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文芸 エッセイ 論文  アイデンティティ

韓国の反日政策の問題

2019-09-05 12:44:34 | エッセイ

 我々の日常生活では、感情が原因で信じられない事件も生じるが、理性的な政治の世界ではありえないと思っていた。しかし、韓国によるGSOMIAの破棄をはじめとした一連の対抗措置には、理屈抜きの感情が支配しているように思える。

 韓国には、わが国の植民地支配への恨みや劣等感と優秀民族意識の矛盾があり、それが反日教育を先鋭化し、反日政策が支持率を高めているのではないか。それなら無条件に韓国の主張を受け入れない限り、どんな交渉も成立しないと思う。わが国は過去の歴史的経緯もあって可能な限り韓国に妥協してきたように思うが、徴用工問題に及び、約束を守らない韓国にもはや堪忍できないところに来た。大統領が変われば前の政権の約束は反故にしてもいいというなら、韓国はわが国や欧米先進国に見られない、約束も契約も守らない国だという印象を持たざるをえない。日本は決して妥協せず、あらゆる手段を講じても日本の国益を守ることが肝要であろう。


お笑いより内容の充実を

2019-07-31 14:55:27 | エッセイ

 先日、お笑い芸人が裏社会の行事に出演してギャラをもらったことに端を発したテレビ会見などの動きを見ると、いろんなことを感じた。ひとつは大の大人が涙を出して同情を誘う方法である。意見は堂々と主張すべきであるのに、テレビを利用し、視聴者の同情でごまかそうという感じがする。会社側も視聴者を恐れて処分を撤回するなど、信念のない行動が情けない。

 特にBSが出来てから、テレビをつけるとゲラゲラ笑う声が聞こえることが多くなった。クイズ番組もあちこち重なり、長々と一つのテーマを話題にするトーク番組も多い。タレント化した学者を出演させて体裁を整えようとする番組も多い。要は内容が希薄化している。これは民放だけでなく、NHKも視聴率重視し、民放化していると思う。ネット社会で情報がたやすく手に入る世の中になった昨今、テレビがマスコミとしての価値を維持するなら、放送時間を減らしても番組の質を上げ密度の濃い番組を作って欲しい。

 

 先日、お笑い芸人が裏社会の行事に出演してギャラをもらったことに端を発した会社側の処分や、一連のテレビ会見などを見ると、いろんなことを感じた。テレビを利用した相手側への非難、大の大人が涙を流して視聴者の同情でごまかそうという行為、視聴者を恐れて処分を撤回するなど、テレビを意識した信念のない行動が情けない。

 テレビで思うのは、特にBSが出来てからゲラゲラ笑う声が聞こえることが多くなったように思うが、お笑い芸人の多さに納得した。クイズ番組の多さ、一つのテーマで長々とするトーク番組、タレント化した学者を出演させて体裁を整えようとする番組などが多く、内容が希薄化しているように思われる。これは民放だけでなく、NHKも同様で、視聴率を重視して民放化している。ネットで情報がたやすく手に入る世の中になった昨今、テレビがマスコミとしての価値を維持するなら、放送時間を減らしても番組の質を上げ密度の濃い番組を作って欲しい。


復元とバリアフリー

2019-07-04 11:35:28 | エッセイ

安倍晋三首相がG20のレセプションでの挨拶で、大阪城天守閣を復元したとき、エレベーターを付けたことがミスだったと述べたが、これをバリアフリーに逆行する発言だと言って非難するのには違和感がある。

 大阪城は徳川時代に焼失した天守閣を、昭和になった記念に観光用として市民の寄付によって再建されたと聞く。市民の寄付を讃えた方が受けたと思うが、それはともかくエレベーターにバリアフリーの観点はなかったと思う。

 名古屋城の天守閣の復元において障害者などの団体がエレベーターの設置を求めているが、その団体や一部政党などが首相発言に便乗して声高に叫んでいるような感じがする。名古屋城にエレベーターを設置すれば木造で忠実に復元する趣旨に反する。障害者や女性、LGBTなどの社会的弱者や少数者の人権を尊重することは当然であるが、趣旨や正義に反する主張は我儘と映る。対等な権利を主張するなら、常識や公正の観点で行動して欲しい。

 

 


集団登校について

2019-06-04 16:44:00 | エッセイ

 集団登校の列に車が突っ込み多くの児童や保育園児が負傷し、死亡する事故が度々起こっている。車が歩道に飛び込むような運転ミスはあってはならないのは当然であるが、事故のたびに思うのは、集団でなければこんな大量事故は生じないのではないか、という疑問である。先年のように教師が幼児を引率する場合はやむをえないとしても、このような被害をできるだけ少なくするには、集団登校をやめることも考えるべきではないだろうか。教育上、集団登校が異年齢交流やリーダーシップ育成の意義があるとしても、子供が自ら身を守る意識や自律性、判断力を伸ばさないという懸念もある。どうしても誘拐や犯罪などの恐れから子供を見守る必要性があるなら、大人が一定間隔で遠くから見守るという方法もあろう。

 ちなみに我々の子供の頃は登校は全く個人個人であった。それで大きな事故にあったり、身近で誘拐にあった記憶はない。時代が違うといえばそれまでだが。


引きこもり対策として公共事業を

2019-06-04 16:43:26 | エッセイ

 最近の引きこもり者が起こした児童等殺傷事件や、父親による息子刺殺事件をみると、引きこもり問題は豊かな社会の棘のように感じる。引きこもりが必ずしも犯罪予備軍とは言えないが、人は社会との関わりによって健全な人間性が維持されるという面を無視できない。

 引きこもりの原因は就職の失敗が多く、再雇用を阻む新卒中心の雇用慣行がその増加の一因であるとすれば、企業の社会的責任は重い。引きこもり者が失業者にカウントされないため、政府は60万人もの中高年引きこもり者への対策に目をつむり、外国人労働力を増やそうとしてきたのではないだろうか。中間就労や正社員の増加対策があるとしても、早々に企業に期待できないなら、国や自治体が直営で公共事業体をつくり、引きこもり者を無条件で採用するようにしてはどうだろうか。それが彼らの人生を前向きにし、社会性を高め、ひいては我が国の失業対策や社会の活力の向上になればと願うからである。