最近読んだ本。
曽野綾子「自分の始末」
しかし、同居している老親を見ていると、いくら寿命が延びたとはいえ80を超えるのは大変なことなんだなあと痛感する。 人間は生きているだけで偉いとすら言える。
そして人生は長いと言っても、実際思うように動けるのはわずかな時間のように思う。
わたくしのように縛りのキツイ家に育つと、生まれてから20年は親の呪縛の元に暮らさなければならないので、自由な発想を持つこと自体難しく、 何をやるにも必ず向かい風に会う。いち早く興味を行動に移せた人はラッキーだが、助走期間というのはなかなか充実しにくい。
それからその呪縛と闘いながら、やがて自分の生活を勝ち取っていくわけだが、今度は生活の心配やら子供の世話やら、それが生きている証とも言えるが、なかなか自分の時間が持ちにくくなる。恐らくこの辺りが子供を持つか持たないか・・の決断の分かれ目にもなるのではないだろうか。
わたくしの場合は取りあえず子供は持つ・・という決断をしたので、その責任は取らなければならない。しかし、なかなかその責任が果たせない。これもジレンマである。
そうこうしているうちに今度は親の世話である。
アイスクリームが冷蔵庫で溶けていたり、カマボコが冷凍庫で凍っていたりする日がやってくるのだ。決まったものを決まった場所に保管することもできなくなるので、毎日家中宝探し状態で、おとぎ話のような冒険の旅が始まる。
例えば、母は日に日に認知症が進化していてシモの始末もおぼつかないが、悪い事は全部忘れるので誰か他の人の仕業ということになっている。どうやら彼女の中ではもう一人家族が増えているらしい。死んだ人もしばしば家の中に登場させられるハメになる。
しかし良いこともある。彼女は若い頃からパワフルな内弁慶で、朝から晩まで家の中でヒステリックに天を呪っていたが、最近はその元気も無いのでその度合いが和らぎ家庭内にやっと平安が訪れたと言っても過言ではない。これを成熟と言わずに何と言おう。
人生は長いので何が良くて何が悪いか・・は全くわからないのだが、それにしてもこうなると、思い通りに動けている・・とは言いにくい。
いったい、自分の思い通りに毎日を謳歌できる時間というのはどれくらいあるのだろう。
時間を時計で計ってはいけないとも思う。だから作家や画家や作曲家は作品を残すのだし、歌手や舞踏家はその一瞬に人生を閉じ込める。
まあ、そうは言ってもね。
と、背筋の寒くなることもあるのだわよ。
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