玉川上水の木漏れ日の下

 ワヤン・トゥンジュク梅田一座のメンバー katakura のブログ  since 2013

良いお年をお迎えください

2013-12-31 | ブログ管理人から


今年は本当にたくさんのワヤンを上演することができました。
これもみなさまのおかげと感謝しております。
新年もよろしくお願いいたします。
みなさまもどうぞ良いお年をお迎えください。

ワヤントゥンジュク梅田一座



白銀は招くよ

2013-12-30 | わたくしごと

お正月のかまぼこ「白銀」
我が家ではお正月の「かまぼこ」はこれと決まっています。
普通のかまぼこより堅い感じのシコシコした食感が好きです。
ワサビとイクラをちょいと乗せ日本酒といただく。お正月ですね~。

 みなさん「トニー・ザイラー」をご存知ですか?60歳以上の方にしか多分お分かりにならないと思います。トニー・ザイラー主演の「白銀は招くよ(邦題)」(1959年)というスキー映画が昔流行りました、原題は「十二人の若い娘と一人の男前」このタイトルから連想する通りの罪のない映画です、ハハ。日本ではこの映画の主題歌「白銀は招くよ」の曲のほうが有名ですね、ダークダックスがNHKで歌っていた。若いひとでも曲だけは多分お分かりになる・・かな?
 我が家ではあまり蒲鉾は食べませんが、お正月の蒲鉾だけはこの「白銀」と決まっています。以前は近くに取り扱っているお店がなかったので、暮れになると中央線に乗って吉祥寺までわざわざ買いに出かけていました。最近は武蔵小金井でも扱っているお店ができたので、だいぶ楽になりました。この蒲鉾を買いに自転車に乗って口ずさむ曲は、もちろん「白銀は招くよ」です。予想通りのオチのお話でした。(か)
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 トニー・ザイラー(1935年~2009年)はオーストリアのアルペンスキーの名選手、1956年の北イタリアで開催された冬季オリンピックで「回転・大回転・滑降」で金メダルを三冠獲得、一躍スターに。その後映画俳優に転向、歌手活動も。日本の映画やCMにも出演したことがあるそうです。また1985年には国際オリンピック委員会(IOC)から彼のオリンピックに対しての活動が評価され、オリンピック勲章が授与されたそうです。メデタシメデタシ。

 
スキーが巧くて、歌が上手くて、男前。


みかんと犬

2013-12-29 | 犬の気持ち

「みかん」を手(?)に乗せてもらって喜ぶ名犬エース
(喜んではいないかな)

 いよいよ今年も後わずか、我が家では「大掃除」のまっただ中。換気扇、コンロ、シンク、風呂、洗面、トイレ、窓ガラス、床、階段、仕事場、パソコン、グンデル、現金・・・と果てしなく「掃除」が続きます。このペースだと永遠に終わらない気がするナ。なかでも現金の掃除「マネーロンダリング」は、最近は当局もなかなか厳しくてなってきているしこの時期本当に大変なんですよネ(ウソ)。
 話は変わりますが、ずいぶん昔のテレビ番組「サラリーマンなんちゃら」のエンドロールで評判になった「みかんを前足にのせたネコ」。可愛かったですね。
 昨日、妻がうちの名犬エースの「新しい芸」とか言って、「みかん」をエースの前足にのせて見せてくれました。実際にこの状景を見てみると、テレビで見たネコの芸の時はなかなか面白かったけど、イヌの芸としてはなんだかあたりまえすぎて感動が少なかったナ。考えてみるとイヌはこんなこと「オチャノコサイサイ」なのですネ。このまま「フセ(伏せ)!」と命令すると、きっとジ~っといつまでもこの姿勢でいることでしょう。イヌとはそういうものなのです。可愛いですネ。(か)
 

どうですか?
これでいいですか?
このままこの体勢でがまんすれば、
後で僕になにか良い事がありますか?
ワン!


ほら!
こんなことさせるから!
だから落としちゃったジャン?
あ~ア、僕のせいジャないからね?
こんな事させるからいけないんだよ!
どうしてくれるの?
ついでに遊んじゃおうかな。
ワン!

店じまい

2013-12-28 | わたくしごと

店じまい

 我が家の近くの「呉服屋」さん。今年の暮れで「店じまい」をするようです。とくに利用していた訳でもないし、知り合いでもないのですが、町から個人商店が無くなってしまうのはなんだか寂しいですね。
 「とこ屋」「豆腐屋」「八百屋」「肉屋」「寿司屋」「酒屋」「団子屋」「本屋」と、近くのバス通りに面していた個人商店がここ数年でポツポツと無くなって風景が変わっていきます。この近くは中央線が高架になり最近人気がある地域で、畑がどんどんと個建てやマンションに変わり、人口は増えているのですが、個人商店は減っていきます。最寄りの中央線の駅周辺は再開発が進み巨大なスーパーなどの商業施設ができています。
 でもこう書いている私も、食料品は車で出かけてスーパーで一週間分をまとめ買い、日用品はアマゾンかアスクルで事足ります。個人商店はほとんど利用しません。ホラ!だからジャン!だから「店じまい」をしてしまうのですね、スミマセンデシタ。でもみなさんの生活もそうなってしまいましたよね~、つまらないですね。
 私は下町で育ったので、小学校の友達の家は「個人商店」が多かった、夕方、母から買い物を頼まれた時は、とりあえず駅の方に走っていって、友達の家を順番にぐるぐると回っているうちに用事がすんだ記憶があります。当時は小学生も夕方はみんな店先に出て手伝っていたんだよね、えらいね。たのしかったな~。
 友達を表現する時も「八百屋のヨッちゃん」「花屋のアッくん」とか「家の商売とその子の名前」とが組合わさって愛称のように呼ばれていました。私のようなサラリーマンの家の子は「カタクラ~」と面白みもなくただの名字で呼ばれて、つまらなかった。
 池袋の繁華街が近かったこともあり、友達の中に、お父さんの職業が「やくざ」の子がいました。これちょっと凄いでしょ。この子と結構仲が良くてよく遊んでいた。この子の家に遊びにいった時にもの凄い物をみせてもらった記憶がありますが、でもそれは「ヒ・ミ・ツ・」。ハハ。さすがに子供達も「ヤクザ屋のOOちゃん」と呼ぶ訳にもいかず。サラリーマンの家の子と同じように「OOO~」と名字で呼ばれていました。まあどちらも「勤めを果たして給金をもらう」。サラリーマンと言ってしまえば、言えなくもないのですね。(か)

美少年タジオ

2013-12-26 | 映画と美術と音楽と

「完璧な美少年タジオ」「ビヨルン・アンデルセン」。
本当に美しいですね。(当時はネ、今はどうなんでしょうか)
ルキノ・ヴィスコンティ監督:映画「ベニスに死す」(1971) より

 昨日のクリスマス、私のガムランのお友達、現在は平和島を拠点にバリ・ガムランの活動を幅広く続けていらっしゃる人(ゆ)から、「Merry Christmas!!」の言葉だけが添えられた上の写真が送られてきました。私には一体なんの事だか分かりませんが、きっと彼女には特別な思いがあるのかもしれません?・・フフ。
 彼女のご主人が「タジオ」に似ているか?・・というと、マッタクそうではないし。それでは平和島のスタジオ関係者に「タジオ」に似ている人がいるか?・・というとやはりそんな事は絶対ないし。それではこの私(か)が「タジオ」に似ているか?・・というと、改めて上の写真を見てみると、・・まあ、感じは近いとは思うけど、でも「そっくり」と言ってしまうとやはり嘘になるし。・・ん~?・・難しいところだナ。結局、この写真の真意は分からないまま、クリスマスは過ぎていったのでした。
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 映画「ベニスに死す」。監督はルキノ・ヴィスコンティ、原作はトーマス・マン。劇中、休暇をとってひとりベニスを訪れたドイツの音楽家のアシェンバッハ(ダーク・ボガード)は、実はグスタフ・マーラーがモデルとも言われています。マーラーの「第5交響曲」が全編にわたってたっぷりと流れ、映像の美しさと相まって素晴しく、感動します。「音楽」がとても印象に残る名作です。私の大好きな作品。(か)
 
   
   アシェンバッハ(ダーク・ボガード)


2013年練習納め

2013-12-25 | ワヤンのお稽古

グンデルの上に並んだクリスマスのお菓子。メリ~クリスマス!
メンバー(お)からのクリスマスのプレゼントです。ありがとうサン。

 今年の最終の練習が梅スタジオでありました。「スクティ」という曲を練習しました。グンデル部(に)部長の指導のもと、曲の細部の確認をしていきました。「ヘ~?そこのコテカンそうなってるだ~」「そこがそうだとすると、ここはこうでは変ではないですか?」「その音とこの音がぶつかるけどイイの?」「ここはこの音を抜いた方がイイと思う。」とか、(に)部長に、教えてもらうメンバーからもいろいろと質問や意見が出ます。練習しながら意見を出せるほどわれわれもずいぶんと成長して来たな~と思いました。意見は出すけどまだ弾ける様になった訳ではないのですが、ハハ。
 意見が煮詰まったころ、(に)部長が「ん~?ちょっと確認してみるね~」と、トゥンジュク村のオジサンたちの演奏録音をイヤホーンで再確認します。「あッ!なんだ、ここはみんな好き勝手にいろいろ弾いてるんだ、ノリでいいんだ。」というような真実(?)も、いろいろと判明してきて、楽しいですね。それでは我々としては一応こうしましょう、と整理をしていきます。グンデル演奏に向かうなんと真摯な姿勢ではないでしょうか、素晴しいですね。ハハ。
 練習の後は国分寺「新中華」での宴会(今回は忘年会)。今年一年でこのワンパターンをいったい何回繰り返した事でしょうか?「一年が本当に早いね」「光塾のワヤンが終わるとあっという間に年が終わる」「来年の光塾ワヤンもすぐ来るね」「今年も一年お疲れさま~!」と言う事で、乾杯!!新中華を出る時はお店のオバサンとも「マタライネンモヨロシクネ」と中華なまりの言葉を交わし。国分寺駅でのメンバーお別れの挨拶は「良いお年を!」「良いお年を!」でした。今年もいよいよ終わります。
 梅スタジオの「お父さん、お母さん」、今年も本当にお世話になりました。来年もよろしくお願いします。「良いお年を!」。メンバー一同より。(か)

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『 玉川上水の木漏れ日アーカイブス 』
 カテゴリー>ワヤンよもやま話>2013.06.16>《スクティ Sekti 》への想い より
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 この曲は、私がバリ島のタバナン県トゥンジュク村の人達と演奏した曲の中で一番弾いた曲だと思います。村で演奏していた当時は、ワヤン(影絵人形芝居)での演奏についていくことや、曲をに覚えることに夢中であり、あまり意識していませんでしたが、今振り返ると、この曲は結婚式やポトン・ギギ(歯を削る儀式)などの儀礼時はもちろん、ワヤンの前奏曲では必ず演奏していました。
 影絵が始まる前に器楽曲を演奏するのですが、私がワヤンの演奏に参加していたときは、大曲を2曲演奏した後に、このスクティを必ず演奏していました。というのは、この曲、伸縮自在の曲なのです。大曲よりも演奏形式が少なく、長く演奏したければ伸ばせますし、早く終わらせたいときも短縮できる便利な曲です。
 ちなみに、わが一座では、「大曲」のことは、演奏時間が長く、長いギノマン(曲の頭部分)があり、ギノマン以降からの曲の構成が3パターン以上から成り立っているような曲を言っています。
スクティは「中曲」の位置付け。長いギノマンがなく、2パターン以上から成り立っているような曲のことです。大体ですが。。

 日本の公演では、ダラン(人形遣い)は始めからスクリーン裏に演奏者と一緒にいてスタンバイしていますが、バリでは、最初、グンデル演奏者だけがいて器楽曲を弾いていました。私が演奏参加してた時は、ダランはスクティの曲の途中でスクリーン裏に登場していたことが多かったです。ダランが出そうなタイミングを見計らって、このスクティの曲を演奏していたように思いました。2曲目が終わった時点でダランがスクリーン裏に登場して来なかったら、スクティを弾き、ダランが現れるとスクティの曲が終わりに向かっていく、という感じでした。そして、この曲が終わると、ダランが人形の箱を3回叩き、人形達が箱から出てきて、ワヤンの世界の扉が開かれます。
 人間の世界から人形の世界への境目、ダランと人形の存在を感じさせる曲です。
 ワヤンの始まりではいろいろな曲を演奏しましたが、スクティはこんな感じで必ず演奏していたので、いつしか、「スクティ=ワヤンの曲」をいうイメージが強く着いてしまっていました。そして、ダランのテーマソングみないだなぁ~とも。

 ワヤンの始めにやる曲は彩りがある大曲が多いですが、それよりずっとシンプルで村の素朴な感じがし、私にとっては、なによりトゥンジュクのワヤンの雰囲気を思い出させてくれる特別な曲です。
 今でもこの曲を弾くと、ダランが現れて、ワヤンの世界が始まる感じがしてワクワクします。
 それもあり、この曲をいつか日本で演奏できるといいなぁ~、という想いを密かにずーっと思い続けて、苦節(?)××年。
 やっと、みんなでこの曲に取り込むことができて、正直嬉しいです。(に)
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「どこでもドア」がほしい

2013-12-23 | わたくしごと

サヌールの浜辺(04.2013)
今すぐここに寝そべって「あ~暑い!暑い!」とか文句を言いながら冷えたビールを飲みたい!
だから「どこでもドア」がほしい!

 先週の中頃。「関東地方にも雪が降りそうです、充分に注意してください」と天気予報で呼びかけていた寒波の日。冷たい雨がしとしと降る寒い夜に、たまたま外出していました。
 帰り道、冷たい雨の中、我が家の近くの人通りの少ない夜道をトボトボと歩いていると、だんだんと心細い気持ちになってきました。「こんな寒い夜、こうして歩き続けていても・・もし、自分に帰る家がなかったら ” 悲しくて ” このまま死んでしまうかもしれない。・・でも今でもこの寒空に家のない人は沢山いる、本当につらいだろうな。」とか、そんな事をぼんやりと考えながらやっと帰宅しました。きっと身体が弱っていたのだと思います。その夜、風邪をひいてしまいました。
 体調を崩し、鼻水をティッシュで拭きながら、微熱の頭でぼんやりと雨雲に覆われた薄暗い空を眺めていると、急に「あ~やっぱ今でしょ!サヌールのあの乾いた暑い浜辺に行きたいナ~!強い日差しを避けるパラソルの下に寝そべってビールが飲みたいナ~!・・でも日本からの移動に何時間もかかるのはイヤだしナ~」と、そのとき「あ~ドラエモンの『どこでもドア』がほしい!」と本気で思った、やはり病んでいたのですネ?
 今年もすっかり寒くなりました、みなさまもご自愛ください。(か)

 

 

ストーンズがやってくる

2013-12-22 | 映画と美術と音楽と

マーティン・スコセッシ監督:映画「 Shine a Light 」。5年ほど前に日本でも公開されました。
2006年、ビーコン・シアターでの慈善コンサートやその撮影の模様を収録したドキュメンタリー。
スコセッシ監督、アカデミー賞監督賞受賞後の初の作品でもあり撮影に力が入ります。
映画撮影を前提としたライブ。カメラ移動のためのレールやリフトを会場に完璧にセッティング。
カメラの動きやアングルを入念に打ち合わせをして、本番を待ち構える監督と撮影スタッフたち。
でもそんな撮影側の段取りとは関係なく、曲順を本番では変えてしまうストーンズ。
ハハ、格好良かったゾ!

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 ザ・ローリング・ストーンズの8年ぶり6度目の来日公演、来年2・3月に東京ドームで3公演が行われます。ちょうどこの時期、エリック・クラプトンの公演もあるシ、われわれ梅田一座も神戸、東京、名古屋と3公演が行われるシ、みなさん!どれも見逃せませんね。ハハ。
 8年前のストーンズ公演、中央線に乗って東京ドームに行きました。座席はバックネット裏あたり、野球観戦だと結構良い席なのですが、コンサートのステージは野球の外野側に設置されるので「ものすご~く遠い!」「まあしかたがないナ。」とあきらめ、それなりに観ていると、公演も半ばにさしかかった頃、なっ!なんと!ステージの一部が動き始めたではありませんか!アリーナの中央にレールが敷かれていて、演奏中の四人を乗せたままステージはアリーナをゆっくりと進み、私たちのいるバックネットにどんどんと近づいてくるのです!もう、場内は狂喜乱舞の大騒ぎ!ホームベース近くまで来てくれたので、バックネット裏からは肉眼でミック達の顔の「シワシワ」も確認できる至近距離!そこで数曲演奏して、またステージは演奏中の四人を乗せて外野へとゆっくりと帰っていきます。周囲はまたまた大騒ぎ!「嫌~!いかないで~!」「ミック!お尻が素敵~!」と絶叫するオバさんたち!とオジさんたち。この5万人のバカ騒ぎ!いった何なのだ!面白かったな~。この「大騒ぎ」がまたやってくるのだ。 
 一昨日、申し込んでいたストーンズ公演の先行予約「OK」の連絡が入ったのでうれしくて記事を書きました。たのしみだな~。(か)


この「シワシワの顔」を見よ!いいネ~!
左から
>ドラム:チャーリー・ワッツ
 下町の町工場のオヤジさんのような真面目で几帳面で信頼感のあるドラム、72歳。
>ギター:キース・リチャーズ
 69歳とはとても思えないようなアバウトさ!このダラダラ感!も~最高なのだ!
>ボーカル:ミック・ジャガー
 アスリートのような引き締った肉体、歌いながらステージをピョンピョンと走り回る70歳。
>ギター:ロニー・ウッド  
 メンバー最年少のギタリスト66歳、キースのギターと絶妙に絡めたバッツグンの音を出す。




クテンコン「ダランの友」

2013-12-20 | ワヤンのお話

クテンコンの仕事「人形箱を押さえる」

 ダランは右足の指に挟んだチュパラで、木箱をバシッ!バシッ!と蹴り込み強烈な「効果音」を出します。場面が白熱してくると「蹴り込み!」も強烈さを増してきます。木箱の横に座っているクテンコンは、箱が動かない様に懸命に押さえます(飛ばされそうになる事も?ハハ)。これも木箱の横に座るクテンコンの重要な仕事の一つです。木箱を押さえながら膝の上では次の人形の準備がされています。
 人形箱と反対側のクテンコンの前には木箱の蓋が置かれます。ダランはワヤン開始の合図、人形箱の蓋を軽く三回たたくと、ガバッ!と蓋を持ち上げてダランの右側のクテンコンの前に置きます。ワヤンの進行ではこの木箱の蓋の上のスペースは、常に次の場面のための人形を次々に準備し、すばやくダランに渡すための「準備の場」となります。ここでの準備の段取りしだいでワヤン全体のスピード感が変わります。
 下の写真は、次に登場する人形の組み合わせ、順番、向きが整えられ、操作する棒の絡みもなくきちっと準備されている完璧な状態です。素晴しい!。この状態で準備されていると、ダランは一目確認するだけで、人形をスッと掴みクリルの前へと登場させる事ができます。「スピード感」のある軽快なワヤンを演じることができるのですね。(か)

 
 クテンコンの仕事「人形の準備・整理整頓」
 常に物語の展開を考えて準備をしていきます。

 
 クテンコンの楽しい仕事「自転車のベル」

 
 クテンコンの仕事「火の番人」
「本火」の上演になるとクテンコンは俄然忙しくなります。
 芯の調節と油の管理で常に忙しく動きます。
 
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『 Pの世界アーカイブス 』
 ダラン(う)ブログ>Pの世界>カテゴリー>旅>2009.07.25>ダランの友 より
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 ワヤンの人形遣いのことをダランという。ダランは一人で人形を操るだけでなく、あらゆる人形のセリフをしゃべり、歌も歌い、人形箱を右足でたたきながら効果音も出し・・・といろいろな演劇的行為を行う、といったことがたいていの解説書に書かれている。自分だってあちこちにそう書いているのである。しかし、 本当のところ実際には一人でワヤンを上演することはできないのだ。もちろんそこには音楽を奏でる演奏家が必要であるのだが、人形操作だけでも一人では決して上演できないのである。
 バリのワヤンをみたことのある人は、ダランの両脇には二人のダランの助演者が鎮座しているのをご存知だろう。この二人のせいで、人形を操る側からスクリーンを撮影しようとしても彼らが邪魔になってなかなか写真がとれないし、ダランの人形操作もよく見えないので鑑賞者にとってはすこぶる邪魔な存在なのである。しかしこの二人もまたダランなのであって、ある意味、物語や用いる人形の大半を知り尽くしている。そして、常に次の場面を考えてダランより先に話を展開させ、ダランが用いる人形を次々に準備してすばやくダランに渡しているのである。
 この二人をバリ語でクテンコンketengkongという。トゥトゥタンtututanという言い方もあるのだが、トゥトゥトtututというバリ語は 「従う」とか「従属する」といった意味で、これでは「ダランに従う」といった力関係が読み取れてしまうから私は嫌いである。クテンコンはダランとの従属関係で存在しているのではなく、同格でありいわゆる「友」といった関係である。この「友」という表現は、南タイの影絵芝居ナン・タルンで用いられる表現で、 タイ語でこの影絵芝居の演奏者のことを「人形遣いの友」とよぶ。クテンコンもまさにダランの友である。
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映画「愛しのフリーダ」

2013-12-18 | 映画と美術と音楽と

映画館のホールの一角に展示されていた、メンバーとの写真やサイン。
こんなちょっとしたコーナーが作ってあると楽しいですね。

 中央線に乗って有楽町まで映画「愛しのフリーダ」を観にいきました。
 1961年、リバプールのキャヴァーン・クラブの地下、小さなステージで演奏する革ジャンを着た4人組が大好きになった17歳の女の子、通い詰めているうちに、マネージャーのエプスタインから声をかけられ秘書として働き始めます。それから11年間にわたりビートルズを支え続け、メンバーからもその家族たちからも信頼され、ファンクラブの運営も任される。当時の仕事やメンバーとの交流について初めて語ったドキュメンタリー、それまでは自分の家族にも語った事がなかったそうです。60年代のビートルズの写真や映像もたくさん出てきました。
 ビートルズ大好きな人には宝石のような作品、ビートルズに興味のない人には「だからなんなのサ?」的作品。まあ、ビートルズ大好きな人しか観にいかないでしょうけどネ。ハハ。
 全編にビートルズの曲が次々と流れます。カバー曲とオリジナル曲を上手く使い分け、ほかにも当時の懐かしいヒット曲を折り込みながらの音楽構成、なかなか良かったナ、懐かしかった。
 原題は「GOOD OL' FREDA」、邦題は「愛しのフリーダ」、この題名を見たとき「愛のコリーダ」を連想してしまいました。スミマセンデシタ。(か)


66年来日の時のジョンのサインもありました。

ポスター


「チュパラ」-2

2013-12-16 | ワヤンのお話

右足の指の間に挟んだ「チュパラ」と、左手の「チュパラ」で同時に人形箱を叩きます。
「バシッ!・バシッ!!」と強烈なアタック音がします。
強烈な音の時は、叩くというよりもむしろ人形箱を足で「蹴り込む!」感じかな?
場面が白熱してくると「蹴り込み!」も強烈になってきます、
木箱の横に座っているクテンコン(ダラン補佐)は、箱が動かない様に懸命に押さえます。

(前回のつづき)
ここからは妄想です、実話ではありません・・たぶん?(実話にならない事を祈ります。)
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 ワヤン公演の帰り道、「チュパラ」を入れた巾着袋を首からぶら下げ、大きなカバンをガラガラ引きずり、帰宅のため自宅近くの繁華街をトボトボ歩いている疲れきったダラン。警ら中のおまわりさんに呼び止められます。深夜の繁華街でよくある職務質問です。きちんと敬礼をしてから丁寧に話しかけるおまわりさん。
警「お急ぎの所申し訳ありませんが、すこし質問させていただいてよろしいでしょうか?」
ダ「・・?・・まあ少しなら」
警「その首から下げておられる袋の中には何が入っているのでしょうか?ちょっと拝見させていただいてよろしいでしょうか?」
ダ「・・?・・まあいいですよ」
 ダランはめんどくさそうにチュパラを首の袋から取り出して見せる。
警「いったいこれは何でしょうか?」
 不思議そうにチュパラを見つめるおまわりさん。
ダ「チュパラです」
警「・・チュ、チュパラ??・・なににお使いになりますか?」
ダ「足の指の間に挟んで箱を叩きます。」
警「そうですか・・えッ?・・ええッ!?何ですか?・・足の指の間に挟む?・・箱を叩く?」
 おまわりさんの顔には明らかに動揺の表情が浮かんでいます。
ダ「そうです足の指です。だって両手はパンダワのアルジュナとインドラ神でふさがっているので足の指しか使えないじゃないですか、あたりまえですよそんなこと~。」
警「えッ?!いったい何のことですか?・・パンダとアルジェリアとインドがどうかしましたか?」
ダ「だから~両手ではね、パンダワ一族とコラワ一族が戦っているのわけですよ~、足で箱を蹴るしかないでしょ。」
警「えッ~?パンダと・・コワラもですか?イチゾク?・・足で箱を蹴る?」
 おまわりさんはついに何かを決意したようです。同行のもう一人のおまわりさんに目で合図を送ります。そしてダランに向かってやさしく言います。
警「あの~、さきほどからお伺いしていると、とても面白いお話なので、署のほうでもう少し詳しくお話をお聞きしたいのですが、ご同行願えるでしょうか?」
 少し離れたところで同行の別のおまわりさんが、制服の肩につけた無線機に向かってなにか淡々と話しています。
警2「ハイ、ハイ、そうです、ハイ、先ほどから意味不明の発言を繰り返している50歳代の男性を保護しました。本官もはじめて見る奇妙な形の物を所持しておりまして、ハイ、そうなんです、アルジェリアとインドとパンダとコワラがどうしたとか?足で箱を蹴るしかない、とか言っておりまして・・至急パトカーを回してください。現場は田町の交差点から南に100メートルほど入った・・」
 深夜の浜松の街、遠くサイレンの音が聞こえて来ます。(か)

  こう離して。

  こう叩く。「トン!」

上演ではほとんどの間「両手」は人形でふさがっています。
たいていはこのように「足」を使って、効果音をだし続けます。
上演は二時間を超える事もあります。
ごくろうさんです。

「チュパラ」-1

2013-12-15 | ワヤンのお話

「チュパラ」(黒檀で作られた木槌)
手前のチュパラは左手で持ちます、奥のチュパラは右足の指の間に挟んで人形箱を叩きます。
足のチュパラはこれを使うダランの足の指の形に合わせて何度も削って調整してあるそうです。

 ワヤン上演の時にダランは人形箱を木槌で叩いて効果音をだします。「コツ・コツ・コツ」「トントントン」「ダダ!」「バシッ!」と叩く速度や強弱を変えながらさまざまな「音」をだします。この音がないとワヤンは成り立ちません。台詞に抑揚をつけたり、戦いの時のアタック音、グンデルに指示をだしたり、様々に使われます。この音は二つの「チュパラ」と呼ばれる黒檀で作られた木槌を用いて出します。一つは左手で持ち、もう一つは右足の指の間に挟んで人形箱を叩きます。この説明では何の事だか分かりませんね?言葉で説明するのは難しい。
 ダランは浜松在住なので、東京と浜松の両方にワヤンの道具一式がそれぞれ置いてあります。その中で唯一「チュパラ」だけは予備がなく、移動の時は持って歩いています。すると当然、稽古の時に持ってくるのを忘れてしまう事もよくあります。「あ~靴箱の上に置いておいたけど、持って出るの忘れタ~」などと、東京での稽古の時によく嘆きます。何か木箱を叩ける代用品があれば稽古はできるのですが。よく忘れてくるので「絶対に忘れない様にいつも巾着袋に入れて首から下げていればいいジャン!」とのメンバーから意見が出たりします。
 「それいいね!」「そうしたら?」「お洒落かもしれない?」とか無責任な意見がでましたが、「でも、もしもだよ?もしそのチュパラを入れた巾着袋を首からぶら下げて、いつもの黒い大きなカバンをガラガラ引きずって、帰宅のために浜松の自宅近くの繁華街を深夜歩いている時にだよ、運悪く静岡県警のおまわりさんに職務質問とか受けたら大変だよね?」「チュパラを取り出して見せても、何に使うか言葉で説明するのは難しいシ。」「絶対理解してもらえないと思うな~ハハ」「そうそう怪しげな霊感商法の道具みたいに見えるシな~」「その場でわざとチュパラを拝んだりしたら、話こじれそうだよな~ハハ」「こりゃだめだナ~」と、それをきっかけに一座の稽古場はいつもの勢いで妄想的バカ話へと花が咲いたのでした。(次回へつづく)
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新企画連続ブログ(か)

光塾ワヤン公演5「光と影」

2013-12-14 | ワヤン「ありがとうございました」

光源は60ワット「裸電球」一つです。
ワヤンの本番は、60ワットの裸電球一つだけの「明かり」で上演されます。
光塾は狭い会場なので周囲の補助照明もなく「裸電球一つだけの世界」です。
あとの装置は会場中央に張られた「クリル(白い布)」一枚だけ。

 この現代で、なんと素朴な装置ではありませんか?会場にいる50人あまりの人たちがこの素朴な「光と影」だけの世界を、二時間近く見つめています。・・素晴らしいことですね。CGや3Dの映画を見慣れている子供も大人も、こんな素朴な「芸能」を楽しんでいただけているようです。ありがとうございます。
 私は、上の写真をボ~っと見ていて”ふと” 思い出した絵画がありました。レンブラントの名作「夜警」です。なんだか雰囲気?空気感?光の扱い?そっくりではありませんか?どことなく登場人物の顔つきまで似ているかも?
 ・・エッ?!全然違う?・・そうかな~?そっくりだと思うな~。
 レンブラントは、シンプルな光で暗闇の中から現れる状景を描くのが好きな人だったのね、これはホント。「光と影」を探求した人、まあ簡単にまとめると興味の対象が「影」、ダランと性質がよく似ている人だった訳ですね。「光と影の巨匠」レンブラントが「ワヤン」の状景をもし描いていたら、それはもう美術史上に刻まれた素晴しい名作が生まれたでしょうね。オシイ!!
 あっ!今、思いつきだけど、もしレンブラントがダランをやっていたら凄く上手かったと思うナ。「光と影」を探求するあまり、場面ごとの構成にもう” 凝っちゃって凝っちゃって ”、ワヤンの物語が全然前へ進まなかったりしてね。ハハ。
 と、いいかげんな記事を書いていて、いま少し調べてみました。
 レンブラントは1606年生まれ、「夜警」を完成させたのが1642年。オランダ東インド会社がジャワ島に進出し、オランダによる植民地化の時代が始まるのが1602年。当時、もしレンブラントがオランダからジャワ島に渡ったとしても時代的にはまったく不思議はありませんね。・・これは面白い。
 「レンブラントはダランだった!」フ・フ・フ。「ニッポンSF大賞をねらうゾ!」か・か・か。
 今年のワヤン公演もすべて終わり。昨夜はここ数週間録りためていた「リーガル・ハイ」の録画を一気に見て、頭が「ハイ!」になってしまいました。スミマセンデシタ。(か)

レンブラントの名作「夜警」。

34年前、アムステルダムにこの絵を見に訪れました。
想像よりもはるかに大きく、とても迫力のある作品でした。
当時のアムステルダムの美術館、たまたま絵の周辺にほとんど人はいませんでした。
「レンブラント!凄いナ~!本当にうまいナ~!」と、作品の前に立ちすくし、
口をポカンと開け!長い間見つづけて首が痛くなったことを思い出しました。
レンブラントには「ワヤン」も描いてもらいたかったな~。

光塾ワヤン公演4「花まるこチャン」

2013-12-13 | ワヤン「ありがとうございました」

「これで全部積み込み完了ですね。」
積み込みの最終確認をする、梅田一座の影のメンバー「花まるこチャン」

 早いもので、光塾ワヤン公演から早くも一週間が過ぎてしまいました。写真は一週間前の金曜日の朝、国分寺の梅スタジオから道具一式を軽トラに積み込んで渋谷に出発する時の様子です。東京での公演の運搬はいつもお願いしている「赤帽さん」です。いつもお願いしているので、積み込みは簡単?かと言いますと、そうでもなく、楽器に気を使い、荷崩れに気を使い、いろいろ考えながら慎重に積み込んでくださいます。
 公演が近づいて来た頃、「梅田一座ですが、いついつ、どこどこまで、お願いしたいのですが?予定は空いていますか?」と連絡を取ってみると。「ハイ!大丈夫です。”ブログ” 読んでますから予定してあります。」との返事が返ってきます。この記事も読んでいるのかな~?ハハ。
 ガムランの楽器の扱いも丁寧だし、親切なので、みなさんもガムラン公演の際はご利用ください。
 電話は「0120-41-8705(ヨイ・ハナマルコ)」でも通じます。(か)

 

光塾ワヤン公演3「ハンドメガホン」

2013-12-12 | ワヤン「ありがとうございました」

「緊急放送です、緊急放送です、二匹の虎が、暴れています、繰り返します、二匹の虎が・・・」
「プルハティアン、プルハティアン、スカラン、ドゥアマチャン、スダンマンカラ・・・」
(改めて写真を見てみると、ダランのTシャツ派手じゃん!)
(私の位置からはいつも背中しか見えないからね、ハハ。)

 今年から我々一座の常備品に「ハンドメガホン」が加わりました。
 初めのきっかけは今年10月の浜松公演でした、私たちが大好きな「浜松まつりの喇叭隊」の狂乱をワヤンでもなんとか再現したいと思い購入しました。このメガホンで「よ~シ!気合い入れて行くゾ~!・・オイショ!オイショ!」と浜松まつりの喇叭隊リダーの絶叫のノリを再現しました、本場の浜松の喇叭も加わり大いに盛り上がりました。「ハンドメガホン」ならではの「声が割れてハウる感じ」が臨場感が出ていてとても良かった!これで癖になりました。
 次は大阪公演での「六甲おろし!」。会場の観客のみなさんも参加しての「六甲おろし」の大合唱!の中、このメガホンでは、「・・観客のみなさん!ペットボトルは投げ込まないでください!・・危険です!フェンスには登らないでください!」と、狂乱の甲子園での場内放送を絶叫し、これまた盛り上がりました。
 そして今回の光塾公演。「緊急放送です、緊急放送です、二匹の虎が、・・」に至ります。今回の演出では「防災放送」の感じでいきましょう。実はもの凄く大変な事態が起きているのですが、防災放送ではあくまでもお役所仕事の様に「のんびりと」「人ごとみたいに」淡々といきましょう、ということになりました。本番当日まで特に練習はしませんでしたが、さすがはダラン(う)。本番では飄々とした防災放送の感じが良くでていてとても良かったゾ。(とおだてる)
 「このままこの路線を続けていくと次はやっぱ、クワハラモイチとチリガミコウカンとのコラボになるのかな~?」との内輪の意見がすでに出ていますが、ワヤンは「スネークマンショー」ではないし、もちろん「お笑い」でもありません。さてハンドメガホンはどうなるのでしょうか?ハンドメガホンに明るい未来は来るの?(か)

 「プルハティアン、プルハティアン・・」
 

 「・・オイショ!オイショ!」
 
 「浜松まつり喇叭隊」