散歩と俳句。ときどき料理と映画。

カール・マルクス・ホーフとジュリー・アンドリュース

テレビなどほとんど観ることのないワタシだが、たまたまツレアイが点けていたテレビを観たら、NHKで〈ヨーロッパ トラムの旅〉のウィーン編という番組をやっている。
 
ウィーンのトラム(路面電車)。
 
ほんの一瞬だがそこにカール・マルクス・ホーフが映し出された。
 
カール・マルクス・ホーフ正面。
 
カール・マルクス・ホーフはウィーン19区に1926年から30年にかけて作られた集合住宅で、名称はもちろんかのカール・マルクスに因んで付けられた。
この集合住宅は第一次世界大戦の敗戦後、オーストラリア・ウィーン市で政権を握った〈赤いウィーン〉とも呼ばれる社会民主党によって住宅不足、失業対策、そして衛生状態改善のために建設された大量の市営住宅の一部をなす。〈赤いウィーン〉の記念碑的作品と言われる表現主義的建造物。
 
公園側のアーチ頂部には4つの彫刻が置かれており、それぞれ衛生・解放・教育・福祉を表している。
 
1934年社会民主党政権崩壊後の内乱(2月内乱)で、ファシストと闘う武装労働者がここに籠城したが、オーストリア軍により鎮圧された。
 
この時期のウィーン市における社会民主党の施策は
〈ウィーンでは社会主義者が注目に値する統治を行っており、世界で最も成功した自治体にしたのではないか。(中略)ウィーンの社会主義者による功績は、戦後の欧州各国で最も活力に満ち溢れた社会主義運動であった〉
と高く評価されている。
ファシストが支配する現在のニッポンのオーサカやトーキョーとはエラい違いである。
しかしこのあとオーストリア、ウィーンはファシズム国家ナチスドイツの統治下に入ることになる。
 
そういえばナチスドイツによるオーストリア併合の時代を描いた映画に『サウンド・オブ・ミュージック』がある。舞台ウィーンではなくザルツブルク。
監督はロバート・ワイズ、主演はジュリー・アンドリュースとクリストファー・プラマー。公開は1965年だからワタシが14歳のころになる。
 
 
この映画でジュリー・アンドリュースを知るのだが、その前年1964年には『メリー・ポピンズ』が公開されている。ジュリー・アンドリュースはこの作品でアカデミー賞主演女優賞を受けている。もしかしたらこちらを先に見たのだろうか。
 
『サウンド・オブ・ミュージック』で描かれたのは、旧オーストリア=ハンガリー帝国海軍の退役軍人トラップ大佐(クリストファー・プラマー)の子どもたち7人と、そこに家庭教師に来た修道女見習いのマリア(ジュリー・アンドリュース)が最後に徒歩で山を越えてスイスに亡命する一家の物語である。
マリアが山々に囲まれた緑の大地で歌い踊る映画の冒頭の演出は素晴らしかった。
 
 
中学生になったばかりのウブなワタシはすっかりジュリー・アンドリュースのファンになり、そのあと『引き裂かれたカーテン』(監督アルフレッド・ヒッチコック/1966年)、『ハワイ』(監督ジョージ・ロイ・ヒル/1966年)、『モダン・ミリー』(監督ジョージ・ロイ・ヒル 1967年)、『スター!』(監督 ロバート・ワイズ/1968年)と毎年のように公開される主演映画を封切りで観ていた。
 
ジュリー・アンドリュースはまだ存命で88歳になるとのことである。
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