熊子通信

「生かして頂いてありがとう御座位ます」 最強の祝詞です。
by伊勢白山道リーマンさんより

映画「父親たちの星条旗」を観てきました

2006年11月16日 | goo対策

 
 週末に次男坊と一緒に映画を観てきました。


画をクリックしてね、戻るにはダブルクリックです
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 みなさんは上の写真に見覚えはありませんか。熊子は教科書で見たのか
見覚えがあります。
 映画の内容はあの第2次大戦時に激戦の地となった硫黄島の模様です。
米国が日本本土を目指し、それを阻止するために日本はこの硫黄島で
必死に応戦しました。日本領土での初めての戦闘だったそうです。




画をクリックしてね、戻るにはダブルクリックです
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 圧倒的な武力で攻め立てる米国、どうやって応戦したのか、岩に壕を
作りそこで応戦した日本。しかし、空と海から容赦なく集中砲火です。




画をクリックしてね、戻るにはダブルクリックです
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 集中砲火は3日間続き日本軍は壊滅的な打撃を受け島に米軍は上陸です。
さらに硫黄島の擂鉢山の占領に4日間かけて、あの星条旗が2回掲げられ
ました。その後31日間も激戦が続きます。



 この映画は米国側からの映画であり、星条旗を掲げたばかりに、その後
悲運な道を辿ったアメリカの若者たちのお話です。

 ところどころに起こる激戦の模様に涙が出ました。あんな小さな島で
あんな小さな島に、、、2万2千の日本兵の生き残りは1000名程度
だそうです。

 この映画の続編は「硫黄島からの手紙」です。続編は日本側からの
お話になります。

 硫黄島の悲劇は本にもなっており、いままさに真実が語られます。
参戦した米国の元兵士の方々がやっと語り始めた硫黄島の真実です。

 そして次回は日本の悲劇が語られます。

クリックしてください。

 12月9日から公開です。
次男坊から、オッカーよ次回は一人で観に行ってくれや!辛すぎるわ!・・・
こういわれましたが、次回こそ若者達に見て欲しい史実です。

 戦争とは何ひとついい事はありません、心に大きな傷を残すだけです。

           
         
           
         
           
         
           


※ちょうど記事を編集中にぐらっと来ました。
 ここ最近は連日地震が来て、また大地震がくるかと毎晩構えて寝てます。
 太平洋側に津波警報が出ています。どうか何事もありませんように祈り
 記事をアップします。



今日の「クリックすると画が大きくなるタグ」はタグ置き場に置きますので

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20 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
北海道 (あきこさん)
2006-11-16 01:18:45
戦争で3月に日本橋の私の家は、焼けました。
8月終戦でしたが。平和こそ、です。
津波のニュースで大変です。
大丈夫な場所なんでしょうか。
東京は、昨日まで9月の陽気でした。
今日は、雨なんか降り、少し寒いです。
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よかったですね (maru)
2006-11-16 09:50:49
熊子さん、良い映画を次男さんと観ましたね。涙涙じゃなかったでしょうか。良い影響がありましょう、日本から見た・・・も、また次男さんと観られたら良いですね。
辛いですが、史実は伝えないといけませんね。
地震の津波は、大した被害も無かったようですね。熊子さんのところは海岸からだいぶ、離れているそうで、安心いたしました。
地震は怖いです。こちらも突然来ますから、びくついて居ます。気をつけて下さいね。
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津波警報 (まつ)
2006-11-16 09:52:05
熊子さん
昨日は、テレビ見てましたら
突然津波警報、釧路1メートルと有り
心配しました、
でも、小さくてよかったですね、
お家が海岸よりですと、避難で
大変ですね。
ご用心ください、
私も阪神大震災で、苦労しました、
御大事に。
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熊子さん、こんにちは (polo181)
2006-11-16 15:34:02
見てきましたか。私は、悔しい悔しい敗戦の体験者だから見る気など全くありません。私が戦争指導者だったら、負ける戦はしません。あの時、勝つ方法があったのに、みすみすそのチャンスを逃してしまった。
今、イラクで米軍は苦しめられている。ざ○○見ろ!と叫んでいます。
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あきこさんさまへ (熊子)
2006-11-16 20:33:29
ご心配をかけました。不安な夜でしたが無事でした。私の家は釧路の北側なんです。釧路湿原に近いので海からは相当に遠いです。・・・、戦争って嫌ですね、戦争って何も残らない。私の父は職業軍人でした。あまり戦争については語らない父でしたがあの恐怖の憲兵にも就いた父でした。いろいろと戦争については読んでも来ましたが、この硫黄島の激戦闘後に父が指揮する関東軍が沖縄戦に出向いています。やっと硫黄島の真実を知る機会に出会いました。
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津波警報には驚きました (酔歩)
2006-11-16 20:45:00
釧路の様子がTVで中継されていましたが、大した事が無くて何よりでした。
しかし千島列島ではこれから被害の様子が報道されていくのでしょうね。サハリン州はモスクワから遠いから、また日本からの人道的援助というのが期待されているのでしょうね。私は複雑な気持ちです。

日本は調子に乗って世界を相手にして戦ってしまった。
特にアメリカと戦ったのは大間違いです。
確かにアメリカは横暴な国です。しかし負ける相手に対してまともに戦ってはいけません。
当時の国の指導者はいったい何を考えていたのか!?
アホとしか言い様がない。
良いとは言いませんが、少しは今の北朝鮮の戦い方を参考にしてほしかったものです。
私もpolo181さんと同じで、全てが自分たちの考えるとおりにいくものでは無い。それみたことか!泥沼にはまって苦労すれば良いと言いたい。
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maruさまへ (熊子)
2006-11-16 20:49:00
いろいろご心配をおかけしました。お陰さまで何事も無かったです。第二次戦争については本で読んできましたし、父からも聞いてきましたが、私が知りたいのは何で戦争が始まり、出向いた兵の方々はどんな気持ちだったのか、またそれによって何が残ったのかでした。ここ数年は「戦場のピアニスト」「ウインドトーカーズ」「俺たちのヤマト」「出口の無い海」、そして「父親たちの星条旗」とどんどん日本軍の様子が伝わる映画に出会い、来月は辛いですが「硫黄島からの手紙」を観ます。次男坊はこういいますがきっと一緒に観てくれると思います。
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まつさまへ (熊子)
2006-11-16 20:59:14
阪神淡路の大地震の体験者でしたか。地震は怖いです。ここ10年の間に震度6を3回も体験しました。そして昨夜は雷様が天井のすぐ上で鳴っている様な凄まじい音で今朝は霰が降っていました。災害は忘れた頃にやってくる、備えあれば憂いなし、、ですが、なんの防災対策もしていない現状です。
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polo181さまへ (熊子)
2006-11-16 21:08:18
この映画は星条旗を硫黄島の擂鉢山に掲げた写真が当時の戦争不景気にあえぐアメリカを救う材料として戦争ビジネスに利用された若者たちの悲劇を語っています。私ねビックリしたのはあの戦争当時にアメリカ本土ではいつもと変わらぬ日常を過ごしていた様子でした。今と変わらずに華やかなアメリカの様子に度肝を抜かれました。日本ではみな食糧難であり、ひどい有様な当時だったのに、アメリカは今と同じ。そしてね、あの硫黄島の戦闘中にアメリカ兵は海で海水浴をしたんですよ。そんな姿を硫黄島の日本兵はどんな思いで見ていたんでしょうね。次回の硫黄島からの手紙から真実をしっかりと認識するためにも泣くでしょうが見て来ます。
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若へ (熊子)
2006-11-16 21:18:21
そうですね、大国アメリカに戦いを挑んだ日本は無謀でしたね。しかし真面目さゆえに軍の指揮に従った多くの日本の英霊達に手を合わせて合掌したい。ここ数年ね考えてみると戦争にまつわる映画を見続けています。そして硫黄島に関する映画といよいよ向き合いました。父は硫黄島の戦闘後に艦隊に乗り込み沖縄戦に出向いています。あの大和の護衛艦でした。良くぞ生き延びた父でした。そんな関係で私は父に近い真実を知りたいんです。
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