鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

江の島裏街道④橘郵便局

2011-08-31 | 藤沢


「裏街道」が大きく南に曲がり、「新田山」の東側を進みます。
「新田山」の東側の斜面でも新しいマンションの建設が着手したようです。


藤沢駅から南下して来た橘通りとの合流地点です。
左手に橘郵便局があり、その先のバス停に「こまわりくん」が停車中でした。


バスが行った道を少し進んで、すぐに左折します。
藤沢駅からも近く静かな住宅街の中を通り抜けます。


左手にタコ公園が見える道を進みます。
この先は藤沢駅南口と江ノ電沿線の整備で大幅な改造があった地区です。
古道が本当にここを通っていたかどうかは、少し不安があります。


江ノ電石上駅に突き当りました。
この辺りは江ノ電沿線の両側に車道と歩道がしっかり整備されています。
歩道を歩いているのは柳小路駅近くにある鵠沼高等学校の女生徒です。

江の島裏街道③新田道・東原道を分ける

2011-08-30 | 藤沢


地図で見ると、ここは五差路のようになっていますが、先ず左折の道があります。
右手に旧家の竹垣が長く続く気持ちの良い細道で、花沢町を経て藤沢駅に通じる近道です。


今度は右手に2本の道を分けます。左側は、これも古道の「新田道」です。
「新田道」は砂丘列の右裾を鵠沼海岸まで伸びる名の通りの農道だったようです。
右側も古道の「東原道」で、鵠沼本村の大東地区に通じています。


旧家の木立や生垣に沿って「裏街道」を進みます。
この先の左手に住宅地開発があり、明るい道になりましたが、時の流れです。


しばらく進むと、左に花沢町に沿って藤沢駅まで真っ直ぐ続く道を分けます。
左折のすぐ右側の家は、日本画家上田臥牛(1945-1999)の住居でした。


道は次第に大きく右に曲がります。
まだ両側に玉石垣が残っているのが古道の証です。

江の島裏街道②橘の辻

2011-08-29 | 藤沢


小田急江ノ島線の踏切を越えてそのまま進むと、「橘の辻」に出ます。
左は鵠沼花沢町と鵠沼橘の境を行く道で、右が「江の島裏街道」です。


辻にある庚申塔は正徳5年(1715)造立で、右側面に「右江の島道」と刻んであります。
大山詣での帰り道に江の島を目指した旅人達が、この標識を確認して足を速めたのでしょう。


古道らしく道がゆるやかに曲がっています。
所々に古い木立も残って、緑は守られています。


木陰には時の流れを感じさせる風景もあります。
鵠沼は住宅開発も盛んですが、人影のない家の比率も年々増えているようです。


比較的すっきりした道になりましたが、前方にはカーブミラーも見えて、交通の要所に近づきます。

江の島裏街道①一本松踏切から

2011-08-28 | 藤沢

鵠沼を通り抜ける古道の1つに「江の島裏街道」があります。
この道も、道路や区画の整備の結果、そのまま残っている訳ではありませんが、
比較的に古い姿が感じられる道なので、曇り日の下、「裏街道」をてくてく歩きました。



JR藤沢駅の西側の最初の踏切が「一本松踏切」です。
踏切の北側から眺めると小田急線の跨線橋が重なっていて賑やかな踏切です。
この踏切を渡って「江の島裏街道」をスタートします。


踏切を越えると、すぐ左手に道がありますが、ここから藤沢駅南口に行けます。
但し、車は進入だけの一方通行です。


次の左折の道が、目的の「裏街道」です。
この道は車の進入禁止で、車は出て来るだけですが、道幅が狭いので歩行者には要注意の道です。
しばらく立ち止まって車の流れが切れるのを待ちました。


古道らしく両側の家並みもどちらかと言うと歴史を感じさせる雰囲気が残っています。


少し進むと、小田急江ノ島線の踏切です。
車の一方通行はここまでです。


鳥が運んだツタ

2011-08-27 | 小さな庭


ヘデラ(西洋木蔦)を掲載したら、五葉松を登るツタからも出演要望がありました。
鳥が運んだらしく、いつの間にか五葉松に取りつくようになりました。
冬は落葉するので、庭掃除の時に毎年片付けていました。
今年はヘデラもツタもそのままにして、あたたかく見守ることにします。

風のための暖簾

2011-08-26 | 藤沢


東日本大震災と原発の影響で、今年の夏は節電を余儀なくされています。
と言っても、我が家ではエアコンは日頃から使ったことがありません。
古い家なので、耐震性能は疑問ですが、風通しは十分です。
夏になると、普段は使わない扉も開け放って風を入れています。
最近、タンスの隅から見つけた暖簾をその扉に取りつけました。
風のための暖簾です。

雨の庭②ヘデラの木登り

2011-08-25 | 小さな庭


20年以上も前に、玉石垣のカバーに挿し木したヘデラ(アイビー)です。
元気にいたるところに伸びて絡まるので、時々思い切った剪定をしなければなりません。
玉仕立てのカイズカイブキの幹に取りついたヘデラが、雨に濡れて意外にきれいなので、
しばらくこのままにしておこうと思っています。

雨の庭①クリスマスホーリー

2011-08-24 | 小さな庭


続いていた猛暑の日照りが止んで、3日ほど雨模様の日が続きました。
小さな庭の木々も息絶え絶えの気配でしたが、生き返りました。
昨年はほとんど実のつかなかったクリスマスホーリーが、今年はしっかり実がついています。
雨に濡れて実が少し大きくなりました。

怖ろしい注意標識

2011-08-23 | 藤沢


この物体を正式に何と呼ぶのか知らないので、とりあえず「注意標識」としました。
信号のある交差点を避け、先を急ぐ車が脇道として使う道で見かけました。
あまり広くない道を直角に曲がるので、以前から塀に接触する被害が続き、塀は相当に強化されています。
それでも被害が続くので、こうした注意標識の登場になったようです。
よく見ると、「人が花を持ってひざまずいている」ようにも見えます。
「怖ろしい注意標識」です。

新田山の現況

2011-08-22 | 藤沢

「新田山」は鵠沼橘2丁目のほぼ中央にある砂丘の名前でした。
山頂部の住宅開発の結果、29世帯の新しい住宅街が出来て「鵠沼橘の杜」という名前がつきました。
そして、今回の東日本大震災の結果、新しく「橘高台」という名前も加わりました。


鵠沼中学校の正門前を真っ直ぐ進むと、「新田道」を横切って坂を上ります。
鵠沼橘と鵠沼桜が岡の境の道です。
少し進んで、左に曲がると、ゆるやかな坂を上って新田山に入る道です。


道が左斜めに曲がると、ここから住宅街「鵠沼橘の杜」になります。
住宅街の真ん中の道が伸びています。


住宅街の西寄りの道です。遠くに高層の建物が見えますが、最近橘通りに出来た新しいマンションです。


まだ建物が出来ていない敷地があり、そこから北の方を望むと、昔の「新田山」のイメージが感じられました。


この住宅街に通じる自動車の道は一ケ所だけですが、
通勤や買い物などのための歩行者専用道路が新田道に通じています。
新田道から振り返った歩行者道路です。

新田山の記憶

2011-08-21 | 藤沢

家に「鵠沼自治連だより」が届き、その中に「鵠沼標高マップ」がありました。
東日本大震災の影響で、海辺の街として津波災害に備えるための検討が進められ、参考に配られたようです。
鵠沼で一番高い場所は、標高21.5mの「橘高台」と記されていました。
突然「橘高台」と言われても分かりませんが、どうやらこれは「新田山」のようです。
新田山は子育て時代に我が家の主要散歩コースだった場所です。
そこで、新田山の記憶を掘り起こしました。


これは昭和43年(1967)頃の新田山の風景です。
鵠沼で一番高い砂丘の山頂は、砂地の草原で、周囲は黒松で囲まれ、子どもの遊び場としては最高でした。


平成16年(2004)5月の新田山です。
周辺の住宅開発が進みましたが、まだ新田山の草原には大きな木が茂り、のどかな雰囲気が残っていました。
「鵠沼の緑と景観を守る会」のツアーに参加して、あちこちのポイントを見て歩いた時の写真です。
すでに開発着手の論議が盛んな頃です。


いろいろな経緯があったようですが、ついに開発が始まったという情報で、現状を見に行きました。
平成17年(2005)2月の新田山です。
黒松も伐採され、起伏も削られ、宅地化の準備が進んでいました。
ネット情報によると、この当時の新田山の標高は25mになっています。



海上自衛隊自衛艦隊・第2潜水艦隊群

2011-08-19 | あちらこちら


ヴェルニー公園の右手から、楠ヶ浦町の方を眺めると、潜水艦らしい艦艇が2艘並んでいました。
横須賀で潜水艦と言えば、米軍の原子力潜水艦のイメージが強いのですが、これは違います。


手掛かりになるような表示もないので、家に戻ってからネット情報で確認しました。
海上自衛隊には潜水艦司令部があり、その下に第1潜水艦隊群(呉)と第2潜水艦隊群(横須賀)があります。
見えているのは第2潜水艦隊群のようです。
多分この潜水艦は「おやしお」型と思われます。
基準排水量2750トン、馬力7700PS、定員70名、速力20ノット、長さ82x8、巾9x10、深さ3x7、吃水4mです。
この潜水艦には女性自衛官は乗り込まないと思われます。

海上自衛隊護衛艦「ひゅうが」

2011-08-18 | あちらこちら


横須賀美術館の帰り、横須賀駅近くのヴェルニー公園から横須賀本港を眺めました。
すぐ左手に大きな艦艇が見えたので驚きました。
ここに海上自衛隊の横須賀基地があることは知っていましたが、実感がなかったのです。



近寄って写真を撮りましたが、詳細不明です。
家に戻ってネット情報で確認しました。
これは海上自衛隊護衛艦「ひゅうが」です。
2009年就役、排水量19000トン、全長197m、全巾33m、吃水7m、最大速30ノット、乗員約350名、搭載ヘリ最大11機です。
2007年の進水式で、防衛大臣小池百合子が「ひゅうが」と命名しました。
そのせいかどうかは不明ですが、就役直前に女性の乗り組みが決まり、トイレや風呂、更衣室などを追加し、
女性自衛官17名が乗り込むようになったようです。


横須賀美術館

2011-08-17 | あちらこちら

真夏の外出は熱中症の心配があるのですが、突然横須賀まで出掛けることになりました。
横須賀美術館が目的地です。
藤沢市には藤沢美術館がありません。「ここは文化都市ではない」と嘆く人もいます。
そこで、横須賀美術館を見に行くことにしました。


JR横須賀線の横須賀駅です。
家からここまで約1時間でした。
駅前のバス停から、観音崎行きのバスで約30分で横須賀美術館です。


目的地の横須賀美術館です。
広々とした芝生のゆるやかな斜面の向こうに、白い建物が横に伸びて、背後は緑豊かな木立に囲まれていました。
平日ですが、全国的な夏休みシーズンの最中です。
混雑と言うほどではありませんが、暑さにめげず美術鑑賞にやって来る人々で賑わっていました。


この日の企画展は「集まれ! おもしろ どうぶつ展」で、子供もそれなりに楽しめる展示でした。
一角に「谷内六郎」の常設展示館があり、なつかしい週刊新潮の表紙の原画が展示されていました。
思いがけず懐かしい絵に出会い、嬉しくなりました。
あの時代、週刊新潮は表紙が一番だったと思っています。