近況アップしようかと考えてたタイミングで、チャーリー・ワッツの訃報が届いて、そのことに全く触れずに近況だけアップするのもなんか違うよな~と思って、数日が過ぎましたが自分なりのエピソードを書き残しておきます。
私がストーンズを知るきっかけは実はなんとPYGの田園コロシアムのライブ盤でした。
PYGはこのライブでストーンズから「BITCH」「Love in vain」「悪魔を憐れむ歌」の3曲を取り上げていて、ストーンズフリークだった大口広司の意見が大きく影響したのではないかと想像しています。
そしてこのライブアルバムの大口広司のドラミングのカッコ良さにノックアウトされ、私はロックに開眼したのです。
中学1年生の時にこのアルバムを聴いて、多分その翌年くらいと思うのだけど、同級生女子から大学生の従兄がロック好きで部屋に楽器やレコードが沢山あるよと教えてもらって連れられて遊びに行ったことがあり、帰りにお土産でストーンズのシングル盤「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」と「黒くぬれ!」をプレゼントしてくれた。
なぜ下さったのか謎です・・・、シングル買った後にアルバムも買ったからいいやと思ったのかな~、可愛い中学生が来たから何かプレゼントして喜ばせようと思ったのかな~。
とにかく、まだロックのレコードをほとんど持ってない時期だから本当によく聴きました。
写真にもう一枚写ってる4曲入りコンパクト盤は自分で買った物です。
なにしろね、中学生のお小遣いじゃLPはなかなか買えなかった。
ましてや2枚組なんてまず無理、PYGは大ファンだったから2枚組のライブを買ったけど、例えばその後にリアルタイムでストーンズなら「メイン・ストリートのならず者」、これは欲しくても2枚組は無理だと諦めたわけだし。
限られたお小遣いの中でLPまで買うのは優先順位の最上位なわけで、ストーンズは73年に「山羊の頭のスープ」が出ても買ったのはシングルのアンジーのみでした。
その後ウラワ・ロックンロール・センターに出入りするようになって、76年にストーンズナンバーを演るURCスタッフのバンド「ルナティック」にベースで参加する機会を得たのだけど、そのレパートリーは完全に60年代の曲のみ。
メンバーのほとんどは5歳前後年上だったし、選曲はURC創設者だったボーカルの蓮実氏によるもので彼は9歳年上だったので、彼が一番影響を受けた時期の曲をやっていたわけです。
というわけでなぜか60年代の曲中心の自分の年齢にそぐわない偏った聴き方、同世代ではストーンズファン以外は当時は知らないであろう初期のストーンズナンバーから入ったわけだけど、それらのストーンズの原点と言える曲をライブでやることを目指して、チャーリー・ワッツに影響を受けたドラマーと音を合わせる経験を10代の頃に積み重ねたことは、自分の演奏人生の中の深いところの土台になっていると思っています。
チャーリー・ワッツ様、ありがとう!
ご冥福をお祈りいたします。