リカリズムな日常

6拍子に彩られた破天荒な毎日

愚痴って、言うのに覚悟が要るって気付いた昨夜

2011年04月12日 | 本音と実情

あんまし電波な世界に没頭すると、立ち返る場所を見失いそうで少し不安になる。
そんなとき、自分を卑下してこう呼んでみる。「電波メンヘラ女」と。
私が友人だと思っていた見えざる存在の数々は、あくまで私の妄想の一端であり、ファンタジーである。
という仮説を立て、かわいそうな女として自分を冷たく引き離してみる。

・・・けど。
それって、逃げてんのよね。

だって見えてんじゃん、聞こえてんじゃん。
それ無視するってさー、本来の自分の姿を見ないのと一緒っしょ?
じゃあ怖がりながら、認めていこう。ホントにメンヘラだってことも含めてさ。
そしてこの歩みの遅さが私にとって致命的な欠点だってことも、実は一番わかってる。
これはスピリチュアルカウンセラーであることとはまったく別個の、私の人間的弱さだ。

愚痴を言いたくて仕方なくなるくらいしんどい時、それを吐きだしたいのに、吐きだすほどにみじめになってく。
吐きだすほど、見たくなかった自分があらわになってく。

そんなちいぽけな自分を、昨日はいやってほど見返る機会があって。
はーまじ自分ちいせぇあーもーやってらんないあーなんでそんなことにも気付かず偉そうにしてたんだかもうまじ穴入りたい
って悶えてた。
それが久々に来た大きいの地震の日と重なるから、やっぱりこの地震ってなんか意味あるんだろうなと思える。

自分最強!ハンパねーー!!

って思ったり

あーまじもう消えてくれ自分!

って思ったり

そういう、

感情振り切れる度に元の自分に還ってくるスパンはだいぶ短くなったのに。
歩みの遅さは変わんない。これがもどかしい。
それを変えようと腹決めた時、どんだけのことやんなきゃいけないのかを思い知って一気に動けなくなる。逃げたくなるくらいしんどくなる。

「みんなそんなもんですよ」

と言ってくれた子に助けられた。

5年?10年?本当に変われるとしたらゆうにそれくらいは必要。
すぐ変わらない自分をそんなに長く向き合って成長させていけるだろうか。
とか思うとうんざりだけどさ。
逃げたくないじゃない、本当の意味では。

うだうだしても、やっぱりかっこいい自分でいたい。
死ぬとき思い残すことなく死にたい。
考えてもしょうもないことは考えず、あとは適当に「いい加減に」、本来の私で生きる。
一生懸命、やってみる。
それしかないやね。

だから。
自分の小ささを思い知る愚痴を、もっとちゃんと吐いていこうか。


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