喜寿から始まる

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緊急事態宣言6日目 気になっていることを考えよう

2020年04月13日 | 日記

自宅待機中に読書をするのもいいが、普段何となく気になっていることを考える時間に使うのもいい。
あるいは普段なら見過ごしそうなことを考えてもいい。

日経ニュースでこんな記事を見た。


全文は
ここ
弁護士ドットコムは法律相談サイトを運営する会社という。
国内の弁護士の4割強が登録しているという。
私は登録していないし、登録するつもりもない。違和感があるからである。
登録自体は無料だと思う。
記事によると、有料登録した弁護士はマーケッティングの支援を受けるほか、検索の閲覧順位も上位になるとある。
カギとなる指標は登録弁護士の数とある。弁護士の後ろ盾がサービスの信頼性につながっているともある。
会社と登録した個々の弁護士との関係はよくわからない。
が、何となくアイフォンの利用者とアップルの関係のような気がしないでもない。

・・・・・・

弁護士でなければできないことは単純化して言うと訴訟代理である。
法律面と事実面の二面がある。法律面は比較的わかり易い。
問題は事実面である。
相対立して争っている人の代理である。人間というのは100人いれば100人違っている。
同じ人はいない。人間社会は誤解で成り立っているといってよい。
そういうところで代理するのが如何に難しいか。弁護士の能力もそれぞれである。
裁判官の能力もいろいろである。何一つ確かなものはない。
曖昧模糊とした中から可能な限り紛争の実態に迫ることである。
100%はあり得ない。事件の帰趨を決する重要な事実だけは見逃さないようにすることだ。
常に見逃しはないかを心しておくことだ。
無罪を争う刑事事件の小説や映画を想像してみるといい。

それって刑事事件でしょうと思うかもしれない。
最近、むしろ民事事件こそが問題だと考えるようになっている。
無罪を争う刑事事件は極めて稀である。大抵は事実は認め、情状酌量だけが問題だ。
弁護士なら誰でも同じといってもいい。ただし、起訴前の場合は違うが。
しかし、民事は和解狙いのようなものもあるが、むしろ事実そのものを争うことは極めて多いのである。
刑事事件では一応、国家機関である警察、検察の捜査の担保があると言ってよいが、
民事事件の場合は訴訟提起するかどうかは当該個人の判断である。
ところが裁判というと何となく刑事事件のイメージがあるのか、訴えられた方に非があるかのような錯覚を抱く。
刑事事件では被告人といい、民事事件では被告というのが正式だが、世間では民事も刑事も「被告」である。
これも偏見の表れであろう。
更に、法律面はわかり易いと前述したが、実は民事事件は法律論が細かいのである。
そして細かな違いが事実面に直、関わってくる。法律面と事実面は緊密に連動しているので、
一方が変われば他方についても変える必要があるかどうか検討することになる。
弁護士の仕事は民事事件がほとんどである。

弁護士ドットコムは株式会社である。
最近は株式会社も利益だけではなく、社会貢献での評価も重要な要素になっていることは事実だ。
弁護士の役割というのは、法律の根底にある「善悪」、英語でいれば「right and wrong」という素朴な
社会の良識を守ることである。
その初心を忘れないようにしたいものだ。
喜寿が近い弁護士には営業活動はどうでもいいことだが、これからの弁護士さんたちには初心を忘れずに!と言いたい。

喜寿が近いものとしては、最近、詐欺、詐欺まがいの被害が絶えない社会になったことが気がかりである。
人を騙すことは、精神・人格に対する殺人・重大な傷害であり、基本的人権に対する重大な侵害との認識している。
何か役立つことができればと思う。