こないだ。早稲田の穴八幡宮に初めて参拝した。
蟲封じのほか、商売繁盛や出世、開運に利益があるとされているお宮らしいけれど、特に知識もなくご縁をいただいてお参りしたんだな。
あとになって蟲封じってなに?って思ったので調べてみた。
そしたら赤ん坊の夜泣きやかんしゃく虫を封じてくれるご利益のことらしいね。
知らなかったよー。
お参りしたきっかけは近くにいたってのもあったんだけれど、穴さまの使いがやってきてお知らせをくれたから。
この穴さまの使いが、芸能界でよく話題にあがる「小さいおっさん」だった。
小さいおっさんを見ると売れる、出世する、なんてジンクスがあるらしい。
商売繁盛出世開運に利益があるっていうのはこういうとこから来てるんじゃないかな。
小さいおっさんって宇宙人っぽい人たちだと思ってた。全然そうじゃないね。
鴨川ホルモーに出てくる鬼みたいな、あれのもっと小さくてシンプルなやつだった。
初めて参拝したのに、穴さまは私にいろいろアドバイスくださった。
「まったく、余計なものばかりつけおって」
と言われて、私の内なる何かをスロット回しのようにさぐる。
ビジョンがピコーンと何かをはじき出す。
それが音楽についての何かだと分かった。
「そこだな。」
と、穴さまの声がした瞬間に、神殿の奥のほうから流線型の黒い何かがずばっとやってきて私の胸を突き刺し、何かをとらえて天井に刺さった。
見てみると、私のその日の服装、顔形、等身大のカラダ、そのまんまのもう一人の私がスプラッタ映画みたいに形相を変えて胸を貫かれ、血を吐いてた。
「姿見という。」
穴さまは言ってた。
姿見、を辞書で引くと「全身をうつせる鏡」と出てくる。それ以外の意味はない。
けれど、穴さまのいう姿見とは、
こうなりたい自分、理想とする自分、近づきたい模り、のことなんだとか。
姿見の存在自体は良いも悪いもないみたい。
けれど、悪い方に作用すると足枷になったり固定観念になったり、よくないこだわりとして成長や可能性をせばめてしまうのだとか。
私は、音楽においての姿見を穴さまに祓ってもらったよう。
蟲封じのご利益って、こういうこと・・・??
もしかして。赤ちゃんの原因不明の夜泣きやかんしゃくは。
残ってしまった前世の記憶、それも恐ろしい類の執着の何か。
もう一度生まれなおしたのに悪夢のようにリピートしてしまって、それで泣き続けたりするのかも。
・・・なんて、メルヘンにかんがえたりするのでした。
話があっちこっち飛びまくってしまうけれど。
音楽においての私の「こうなりたい!」という姿見は、確かに根強く残ってたのだと気付いたのでした。
理想と現実のギャップを埋めようとしてやっきになっていたけれど、ステージングを変えようとしてからは、もうその姿見はいらないものになってきたんだな。
そこを、穴さまがざっくりそぎ落としてくれた。
姿見は一体だけじゃないんだと思う。
たとえば恋愛とか家庭とか、仕事先でとか、あらゆるジャンルでの「こうありたい自分」の姿。
欲した自分の理想像の数だけ存在するんだろう。
それは成長するためのエネルギーにはなるけれど。
時がくれば必要なくなるものなんだろうな。
姿見を葬り去ってくださった穴さまの参拝後は、後ろを振り返る事を許されなかった。
長い事一緒にいた私の姿見は、黄泉の国の蛇たちに食され、無になるんだろう。
その姿を、見てしまってはいけない。
それから何がどう自分の中で変わったか分からなかったけれど。
4/23のスロブで歌った私の歌は、何か力強くなっていたようです。
卒業できて、よかったな。
いつか、ここに夢目指して邁進する人たちを連れて参拝したいなと思ったのでした。
穴さまのご威光は、素晴らしいです。