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じゃっくり

日常をひたすら記すブログ

hitoto.閉鎖に向けて一言

2005年12月03日 | 芸能・スポーツ
ちょっといちいち書くのが面倒なので、hitoto.のパーソナルBBSに書いた僕の意見を。

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ドットが閉鎖するようです。
なんでだろう、なんでだろう、と疑問に思う時間はありませんでした。
やはり、どうしても違和感があったのでしょう。どちらに力を注ぐかで悩みますし、ファンの細かい要望にもこたえないといけないし。一本化した方がいいと前から言ってきたので、納得です。ああ、納豆を食べながら打っているのだけど、匂いが部屋に充満してきたな。ドットは僕の中にあまり入ってこなかったけど、一つになることで、たぶん、満たされる日もくるのかもな。
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言ってしまうと、ドット内のコンテンツである「dairy pics(一青ヨウがケータイで撮った写真を公開するもの)」をほとんど観ることはありませんでした。トップページに表示されますが、流し見るだけで観てはいない。また、一青ヨウが自身が書くメッセージや掲示板でのコメントも、そんな熱心に読まなかった。

僕は一青ヨウの顔と雰囲気と歌が好きなのであって、彼女が撮る写真や書く文字にはあまり興味をそそられないのです。

一青堂とドット、消えるのはドットの方でした。なぜゆえに。一青堂が形を変えてニュー公式サイトかなんかになるのだろうか。堂員にならないと、会員として継続し続けることができない。いつごろ入ろう、堂に。

一青ヨウはhitoto.閉鎖に向けて一つのメッセージを残している。有料サイトだけど、一部だけ引用させてください。

わたしはありがとうを歌うために
あなたに愛されるために
もっとがんばります。


「ありがとう」はもう歌った。でも、今は別の「ありがとう」を伝えようとしているのか。あなたに愛されるために……これにはちょっといろいろな思いを抱いた。あなたにはこのメッセージがどう響いただろう。

人と繋がる、”一青”繋がる

2005年12月02日 | 芸能・スポーツ
その人の中には一青ヨウがいっぱい詰まっている。

わこさんのブログの中の、一青堂イベントのレポートを読み返してみると、いかにわこさんが一青ヨウを好きなのかが分かってくる。それだけじゃない、何かも。

「朝食が終わり久しぶりに台所で後片付けをしている時に、何故かこの3日間のことが怒涛のように押し寄せ、水の音に自分の声を隠しながら嗚咽してしまいました。」

一青ヨウとそれを取り巻くファンとの出会いは、わこさんにとってかけがいのないものだったに違いない。インターネットは距離をなくすので、他のファンとも文字でやりとりができる。だけど、実際に面と向かってファンと会うことはとても少ない。それゆえにこのイベントが持つ意味は大きかった。

この三日間の思い出は多すぎて、溜め込みすぎて、一気にそれが溢れてきた。この文章を読んで、いっそう僕も一青ヨウに会いたくなった。

わこさんは何度も泣いている。泣き続けている。

「歌がはじまった途端に、わたしは前が見えない状態…」
「もうこの時は声もでそうなぐらい涙が流れ、それを隠すのに必死でした。」
「何度も頭の中で繰り返す言葉…顔の涙を手で拭くのに大忙し」
「複雑な思いで涙が溢れ出したら止まらない・・・」
「手をたたきながら、うれしくて・楽しくて・るんるんなのに、また頬を涙が伝います。」
「ずっと泣いていました。」
「もう~一体いくら出てくるの?わたしの涙・・・」


泣くということは、一体どういうことなんだろう。泣いた先には何があるんだろう。僕は一青ヨウの歌で心の底から泣いたことがない。泣きたいのだけど、泣けないんだ。どうしてそんなに素直に涙を流すことができるんだろう。僕はわこさんのレポートを読んで少しうらやましいとさえ思っていた。

一青ヨウのコアなファンは「好きな曲は何?」と聞かれて何と答えるだろう。「ハナミズキ」「翡翠」「心変わり」「大家」「音木箱」「面影モダン」「月天心」――「もらい泣き」と答える人はたぶん、少ない。あれだけ一青ヨウの代名詞となった曲なのだけど、コアなファンは一般的なリスナーと区別されたい、自分は一青ヨウのことをもっとよく知っているのだ、などをアピールするために、あえて「もらい泣きを」はずすことが多いのだと思う。僕もだ。「もらい泣き」は本当は好きだけど、そう答えず、「翡翠です」とか「心変わりかな」とか言っている。

わこさんははっきりと「もらい泣きです」と言う。

一青ヨウに出会い、わこさんは何を得たのだろうか。わこさんは、ご存知の方も多いと思うが、情報通として知られている。ありとあらゆる一青ヨウの情報を得ている(と思う)。何がそこまで彼女を駆り立てさせるのが分からないが、一心に一青ヨウを追っている。

だけど、それはわこさんと一青ヨウの繋がりだけじゃない。彼女は一青ヨウと繋がりながら、人と繋がっているのだ。彼女のブログを訪問して驚く。なんて人が頻繁に行き来し、交流が盛んなブログなのだろうと。僕のブログのコメント量と比較したら、その違いは歴然である。ちなみに、コメントというものは生半可なものじゃもらえない。相手のブログを訪問したり、コメントを残したり、またメールを送ったり、しかもそれを継続させなければならない。僕はいちおうファンサイトをもっているけど、他のファンと交流をしていない。他のブログにはあまりかきこまないし、自分のブログに書き込みがあっても返さないことが多い。わこさんは常に、しかも素早くファンのかきこみに反応している。一青ヨウのことは大事だけれど、それを取り巻くファンも大事……いつしか、わこさんはその二つを繋ぐ橋渡し的役割を担うようになっていった。

記念に! …堂ダ!に書かれた「わこのひとりごと」が胸に沁みてくる。

でも大丈夫 心配なことは 何もない
だって みんなと繋がってるから


自分じゃない誰かと繋がることで、人は進めない道も進むことができるのかもしれない。

指切りPV

2005年11月23日 | 芸能・スポーツ
指切りPV(あきひろさんの紹介)

うーん……「指切り」のPVを観て、分からない部分を分かりたかったけど、分からない。ディレクターの丹下氏の中には漠然としない、はっきりとしたテーマとかいうものがあるかもしれないが、素人の僕にはやっぱり分からない。なので、分からない上での感想です。

真ん中に仕切りがあって、そこからにょきっと女性の脚脚が生えているんです。全部で十二本、六人いるのですが、あれは何を表現しているのかなあ。感情の波を表現しているととるのが普通ですが、そうなのか。しきりを挟んで、どっちかが男性、もう一方が女性の感情ってな感じの可能性も。それはないか。

「指切り」なので、指の演技が多いです。手の指の方では、とことこと人差し指と中指を使って歩く人を表現していますし、小指をたてたりもしています。足の指でも親指で地面をさっとなぞったり、指先をピンとはったり、いろいろ表現しています。女性の指の細さにはっとなるときがあり、それによって性欲を駆り立てる作用もあるかと思いますが、一青ヨウの指はかなーり細いので、男性ファンはたまりませんね。

このPVはエロいとの感想をほとんどの人がお持ちですが、どこにその要素があるのかなあ。前述した指での演技の他に、衣装では腕から垂れ下がっている部分がなかなかいい。短い髪よりも長い髪に欲情するように、です。また、一青ヨウが後ろを向いている場面の多いことに気づかれると思います。女性の後姿というのは、それでいてなかなかエロく映るものです。顔が見えない分、身体の線が際立ち、くびれがある人などをみてうっとりする人もいるでしょう。一青ヨウの後ろ姿もいいもんです。そして、振り向く。後ろを向いている人が振り向いたときに見せる表情がまたいい。人は振り向いたとき、素の表情がでるものです。それは往々にして、無表情。しかし、その無表情の中にこそ、エロが混じっていると僕は感じます(なんだか個人的な意見ばかりをいっている気がしますが)。

踊りについてですが、あるブログでも言われていましたが、たしかにチープ。特に「愛してますか」の箇所はちょっと恥ずかしくて、観にくい。だけど、これは意図的にそうしている可能性もあります。指切りで観れる踊りは、創作ダンスっぽいです。自己の内面を自分で創作して踊る。「揺れないで」ではそのまんま揺れています。そこに意味があるのでしょう。一青ヨウは内面を詩にしてきました。踊りに反映させてもいいのです。(いい加減な気もしますが)

また、群舞という言葉があるブログで出ましたが、一青ヨウ一人じゃなく、どうして集団で踊ったのでしょうか。踊っているPVとしましては、「金魚すくい」をはじめとして、「江戸ポルカ」があります。「金魚すくい」では一人で踊っていますが、「江戸ポルカ」では二人の踊り子と一緒に踊っています。見た目的に大人数で踊った方が迫力があり、魅せる力も上がります。だけど、逆にパーソナリティは下がります。パーソナリティというものは一青ヨウを成り立たせるキモだなのですが、なぜそれを捨ててまで集団で踊ったのでしょうか。なんて、疑問をもつ人がいるかもしれませんが、僕は分かりません。ディレクターの丹下氏に聞いてください(無理やり)。でもあの踊りは周りがいてこそ良い踊りですからね。

水滴が全裸の女性のお腹の上や顔の上に落ちてくる描写があるのですが、あれはいまちい分からない。あの水滴の意味するものは。一青ヨウの目の中に入ってきて、思わず彼女は目を閉じちゃいますからね。それが涙のように頬を伝ってこぼれる様が悲しく、エロい。

もっとも分からない箇所はズレです。これも他のブログで言われていましたが、途中、他の踊り子の踊りから抜け出し、正面を見定めて口パクを始めるのです。PVで口をぱくぱくするのはやめてほしかったですが、そんなことは別によくて、あのズレはなんだろうな。変化をつけるためだけにしたのじゃなく、深いものがあるのか。ここはとりわけ僕の好きな箇所なので気になります。

そういうことで、終わります。

浅田真央さまさま

2005年11月21日 | 芸能・スポーツ
あまり気が進まないのですが、そのままだと気持ちが悪いので、書かせていただきます。浅田真央選手についてです。

彼女のおかげで、このごろこのブログのアクセスが上がっています。昨日は500IPとかあったなあ。浅田真央選手が世界一になったもんだから、一気にきたー! ってことでしょうけど、そんなに上がる必要はないです。

浅田真央選手のことばかり書いてあるブログなら嬉しいですが、彼女についてはほんの二つ三つの記事でしか書いていません。訪問者は僕のブログを訪問してどういう感情を抱いているのでしょうか。「情報としての浅田真央」を得るのなら、それだけでもよかったのでしょうか。

個人的にも浅田真央選手のことは好きで、彼女がいわゆる大人の年齢、成人になるころには、おそらく僕が外見的にも一番好みの女性になるような気がしますが、アクセスのことがあるので、TVで彼女を観る度に変な感情を抱いてしまいます。

浅田真央さん、ごめんなさいね。GOOGLEのイメージ検索、一ページからここのブログにジャンプしてくるんだもん、みなさん。イメージ検索大好きな僕もおもわずクリックしちゃいますが、言ってしまうと、不必要なアクセスはいりません。薄気味悪いのです。ごめんなさいね。今日はちょっと毒を吐いちゃいました。

イメージ検索したいと思いますが、しすぎないでくださいよ。僕のブログにはもっとほかのことも書かれているんですよ。

もっと思いっきりつっぱって!

2005年11月16日 | 芸能・スポーツ
相撲中継を観ていると毎回「ああっ!」って思ってしまう。どんな「ああっ!」っていうと、物足りなさの表れのだ。相手をつっぱっり、土俵の外にだしたとき、勝利を確信してしまうので、勝った力士は必要以上に相手を押すことをしない。それが作法かなんなのか知らないが、僕はそれでは燃焼しない。力を抜かずにていや! って思いっきり突き飛ばしちゃえばいいんだ。だけど、それもできない。なぜなら、土俵のすぐ近くに関係者が座っているからだ。思いっきり突いちゃったらその重々しい表情をした関係者にぶち当たり、体重の重い力士だから、ひどいときは骨折なんかしちゃうのかもしれない。なので、僕はいつも欲求不満なのですよ。強面のおじさんとかが、迫ってくる力士を避けようとあわわってなったり、情けない表情を観るっていう楽しみはあるけどね。朝青龍が適役じゃない。力任せに押し出しちゃってよ。そして協会にまたあれこれ注意されちゃってよ。規則にしばられるなんて面白くないことこの上ないです。