鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

川崎大師①

2014-03-31 | あちらこちら



記憶を遡ると、40年以上の昔以来の川崎大師を訪ねました。
「初詣」は川崎大師から始まったという新聞のコラムを読んだからです。



表参道の途中、左手に馬頭観音堂がありました。



馬頭観音はヒンズー教が起源で、神が馬に化けて人間の煩悩を食べ尽くしてくれるのだそうです。
煩悩ばかりの凡人は、頭がからっぽになりそうです。



余分なことを考えながら、仲見世の通りに入りました。
年度末の平日、参詣者も少なく、ゆっくりと見物出来ました。



子供の頃、土産に喜んだ定番の久寿餅の店です。
その頃は、川崎大師と言えば久寿餅でした。



大山門が修復工事中なので、工事現場の囲いの中を抜けて、境内に入りました。
正面が昭和39年(1964)落慶の川崎大師大本堂です。

シクラメンの復活

2014-03-29 | 小さな庭



ここ数年間、このシクラメンの鉢は庭の片隅に置かれたままで、花もあまり咲きませんでした。
それが、今年はサンルーム(物干し)の片隅で冬を越したので、見事に復活しました。
玄関の棚の上で胸を張っています。

外に出したブーゲンビリア

2014-03-28 | 小さな庭



避寒のため家の中に置いていたブーゲンビリアを庭に出しました。
枝の先端に白い花が咲いているので、ソテツの前に置いたらソテツの花のようです。



現在咲いている白い花は、これ以上色づくことはなく、すぐに散ってしまいます。
これから外で十分な太陽の光を浴びると、やがて新しい花芽が付き、薄紫の花を見ることが出来ます。

3月の明月院

2014-03-26 | 鎌倉

折角明月院近くに来たので、3月の明月院境内をゆっくりと散策しました。
昨年2月にロウバイ見物に訪れていますが、今回は3月の暖かい日差しを楽しみながら歩きました。



山門に上る石段です。
柔らかい鎌倉石のため中央部分がすり減って独特の風合いです。



山門右手の柱に、いつものように季節の花が活けてありました。



山門右手の柱の上部に焼け焦げた跡がありました。
小さなボヤを消し止めたのでしょうか、ちょっと驚きました。



方丈前の枯山水の庭園です。
通路からでは庭園の全体が画像に収まりません。



方丈の内部の一部です。
奥の丸窓とそこから見える外の景色は明月院の看板です。



方丈の左手、山に囲まれた開山堂です。



開山堂左手の明月院やぐらです。
仏堂と言えるくらいの大きなやぐらです。



春の日差しの中で、参詣者を温かく迎える地蔵様たちです。



よく手入れされた生垣と石の道です。



北条時頼の墓です。
日差しの加減で、緑のシャワーを浴びていました。

明月院通りへ下る

2014-03-25 | 鎌倉



山頂を下って、明月院通りへ下る道に入りました。



すぐ近くに稚児塚がありました。
立派な宝篋印塔ですが、由来等は不明です。



しばらく山道を進むと、道端に奇妙な道標がありました。
麻雀のパイの模様が入っていますが、これは六国見山の標高147mを現わしているようです。
ただここが山頂とは思えないので、「はてな?」の気分でした。



午後の日差しに恵まれた道を辿りました。



下るにつれて、谷底のような道になりましたが、歩行は快適でした。



舗装された明月院通り着きました。
出口の崖に庚申塔などの石造物が並んでいました。

六国見山の山頂

2014-03-24 | 鎌倉



明るい日差しの中のオオヤマザクラの林に出ました。
サクラの時期には賑わいそうな場所です。



標高147mの山頂には、浅間火神の石碑が建っていました。
傍に展望所が出来ていました。



南東の方に鎌倉の海が見えました。



南の方は多分鎌倉山と思われました。



木立越しに見える北には、横浜のみなとみらい地区が見えました。
冬の快晴の日には、文字通り六国が見えそうな場所です。



六国見山に登る

2014-03-23 | 鎌倉



細道から木立の中の広い登山道に出ました。
道の中に自転車が駐車していました。



両側が崖で、切通しのような道もありました。



しばらく進むと大船高校の脇に出ました。
標識があり、山頂まで約600mの地点です。



高野台団地の脇の急勾配の細道をゆっくり登りました。



小さな木の階段が見えるようになり、雑木林の中を進みました。



雑木林の向うが明るくなり、頂上に近づいたようです。



六国見山へ向かう

2014-03-22 | 鎌倉



常楽寺を後にして、この日の目的地六国見山へ向かいました。
途中、毘沙門天を祀る真言宗の多門院の前を通りました。



多門院の門前右手に庚申塔などの石造物が並んでいました。



多門院の左手にある木立の中の石段を上って、熊野神社に参詣しました。



熊野神社は大船の鎮守様です。
多門院も熊野神社も大船の旧家甘粕氏の力によってここにあるのだそうです。



多門院を過ぎるとトンネルがありました。
この辺りに、六国見山の登山口があるはずですが、見当たりませんでした。



しばらくトンネルの先まで探し、やっとトンネル手前のフェンス沿いの細道を見つけました。

粟船山常楽禅寺

2014-03-21 | 鎌倉



横浜鎌倉線の常楽寺交差点です。
目の前に粟船堂菓子舗が見えるので、この先に粟船山常楽寺があることが分かります。



嘉禎3年(1237)開創と伝わる粟船山常楽寺の山門前の参道です。



この山門は万治元年(1661)の建立で、「粟船山」の扁額が掛っています。
「大船」という地名は、この「粟船」によるという説があるようです。



山門を入って進むと、中央に開山手植えの大イチョウがあります。
石碑によれば、大正6年の大風と大正12年の地震で徐々に傾き、昭和13年の暴風で倒れたようです。
翌年復旧を計り、現在は若木が取り囲んでいます。



本堂は昭和45年(1970)5月の再建です。



本堂の中央には釈迦如来坐像(江戸時代)、右手には蘭渓道隆坐像(室町時代)が安置されています。



本堂裏手に、北条泰時の墓等が並んでいますが、この墓石が気に入りました。
鎌倉時代の高僧、大応国師南浦紹明の墓です。


北鎌倉の小さなトンネルを抜けて

2014-03-20 | 鎌倉



横須賀線北鎌倉駅の裏口から大船方面に向う切通しのような道にトンネルがあります。
車窓から見えるので、気になっていましたが、はじめてそのトンネルを抜けました。



トンネルの先の道端に「雲頂禅庵」の石碑があり、右手に急な石段が見えました。
展望も良さそうなので、その石段を上りました。



石段の上には「大機山」の額が掛った山門があり、ここが雲頂禅庵でした。
円覚寺の塔頭の1つで見晴らしの良い境内がありますが、拝観は禁止でした。



やむを得ず、山門前から見える北鎌倉の街並みを撮りました。



雲頂禅庵の前の道を西に進むとすぐ八雲神社の境内でした。
ここは鎌倉山の内の鎮守様です。




境内裏の坂道を下ると、権兵衛踏切に出ました。
「権兵衛」の由来は不明です。



また横須賀線沿いの道を進み、また小さなトンネルを抜け、常楽寺を目指しました。

芽吹き前の大イチョウ

2014-03-19 | 藤沢



遊行寺散歩はどうしても大イチョウの黄葉見物が中心になります。
それでも、今回は芽吹き前の大イチョウが目的でした。



裸の大イチョウです。
2005年5月の新緑の大イチョウと2005年12月の黄葉の大イチョウの記憶と重ねました。



大イチョウの根元です。
その昔、高さ30mと伝わるだけのことはあります。