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文芸 エッセイ 論文  アイデンティティ

 保育園児バス置き去り事故の責任

2022-09-15 11:15:13 | エッセイ

 このたびの保育園児バス置き去り事故は、幼児に対する安全確認の大切さを明らかにした。子供の生命を預かっている以上、登下校時だけでなく、食事、昼寝、遊び、遠足などさまざまな活動において、安全を確保しつつ、しかも活動を萎縮させずに行うことは、悩ましい問題であろう。

 事故防止のため、何重にもチェックするという保育園もある。しかし、多くのチェック体制はかえって、他者がチェックすることへの依存をもたらすのではないだろうか。この度の事故も、運転者、補助者、クラス担任、出席登録システムなどによるさまざまなチェック機会があったにもかかわらず、機能しなかった。

 むしろ重要なことは、誰かひとりがチェックの責任を持つこと、そして、担当者のミスをカバーするための監督者があとひとりいれば十分である。皆でチェックするというのは依存体質や無責任さの助長になる。担当を明確化するという体制の構築こそ、事故の教訓ではないか、と思う。

 


国葬の基準

2022-09-15 11:14:11 | エッセイ

 安倍元首相の国葬に対する国民の支持が低い。政治家の国葬には、少なくとも国民の大多数が評価するだけの実績がなければならないと思う。岸田首相がいくら意義を説明しても、国会の議決もなく内閣の一存で決めれば言訳もできないであろう。

 エリザベス女王に比べるのは酷としても、吉田元首相の場合、戦後わが国の基盤を作ったという大きな業績があった。実績が明確な佐藤栄作氏や中曽根康弘氏も国葬ではない。安倍元首相の場合、在職中の疑惑が多く、異論の多い政治的課題を強引な手法で決めてきたという不満が国民にある。外交も対立を緩和したかも知れないが、特に顕著な実績はない。おそらく凶弾に倒れたというのが最大の理由になるが、旧統一教会との関係の疑惑をもたらしている。病気や事故による急死の場合と同様、急な死去では評価が定まらず、いずれにしても国葬は無理であろう。この度のことを機会に国葬の基準を明確にしてほしいと思う。         


安倍氏暗殺の政治性

2022-07-14 22:39:28 | エッセイ

 安倍氏が凶弾に倒れた衝撃は言葉に言い尽くせないが、与野党の政治家が異口同音に民主主義に対する挑戦やテロと言っていたのには、利益集団が既得権を脅かされたかのような違和感があった。犯人に政治的な意図がなく、また演説時を狙ったのは、安倍氏に接近しやすかったからに過ぎないからである。事件はむしろ近年特有の、やり場のない社会矛盾に対して虐げられた者が行う誇大犯罪のような感じがする。

 バブル崩壊後の経済低迷と所得格差拡大、それを逆なでするかのようなアベノミクスなどの新自由主義は、企業利益の増加と雇用不安をもたらした。政府や議員はそんな国民生活の困難や不満に寄り添い、対策を考えてきたといえるだろうか。政治への失望が低投票率となり、そんな選挙で選ばれた議員や政府が私利や力の論理で政治を支配する。事件は国民から離れた民主主義がもたらした社会のゆがみに対する挑戦と考えれば、政治と無関係とはいえないかもし知れない。


  軍備は平和憲法の範囲で

2022-05-12 09:02:07 | エッセイ

 ロシアのウクライナ侵攻の機会に、わが国の一部の政治家から、軍備予算をGDPの2%にするとか、敵基地攻撃能力をもつべきであるという意見が高まっている。さらに、憲法9条を改正しようとする動きもある。

 わが国はこれまで憲法第9条の精神を踏まえ、専守防衛に徹してきた。どの国にも自衛権はあり、攻撃されないための集団的自衛や攻撃された時に備えた防衛は必要である。しかし軍備予算の拡大の前にその必要性が検討されなければいけない。もし敵基地攻撃能力のためであるなら、専守防衛の点から問題となる。防衛予算を増やすなら、30年間ほとんど成長していないGDPを高める政策が求められるであろう。そうすればGDPの1%でも防衛費は増える。

 多くの国民は憲法第9条が戦後の平和に貢献したことを評価している。憲法は単なるルールではなくわが国の理念を表すものである。わが国のアイデンティティでもある憲法を維持する創意工夫が、平和をもたらすと言える。

 


少年法の改正に伴う新聞報道について

2022-04-14 16:36:19 | エッセイ

 従来の少年法で20歳未満の少年が起訴されたとき、新聞等に氏名や顔写真など本人が特定できるものを掲載することは禁止されてきた。未熟な少年を保護し、立ち直りに備えるためであろう。しかし四月施行の少年法の改正により、18歳、19歳は特定少年とされ、起訴された場合、実名や顔写真などが掲載できるようになった。

これに対し新聞協会では、掲載するかどうかは新聞社の判断に委ねることとし、神戸新聞社では実名か匿名かを事件ごとに決めることとしている。(神戸新聞4月9日朝刊)

 ネットにより無責任な情報が拡散される時代であり、新聞社が責任ある報道を行う意味はある。しかし、新聞社の自主性を尊重することによって実名等の取り扱いが各社で異なれば、結局、実名等は明らかになってしまう。雑誌も含め、報道機関が事件ごとに公表の可否を決め、あるいは原則公表とし、合意により非公表とするなど、統一基準を決める必要があると思われる。