有楽町線の新富町へは、自宅の最寄りの駅の、西武線から高田馬場、そこから東西線で飯田橋、そして有楽町線へ乗り換えてと、予定していた経路で向かいました。が!高田馬場の出口で、右往左往してしまいました。人の流れにつられていった先がJR乗り換え口。そこじゃないようっと、下に戻って、ようやく外に出てから東西線の改札にたどり着きました。予定の時刻の電車には乗れずに、次の電車で飯田橋へ。そこからの乗り換えが、ややこしくて相当歩きました。そうでした、地下鉄の乗り換えって、下手すると脾摘ぐらい歩くことがあるのでした。ぶつぶつ頭に気ながら、ようやく、新富町に行き、シンポジウムの会場の時間も迫っていて昼時だからと、セブンイレブンでお茶とおにぎり1個を買って、会場入りしました。通路際の椅子に座っておにぎりをほおばっていると、そこでは飲食禁止とのこと、上の階に行って座って食べると、そこではなく、奥の自販機の前の椅子だと・・・。ちょっといらっときました。椅子がこれだけあるのに、自販機前のわずかな椅子で食えというのですよ。
普通、ホールの外ではたいていは飲食できるのに、なんてこった・・。
受賞記念の歴史本の講演しか聴く気はなかったので、2階席の通路際に座りました。でも、最初は暑かったのに、エアコンは暖房ではなくて冷房のような冷気が顔に当たり、なんとも寒気がしてきてたまりませんでした。お目当ての記念講演の後は、続けて「出雲という地名に関する講演」があり、仕方なく聞いて、その後、すぐに帰路につきました。
都心に出向いたけれど、そこまでのものでもなかったような・・・。帰りは、私鉄ではなく、早々に有楽町からJRに乗り、中央線で急いで帰宅しました。なんとか日が沈む前に自宅につきました!安心したのか、ハッチは私が帰ってからうんこしていました。
今日の聴衆は、ほとんどが高齢者でした。まあ、歴史に興味があるのでしょうね。あまり若い人はいなかったです。
私は失礼して帰ってしまいましたが、そのあとは、奈良県、和歌山県などの県知事のshシンポジウムがあるそうです。でも、二人くらいは都合により欠席でビデオメッセージで参加とか。要するに、観光PRなのです。
ハッチがいる限り、私は旅行にはいかれないし、行きたくもないので、あまりパンフレットは受け取らないようにしました。世の中には、お金が潤沢にあって旅行三昧の人たちがいるんですね。でも、別にうらやましくもないけど。
旅は、若いころにするべきです。年取ってからは、三途の川の旅じゃあるまいしね。若ければこその吸収力、感受性を磨けるってものです。若者よ、旅に出よう!私も、古代のロマンを満喫しに、よく旅をしたものでした。悲しいよね、年取ってからは遅すぎるのに、それもわかっちゃいない。そんなお金があるのなら、若者に寄付したらいいのに・・・。
いわば、私のような昭和30年代前半生まれは、強烈に元気な高齢者に足止め食わされているようなものです。夫がよくスーパーで高齢者と大喧嘩していましたっけ。今なら、それがよくわかる。