ふしょうなブログ

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吉原神社を訪ねて

2005年12月11日 22時06分49秒 | 日記のようなもの




  

  昨日、今日と吉原近くのあるマンションへ仕事で行ってまいりました。吉原、男性の方なら良くご存知だと思います。江戸時代より遊廓で栄え、現在は特殊公衆浴場(ソープランド)の街、それが吉原です。 

  仕事の用事とはいえ折角吉原辺りまで来たのだからと吉原神社まで足を伸ばしました。ソープランド街を少し外れたところに神社はありました。吉原大門の交番より徒歩7分程度の場所にあります。こじんまりとした神社ながら寄進も豊富なのか良く手入れがなされており遊廓の鎮守らしい風格が漂います。

  それにしても男の欲望は江戸時代も今も変わらぬようです。最寄の駅はJR山手線鶯谷駅からタクシー若しくはお店の送迎車、または日比谷線三ノ輪駅より徒歩20分弱という辺鄙な場所にありながら日の出から夜12時まで、男達の欲望を処理しつづける街が吉原です。お店の中では売春防止法にて禁じられているはずの売春行為が今も昔も繰り返されています。

  働く女性は売春婦と言う世界でもっとも古い職業に就いていて、江戸時代には女郎、今ではソープ嬢と呼ばれています。昔は凶作の為、親兄弟の為に身売りされた貧農の娘達が女郎となり、今では、どちらかと言えば自ら招いた借金地獄等により身を落とすケースが殆どかなと思います。

  欲とお金に翻弄される人間、シェークスピア作のヴェニスの商人と同様の事が何世紀もの時代を経ても尚未だに繰返されているようです。多分、人間が絶滅するまで止む事は無いのでしょうけど。

  さて、吉原のソープ街から少し歩いたところに商店街があります。ご多分に漏れずシャッター商店街となっており、日曜日の今日、昨日と同じ定食屋で昼食と取ろうと歩いていると、アーケードの下では住所不定の方々があちらこちらでダンボールを敷いて寝ています。まあ、身なりからすると純粋なるホームレスでは無く、日雇い労働者のようで、仕事にあぶれ寝ている感じです。そして、今更定職には就けないであろう老人達が暇そうにぶらぶらしています。

  歩いても数分のところでは春を売る女性とそれを買う男達の街があり、ここでは用済みの男達が、所在なげに屯している。彼らにしても高度成長期には高層ビルや高速道路の建設に従事して社会に多少なりとも貢献していたはずです。そんな彼らも働けなくなれば用済みとなって死を待つようにして「唯、生きている」のです。

  最近、工事現場に賃金日払いの魅力に惹かれた若いフリーターが大勢押しかけて、中高年の低所得労働者より仕事を奪っているとか。雇う側にしても、事故率の高い、くたびれ中高年より若年者を雇用したほうが、無理も利くし現場作業も活気もあって都合が良いのでしょう。

  人生とは結局のところ何だろうか、そんな答えの出そうに無い、余計な事まで考えてしまいました。






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