人が集まると嬉しくなっちゃうわたくし。子供の頃は人見知りだったのに、どうしてこうなったんだろう?(撮影:しばりん・コイさん・左党さん)
人が集まると嬉しくなっちゃうわたくし。子供の頃は人見知りだったのに、どうしてこうなったんだろう?(撮影:しばりん・コイさん・左党さん)
運動が嫌いなわたくし。
ですからオリンピックにもそう熱くはならない。
特に冬季オリンピックは見てるだけで寒くなるので好まない。
それにわたくしは高所恐怖症&ジェットコースター嫌いなので、ジャンプとかスノボとかボブスレーとか、とんでもない。
ダスキン提供みたいなカーリングにも我慢できない。
ところが、フィギュアだけは好物である。
まず美しい。
そしてとっても歌に似ている。中心線がブレちゃいけないとこも、難易度があるとこも、凪の部分をいかに歌うかも。
そんなわけで、昨夜は深夜から朝までじっくりと観覧した。本当に素晴らしいひと時だった。
前夜、プルシェンコが棄権した時は、その後の選手たちのミスが続いたのも分かる気がする。
歌なんかでも大勢で出る時はそうだが、関係ないようで実は同じステージを共有している人たちはかなり「連鎖」しているものなのだ。
それから、最初の方に出る人たちの演技は翌日のダイジェスト版で見ることはなかなか難しいが、決勝争いをする人たちとはひと味ちがった味があって大好き。
もちろんオリンピックの会場まで来てるんだから、全員超人であることは間違えないのだが、あんまり足が上がらなかったり、動きが固かったり、衣装が会社員みたいだったりしてかなり個性的。
歌の入った曲は減点の対象なのに、平気で使っている人も好きだったし、三位入賞した人とは別の、もう一人のカザフスタンの選手の普通のおじさんぽさも良かった。
赤道直下のフィリピンから初出場した若者もよかった。4年後が楽しみ。
上位争いは当然技術が高いのだが、押し並べて日本の選手の動きはダンス的で、歌で言うならレガート。ラインがとてもなめらかに繋がっていて、スポーツであると同時に一つのアートになっていると思う。ちゃんと踊っている感じ。
どの選手もしっかりした裏付けを持って、人を喰うようなリンクに立っている。
吸いこまれるような恐怖もあれば、勢いに乗った高揚感もある。
誰一人文句ありません。
羽生選手が金メダル取れたのはもちろん嬉しいが、高橋選手の最後のオリンピックの笑顔のスケートは感動的だった。「自分はそれだけだった」などとコメントしていたようだが、こんな感動を与えてくれたことがオリンピックの意味かもしれない。町田選手は強気なコメント含めてよかったです。
しかし、表彰台に上った3人ともアジアの顔だったことにビックリだ。
昔だったら、そこにはロシアや北欧の選手が立つのが相場だったのに。
男子競技者の間には何となくお互いへのリスペクトも感じられたし。
羽生選手の礼儀正しいのにも感動した。故郷への強い思いも。
楽しい時間をありがとうございました。
しかし、ぬくぬくとTVで見てる側は気楽なもんだわ。
この人何でこんな格好してるのかなあ、とか、この中にゲイは何人居るんだろう・・・とか、本筋とズレたことが頭をよぎったりして。
朝から大騒ぎである。
90近い変わり者の父は、詩の会のようなものの世話役をやっているが、今日は雪のため会合が休みになり、会員の方々にその連絡をしなければならない。
あちこちに家電から電話をしているが、高齢者の多い会のこと、果たしてちゃんと用は済んでいるのだろうか。
父は携帯を持ってはいるが、使っているとは思いにくい。
そこへ会員の方から連絡も入れば、留守電も入る。
だいぶ前、電車の中で呼び出し音が鳴り困ったと言うのでマナーモードに設定してやったことがあるが、その解除をしていないので、電話が掛かって来ても気が付かない。
だから留守電が入るが、その聞き方が分からない。
マナーモードを解除して、留守電の聞き方を伝授する。
携帯を耳に当て大声で「わかりました。わかりました。」と言っているので、何かと思うと留守電相手に話をしているのだった。
耳の不自由な方へ連絡をしたいが、FAXの送り方が分からない。
そんなわけで、午前中だけで十分わたくしはぐったりしてしまった。
まったく今年の雪はどうだ。
ところが、こんな日にもやってるライブはやっている。
あるピアニストからメールが来て、「今○○で仕事してます。お客さん居ないけど。」
そういうのを「仕事してる」とは言わないものだ。