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文芸 エッセイ 論文  アイデンティティ

新たな日本的経営を期待する

2023-03-17 09:21:11 | エッセイ

日本経済はバブル崩壊後の30年間低迷している。その要因には様々なものがあると思われるが、究極的には企業の価値創造性が低下したためである。

経済成長は、市場メカニズムではなく企業の価値創造性によるところが大きい。企業が創造する価値を市場が選択することによって高められるからである。特に成熟した経済を成長させるには量的投資ではなく、常に新たな価値の創造が求められる。しかし政府の成長戦略は、市場経済のメカニズムに基づいた規制緩和や金融緩和などの競争促進と総需要増大政策であった。

市場と組織は不連続であり、それが組織を形成する理由である。しかし、いわゆる「組織の経済学」と称される理論の多くは、組織の機能を市場と同様、資源の効率的配分と考え、企業組織の価値創造性を考慮していない。

日本経済の低迷の一因は、市場の原理を企業組織に導入し、企業の価値創造性が低下したためである。組織経済における企業の目的は利潤ではなくアイデンティティ(企業理念や文化、コア・コンピタンスなど)に基づいた価値創造である。しかし、市場原理主義は企業組織を市場と同様、利潤最大化の手段とするため、規制緩和は金融経済の拡大やグローバル競争の中で、企業の価値創造よりもコスト低下や証券投資を促した。また雇用においては、労働者が専門性を発揮し組織から自由に自己利益を追求する「仕事人」が望ましいように主張された。その結果、成果主義の導入や非正規労働者の増加により、低賃金化と雇用の流動化を促した。

価値創造とは、アイデンティティを製品として実現することである。それが新技術を開発し、あるいはICTなどを活用して付加価値を高める方向になり、需要の高度化とマッチすることによって経済を成長・発展させる。

かつての日本的経営では、長期雇用のもとに企業と従業員が一体となった集団主義が価値創造性を高めた。それは企業内での従業員教育を積極的に進め、先進国の技術にキャッチアップするには効果的であった。それは、常に新たな価値創造が求められる成熟経済では必ずしも有効とはいえないが、企業のアイデンティティのもとに、企業や従業員が価値観を共有し、専門性により創造性を発揮することは、組織の普遍的なあり方である。「仕事人は組織人」でなくてはならない。日本文化の長所でもある企業と人間、人間同士の関係を重視し、常に新しい創造性を発揮できる新たな日本的経営が求められる。

 


異次元の少子化対策

2023-02-08 14:06:43 | エッセイ

岸田首相は「異次元の少子化対策」を提言したが、児童手当の拡充や育児休業制度の拡充などは、既存施策の延長であり、異次元とはいえない。数兆円の費用を社会全体で負担させるために、異次元と呼んだのかもしれないが、根本的な観点が欠落している。それは、若者の婚姻率の低下である。若者は非正規労働の増加などによる低賃金のため、結婚したくても出来ない状況である。それが少子化の最大の要因であり、結婚夫婦の支援だけで少子化を考えることは、認識不足も甚だしい。未婚者の子育てを支援するとか、若年者の非正規労働者をなくし、婚姻率を上げるというなら、異次元と言えるだろう。防衛費の増額と同様、税金以外での負担なら良いという意見もあるが、そんな施策はポピュリズムに過ぎず、民主主義の欠点である。異次元ではなく、長期的な観点で、少子化対策を考えて欲しい。


科学行政の問題

2023-02-06 13:16:49 | エッセイ

先日のNHKの番組で、理化学研究所の研究員の多くが10年任期のため再雇用されず、路頭に迷う懸念や世界的な研究をしている
研究者が韓国などに流出することが放送されていた。国はこれまで大学に対しても、研究費の削減や競争原理による研究資金
の獲得を進めてきた。科学立国と言いながら博士になっても非正規雇用しかない。こんな矛盾した政策の意図はどこにあるの
だろうか。将来はノーベル賞受賞者も減ると予想されている。
 一方、防衛費を5カ年で43兆円に増やそうとしているが、国力とは決して軍事力ではない。文化力や経済力による国の豊
かさや他国への貢献こそが、わが国の国力となり、防衛力となる面も大きい。わが国は従来から平和外交と国際協力に尽力し
てきたのではなかったか。今や日本の所得は韓国や台湾にすら追い越されている。国力低下の原因は自民党の長期政権や、政
策論争できずにそれを許してきた野党など政治にあると思う。


父の余談

2022-12-14 14:59:54 | エッセイ

他人には滔々と意見を述べ、理屈でまかせることができた。しかし、よく考えてみれば、その相手は家族や息子の友人など身近な者であり、日頃接しない学者などは専門馬鹿が多く、大したことはないと言っていた。

 しかし、父は外見上、強いリーダーを尊敬していたような気がする。その精神の良し悪しではなかった。ヒットラーや明治天皇、家康、乃木将軍、勝海舟などのリーダーであったが、そこには、「彼らは偉い」というだけで、統一的なイメージはない。ヒットラーもアンネの日記も同じように好んだ。「赤毛のアン」も「風と共に去りぬ」も同じ類いのように英文で読破したと自慢していた。

 


加古川を理科年表に

2022-11-01 09:12:38 | エッセイ

 国土交通省の資料によれば、加古川の長さは篠山川源流からなら100キロ以上あるが、加古川の本流は佐治川とされ、加古川の長さは96キロとされている。理科年表では、日本の主要河川は長さが100キロ、流域面積が2000平方キロ以上とされているため、加古川は理科年表には記載されず、さらに、理科年表に準じたその他の主要統計資料にも掲載されないことになる。つまり、兵庫県には大きな河川がないことになっている。しかし、兵庫県の水系の数は国内有数であり、そのイメージが統計上現れないことは残念である。

 佐治川が本流とされる理由は「水量が多い方を本流とする」という国土交通省の基準のためであるが、本来、水量は不安定であり、降水量等によって毎年変動する。いっぽう、理科年表の基準によれば、「川には何本も支川(しせん) があり、一番長い延長の川を本川(ほんせん) と呼びます。」と記載されている。それなら、理科年表はそれに基づくべきであろう。

 同様な例は他の河川でもみられる。例えば、阿賀野川はその最大支流である只見川の源流から測れば、260キロあり、天塩川を上回り全国4番目に長い川となる。淀川も琵琶湖につながる宇治川ではなく桂川を本流とすれば、200キロ近くになるであろう。

 国土交通省は、これら河川の長さを最長支流からに認定するように検討してほしい。いっぽう世界を見れば、同様な例は、ナイル川(ビクトリア湖に注ぐカゲラ川源流から認定)などにも見られるので、この機会に国際的な基準についても考えてほしいと思う。