「ステージに戻った瞬間に体がゾクっときた」
★40年ぶりの復帰、その間まったく楽器もやってなかったので、往年と同じように叩けるのか?と疑問だった。他のドラマーの人からも、足がつってステージが中止になったなんて聞いてたし。でも、僕の場合は戻れた。
★ドラマーとしては2年前、沢田研二のステージでメンバーが4人まで集まったときに復帰したわけだけど、ステージに戻った瞬間に体がゾクっときた。
ファニーズで最初に集まった時代を思い出した。タローの家が日舞の先生だったので、その舞台で練習したり神社の境内や中学の教室だったり。
走馬灯のようにそのときの光景を思い出した。
★解散以来、家庭でも職場でもタイガースだった自分を隠して生きてきた。でも、20~30年すると舞台に立ってる夢を見るようになった。まだそんなことを思い出すのか?と思ったけど、ステージに戻る気は起きなかった。グループサウンズの自分を馬鹿にしきっていた。
★タイガースをやめてから40年、音楽活動を復活してから4年。普通なら40年の方が重いはずなのに、4年の体験の方が強烈だった。いちどきに衝撃がどーんときた。
★当時はグループサウンズの曲は、ライブではロックだけど、シングルは歌謡曲っぽい言われてたし、そう思ってた。
歌謡曲に埋没しきってなかったから、こうして生き残れたと思う。
すぎやまこういちさんも、クラシックやビートルズの和音を研究して、それまでの歌謡曲にない音楽を作ろうとおっしゃってた。
★グループサウンズは、ジャズやオペラやクラシックにはない強さで生活感覚のなかに残った。そんなパワーがある。
現役当時はいろんな想いがあったけど、今まで音楽と離れていたからこそ、その特殊性と意義に気づけたかも。
★新しいものをやっていたということは、あとからわかること。
「自分たちでやって自分たちで完結する」という形態が強かった。事務所やレコード会社の思惑を超えて、ロックの魂がまだ存在していたことが今回わかった。
★解散後、柴田練三郎先生には本当にお世話になった。今日の僕があるのも先生のおかげ。物事の芯を見つめている人だった。決してタイガースを振り返ってはいけない、一切封印しろと言われていた。それをかたくなに守っていた。
★もう一度人生をやり直すとしたら?
そんなこと考えない。あのときにこうやっておけば、と考えることはあるけど。でももし処世術がうまくいってたら、自分という人間はダメになっていたと思う。
★読者の皆さんに。
とにかく気にしないこと。
人生には最後までなにがあるかわからない。
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