


玉子焼き 2
甘い出汁と卵が焼ける匂いが店内をめぐる。
主人のメガネは熱気とこまかい油で曇り、玉子焼きは仕上げの段階に突入した。
表面に焼き目をつけるため、ゲタと呼ばれる小さい木の蓋のようなものを使って玉子焼きを寄せたりひっくり返したり、焦げ色がつくまで押し付けたりしていた。
卵を割りほぐしたボウルの中身はくり返しおたまで注がれ四角いフライパンの上でくるくる廻され玉子焼きになった。
でもほんのわずかにボウルの内側に卵液が残っている。
これを捨ててはいけない。
これを洗い流してはいけない。
修復材に使うかもしれないからだ。
開店して間もない頃、初めて主人がお客様の前で焼いた時、役目を終えたボウルに手を伸ばして洗おうとしたら「まだダメッ!」と怒鳴られた。
「仕上げの段階で玉子焼きの表面に目立つ窪みがあったら残りの卵液で埋めて平らにしたり、巻いた端のほうが少し剥がれていたら接着させるために使ったりするから完全に焼き上がるまでボウルは洗ってはいけない」
と教わった。
あの時以来、艶よく光る玉子焼きに主人が包丁を入れ始めるのを確認してからボウルに手を伸ばすことにした。

ウニの店
店を始めるというのはどこか転校生と似ていると思う。
地元の業者さん同士は古くからの知り合いで、地元のお客様同士も知り合いで、そして業者さんとお客様も
知り合いで。
そんなコミュニティがすっかり出来上がって
いるところに新規参入するというのはけっこう大変なことなんだなと思った。
いざ店をオープンさせてからしばらくはどうやって自分たちのことを知ってもらうか説明ができず困っていた。
周囲の方はもっと困っていたようだった。
せっかく新しく出来た若い板前さんの店を盛りたててやろうと心を砕いてくれるのだけれど、寿司屋を始めたというだけで私たちが何か語る糸口になるようなことをひとつも出さないので何がどうなんだか情報が掴めない。
主人はもともと多くを語らない上に仕込みや調理などやらなければいけないことがいっぱいでそんなことを
アピールできるわけがない。
残る私はといえば始めたばかりのこの店のどこを具体的に伝えればいいのか、他の店との違いは何か、想いは強くても言うべき言葉が出てこなくてずっとオウオウと唸っていた。
しばらく経って皆さんが会話の中から導き出してくれたのが「ウニにはうるさい店」だった。
六月中旬、北海道利尻島の蝦夷ばふんウニの漁が解禁になってからおよそ二ヶ月、ウニ漁が終わるまで仕入れてあと九月から五月は質と仕入値の折り合いがつかない限りウニは置かないと決めて主人はそれをお客様に説明し続けた。
「ウニの店」というキャッチフレーズはその後の「かんぴょう巻と煮タコがうまい店」にシフトするまで続いた。

手に付いた墨
スミイカの墨はねっとりとしていて量も多く、仕込んでいる途中で手に付くとなかなか落ちない。
「肝をね、石鹸のように擦り付けてから水で流すと落ちるって言われているんだよね」
主人はさばいた時に出たピンポン玉大のスミイカの肝をシンクの中から拾い上げると手のひらに載せ、空いているほうの親指でグチャグチャと潰してまんべんなく手にまぶした。
「こぉーしてー、こーすーるーとー・・・」
蛇口からの水で墨の黒や肝の黄土色が流れ落ち、完璧とまではいかないが薄っすら黒が残るくらいまでになった。
翌日、築地から帰って来た主人が言った。
「いつも仕入れる仲買いさんのところでさ、たまたまスミイカをさばいてるところを見てたら墨玉が少し傷付いて墨が出ちゃっててさ、“墨が手に付いたら肝で擦るとよく落ちるんですよねー”ってオレだってそのくらいのことは知ってます的にさり気なく言ったの。そしたら“・・いつの時代の話してんの?今はね、うーんといいモンが出てんの、ほら。これ使うとイッパツで落ちるよ。皆これ使ってっから”って市販の洗剤出されちゃった、ハハハ」
そう言いながら照れていた。

まな板を前にして
まな板は
実家の近くにある製材所の皆さんが
啓三の開店祝いにと
実家のそばに立っていたポプラの大木を
伐り倒して作ってくれたものだった
開店して初めての冬
主人の父が亡くなり
店の片付けもほとんどしないまま駆けつけ
一週間ほどして戻ったら
まな板は裂けていた
主人は動揺しながら熱湯をかけた
真ん中まで割れたものは
水を掛けようが
手で強く寄せてみようが戻るはずもなく
お世話になっている大工さんに
両側からボルトを入れて
直してもらった
よく刃があたるところには窪みが出来る
その都度表面を削って使ってきた
これ以上削るとボルトが出てきてしまうということで
今日新しいまな板に交代する
岐阜から届いた荷を解き
緩衝材を剥がして出てきたほの白く重い板は
ツンとして清潔な匂いがした
送り状の備考欄には木曾ヒノキとあった
空いたダンボールに今までのまな板を包んで
家に持ち帰ることにした
ガムテープを貼りながら
このまな板に心の中でお礼を言って
新しいまな板によろしくお願いしますと
気持ちを込めた

テンクエヨウクエ
そろそろおしながきを書こうとメモを片手に今朝は何を仕入れてきたのかと訊ねたら
主人は仕込みの手を停めて伝票やネタケース内を見ながらひとつひとつ挙げ始めた。
「佐島のアオリイカ、紀州活じめアジ、気仙沼カツオ、あと長崎のクエと・・」
「へーめずらしい、今日クエがあるの」
「あるよ」
産地と魚を書きとめながら私はネタケースを覗きこんだ。
先日魚の事典でクエを調べた。
表面には薄茶色のまだらな模様があり、その柄が九つの絵のようだから“九絵”というのだと書いてあった。
「・・ないじゃん」
「下、下。しまってある」
「冷蔵庫?」
「そう」
「やっぱり絵みたいになってるの?」
「絵?」
「ほら、表面の皮が九つの絵みたいになってるって。見てみたいんだけど」
「もう皮引いちゃったよ」
「え―・・残ってないの?」
「そんなベロンと剥けるようなものじゃないよ。鱗と表層が一緒になった感じでヒラメの表面みたいな。だから包丁でそいでいくのよ。皮は皆捨てちゃった」
「はぁー・・」
「またいつか入ると思うから」
「でもめったに入らないんでしょ」
「そうねぇ」
「たまーにポコッと自然に獲れたものが出回るんだよね?」
「まぁ…そうねぇ」
「クエってまさか養殖は無いよね?」
「あるよ」
「うっそ」
「ほんと。養殖のクエで養クエ」
「ヨウクエ?」
「天然は天クエ」
「テンクエ、ヨウクエ…。何そのドラクエみたいな呼び方は」
「天然モノと養殖モノはこうやって呼び分けるんだよ。例えばヒラメはテンビラ・ヨウビラ。タイはテンダイ・ヨウダイ。シマアジはテンシマ・ヨウシマ」
「じゃ、カワハギは?テン・・カワとか?」
「ちがうちがう。テンハギ・ヨウハギ」
「カワハギも養殖ってあるんだ。じゃ、ソイは?さすがにないでしょう」
「あるよ。テンソイ・ヨウソイ」
「うひゃーすごい」
「カンパチはテンカンパ・ヨウカンパ。あとテンブリ・ヨウブリ。・・マグロだけはチクヨウっていうな。アジはハンチクとか」
「逆に養殖してないものは?」
「オレの知るかぎりではカレイは天然だけかも。あとイワシとかキスとか細かい青魚系の養殖も聞いたことない」
「ふーん・・」
「養殖が出回っているおかげで値が安定して、天然モノを仕入れるオレらなんかが助かっているっていうのがあるんだよ。例えば養殖のタイがこの世にひとつも無かったら、天然のタイがいったいいくらするか…。うちなんてとてもじゃないけど仕入れられないよ」
「そうかー」
「マコガレイだのホシガレイだのって天然だけでしょ。だから市場に出るのが少ない時はほんと高いから。安定供給されないものは騰がったり下がったりがすごいんだ」
天然モノのどこが好きなのか訊いてみた。
「その魚が持つ本来の味がするということ。日が経つにつれ身が熟成の方向に進むということ…かな。少々値が張ってもやっぱり、ね」
板場では仕込みが再開していた。
主人はアオリイカを片手に持ち、サラシを使って薄皮を剥き始めた。

かんぴょう推進委員会
店を始めて半年くらいの間、ほとんど細巻が出なかった。
特にかんぴょうが。
ランチはにぎりだけの構成だったし夜のメニューにも細巻を書いていなかったし、主人も私も心の余裕が細巻をおすすめするに至っておらず気がついたら煮たかんぴょうがほとんど余っていた、なんていうことがザラにあった。
「あーあ。ちゃんと自分で煮てるのになぁ‥なんで出ないかなぁ」
スタート時から思い入れが強い自分のかんぴょうが何故出ないと肩を落とす主人に、私もよく来てくださるお客様も何か出来ることはないかと考え、『かんぴょう推進委員会』を立ち上げた。
「何か新しいメニューを考えたら?」
というお客様のご意見で、“かんぴょうのにぎり”というのを作ってみようということになった。
十センチくらいのかんぴょうを二つに折ってシャリにのせ、ワサビをトッピングして見た目のアクセントにした。
「・・・うーん、おいしいけど、べつににぎりじゃなくていいね」
という全員一致の見解で、正式なメニューにはならなかった。
主人のかんぴょう巻を食べるまで私はかんぴょう巻は好きではなかった。
いわゆる寿司一人前のボリュームの帳尻を合わせるためだけに配されたようなかんぴょう巻がそれほど魅力的とは思っておらずどちらかというと避けていた。
その先入観がガラリと変わった。
何の抵抗もなくあっさり変わった。
「今日は煮たかんぴょうが売り切れになってしまいまして‥」
かんぴょうが出ないと苦しんだ日からだいぶ経ったある日。
主人が板場で申し訳なさそうに謝る姿を見て、心の中で呟いた。
  “かんぴょう推進委員会は発展的解消とします!!”