今日の産経新聞第5面は「政府の情報発信に批判」との見出しが躍っていた。
今回の新型コロナパンデミックは戦争になぞらえるほどの危機である。
真の戦争では作戦上情報公開は困難であろう。
しかし、新型コロナパンデミックについては情報を秘匿する必要性はないはずだ。
国民に自粛要請する以上は、そしてそれを効果的あらしめるには、国民の真の理解が不可欠だ。
感染者数について、そのものを操作しないとしても、そもそも検査がなければ
感染者数に反映されないのである。
多くの国で検査ができないと騒がれていた。感染数の飛躍的増加は検査が容易になったからと言われていた。
医師が検査を要請しても検査をする厚労省が管轄する「帰国者・接触者相談センター」はその5%程度しか
対応していないらしいという記事を読んだことがある。感染者数を少なく算定することができるのである。
また、人工呼吸器の不足、受入病床の不足、医療担当者の不足がアメリカでもイギリスでも
イタリアでも大問題である。いわゆる医療崩壊の危機である。
アメリカでは10万人、20万人の死者が想定されているが、それは爆発的増加に医療関係の
人的・物的条件が全く不十分だからである。
日本ではどうか?
安倍首相はじめ政府関係者から聞こえていくのは緊急事態宣言をするかどうかという結論についてのみである。
首相は国会答弁で「国民の命を守るために判断したい」「フランスのようなロックダウンはできない」
「ギリギリ持ちこたえている状況」「私の持っている情報では・・・緊急事態を出す状況ではない」などなど。
要するに、安倍首相が判断している、判断するという主観だけである。
残念ながら、私は安倍首相がどのようなお考えをお持ちの方か全く知識がないので、何でという疑問しか生じない。
安倍首相のものの考え方を知っている人など片手で数えるほどしかいないのではにだろうか。
首相たるもの、どうしてそのような判断をするのか、その根拠を示す必要がある。
「国民の命を守るため」・・だって死者数は急激に増加している。何人死ねば「安倍首相のいう国民の命を守る」という
基準に達するの??全くわからない。
「国民の命を守るため」・・そうじゃないでしょ。国民の命と「健康」でしょ・・それについては考えなくてもいいの?
「フランスのようなロックダウンはできない」・・どうしてできないの??フランス風がダメというなら
どういうふうなロックダウンならできるの??そもそもフランス風ロックとはどのようなものを意味しているのか?
首相の考えるロックダウンとはどのようなものか?ロックダウンの判断基準は何か?
「全国的かつ急激な蔓延という状況ではない」・・全国的かつ急激な蔓延という状況というのはどういう場合か?
極め付きは「私の持っている情報では・・・緊急事態を出す状況ではないと認識している」である。
日本は民主主義の国である。
首相の持っている情報がどのようなものは国民は知らない。
要は何らの情報も与えず自分の持っている情報ではそうでないから出さないというのは、独裁者と何ら変わらないではないか。
また、「私の持っている情報では」というが、その情報を公開すれば、もっと情報が集まるかもしれない。
首相の持っている情報が不十分で間違っていたら、首相の判断は間違っていることになる。
そのため、死者が急増した場合、それでも「国民の命を守るため」といえるのか・・
などなど疑問はキリがない。
一方、首相のお友達のトランプ大統領は毎日ホワイトハウスから発信している。
記者の質問にも答えている。
そういう中でトランプ大統領の対応も批判・非難を受けながら随分変化した。
現実的になったようだ。
民主主義とはそういうものだ。
国民に自粛を求める以上、国民の理解ができるように情報を伝えるべきである。
「自分の持っている情報では・・状況ではない」の後ろに「なぜならば」とその根拠が続くものなのである。
(クオモ知事の会見では、しばしば「because」という言葉が出てくる)
普通は情報を持っているリーダーは、その情報を語るものなのである。
クオモ・ニューヨーク州知事もトランプ大統領に劣らず積極的に情報発信している(記者会見)。
彼の場合は非常に具体的である。
しないというのは、そもそも何も持っていないからではないかなどと勘繰りたくなる。
忖度しろでは済まされないと思う。