「ねぎま」とは葱+鮪なのか!
<ネギマ>という食べ物に出会ったのは二十数年前である。家内の実家に身を寄せていた頃、マグロのブツ切れとねぎが入った鍋が食卓に上った。その時は見た目もあってそれほど旨かったという記憶がなかった。
数年前から地域の賑わいの再生を銚子観音前に据えて来た。港町という生業と訪れる人々が織り成す営みに再生への<夢>を紡いで来たといってよい。そして、門前前に「観音食堂」を開き<食という営みに賭ける>ことを当面の視座にしてきた。
しかし、3,11以降、時代の転換と風評被害という意図せぬ事態の渦中で濃い口醤油と青魚によって江戸後期の食文化を切り口に「港町のどんぶり」は次なる展開に立たされている。
冬場を向かえ、マグロの水揚げに思いを江戸後期に募らせた。濃い口の甘辛い出しにマグロの端切れと白ネギ、あればセリなどの青菜、「ねぎま」と聞いていたがこの地に資料は残されていない。
<ネギマ>という食べ物に出会ったのは二十数年前である。家内の実家に身を寄せていた頃、マグロのブツ切れとねぎが入った鍋が食卓に上った。その時は見た目もあってそれほど旨かったという記憶がなかった。
数年前から地域の賑わいの再生を銚子観音前に据えて来た。港町という生業と訪れる人々が織り成す営みに再生への<夢>を紡いで来たといってよい。そして、門前前に「観音食堂」を開き<食という営みに賭ける>ことを当面の視座にしてきた。
しかし、3,11以降、時代の転換と風評被害という意図せぬ事態の渦中で濃い口醤油と青魚によって江戸後期の食文化を切り口に「港町のどんぶり」は次なる展開に立たされている。
冬場を向かえ、マグロの水揚げに思いを江戸後期に募らせた。濃い口の甘辛い出しにマグロの端切れと白ネギ、あればセリなどの青菜、「ねぎま」と聞いていたがこの地に資料は残されていない。
真空調理について整理してみる。発祥はヨーロッパ、特にフランスという。論理的思考の上に素材の性質が必然的に産み出した方法といえる。例えば鮮度の保持に<温度>というコントロールを用いず、塩や酢など、あるいは味噌などで保存の方法を辿って来た。調理にシステムを取り入れ効率化を追求したといえる。
日本的土壌の中でこの調理方法を採用するまで時間を要したことは理解できる。指導者から学んだことが料理の世界だと信じる人は少なくないからだ。
実際はそんなに食べられないし、そういうところは人件費を削っているので、1回行って終わりになることが多い気がします。
若い人を呼び込むには有効かもしれないけど、本当に味わってほしい人を呼び込むには不適当かもしれないし、どういうお客さんを目当てにしているのかで違ってきますよね。
私は多少高くても仕方がないかなあと思います。
先の真空調理講習会で7~8年ぶりに上京した。時間調整で行き当たりの昼食を駅前で取った。ご飯・味噌汁お代わり自由で定食¥500円、手短に原価計算をしてみた。夜は居酒屋営業らしいが徹底した人件費削減で成立する都市の生業を実感した。
時間と人間の関係を極端にコントロールすることで資本の論理に拮抗しているように思えた。これでは経営者も働く人も遣り切れないないだろうな!
昨日、東京で開かれた真空調理の講習会に参加した。真空機を媒介に最新の機器を活用し調理と料理の世界を高度化する動きである。
食べる人を描きながら人手で調理と料理をこなすことが出来るのは精々、一人で20人程度だ。ホテルや大型旅館の食事で何処か無理な料理を味わった経験はほとんどといって良い。
こうした矛盾を解消し、製造過程での安全性を確保し工業化は自然の成り行きである。だがという料理人は自らの日常から異論を介するのも当然である。
ここのところは少し丁寧に整理し前向きに検討して行きたいと考えている。
兼ねてから興味を示していたフジテレビのめざにゅうが今日、港町のどんぶり「七兵衛」を取材した。取材は「いわしの漬け丼」・「さばの漬け丼」と「マグロのねぎま鍋」だ。食で江戸後期<街の賑わいの在り様>を観音前で再現する営みである。
放映は今月の24日朝、4時50分から5時までの間の予定という。
ネギま鍋を食べました。
銚子らしい濃い口しょうゆ風味で、大きなまぐろと太いねぎと大ぶりのなしめじと豆腐がごろごろ入っていてかなり食べ応えがありました。
冬ならではのお鍋って感じですごくおいしかったです。
ご飯をセットにすれば良かった・・・。
前回行った時よりもメニューが増えていて、ちらしもおいしそうでした。
「ねぎま考」や「港町のどんぶり考」は何れも江戸後期を現在の課題として考えている。
住んでいる地域の集落・生業・言葉のやり取りがこの時期を起点にほぼに出来つつあるからである。
橋本さん等による首都論争とはまったく逆で「近代」を地域の衰退の局から俯瞰する試みである。
いろいろ試してみるが「ねぎま」はメカジキに到った。熱を加えると硬くなり旨みを減するのを避けがたい。
カジキマグロと称されているがいわゆるマグロとは科が違うという。また、カジキといってもマカジキとメカジキでは異なる。ややこしいが肉が淡白でしっとりした脂身の<マグロ>でメカといえばこれである。
上質なメカであればとろける様な食感が脳幹をビビルはずである。水揚げされた鮮度抜群の身を切り分け真空包装しマイナス60度で保存すると時期を外してもこうした食感を得ることができる。
<メカジキマグロ>による「ねぎま」を新たな「ねぎま」に仕立てることで名物を創りだしてみたい。
「ねぎま鍋」などが生まれた江戸後期といえば、九十九里沿岸に各地から人々が集まり集落を作った時代である。先頃、津波の被害を受けた飯岡地区、当時の下永井村もイワシの漁を中心に町並みが形成された。
この町並みが津波で失い、当時の集落に戻ったような原風景を晒した。
11月から銚子では「まぐろ祭り」が開かれている。産地市場である銚子港では毎日、大量のマグロが水揚げ、取引され消費市場に回される。
しかし、「まぐろ祭り」に各地から訪れるお客さんが賑わいを成しているかは定かではないようだ。
量のみに明け暮れる産地市場という実態を冷静に見つめ直す時期にいるのではないか!
この旨みを味わった時、ふと過ぎったのは「すきやき」であった。、マグロが牛肉に代わっただけではないか!
「すきやき」は牛肉の独自な食べ方に昇華したが「ねぎま」はどうも中途半端な料理系に彷徨っているように思えた。家内の実家で出された<ねぎま鍋>を辿れば
魚屋の店頭に並ぶ安いマグロが中身であった。
各地の伝統的な食べものを見てみる。素材が地域的、製法が独自、食べ方が特異など整理できる。これに照らせば<ねぎま鍋>とは時期になると脂身の多いマグロにこだわり鍋に仕立てる習慣が地に付いたいたかどうかである。
今回、銚子港で水揚げされたマグロがあったので試みた。江戸後期の条件を踏まえ、マグロはメバチ、白葱、濃い口とした。
濃い目のの八方出しに葱を加え、火が通った頃を見計らいマグロを入れてみた。舌を納得させたのはバチでも赤身では無く脂みの多い腹身であった。
脂が葱に、葱の甘みがマグロにと濃い目の出しが間を取り持つ相乗効果が<」ねぎま>の所以であった。