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追悼、樋口晶之さん

2017-07-07 20:06:00 | stage photos

<佐野行直追悼ライブのphoto、2009年3月>

ドラマー、樋口晶之さんの訃報、驚きました。。。
つい最近もライブに出演されていたようでしたし、まさかこんなに早く旅立たれるとは。
晶之さんとは佐野行直さん繋がりで、一緒に演奏させて頂く機会がありました。
2006年前後、布谷文夫バンドでベースを弾いていた私は佐野氏のバンドにも誘って頂いて、それまでクロコダイルでは小川ヒロさんがベースだったのですが2006年1月の平塚RAINでは晶之さんと私のリズム隊が決まり楽しみにしていたところ、佐野さんの体調不良で彼が出演出来なくなり、急遽布谷氏のライブに差し替えたことがありました。
その時は、布谷氏のバックをギターの藤田洋介さんらとつとめ(夕方から急な大雪に見舞われたので、ご来場の方は記憶に残っておられるかも)、佐野さんが元気になったらRAINでのライブを組み直したかったけれど、結局その2年後にやったペチコートレーンのライブが佐野さんの最後の演奏となり、そのバンドでドラムとベースで合わせることは叶わなかった。
そして佐野さんが他界された1年後の2009年に、銀座タクトで追悼ライブを行ないましたが、その時に晶之さんと一緒に森園勝敏氏のバックを務めました。
スタジオリハの時に、私が初めてブルース・クリエイションを観たのが中学生時代、ロック・ソサエティー・ウラワの埼玉会館のコンサートだったことと、その後ウラワ・ロックンロール・センターとの関わりをきっかけにベースを弾くようになった話をしましたが、ウラワ・ロックンロール・センターの玉蔵院のコンサートにブルース・クリエイションが出演した時は1970年でまだ私は小学生だったので知らなかったけど・・・と話したら、お寺のお堂の前で演ったの覚えてるよー!って嬉しそうに話してくれた。彼にとっても10代の頃に出演したコンサートだから、印象に残っていたのですね。
私のような無名なベーシストにもとてもフレンドリーに接してくれたこと、あとスタジオのセットを左利き用にセッティングチェンジする作業が驚くほど速くて、それはもちろん慣れていて当たり前なんだけど、大御所になってもその日にローディーが居なくても超素早いということに感激したのでした。
クリエイション時代の佐野さんの曲を演奏することになっていて音源を送ってもリハの日まで自分が昔レコーディングしたことを忘れていて、その日スタジオで音源聴きなおしていたらしばらくして、あれ?、これもしかして俺・・・?・・・俺だった~!って笑っていたことなど、思い出されます。
10代からずっと第一線で活躍してこられて、まだ63歳だったのですね、本当に残念です。
一緒に演奏したビデオ、宝物です。
心よりご冥福をお祈りします。


<2005年、8月、佐野さんのライブ@クロコダイル。モッチンことアイ高野さんがゲストでした。
モッチンも佐野さんも晶之さんも、もういない・・・寂しいです>
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