リカリズムな日常

6拍子に彩られた破天荒な毎日

本来の自分というもの

2011年04月25日 | 本音と実情
結縁という名前で他人様を鑑定させていただき、言いたいことを言ってはお金をいただいている、そんな印象を世間や客観的な自分から感じることはあれど、

その代価はけっこうなものだと時に感じることがあります。
偉そうに人に言ったことは巡り巡って自分に返ってくるから。


沢山の方々にお話させていただいた全ては、あますことなく返ってくる。タイムラグがあるかないかだけで、全部。

世間のすべてはその法則で動いてますが、特にこの仕事は感じることが多いです。

つまりは。
私は個人をカウンセリングさせていただいてるわけじゃなく。
どこかに落としてきた自分自身のかけらを自分で紐解いている。ってことに気づくのです。


自分が言ったこと、やったこと、全てのオトシマエがつけられるのは壮絶すぎてむしろ心地良い。おかげで私はより私らしくあることが出来る。


結果。神さまってやっぱり私の味方じゃんって思うんです。



いろんなことが降りかかって、神仏を一気に信じられなくなる人ももちろんいらっしゃるでしょう。

でも。信じてみると。なんとなくだけど、甘い道を行ける。



本能全開にならないと通過できない門があり、

生きてく上で勝手に積み上がってしまった恐怖を剥ぎ取り飲み込んで、

本当に望むもの、に近づいてゆく。

それが生きる、活きるってことなんでしょう。


さて。今日も一枚、剥ぎ取った。
明日も何かを飲み込んで楽しんで生きます。

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