リカリズムな日常

6拍子に彩られた破天荒な毎日

死への憧れ

2011年11月08日 | 本音と実情

こないだ、鑑定のお客様で彫刻家の方がいらっしゃった。
ブロンズ像を彫っているという方。65歳。
とても65歳に見えない外見だった。

80歳くらいにも見えるし、
40代にも見えた。

それが彼女の全てを物語っているかのようだった。


彼女は、うつ病を抱えながら芸術と向き合って必死に生きてきた。
神様に愛された者のよくあるパターンで、それは波乱万丈な人生。

彼女は「先生、私もう死にたいんですよ。」という。
「でも、生きなきゃならないならあとどれくらい生きるかを知りたいし、それまでに生きてく計画も立てなくちゃならないでしょ?」

といっていた。

その口調には、じめっとした自己破壊願望は見当たらない。さばさばしていて小気味よいくらい。
もうほとほと疲れたって言ってた。


堅いものと全力で向き合ったであろうカラダはとても重たそう。
関節も上手に曲げられないようだ。
でも、髪の毛はふさふさしていて、眼光も鋭い。
死ぬに死ねないエネルギーがまだ感じられる。

ああ、なんだろうか、この気持ちは。

運命を背負い、自らの使命に全力で燃えたものでなければ感じられない、
「死への憧れ」。

それが、ちょっとだけ、わかった気がして。

私は、彼女の人生を鑑定でしか垣間見てないのに、その疲労感に共感してしまう。
失礼だと自分を戒めても止められない。32歳の小娘が何言ってんだって思うのに、どうしてもとまらない。
こんな共感は彼女への冒涜につながってしまうかもしれないのに。

でも。なんとなくわかるんだ。

使い切って、使い切って、使い切って、そしてやり抜いてやり抜いて、
そして終わる時の死の接吻は最上級の悦楽。

その瞬間に、憧れる。


そんな彼女でもまだやることが残ってる。それが見えちゃった。
「まだやらなきゃならないのね。」と彼女も言っていた。

私がその境地に立てるのはいつだろう。
あとどんだけ頑張らなくちゃそこに行けないのかなと、遠くの頂上を眺めるような気持ちでなんとなく考えた。

まぁ、ただの甘ったれとも言えるけれど、ね。


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