私の歩く旅 

歴史の背景にある話題やロマンを求めて、歩く旅に凝っています。ねこや家族のこともちょこっと。

"Do Your Best and It Must Be First Class" ~最善を尽くし一流たるべし~

2012年08月04日 | 歴史おもちゃ箱


山梨県清里の清泉寮は高校時代から時々訪れているお気に入りの場所です。
ここはポール・ラッシュ博士が、第2次世界大戦で破綻した日本を再建するため、八ヶ岳山麓の農村をモデルに、
酪農を中心とした高冷地農業を全国に広めました。
現在は公益財団法人キープ協会となっているそうです。

2年前、キープ協会の主催したサンライズツアー(午前4時スタート)に参加した時の写真を
見つけました。
⬇は清泉寮前です。



暗いうちに出発、ハイキングをします。



夜が明けてきます。




ポール・ラッシュ博士は1925年、関東大震災で破戒された聖路加国際病院再建のために
アメリカで募金活動を積極的に行い、現在価額で約100億円を募金したと言われています。

ポール・ラッシュ博士は、28歳で来日してから、82歳で亡くなるまで、
生涯をかけて日本の社会事業に身を捧げました。
"Do Your Best and It Must Be First Class"は、博士が無償の奉仕で社会事業に取り組んだ際の心構えであり、
日本の若い人たちに残した教えの言葉として有名です。

実はこのことばを博士に贈ったのは聖路加国際病院を創立したトイスラー先生です。
(昨日のブログ記事を参考にしてください)

トイスラー先生はポール・ラッシュ博士の19歳年上です。
彼は

「ラッシュ君、もし君が主イエスの名において事業に取り組むのであれば、君は最善を尽くさなければならない。
しかも、それは人々が目標とし、まねができるよう、本物の、一流の仕事でなければならない。」

と語ったそうです。

この言葉は、「人が一生において取り組むべき事業は、金や栄誉のためだけではさもしいものになってしまう。
正義のために、そして他の人々の向上のためになるよう、最善をつくしなさい、」という意味で、
トイスラー先生は若きポール・ラッシュ博士への励ましとして授けられたのだそうです。


"Do Your Best and It Must Be First Class"

そして
“Let the work go on.”

日本の若い人たちへの熱いメッセージだと思います。

参考文献
http://quilt.slcn.ac.jp/lukapedia/index.php/トイスラー
http://www.keep.or.jp/ja/discover/qa.html キープ協会


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伝統と新しさ~教会でJAZZ

2012年07月03日 | 歴史おもちゃ箱

芝公園にある聖アンデレ教会についての記事をしばらく前に書きましたが、
この130年もの歴史ある教会でジャズ、それもビッグバンドの演奏があると聞いて、
出かけていきました。

この教会を創立したアレクサンダー・クラフト・ショーは
明治時代、外国人はみな居留地に住まなければならなかった頃に
初めて、日本人の家にホームステイし、その家族の子弟の家庭教師になった人です。
ホームステイ先は、慶応大学を創設した福沢諭吉の家です。

そんな時代のショーが、まさか2012年の今、教会でジャズのコンサートが開かれるとは
きっと、想像もできなかったでしょうね、、、。
でも、ショーの生きた明治時代は伝統的なものの上に上手に新しいものを築き
発展させた時代です。
もし、ショーがコンサート会場にいたら、
意外にも「すばらしい!」って感じるかもしれません。

聖アンデレ教会は
現代風の教会堂に、変わってしまっていましたが、、、。
⬇教会の人の来ている法被を見てください。



「聖安得烈教會」とあります。
中国語読みすると「安得烈」はアンドレになります。
明治のころからこの「安得烈」を使っているのでしょうか。
当時は中国で宣教していた人が日本にやってくるケースも多かったようです。

さて、コンサートはBig Wing Jazz Orchestra とJAZZシンガーの竹下ユキさんのコラボでした。
素晴らしい演奏、澄んだ歌声でした。
また教会ですから、天井も高く、迫力ある演奏で音響が抜群でした。
かなりおしゃれな和服姿でセンスを持った司教様が
(私の持つ聖公会の司教様のイメージとはかなりかけ離れています)
今回のコンサートの収益金はすべて東日本大震災のために使われる、とおっしゃっていました。


コンサート終了後の教会堂です⬇




そして、ライトアップされた東京タワー。
私とほぼ同年齢です。
やはり、新しいスカイツリーより、私には東京タワーの方が親しみがわいてしまいます。







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わかりづらい外来語(1)

2012年06月15日 | 歴史おもちゃ箱


以前、私の学生の中にペールさんというスウェーデン人がいました。
有名なヨーロッパの会社に日本で現地採用され、最後には日本支社の取締役になった人です。
ペールさんとは約10年間かかわりました。

彼は日本語もすごく上達し、関西弁も話せた(学習した)ので、
関西での自社のシェアを1%近く上げたそうです。
でも、彼にとってはどうしてもゆずりたくない日本語のこだわりがありました。
外来語です。

彼は外来語をどうしても使いたくないのです。
「昨日は庭球をしてきました。」とか
ホテルのレストランでも「お品書き(メニュー)をみせていただけますか。」
とウェイターの人に言いますし、
「外で焼き肉(バーベキュー)をしたんですよ。途中で雨に降られて、大変でした。」
など、できるだけ日本語だけで話すように心がけているのです。
「アナウンサーは日本語でなんですか?」と聞かれた時は
即答できずに困りました。

商社に勤める別の友人は
「コンソーシアム(事業連合)」とか「インキュベーション(起業家育成)」
など、何だか辞書がないと不安なことば(←私にとって)をたくさん使います。
「デレゲーション」ということばが出た時、「それって何?」と聞くと
「え、知らないの? 普通に使っている言葉じゃない?!」と言われてしまいました。
そこで、知人10名(ほとんど先生や家族)に「デレゲーション」って知ってる?
と聞いたところ、なんと知っていた人は0でした(←安心しました)

デレゲーションとは
【名詞】
1 delegation, deputation, relegating, relegation, delegating
従属者に決定を下す権限を与えること
(authorizing subordinates to make certain decisions)
2 delegation, deputation, mission, commission, delegacy
代表者や使節のグループ
(a group of representatives or delegates)

http://ejje.weblio.jp/content/デレゲーション

なのだそうです。

下記のような記事もインターネットで見つけました。

「A財団は自らの活動を世界中に伝えるために、各地域の市場に16ほどのデレゲーションを組織しました。
デレゲーションはミッション・デレゲートと呼ばれる人々によって統率されています。」

意味がよくわかりません。

ノーマライゼーション(健常者、障害者が共生できる隔てのない社会)
インフォームドコンセント(納得診療=説明された同意)
病院の診療券の裏側を見ると アクセス(行き方)の書かれたものもあります。
上記3つは、最近ずいぶんと使われているので、わかりやすい気がします。

カラオケはもともと「空(から)オーケストラ」の略だそうです。
中国語では日本から入ってきたことばとして「卡拉OK」と表記され「カラオケ」と読みます。

さて、外来語はそのまま使った方が便利な時と、漢字表記の方が意味がわかりやすい場合があるようです。
でも、なんとなく外来語を使う人はかっこよく見えます。
またノーマライゼーションなど、意味の深いものはそのままカタカナ表記をした方がいいかもしれません。

最初に出てきたペールさんと同じようなことを言った学生がいます。
台湾人ですが、「日本語からカタカナ表記をなくす」なんて、強烈な印象を与える
テーマでレポートを書いていました。
もう、昔の話ですが、、、、。

さて、それでは、明治維新のとき、英語でしか表せない言葉はどのように日本語にしたのでしょうか?
「政府」ということばだって、以前は「幕府」だったわけですから、、、。

次回は、明治政府が行った翻訳についてのエピソードなどを書きたいと思っています。




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1円の価値(2) 月給500円は大臣並みの高給

2012年06月13日 | 歴史おもちゃ箱


ところで今から150年ほど前、明治政府は日本の近代化(文明開化)を
図るため、多くの欧米人の専門家を日本に招き、
その技術や学問を積極的に学びました。
明治政府は欧米の機械を輸入するのではなく、
その技術やシステムを導入しようとしたのです。
なんと、1898年までに、イギリスから鉄道開発、電信、公共土木事業、l
建築、海軍制、などの専門家、6177人、
アメリカから外交、学校制度、近代農事事業・牧畜、北海道開拓などの
専門家、2764人、フランスから陸軍制や法律家、619人、
イタリアからは主に絵画や彫刻といった芸術45人、合計で1万人以上の
外国人専門家が日本を訪れているのです。

彼らは当時「御雇い外国人」と呼ばれていました。

彼らは日本の近代化に不可欠の教師や技術者でしたから、
給料の面でも優遇されました。

明治7年の統計によると、お雇い外国人で大臣並みの
月給800円以上の者が10名、200~300円の者が全体の18%、
300円~500円の者が35%(524名)となっています。

明治2~10年などをみると、具体的には
岩倉具視が600円(約6000万)、大久保利通、伊藤博文、板垣退助が500円、
工部省トップの山口庸三が400円に対し、
フルベッキが600円(約6000万)、造幣局のキンドルの至っては月給
1045円でした。意外なのはジョサイアコンドルが350円と平均的な
金額だということです。

明治政府としては
「先進文化国と競争と迄は行かなくても、追いつくまでには凡ての犠牲を払わねばならぬ。それには俸給の効果なことなど厭う所ではない。況やその為殖産興業が発達して国益が増進すれば打算として損はないという考え」
だということです。

明治を作った人々の並々ならぬ決意がつたわってきます。

参考文献
梅溪昇「お雇い外国人」2007 講談社学術文庫
尾佐竹猛「御雇外国人一覧解題」『明治文化全集』第16巻外国文化編



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1円の価値(1)明治と現在

2012年06月09日 | 歴史おもちゃ箱

1円の価値、、、

小学生の頃、貯金箱に1円玉を貯めていて、
ちょうど1000円になった時に、近くの信用金庫に持って行きました。

預け入れの紙に1000円と書いて、受付に出し、もう一度計算し直してもらうと、
1000円ではなく999円でした。
「えっ!どうして?」
何度も数えていたのに、何で1円足りなくなったのだろうと、本当に悲しくなりました。
当時でも1円で買えるものはありませんでしたが、
たかが1円、されど1円、、1円の大切さが心にしっかりと刻み込まれた経験でした。

窓口係のお姉さんが落胆している私を見て、「あ~、残念だったね、も一度1000円貯めてね。」と
慰めてくれたのを今でもときどき思いだします。

さて、話は変わって、明治時代のこの「1円」の価値はどれぐらいだったのでしょう?

単純に、明治30年頃の物価と、今の物価を比べると、今の物価は当時の3800倍ぐらいだということです。
しかし、比べ方はいろいろありますし、当時の生活と現代の生活では大きく異なります。
物価や賃金水準の変化も年々ちがいますし、ね。

たとえば
東京銀座・木村屋総本店の木村屋安兵衛が発明した「あんパン」は、
明治38年に、1個1銭だったそうです。今の時代に換算すると約200円ですね。
ハンバーガー1個ぐらいの値段でしょうか、、。
小麦の値段が上がって、今はベーカリーのチョコレートパンだって200円近くします。

「うどん・そば」は明治37年には2銭だったので、今でいうと約400円。
現在、もちもちのチェーン展開している讃岐うどんと同じぐらいの値段です。

カレーライスは明治35年頃で5~7銭だったそうですから、1000円以上の食べ物です。
明治初期、ヘボンや居留地にいた外国人も食べたという丸善の「ハヤシライス」は
現在1300円前後、つまり当時とあまり変わっていないということがわかります。

じゃ、庶民のお給料はどれくらいだったのでしょうか。
実は公務員の初任給が月給8~9円くらい、1人前の技術者でさえ20円前後とされていた時代です。

企業の物価指数で試算した場合、公務員の初任給を9円として
明治26年の指数=0.319  平成18年の指数=698.4 
698.4(平成18年)÷0.319(明治2年)=2189.3倍
9円(明治26年)×2189.3=19703.7円(平成18年)

約2万円の給料で
ビールの大瓶1本は明治34年頃で19銭だったので、約3800円。
これはお米1升分よりも高く、普通の人には贅沢過ぎる飲み物でした。
現在で言うなら、高級ワインぐらいの値段です。






さらに高価だったのが「自転車」です。
明治32年、アメリカ製の自転車が200~250円で売られていたそうです。
当時の熟練技術者のお給料で約1年分。
現在のお金で400万円相当ですから、高級自動車クラスの値段だったわけです。

もちろん、その頃の自動車はスーパーカー並の値段(1台5000円前後)、
大富豪の中の大富豪しか乗れませんでした。

消費税導入以来、一円玉、五円玉がおつりとしてじゃらじゃら来るようになりました。
時に、小銭が多過ぎて、財布が壊れそうになってしまいます。
これが明治時代だったら、ホント私も大金持ちの中の大金持ち、ということになるんですけどね。




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最初の写真は静岡県清水港のワンコイン寿司(ランチ)500円


参考資料
http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/theme-honbun-102809.php 過去の貨幣価値を調べる
【金融資料館「スペース82」のURL】(平成20年7月28日最終確認)
http://www.ncp.or.jp/dir6/d6_5_2_4.html
http://manabow.com/zatsugaku/column06/2.html