アウトドア日記(その他の山歩き日記)

山歩きなどのアウトドアの記録です。

京都トレイル 一乗寺から比叡きらら坂へ その3 2024年8月9日

2024-08-15 09:48:53 | 夏の山歩き

京都トレイル 一乗寺からきらら坂へ その3

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再び急降下して 今度も川を渡ります。

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しばらく進むと 熊ポイントに来ました。

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ここが68番ポイントで、去年夏トレラン中の女性がここでクマに襲われたと あちこちに

張り紙してありました。

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熊ポイントを足早に抜けて、それからしばらく進むと ロープで誘導する場所に来ました。

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ロープ通りに徒渉して

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そこから今度も登り返すと 広場に出ました。

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水飲み対陣の跡と書かれています。

「水飲み」とは 叡山へきらら坂を登ってきた人々が この場所のすぐ下の音羽川の水で渇きを癒した

ことから付けられた名前だそうです。

また対陣とは湊川の合戦で敗れた官軍が比叡山に立てこもり、追って来た足利尊氏らの軍勢とこの地で

対峙して官軍が全滅されました。そういう有名な歴史ある場所だそうです。

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この場所も眺めの良い場所です。見えている町は宝ヶ池近辺でしょうか。

ここでしばらく景色を楽しんでいたら、若い男女のグループがやってきました。

私はここから下山する予定だったので、その男女にどこから歩いてどれくらい時間がかかったか

と聞くと「修学院駅から歩いて 1時間半くらいかかりました」と言いました。

地図を見ると この地点は 修学院駅とケーブル比叡の真ん中より やや比叡寄りにあります。

そうか 1時間半歩いて駅へ下るよりも あと1時間強歩けば ケーブル比叡へ行ける と考えて

このまま京トレを歩いて ケーブル比叡駅へ登ることにしました。

石鳥居ポイントで20分ほど休憩して歩き出し ここまで20分ほどかかり 今1時過ぎなので

時間は十分あります。それに今日は体調も良く 幸い体力も十分でまだまだ歩けそうです。

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そこからしばらく登るとまた広場が゜ありました。

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こんな標識がありました。馬鹿じゃないの。女人結界と下乗の標識を別々にすべきですね。

昔は修験道の山や富士山などの信仰の山、高野山、比叡山などの宗教都市は全て女人禁制

だったので、女人結界の碑は分かりますが、女性と牛馬をいっしょくたにして「女も牛も馬も

ここから入るな」と言っているのです。女性を動物並みに扱っていると取られて当然ですね。

世界遺産大峯奥駈道のうち大峰山は今でも女人禁制です。日本の恥だと思うので早く撤廃して

欲しいものです。こんな時代錯誤の規制を残したままで よくユネスコの世界文化遺産の

審査に通ったのが 不思議です。

役の小角の母上も、空海の母上も 山に籠った我が子に会いたいので 役の小角も空海も山の麓に

母親を住まわせました。母公堂や慈尊院がそれです。

特に空海は母親に「月に九度私が山から下りてきます」と言って 母親に山に入らぬように言った

と伝えられ、それが九度山の地名のもととなったと伝わります。女人禁制はそんな時代の話です。

日本中の女人禁制の山は大峰山一か所を除いて すべて撤廃されました。

 

江戸時代になり太平の世になると富士山詣では激減し 御師(おし)たちの生活が立ち行かなくなったので

女人禁制を解いたということもありますが、明治になりほとんどの山は女人開放されたらしいです。

 

かつて私が 葛城経塚二十八宿第十六番流谷金剛童子の参詣道の整備と標識付けをしていた時に

たまたま訪問してこられた大学の先生は 世界中の参詣道を尋ね歩いて本を出されたそうです。

その方も いまだに残る女人禁制に批判的でした。そんな規制は世界中どこにもないそうです。

神に祈りを捧げて歩く参詣道に 男も女も関係ないですよねえ。

 

そんな女人禁制にこだわるよりも、もっと奥駈道の整備と山小屋の整備に努力して たくさんの人々に

奥駈道を歩いてもらうことが、世界文化遺産としての務めだと思いますが。

 

私がかつて南奥駈道ですれ違った白人のカップルは 女人禁制の為 太古の辻から前鬼へ、そして国道

169号線へ下山しなければならず 私に怒りをぶつけていました。

実際に奥駈道と山小屋を私財を投じて整備されているのが、前財務大臣の塩爺とその秘書の前田翁

たちの奥駈葉衣会、その後を引き継いだ 新宮やまびこグループの方々のご努力には頭が下がります。

奈良県も十津川村も奥駈道に山小屋を造るなんて とんでもないと反対し、それを伝統文化の保護の

ためと説得して回ったのが 塩爺です。

世界遺産に登録されたとたん 手のひらを返したように 奥駈道や熊野古道を観光資源にしようと 

奈良県も十津川村も躍起です。あさましいですね。

 

※新宮やまびこグループの方々の活動は 別ブログ

「大峯奥駈道を守る人々」yochanh.sakura.ne.jp/okugake/index.html

に載せています。

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その石碑の広場から しばらく登ると

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またしても広場に来ました。ベンチがたくさん置いてあります。

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またもビューポイントです。今度はすこし南側まで見えます。

ここでしばらく休んでいたら、上から男性が一人降りてこられました。

私が比叡山まであとどれくらいですか と聞くと「ゆっくり歩いて1時間半くらいです」

とおっしゃいました。おそらくその方は比叡山山頂と思われたので私の行くケーブル比叡までは

1時間くらいだろうと勝手に判断しました。 実際は45分くらいでした。

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このあたりのきらら坂は丁寧な道づくりです。階段の踏面は小石が敷き詰められています。

しかし世界遺産熊野古道の峠道、特に伊勢路の峠道のような美しい石畳道には及びませんが。

ともかく丸太階段よりは手がかかっています。歴史の道にふさわしいですね。

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それからしばらく歩くと 周りが明るくなりました。

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その4.へ続く

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