散歩と俳句。ときどき料理と映画。

ホラー映画 その1

Netflixで短編のホラー映画が配信されていたので観た。
『ディスコ・インフェルノ』(監督マシュー・カテヤノス/2023年/アメリカ)という18分の映画。
映画は短いに越したことはない、というのがワタシの考えではあるが、
さすがに18分だとイメージしか描けないのではないか。

男の衣装で『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977年)を思い出したりした。

たとえばマイケル・ジャクソンの「スリラー」のミュージックビデオは13分だが、とてもよくできていた。

これは音楽とダンスを観せるための映像に、物語的テイストを加えたものだから映画とは言えない。

『スリラー』(監督・ジョン・ランディス 1983年)

『ディスコ・インフェルノ』の内容は
〈1955年、シスターは子供欲しさのため、ある母親を殺害し拐った赤子を教会へ連れて行く。
シスターは懺悔室で罪を告白した後で自殺する。時は流れて1977年。
かつての教会はディスコ・インフェルノに改装された。
そこで開催されるダンスコンテストの待ち時間に、ヒロインは老婆の姿を見る。
そしてじつは、妊娠しているヒロインはその老婆から胎児を奪われそうになる〉というお話。
つまり〈そのあたりは察してくださいね〉というわけである。
まあ、ほとんど怖くもないしつまらん映画だが、ふとホラー映画について考えた。

ワタシが最初に観たホラー映画はなんだっただろう。
おそらく毎年のようにお盆の時期になると製作された、邦画の怪談映画だっただろう。
この当時ホラーなどという言葉はない。
怪談、怪奇、恐怖といった言葉が使われていた。
なかでも〈化猫〉〈怪猫〉ものが多かったのではないだろうか。

〈化猫映画〉についてネットでは以下の解説がある。

日本固有の怪談映画の一種で、〈狸もの〉〈狐もの〉などと同様に
古くから〈ゲテモノ〉としてつくられてきたが(日本映画史をつづった本には〈低俗観客層に愛好された〉などと記されている)、
昭和10年代の初めに日本映画きっての〈妖婦女優〉として知られた
鈴木澄子(1904-85)がこの種の怪談映画のヒロインを次々に演じて
(《佐賀怪猫伝》《有馬猫》(ともに1937)、《怪猫五十三次》《怪談謎の三味線》(ともに1938)、
《山吹猫》(1940)等々)、〈化猫女優〉の異名を取って以来、怪談映画のなかでも特殊なジャンルとして日本映画史の底流の一部を形成することになった。
すなわち、ゲテモノ、低俗娯楽映画といわれながらも確実な興行価値をもつジャンルとして量産され、
とくに戦前の新興キネマで鈴木澄子の〈化猫映画〉をヒットさせたプロデューサーの永田雅一は,
戦後も大映(1947年より永田が社長に就任)で、戦前の〈お嬢さんスター〉で売れなくなっていた入江たか子を〈化猫女優〉に仕立てて成功した。
これによって猫を演ずることはスター女優の末路を意味するイメージにすらなった。

鈴木澄子。美しい女優だが↓こういうメーキャップで化猫女優となる。

ここで解説されている〈化猫映画〉は戦前から戦後すぐにかけての映画だからワタシは観てはいない。
戦後の東映の〈化猫映画〉を調べてみると1958年公開の『怪猫 からくり天井』(監督・深田金之助/出演・鈴木澄子、月形龍之介)がある。
内容はというと
〈佐賀藩主・鍋島家の囲碁の師匠を勤める竜造寺又七郎は、対局中に藩主肥前守の怒りを買って斬り殺されてしまう。又七郎の母・秋篠は鍋島家を呪いながら自害。秋篠の霊が又七郎の愛猫に乗り移り、その怪猫が又七郎の亡霊と共に肥前守の前に現れる〉
とお決まりのパターンである。

ワタシが7歳のころだから、もしかすると叔父が看板を描いていた東映の映画館で観たかもしれない。

1968年には『怪猫 呪いの沼』(監督・石川義寛/出演・里見浩太郎、内田良平、御影京子、橘ますみ、三島ゆり子)がある。
17歳のころだから記憶ははっきりしている。ワタシは観てはいない。
1968年といえば東映はすでに任俠映画をスタートさせ、ヒット作を連発していた時期である。
里見浩太朗主演で〈化猫映画〉が作られていたとは知らなかった。

東映の〈化猫映画〉は意外と少ないのかもしれない。

新東宝の作品リストを見てみると、
〈化猫映画〉に限らず怪奇映画と思われるタイトルはけっこうな数がある。
しかしワタシは子どものころ新東宝の映画とはほとんど縁がなかった。
いや新東宝で1957年から59年にかけて制作された『スーパージャイアンツ』は
新東宝の製作・配給だったから観てはいるのだった。
全9作のうち最初の7作が新東宝、あとの2本は富士映画の制作になる。
このうち6作目までを監督したのが石井輝男である。

印象としてはヒーローものというよりは怪奇映画的なテイストが強く、
子ども心に恐ろしかった覚えがある。

『スーパージャイアンツ』はマンガ化もされ桑田次郎、一峰大二、吉田竜夫、が作画を担当している。

 

また横山まさみちの作画による単行本が富士見出版社より1959年に出版されているが
これは貸本マンガなのだろう。

〈たぶん途切れ途切れに続く〉

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「映画」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事