リカリズムな日常

6拍子に彩られた破天荒な毎日

ガリ勉、真面目子の代償

2011年04月30日 | 本音と実情

あくまで私の過去の経験上のお話ですが。

親や先生に目をかけてもらって優等生の優越感をほしいままにした子ってのは、ほんと後で苦労します。
生きてく上での物差しを、自分の世界の絶対の人にゆだねきってしまってるわけだから。

私はそんな生き方に本気で疑問を覚えたのは中1の時。
人生で初めて彼氏ができて、目も合わせられない、まともに話もできない、かわいらしい付き合いだったのですが、その事実だけで母親に説教されたことがきっかけでした。
「どんだけ恥ずかしことかわからないの?!」と。

え?好きだと思えて好きだよと言ってくれる人がいることが、恥ずかしいこと??
わかんねぇ!!

そこで、私の中の「目上の人は絶対正しい」という思いこみが崩れました。

・・・とまぁ、私のよくないクセです。ばか正直なんです。
母は母なりに心配し、そして私の本来の破天荒な性格を見越しての注意だったのでしょう。


優等生タイプの人がスピリチュアル界には多いなぁと感じます。
世界の中の絶対の存在を求めてしまうからなんでしょう。

たしかに、絶対。
たしかに、大きい。
けど、神様の生き方やあり方をみてると、なんちゅうか、私たちとそう変わらないようにすら思えてくる。

大いなる存在が宇宙において絶対の法則であると体感している上で、お話します。

絶対なんか、ない。

一年だってすき間があって、うるう年でつじつま合わせるのに。

生きて滅びゆく変化の激しい肉体を持つ我々に、絶対なんかないでしょう。


親の思う通りに生きなくてはと感じてる優等生、ガリ勉くん、真面目子ちゃんよ。
もっと過酷な世界で生きなさい。
誰にも責任をとれない、自分で責任とるしかない、甘美で純粋な世界に。
自分の足で踏みこんで行きなさいな。
そうして、親御さんに本当の意味で感謝なさい。

昔、中学高校生だった私は、どの本をよんでもどの本を読んでも、「親にすら応援されないヤツが芸事なぞできない」と書かれてあるのを読んで苦脳しっぱなしでした。

その言葉は一理あるけれど、一部でしかなかった。
だから、本の中にも絶対を求めちゃってたんだな。

「絶対」は、自分で創るもんだ。
そうして、自分で創って、壊して、また創る。
そうして変化してゆけ。

自分にも言い聞かせるために書きました。


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