小平町 の旧花田家番屋をご案内しますね。
写真をクリックしてね

「故花田作三氏が明治38年頃建て、小平町が昭和46年重要文化財の指定とともに
買収し、3年の年月と約1億9千万円の費用を投じて解体修復しすでに稀有となっ
た古民家建築物鰊番屋の代表的遺構」とありました。
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「最盛期には全国から集まったヤン衆など200人余りの人々がここで過酷な漁労
に疲れた体を癒していた」とありました。
小さな画を左~右へとマウスオンしてね
アンちゃん考案版
「銀鱗が海を染めると言われたほど、鰊が大群で本道の西海岸に押し寄せ、
ヤン衆が歌う沖揚音頭が響き渡り、、、沖揚げ音頭て解りますか?、
ソーラン節ですよ。
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アンちゃん考案版
熊子は生粋の道産子ですから、このニシン漁場の盛衰には哀愁を感じます。
ニシンは明治30年ごろに大群で押し寄せ、昭和30年に激減したそうです。
今では幻の魚とまでいわれるようになりました。
次回は増毛です

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「故花田作三氏が明治38年頃建て、小平町が昭和46年重要文化財の指定とともに
買収し、3年の年月と約1億9千万円の費用を投じて解体修復しすでに稀有となっ
た古民家建築物鰊番屋の代表的遺構」とありました。


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「最盛期には全国から集まったヤン衆など200人余りの人々がここで過酷な漁労
に疲れた体を癒していた」とありました。




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「銀鱗が海を染めると言われたほど、鰊が大群で本道の西海岸に押し寄せ、
ヤン衆が歌う沖揚音頭が響き渡り、、、沖揚げ音頭て解りますか?、
ソーラン節ですよ。




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熊子は生粋の道産子ですから、このニシン漁場の盛衰には哀愁を感じます。
ニシンは明治30年ごろに大群で押し寄せ、昭和30年に激減したそうです。
今では幻の魚とまでいわれるようになりました。
次回は増毛です



大事に保存していかないといけません。
今まで見たこともない写真と記事に
見ごたえありました・・
それにしても沢山の写真! 楽しませていただいた
1日5回の食事を取ってたんですね~、漁も過酷だけど、ご飯の仕度も大変そうです。
米とぎ棒で米をとぐ・・・など、とても興味深いです
年月とお金をかけてよくぞ保存したものです。
想像もつかないほどの広さと生き生きとした人々の表情。当時の喧噪が聞こえてくるような写真の数々。貴重なものを見せてもろておおきに。
アンちゃん考案の新技もまとまっていてなかなか面白い。
ニシンが激減したのはどうしてかな。海流が変わったんやろか。ニシンで生活を支えていた人々への打撃は大きかったんやろなぁ。
九州の炭坑節と北海道のソーラン節。働く人々の熱気が伝わってくる歌も今は昔。でもソーラン節は全国でいまだに歌い継がれているね。
明日から暑い大阪を脱出します。山陰で美味しいものをたらふく食べて太ってきま~す。
ニシン漁が盛んであった往事が偲ばれます。
建物の中の印象は今で言う運動部の合宿所みたいなもんですね。
たくさんの人間が集まって飲み食いしていた様子が目に浮かびます。
ヤン衆達は現代の出稼ぎ労働者ですね。漁業が花形産業であった証拠をずっと残していって欲しいものです。
新ワザも見事に決まっていますね
もう私は遠くから姉様の姿を眺めているだけです・・・
数回分まとめて見せていただきました。いつもながらよく走り、よく観て、よく食べる熊子さん一家に感心しました。それにも増して日記の新しい作成技術の取り入れや豊富なフォトレポートの数々に驚かされました。小平の鰊御殿は懐かしい生活用具や建物の造りに、子供のころを思いだし幾度となく見入りました。見ごたえがありました。
北の哀愁唄です。みなさんの返コメにもサイトを載せます。音量に気をつけて歌ってね。
沖揚げ音頭がソーラン節とは知らなかったので、そうか、唄の意味を思い出したらニシンの唄でした。古民家創り、天井の梁には目を見張りました。
ぺんぎんちゃん、歌ってね。
写真の大釜はねニシンを焚いたんだよ、そしてねニシンの油は当時の灯油にもなったそうだよ。
哀愁唄ですね。
あまもりはん、やっと夏休みなんですね。ゆっくりリフレッシュしてきてね
そして当時を偲んでね。
おお、なんで孤独なんだかな、あれだけのアップに敬意を表しますよ。お疲れ様です。若の秘蔵画、これからもたくさん世に放出してほしいです。何事も日々訓練です。成功の影に失敗ありで、浪速のど根性をこれからもみなさんに見せてみぃな。一緒にスキルアップを誓った仲ではありませんか。勝手に離脱は、お月さまからお仕置きがいきますけんよ
http://page.freett.com/NonSection/ishikaribanka.htm
北原ミレイの「石狩挽歌」でなんとなくイメージしていました。
次回の増毛も楽しみにしています。
いかに最盛期のニシン漁がすごかったのかがよくわかります。でも、獲りすぎたのでしょうか、それともほかの要因があったのでしょうか。その激減振りにも驚かされます。
それにしても、子どもさんを迎えに行くのが”家族の大旅行”になるのはやはり、熊子さんたちですね。まだまだ楽しみです。
おらは知らねえゾ!!
姉様の後姿を見送っております・・・・。
石狩挽歌はちゃんと歌えますよ!!
北原ミレイが歌番組で歌っていた状景をキッチリ覚えていますしメロデイも覚えています。
歌詞カ-ドさえあればバッチリ歌えまっせ!!
栄華を極めた当時の様子が 伝わってくるようです
知床岬の突端で見られるような、季節的に開かれる小さな番屋しか知らなかっただけに、この小平町の花田番屋の豪華さには驚かされ目を瞠りました。
良くぞこれまで保存して来たものと、関係者への畏敬と感謝で一杯です。
それと道内の色々な貴重な文化財を、実際に足を運んで発表してくれる熊子さんに、まさに「熊子通信」のお名前に相応しい人物と多いに感謝しております。
益々次回の増毛町が楽しみです。
ソーラン節は聞いたことあるけれどニシンをとる時に歌うのか(^^ゞ
北の歴史ですね。
メロディーが好きだったのかな?
歌詞は イマイチ分かりませんでした。
方言かな?専門用語なのかな?・・そんな風で・・!
今回 じっくり歌詞を読んでいて 詩の意味が少しわかりました。それに泳ぎに行ったことのある オタモイが出てきて感激したんです。久しぶりに聞いたオタモイ・・・
あぁ ここにも行かねば
過酷な場所で過酷な労働、やっぱり演歌だねぇ~。
それにしても立派な建物ですね。
それだけ財が有ったということですね。
相撲の花田兄弟もここらの出だったのかな。
力持ちのヤン衆も居たでしょうね。
http://www.kamaei.co.jp/archive/otamoi/index.htm
http://www.ne.jp/asahi/china/art/apndx/do/9otmi.htm
これは古巣を基に是非にまた北に来なくっちゃね。