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熊子通信

「生かして頂いてありがとう御座位ます」 最強の祝詞です。
by伊勢白山道リーマンさんより

旧花田家番屋と北のヤン衆

2006年08月22日 | 道北へのご案内
小平町おびらちょう の旧花田家番屋をご案内しますね。
写真をクリックしてね
「故花田作三氏が明治38年頃建て、小平町が昭和46年重要文化財の指定とともに
買収し、3年の年月と約1億9千万円の費用を投じて解体修復しすでに稀有となっ
た古民家建築物鰊番屋の代表的遺構」とありました。

ボタンをクリックしてね
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「最盛期には全国から集まったヤン衆など200人余りの人々がここで過酷な漁労
に疲れた体を癒していた」とありました。

小さな画を左~右へとマウスオンしてねアンちゃん考案版
 北のヤン衆

「銀鱗が海を染めると言われたほど、鰊が大群で本道の西海岸に押し寄せ、
ヤン衆が歌う沖揚音頭が響き渡り、、、沖揚げ音頭て解りますか?、
ソーラン節ですよ。

小さな画を左~右へとマウスオンしてねアンちゃん考案版
  道具類

 熊子は生粋の道産子ですから、このニシン漁場の盛衰には哀愁を感じます。
ニシンは明治30年ごろに大群で押し寄せ、昭和30年に激減したそうです。
今では幻の魚とまでいわれるようになりました。

 次回は増毛です


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26 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
貴重な・・ (ミンコ)
2006-08-22 03:35:40
古民家建築物鰊番屋! 今となっては貴重な建物。これこそ火事が怖いですねーー

大事に保存していかないといけません。



今まで見たこともない写真と記事に

見ごたえありました・・



それにしても沢山の写真! 楽しませていただいたソーラン節が聞えてきました・・鰊ももっと食べたーい!
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歴史を感じます (ぺんぎん)
2006-08-22 09:16:27
写真がたくさんあって、行った気分を味わえました

1日5回の食事を取ってたんですね~、漁も過酷だけど、ご飯の仕度も大変そうです。

米とぎ棒で米をとぐ・・・など、とても興味深いです

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よくぞ保存してくれた (あまもり)
2006-08-22 18:15:47
ニシンで賑わった北の大地が彷彿としてくるお屋敷。

年月とお金をかけてよくぞ保存したものです。

想像もつかないほどの広さと生き生きとした人々の表情。当時の喧噪が聞こえてくるような写真の数々。貴重なものを見せてもろておおきに。

アンちゃん考案の新技もまとまっていてなかなか面白い。

ニシンが激減したのはどうしてかな。海流が変わったんやろか。ニシンで生活を支えていた人々への打撃は大きかったんやろなぁ。

九州の炭坑節と北海道のソーラン節。働く人々の熱気が伝わってくる歌も今は昔。でもソーラン節は全国でいまだに歌い継がれているね。



明日から暑い大阪を脱出します。山陰で美味しいものをたらふく食べて太ってきま~す。
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冬は寒そうな建物だなぁ (酔歩)
2006-08-22 20:45:16
うん!本当に立派な建物を保存していただいて感謝です。これは立派な文化財ですよ!!

ニシン漁が盛んであった往事が偲ばれます。

建物の中の印象は今で言う運動部の合宿所みたいなもんですね。

たくさんの人間が集まって飲み食いしていた様子が目に浮かびます。

ヤン衆達は現代の出稼ぎ労働者ですね。漁業が花形産業であった証拠をずっと残していって欲しいものです。



新ワザも見事に決まっていますね

もう私は遠くから姉様の姿を眺めているだけです・・・
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またしても (2チャン)
2006-08-22 22:12:31
久しぶりになりました。

数回分まとめて見せていただきました。いつもながらよく走り、よく観て、よく食べる熊子さん一家に感心しました。それにも増して日記の新しい作成技術の取り入れや豊富なフォトレポートの数々に驚かされました。小平の鰊御殿は懐かしい生活用具や建物の造りに、子供のころを思いだし幾度となく見入りました。見ごたえがありました。
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ミンコさまへ (熊子)
2006-08-23 00:27:00
「石狩挽歌」をアップしたかったのですが、gooの文字制限でアップできませんでしたのでここに載せますね。http://page.freett.com/NonSection/ishikaribanka.htm

北の哀愁唄です。みなさんの返コメにもサイトを載せます。音量に気をつけて歌ってね。

沖揚げ音頭がソーラン節とは知らなかったので、そうか、唄の意味を思い出したらニシンの唄でした。古民家創り、天井の梁には目を見張りました。
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ぺんぎんちゃんへ (熊子)
2006-08-23 00:31:46
うん、重い歴史ですね。ヤン衆の息吹を少しでも感じてくれたら嬉しいです。あの「石狩挽歌」のアップが写真を多くしたので制限されてしまいましたのでここにサイトを載せます。http://page.freett.com/NonSection/ishikaribanka.htm

ぺんぎんちゃん、歌ってね。

写真の大釜はねニシンを焚いたんだよ、そしてねニシンの油は当時の灯油にもなったそうだよ。
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あまもりはんへ (熊子)
2006-08-23 00:35:29
さぞや賑わったと思います。全国津々浦々からヤン衆が集まり一攫千金夢見たのでしょうね。あの「石狩挽歌」を載せます。文字制限でアップできませんでしたのでここにサイトを載せます。http://page.freett.com/NonSection/ishikaribanka.htm

哀愁唄ですね。

あまもりはん、やっと夏休みなんですね。ゆっくりリフレッシュしてきてね
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若へ (熊子)
2006-08-23 00:46:09
うん、合宿所だね、さすがに若いな。ニシンに夢を託してヤン衆が集まった。当時は木造建築だから真冬はシバレたろうね。若よ、あの「石狩挽歌」を載せますので歌って聴かせよ!!http://page.freett.com/NonSection/ishikaribanka.htm

そして当時を偲んでね。

おお、なんで孤独なんだかな、あれだけのアップに敬意を表しますよ。お疲れ様です。若の秘蔵画、これからもたくさん世に放出してほしいです。何事も日々訓練です。成功の影に失敗ありで、浪速のど根性をこれからもみなさんに見せてみぃな。一緒にスキルアップを誓った仲ではありませんか。勝手に離脱は、お月さまからお仕置きがいきますけんよ、さて若へのテキストは出来上がったし、するかな。
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2チャンさまへ (熊子)
2006-08-23 00:53:29
プロの2チャンさまから認めていただき感謝です。懐かしい生活様式でした。水かめなんかもあってまだまだいっぱい写真があるのですが、これ以上のアップは一編集画面では制限があり無理でした。奥座敷もあって帯広からのご夫婦がね、ご主人(雇い主)と下男になってパフォーマンスしてて面白かったさ。あの「石狩挽歌」のサイトを載せます。2チャンさまも歌って北のその昔を偲んでね。

http://page.freett.com/NonSection/ishikaribanka.htm
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