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文芸 エッセイ 論文  アイデンティティ

恥知らずのウィルスが蔓延しているのでは

2020-02-26 14:16:36 | エッセイ

新型コロナウィルス感染問題の最中に開かれたミュンヘンの会議で、中国の王外相が中国の努力と犠牲で国外感染者数が少なく済んでいると言い、発生源としての謝罪の一言もなかった態度が腹立たしい。

 国の弱みを晒したくないとしても、人間社会のモラルがあるのではないか。

 しかし、わが国を見れば、森友学園や桜を見る会の問題、検事長の定年延長など、安倍総理の責任逃れや保身、権力のためにルールを変える行動も同様であろう。

 かつて、日本には支配者が倫理を重視し責任をとるという武士道精神があった。米国のベネディクト女史が「菊と刀」において、欧米は罪の文化であるが、日本は恥の文化だと言い、日本が劣っているような感じがしたが、恥とは他者の目から自身を見る高級な基準である。

 通勤電車では、高齢者や障害者を無視して平気で優先座席に座り、席を譲ろうとするのは外国人や学生である。日本人に恥知らずのウィルスが蔓延しているのではないか。

 


驚いた地籍調査

2019-12-11 12:44:00 | エッセイ

 

 今年の中頃、県内のとある町から地籍調査への立会い依頼があった。対象となる地図が添付されており、土地の名義は私の曽祖父になっている。子孫が私以外にわからないから案内が来たのだろうか。しかも昔の先祖の家からかなり離れた山地ではないか。

 地籍調査という言葉も初めて聞いたが、そんな土地があったことも知らなかったので、驚き当惑した。なぜ今になってそんなことをするのかという疑問も浮かび、ことによれば高速道路が計画されて買収の対象にでもなっているのかと心が躍った。そういえば今年、政府が年金不足を補うための資産運用を言って話題になった。ピケティによれば資産所得の伸びは常に労働者所得の伸びを上回る。ひょっとすれば時代を超えた先祖からのプレゼントか。

 現地に行けば、道路計画はぬか喜びだった。土地は急な山の斜面で昔でこそ薪取りや炭焼きに必要だっただろうが、今の時代に何に使えるだろうか。植林でもすればいいが、先の長い話である。


教育には情熱が必要

2019-11-28 16:29:16 | エッセイ

 神戸市の東須磨小学校の教員による若手教員いじめ事件は、教師が起こした意味で言語道断であり、人々が呆れ、怒るのは当然である。ところで、先日、「専門家の目」のコラムで某大学教授は、教員の組織では承認欲求によりお互いに認められたいために、仲間をいじめることが正当化されたという。それを解決する外部の意見が必要という。教授は心理学でなく組織論を専門にするためか、一般の企業や自治会と同じ組織の観点で学校を考えるが、それなら承認欲求といより同調的パワハラに過ぎない。

 今回の特異な点は、学校という場で教師が起こした事件という点である。先生と呼ばれるのは、人間に寄り添い育てるプロフェッショナルだからであり、加害者の教員も教師としての情熱や夢を持って教師になったはずである。それがなぜ失われたのか。組織としての学校に必要なものは外部の意見よりも、学校と教員が価値観を共有し教育の熱意を理念や方法に活かす努力である。


英会話力や思考力は2次試験で

2019-11-20 22:22:06 | エッセイ

 萩生田文科大臣の「身の丈」発言が問題視された共通テストは、20年度は英語民間試験を利用しないことになった。民間試験の多様性や地域偏在による公平性の観点から当然であろう。同様に、国語や数学の記述式にも問題がある。採点のための学生アルバイトの導入問題だけでなく、多様な解答に公平に採点できるとは思えないからである。

 これからの人材に英会話力や思考力が重要であることに異存はないが、これら共通テストの実施上の問題のほか、得点と学生の自己採点との乖離の恐れもある。そもそも制限時間内で真の思考力は判定できるのだろうか。模範解答は思考力に大切な創造性と矛盾するようにも思われる。むしろ思考には知識や情報などの基礎学力こそが必要である。共通テストは基礎学力を見る1次試験の位置づけにして、英会話力、思考力は大学独自の2次試験で対応するべきであろう。英会話力や思考力を伸ばすものこそが大学教育ではないのだろうか。


ふるさと納税の意義

2019-10-24 10:50:54 | エッセイ

総務省は、泉佐野市などの4市町をふるさと納税制度の対象外とした。いずれも100億円以上の寄付を集め、予算総額を超える町もある。

本来、ふるさと納税制度は、故郷や災害、環境、子育て、街づくり施策等を応援したい人々の思いに応えるために発足したものである。ところが、地場産品など善意へのお礼であるべき返礼品は、今やギフト券や旅行券、高額な商品など、その魅力で寄付を集め、安易な財源増の手段となっている。返礼品目的の利己心に訴え寄付を募ることは、制度の趣旨に反する。

泉佐野市は国地方係争処理委員会の審査結果に従わない国に対して、提訴も辞さないということである。しかし、地方自治の財源の基本は地方税であり、例外的に地方活性化のために認められた制度を乱用しているのではないか。係争委に従わないのは地方自治の侵害と声高に叫ぶのは、論点のすり替えのように思える。自治体は原点に戻って制度の運用を考えてほしい。