昨日、大学病院に行った。半年ぶりだ。私は1年に2回大学病院に行かなければならない、それも死ぬまで、ずっと…。担当の医師はかれこれ2年ぐらい会っていない。若い学生あがりの医師が毎回、入れ代わり立ち代わりに対応してくれる。わたしは、もう安定した病状なのだろうが。別に不満はないが、ちょっと気分が悪い。
診察の前には検査をしなければならない。昨日は珍しくもたついた。この病院では、最近、検査結果を直接医師のパソコンにレントゲン写真や心電図結果を送り込むようになって、手順や方法が少し変わった。ところが、レントゲン検査技師が前の通りの手順を指示したので、私は前の通り、無為にそこで待っていて、無駄な時間を貰った。つまり順番が遅れた。
次に、心電図検査で順番を待っていると、急に飛び込んできた恍けた爺が、呼び出しベルが鳴った、どうしょうと女性技師を呼び止めて聞いている。爺はたばこを吸うので、呼び出しベルの無線範囲外に行っていたようなのだ。それを、馬鹿丁寧に、女性技師は対応していた。最近、勝手がわからないのに、妙に鈍感で、尊大な爺どもが、臆面もなく、堂々と、街に、駅に、病院にいっぱいいる。こいつらが通行の障害物になったり、時間のロスの原因となっている。ここでじっと我慢をする。検査技師はそんな爺にかかずらわっていないで、早く検査をしろ!そう言いたい。ところが、検査技師もなんか今日はのらないのか、毎日同じ仕事だから飽きるのかもしれないが、どうも仕事に身が入らないようだ。つい嫌味の一つも言いたいが、ここは我慢我慢。
やっと、検査が終わって、診察となって、診療室に入れば、そこには若造の医者が迎えてくれる。こいつらは、注射も下手だし、点滴一つ上手く刺せない。ただ頭がクリアーだろうが、自負ばかりが強くて、ベン・ケーシ(解る人は。実は老人だが、…)のような詰襟の白衣を着て、すっかりいっぱしの医者気取りで格好つけている。なんか大学病院は疲れる。
もっとも、私は現代医学の力をもってして、やっと生かされている。だから、毎日山のように薬を呑む。それを、毎月貰うために地元の医者を何か所も通う。しかし、医者の行為を、尊い特別な行為としてみれば、何の不思議はないけれど、経済活動としての医療ビジネスとして見ると、何だか違って見えてくる。見積りもない、内容の説明も不十分で、理解できないままに、製品を買わされたり、役務の提供を受けることになる。なんか、自分が病気で弱ってないうちは、このことがひどく理不尽なことに思えてしまうのだ。まあ、しょうがないけど。泣く子と医者には勝てない。
でもそれにしても、最近調剤薬局が多すぎる。門前市を為すかのごとく、病院の前には何軒も薬局ができる。どこか変だ。最近テレビは医療番組や女医のタレント化が花盛りだ。医療事業が知らないところで変化をしている。ある日、気が付いたら、原発が増え過ぎていて、赤字の地方空港が乱立していたように。気を付けなければ、…。もうすぐ秋だ